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一見地雷的でない地雷症例 [救急医療]

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世の中、いろんな患者さんがいる。 そんな中、最初の見た目と最後の結果とのギャップに驚かされる患者さんも、ときに存在する。 例えば、ある60台の開腹手術歴のある男性、激烈な腹痛で救急車で来院した。 膨満した腹部は堅く、腸音も減弱していた。 

「絞扼性イレウスだ! やばい!」

と我々医療者側が緊張に包まれた。 

そして、我々の印象を確定するために種々の検査が始められた。

だが、我々の緊張は、いい意味で裏切られた。

患者は、なんと尿管結石だったのだ。イレウス確診のために撮りにいった腹部CTで、しっかりと膀胱尿管移行部に石が移っていた・・・・・。全くの想定外だった・・・・・。

結局、わずか数時間で患者の痛みは完全軽快し、何事もなく帰宅していった。

こういう症例が、一見地雷的、でも結局地雷でない症例なのだ。

では、その逆はどうだろうか?

つまり、一見地雷的でない地雷症例だ。 こちらの方が、現場としてははるかに怖い

本日は、そんな症例を皆様と共有してみたいと思う。そして、後半は、私見ではあるが、ある視点から患者を眺め、私なりの考察を加えてみたいと思う。

では、お題です。

症例1  51歳男性  右前胸部のピリピリ感

生来健康。当院は初診。19:30頃より、右前胸部のピリピリ感と気分不良が出現。軽い吐き気も伴った。市販の胃薬を服用したしたが、改善しないため、21:05、長男が運転する車で、当院を独歩受診。来院時、意識 清明。 バイタルサイン BP 118/75 HR 65 KT 35.3 RR 16 SpO2 99%

症例2  54歳男性   ふらつき、めまい

生来健康。当院は初診。昨日、21時ごろ、入浴中にふらつき感が出現した。軽い嘔気と発汗を伴ったとのこと。30分ほどで軽快し、そのまま昨日は早めに臥床したとのこと。本日、朝、軽いめまい感とふらつきがあったものの、いつもどおり出勤した。 仕事中も、ふらつき、めまい感が持続していた。 胸痛は背部痛は、いっさい感じなかったとのこと。 ただ、症状が持続するので、さすがに仕事を早めに切り上げて、18:30 当院時間外来を独歩受診。来院時、意識清明。バイタルサイン  BP 81/55 HR 45 KT 36.3 RR 18 SpO2 98%

2例とも、一見すると、まったく重症感がありません。 が、同じ疾患でした。

さて、どんな地雷を想定しますか?

(4月25日 記)

たくさんのコメントをありがとうございます。今回は、皆様方のご指摘がほぼ一点に集まっていたように思います。この2症例は、見た目は、本当に本当に本当に地雷的でなかったのです。そのあたりがなかなかネットでは伝え切れません。で、その地雷疾患ですが、それは皆様のおっしゃるとおりで、ECGを見ればすぐわかる疾患でした。 これです。 

図2.jpg

これは、症例1のものですが、症例2もこんな感じだったので割愛します。 そう、STEMI(ST上昇型心筋梗塞)だったのです。症例1は、予診の段階で看護師が心電図をとってくれ、担当医もすぐにSTEMIと気が付いたので、後の段取りは、完璧でした。でも、担当医は、とても不思議がってしました。

「こりゃあ、最初の心電図がないと、帯状疱疹と思っちゃうよ?なんでこんなに重症感がないのよ???」

と。最初に示した嘔気などの病歴は、後から結果を知った上での問診です。 予診の段階で、本人の口からでた言葉は、「右胸のピリピリ感」だけだったのです。

症例2は、低血圧、徐脈というバイタルのため、看護師がすぐに心電図をとったにも関わらず、担当医は悩みました。病歴がSTEMIとはあまりにもかけ離れていること(担当医が積極的に胸部症状を聞いても本人から何一つないという)、本人の見た目がとにかくシックでない、ならば、この人の心電図のST上昇?は正常亜型である早期再分極のパターンなのか? 等等の迷いです。結局、脱水???として、しばらくの感(約30~40分)、担当医の頭を悩ませ続けました。そのうち、採血のデータから、心筋梗塞逸脱酵素の上昇(CPK、CKMB、AST、LDHなどの上昇とTnT強陽性)が判明し、ようやくここで、担当医もSTEMIと確信して、循環器内科医が呼ばれたのでした。 

症例2を振り返れば、「対応が遅かった」と非難されるパターンです。なにせ、12誘導心電図という動かぬ証拠があるのですから。

だけど、非難する人たちには、言葉だけで伝えきれない「重症感のなさ」というものを、どれだけわかってくれるでしょうか?これは、何も証拠を残すことができないのですから。

つまり、症例を振り返るということは、一部の言語や検査結果という後に伝えることの出来るだけの一部の情報だけでしか行えないのです。診療を後から振り返る人達には、こういうこともわかっておいてほしいです。つまり、

「自分は症例のことをほんの一部しか知らない」という自覚です。

そんな自覚をもつことが、「後だしじゃんけん」の理不尽な批判を、自分が無意識のうちにしてしまわないという一つの方策となると私は思うのです。症例を振り返るとは、こんな難しさもあるのです。

症例2は、症例1よりも胸部症状に乏しい症例でした。おそらく発症は、前日の入浴時で、STEMIを発症しながら、翌日に仕事に出て行くという荒業をやり遂げています。眩暈感は、徐脈と低血圧による脳血流低下によるものと考えると話が合うと思います。

二人とも、糖尿病などの指摘はありません。なのに、なぜ、痛みをあまり感じず、自ら訴えないのでしょう? 私の疑問はそこにあります。

こんなことを考えました。

お二人とも、家族の大黒柱として働かないといけない年齢層です。様々なストレスに曝されているであろうことは、十分に想定できます。だけど、彼らは、生きていく中で、そのストレスに適応して生きていかざるを得なかったのはないでしょうか? 

ストレスは、時に身体症状として、我々にメッセージを送ってくれます。 いわゆる、サーモスタットとしての役割です。中には、この身体症状への気づきが鈍いかたもおられます。そのような方々を心身医学領域では、アレキシソミア(失体感症)と呼んでいます。

この二症例の方々は心筋梗塞を発症しているにも関わらず、痛みを初めとする身体症状に乏しかった理由に、このアレキシソミアが関係しているのでは?と私は考えてみました。

こういうことは、結論を出すのは難しいと思うので、もうこれくらいにしておきますが、時間外診療で、地雷を回避する術としての予備知識にはなると思います。つまり、

「痛みを初めとする諸身体症状が、失体感症によりマスクされることがある」

という認識を持っておくことが、諸検査を有用にかつタイミングよく使うことにつながると思うからです。

まとめます。

本日の教訓
重症感のないSTEMIの患者に注意!

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厚労省の嘘? [医療記事]

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???

今の日本は、安全最優先の世の中です。医療にしても同じことです。だから、医療事故も決してあってはならないというゼロリスクが世間から希求されているように思います。そういう世論を通して、厚生労働省が、医療安全調査委員会を立ち上げようと、その第3次試案まで作成し公開しているわけです。

ところが、現場に立つ医療関係者、一部の患者代表と自認する人々、官僚側および国会議員の先生方・・・それぞれの立場で、様々な意見の対立があるのが現状です。

私達医療者は、まじめに真摯に医療に取り組んでも、今の社会システムの中であれば、犯罪者として世間から断罪されるであろうということを肌に危険として感じています。そして、厚労省は、口では、都合のいいことを言っているようですが、私たち現場の医師たちは、それを全く信用できないものと評価しています。

そんな厚労省を信用できないと思える出来事が、また本日明らかになりました。 多くのブログで同時に取り上げられるでしょうが、私のブログでも取り上げておきます。

先ずは、日経メディカルが報じた記事の一部を引用します。 赤太字に注目しておいてください。

シリーズ●どうなる?医療事故調《5》 (会員のみ閲覧可)
事故調第三次試案、ここが変わった!
医療機関への行政処分や黙秘権など進展、過失の法的判断については変わらず
野村 和博=日経ヘルスケア

つまり、裁判所が委員会の報告書を参考に判断する場合、どれだけの損害賠償が認められるか、あるいはどの程度の刑事責任が認められるかは、司法に委ねられるという点で変化がない。司法の独立性という観点からは当然の措置だが、弁護士の井上清成氏が、以前本サイトの記事で指摘したような、「(第二次試案には)民事の医療過誤損害賠償の訴訟レベルについては、まったく触れるところがない。ADRをいくら活発化させても、根幹に当たる法的医療水準(注・医療過誤の判断基準のこと。医療自体の水準のことではない。)を修正しない限りは、限界がある」という指摘は第三次試案にも当てはまりそうだ。

 ただし、
厚労省によると、法務局や検察庁などからは、この案の公表について了解する旨の覚え書きを得ているといい、同省としては「刑事訴追については『謙抑的』な対応をすることで了解を得ているものと考えている」という。そして、捜査機関や裁判所などが適切な判断を下すためにも、医療専門家などで構成する調査委員会が、事故を適切に評価するという点において、透明性・中立性を確保することが求められるとしている。

つまり、文書をもらったと厚労省は記者に伝えているということですね。

さて、本日、自民党の橋本岳議員が、刑事局長と警視局長から次のような言質を引き出しております。文字おこしは、産科医療のこれからのブログ管理人である僻地産科医先生のご尽力でなされましたものです。いつも、いろんな情報をありがとうございます。m(_ _)m

4/22 衆院決算行政監視委員会 第四分科会質疑   橋本岳議員

動画 ←こちらかどうぞ

○橋本議員
 なるほど、いまそれぞれに必要な協力を行っていただけると御答弁があったわけですけれども、いろんな議論があるといわれた中に、そもそもこの第三次試案の紙というのは厚生労働省という名前で出されています。
 それによって担当の法務省・警察庁とすり合わせをしているのか、厚労省が例えこういう案をたとえ作ったとしても、ま、今協力をするというお話はあったわけですけれど、具体的現実の場、個々のケースにおいては、もしかしたら警察もしくは司法の方はそれを踏み倒すというか、無視するのではないかといった懸念まで言われている現実がございます。

 というわけで、あらためてどの程度まできちんと厚労省さんと両省それぞれすり合わせをされているのか、お伺いをさせていただきたい。
 
同時にそのすり合わせの中で、もし合意するような文書なりなんなりがあるのかないのかまず教えてください

○大野警視局長
 厚労省が公表した第三次試案の作成に当たりましては、本省も協議を受けております。具体的に申し上げますと、第三次試案作成の前提といたしまして厚労省が主催した「診療行為に関わる死因究明等のあり方に関する検討会」に担当の課長がオブザーバーとして参加しておりまして、必要なご説明などを行うなど協力いたしております。
 また第三次試案の内容につきましても、厚労省と法務省の担当者間で協議を行っております。

 ただいま文書というようなご指摘がありましたけれど、そのような
文書を交わしたという事実はございません

○米田刑事局長
 警察庁の場合もまったく同じでございまして、「診療行為に関わる死因究明等のあり方に関する検討会」に担当課長がオブザーバーとして参加するなど、協議を進めてまいりました。

 特段、
警察庁と厚労省との間で交わした文書はございません
(7:47)

○橋本議員
 えーさて、困ったなと思っているところですが、ここで厚労省さんがどのようなお話をされたのか、有力なものがあるわけではないのですから、確認は仕様がないけれども、え~まぁ、なんと申しましょうかね。医療の安全だの信頼だのを議論している中において、そういった食い違いが起こることはけして望ましいことではないと思います。機会があればこれについてはもうちょっと調べてみたいと思っておりますが、残念だなぁと思っております。

ということで、厚労省が記者にしたであろうと説明と、本日の答弁との間にくいちがいがあることは明らかです。 これに関する事実関係がどうであれ、食い違いという事実があるという状況の中で、私達医療者が、どうして厚労省を信用することができるでしょうか? 

このまま現場の医師の気持ちを無視して、政策が突き進むことがあれば、医療の現状は、よくなるどころか、ますます悪くなるであろうということは、私は予告しておきたいと思います。

医療がいくら頑張っても、それでも人は病気になるし、事故にも会うし、そして人は死にます。その寿命の長さは千差万別で、だれにもどうすることもできません。それが運命というものです。私は、こんなことを感じていますので、これから医療がさらに悪くなる世になっても、それはそれで仕方がないと考えてはいます。そうなったらなったで、私はそれを静かに受け容れるつもりです。

だから、これからの世がどう転んでもあわてなくてすむように、今をよりよく生き、死ぬときが来たらさからわずにそれを静かに受け容れるという気持ちを今のうちから考えておくことを多くの人にお薦めしておきます。もちろん、自分も含めてです。

それでも、今の医療体制が維持できたほうがまだましですよねえ・・・・。だから、崩壊のペースが少しでも遅くなることを、私は望んでいます。それに、私は今の医療という仕事に知的労働的なおもしろさを感じていて、できることなら、それを続けたいという気持ちもありますから。

それでも、私は、世の動きを見計らって、時と場合を鑑みて、いつでもそこから撤退する心積もりも持っています。 

さて、少し話題を変えます。昔の記事を掘り出してきました。いかがでしょう。

医師ら不起訴不当 産婦失血死で福岡検察審査会 【西部】
1992.07.10 西部朝刊 27頁 1社 (全975字) 

 福岡市中央区の国立福岡中央病院で一昨年7月、同市西区の主婦Yさん(当時33)が出産直後に失血死した問題で、福岡検察審査会は9日、福岡地検が同病院産婦人科の主治医(29)と医長(42)を不起訴(業務上過失致死容疑で嫌疑不十分)にした処分に対し、医師らの過失を指摘、「不起訴不当」と議決した。同地検は再捜査し、改めて処分を決めることになった。
 議決書によると、Yさんは一昨年7月6日午後4時50分すぎ、同病院で女児を出産した後、大量出血。主治医と医長から子宮の裂傷の縫合手術を受けたが、同10時35分に死亡した。一方、医長は手術後の午後6時半ごろ、当直医だった主治医も同9時ごろ、製薬会社関係者との会食のために外出した。
 福岡検察審査会は議決理由の中で「医師としては患者に付き添い、容体の急変に対処可能な状態を保つことが当然」と指摘。「経過観察が十分であったとはいえず、これを容認することは社会的影響も大きい
この過失を認めずに不起訴にした検察官の処分は不当と言わざるを得ない」とした。
 夫の会社員Yさん(38)が福岡中央署に
刑事告訴。同署は一昨年12月、主治医と医長、上司の産婦人科部長の3人を書類送検したが、福岡地検は今年3月、不起訴処分にした。茂雄さんは不服として4月、主治医と医長について審査を申し立てた。
 Yさん側は審査申し立ての中で、主治医らの過失として(1)陣痛促進剤の過剰投与で子宮破裂を招いた(2)縫合手術の際、傷に縫い残しがあった(3)経過観察が不十分だった--の3点を主張。同検察審査会は、経過観察以外の問題については「検官の裁定を覆すに足る理由を見いだすことができなかった」とした。
 YさんやYさんの両親らは同病院の設置者の国と主治医、医長を相手取り、総額約1億5000万円の損害賠償を求める訴訟を起こしている。
 検察審査会が再捜査を求めた後、検察側が改めて起訴する例は少ない。しかし、最近では、交通事故の加害者を福岡区検が不起訴(起訴猶予)にした処分をめぐり、福岡検察審査会が今年1月、「不起訴不当」と議決、これを受けて再捜査した福岡地検が6月、業務上過失傷害の罪で加害者を略式起訴した例がある。
 ○福岡地検の岡靖彦次席検事の話 不起訴不当の議決が出た以上、再捜査しなけらばならず、とくにコメントすることはない。 朝日新聞社

当直中に場を抜け出したのが事実なら、それはちょっと・・・と言えないことはないのですが・・・・。

家族を失った遺族の気持ちは、ほんの一歩間違えるだけで、どこかに憎しみの矛先をむけます。医療者は、その職業柄、その矛先となりやすいといえます。いったん憎しみをもってしまうと、自分の信じること以外はすべて信用できなくなるでしょう。だから、仮に医療安全調査委員会が立ち上がって、専門家で結論を出したとしても、信用できないの一言で終わってしまう可能正大です。 上記の記事はそういう可能性を示唆する十分な報道記事ではないでしょうか?

国が、医療を社会資源として守りたいなら、遺族の医療者に対する懲罰感情から、法的な枠組みで医療者を保護しておく必要があると私は考えます。故意による悪質性の高いものを例外的に対処するという枠組みはもちろん必要と考えます。

一言言います。どこの業界でも、だめだめ君、問題児君はいます。 だから、医療業界にはそういう人がゼロだとは言いません。だけど、他の業界と有意差をもって医療業界だけに多いとは言えないと思います。

そういうことから、免責によって、問題児君による医療被害が増えることになるので、刑事免責なんてとんでもないという論理は、ちとおかしいのではないかと私は思います。むしろ、絶対大多数の真面目な医療者が、安心して医療に打ち込める法的体制を作ったほうが、よほどましだと考えます。

今の現状は、ごく普通の多くの医療者の心が、今の社会風潮によって折られているのですよ・・・・。

だから、ごく少数の問題児君を業界からあぶりだすことに力を注ぐより、多くの普通の医療者を守るシステムにするために力を注ぐほうが、社会の中で医療提供力の維持につながるのではないかと私は思っています。

それでも、社会は、多数決で決まるので、我々小数の医療者の主張が世に通らなければ、私は、そういう世を静かに受け容れようは思います。 

なお、来年からは、審査会の2回の不起訴不当決議は、検察の裁量とは関係なく、下記引用赤字太字のように、法的に必ず起訴されるようです。

そうなると、家族の憎しみが、一旦医療者に向いてしまうと、その憎しみからくる懲罰感情が法的に刑事裁判まで通ってしまうわけです。第二、第三の大野事件が出てくるのは想定の範囲ということになってしまいそうです。

だから、いくら厚労省が、検察は謙抑的にすると言っても、なんら私たちの安心材料とはなりえないことは明白です。

医師が、医師として生き続けていくには、厳しい世の中になっていくのでしょうか?
これからどうなっていくのでしょう?

検察審査会

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2007/08/03 21:55 UTC 版)


検察審査会(けんさつしんさかい)とは、日本において、選挙権を有する国民の中から無作為に選ばれた11人の検察審査員が、検察官の公訴を提起しない処分の当否の審査に関する事項や、検察事務の改善に関する建議・勧告に関する事項を扱う機関である。検察審査会法に基づき設置される。

概要
日本においては、事件について裁判所へ公訴を提起(起訴)する権限は、検察官が独占している。したがって、告訴を行った事件など、犯罪被害者が特定の事件について裁判を行って欲しいと希望しても、検察官の判断により公訴が提起されずに、不起訴・起訴猶予処分等になることがある。

このような場合に、その事件を不起訴にするという検察官の判断を不服とする者の求めに応じ、判断の妥当性を審査するのが検察審査会の役割である。検察審査会は、このような求め(不服申立手続き)に応じて審査を行い、「不起訴相当」、「不起訴不当」、「起訴相当」のいずれかの議決を行い、検察に通知する。

そのうち、不起訴不当と起訴相当の議決が成されたものについては、検察は再度捜査を行い起訴するかどうか検討しなければならない。しかし、検察審査会が行った議決に拘束力はなく、審査された事件を起訴するかの判断は最終的には検察官に委ねられるため、不起訴不当や起訴相当と議決された事件であっても結局は起訴されない場合も少なくない。

ただし、司法制度改革の一環として検察審査会法を改正するための法律(平成16年法律第84号)が2004年5月28日に公布され、
今後は「同一の事件について起訴相当と2回議決された場合には必ず起訴される」こととなり、法的拘束力を持つことになった(2009年5月27日までに施行するよう定められているが、裁判員制度開始に合わせることが予定されており、期日は未定)。

なお、司法に一般国民の常識を反映させるという目的により、検察審査員は選挙権を有する国民の中から無作為に選ばれる。これには法律で定められた場合を除いて職業や年齢による区別はなく、2009年5月までに開始される裁判員制度と同様に原則として辞退することができない。

検察審査員は11名で構成され、任期は6か月、そのうち半数が3か月ごとに改選される。審査された事件から得られた情報を他に漏らすことは終生禁止され、違反した場合は罰則が適用される。検察審査会は全国に200か所あり、地方裁判所と地方裁判所支部がある場所に設置されている

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生と死は対立ではない [雑感]

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最近、こんな光景を救急外来でよく目にする。

施設入所中、ADLは寝たきりの高齢の患者さん。これまで誤嚥性肺炎を繰り返している。今回、熱発にて救急車にて来院。 今回も、レントゲンは、肺炎像を呈している。 落ち着くまでは、急性期病院で抗生物質の点滴加療が必要だ。もちろん、それはそれでいい。 ただ、ひとついえることは、このような患者は、健康な人たちよりも、ずいぶんと「死」が確率的に近い位置にいるということだ。

最近、私は、救急外来でこんな患者に遭遇したとき、「施設職員、患者家族などその患者を支える周りの方々の死生観ってどんな感じなんだろう?」という疑問と興味をもちながら、日々仕事をしている。

そして、種々の状況を鑑み、私がいけると判断した方の場合は、ストレートにこんな質問をかます。

「患者さんの死についてお話し合いをされたことはありますか?」

そこから、お互いの死生観についての会話を始めることが多い。そして、その会話から得た情報は、ポイントをカルテに落とし、病棟への引き継ぎにも使っている。

一番多いと私が思っている反応は、戸惑いである。「えっ!? そこまでは・・・・・・・」 という反応だ。 自宅介護のみならなず、施設介護職員をもってすらも同じだ。もちろん、救急外来という場だからこそ、そうなのかもしれないが。

こういうことは、救急外来の仕事ではないのかもしれない。それは私にもわかっている。
しかし、私は、多くの人に、日ごろの生活の中で、「死」も見つめてほしいと考えている医療者の一人でもある。だから、現場で私と出会った人と、そんな会話をするのだ。

今の日本においては、「生」を中心に、「死」は端っこに、そんな位置関係で、社会が動いているような気がしてならない。いつからそんな社会になったのだろうか? 私にはよくわからない。だが、戦後のマス・コミュニケーションの発達が大きな役割を演じていないだろうか? 戦後の教育が大きな役割を演じていないだろうか?

確かに、「生」を中心にすることを「是」とする社会風潮があったからこそ、今の医療の発展があるのも、事実だろう。一方で、「死」は端っこにおき続けた社会風潮は、様々な問題を今生み出しているとも言える。その一つに、「ゼロリスク社会信奉」があると私は、考えている。つまり、「死=リスク」と考える社会だからこそ、「死を避ける=ゼロリスク」をめざすということだ。ややもすると、それは、次のような認知を生む。

医療は、安全であるべきだ。 社会は、安全であるべきだ。 学校は、安全であるべきだ。 家庭は、安全であるべきだ。病気は避けるべきだ。 ・・・・枚挙にいとまがない。

「・・・べきだ」という思考は、デビットD.バーンズが唱えた「歪んだ思考10のパターン」の中の一つに挙げられている。

「べき思考」からくる弊害に関する考察は、すでにこのエントリーで述べた。 ⇒リスクを認め付き合うこと

じゃあ、どうしたらいいのか?という問いに対して、私は私なりに、このエントリーで、「諦める」そして「受容する」というようなことを述べている。

自分で前々から感じていたのだが、「生を諦める」というのは、どこか受け入れがたい表現である。何かが、違うと、自分の中で違和感を抱き続けていた。

最近、荘子を読みながら、なんとなくその自分が抱き続けてた違和感がわかったような気がしてきた。

生を諦め、死を受容する・・・・・・ この考え方をすること事態、生と死を対立の構造で捉えてしまっていたのだ。

荘子 内篇・大宗師篇では、荘子の死生観が語られている章があるのだが、そこには、こんなことが書いてある。

夫れ大塊我を乗するに形を以てし、我を労するに生を以てし、我を佚にするに老を以てし、我を息わしむるに死を以てす。故に吾が生を善しとする者は、乃ち吾が死を善しとする所以なり

その解釈は次の通り。

そもそも自然とは、我々を大地の上にのせるために肉体を与え、我々を労働させるために生を与え、我々を安楽にするにために老年をもたらし、我々を休息させるために死をもたらすものである。(生と死は、このように一続きのもの)だから、自分の生を善しと認めることは、つまりは、自分の死をも善しとしたことになるのである。(生と死との分別にとらわれて死を厭うのは、正しくない)   荘子第一冊  金谷 治 訳注 岩波文庫P184

この文章に代表されるように、荘子の文章には、生と死の間になんら対立点を感じさせないことから、私自身が、生と死を対立の中で認識していたことに気がついた。

紀元前300年~500年ごろの、中国は乱世の世、百家争鳴の時代であった。そういう時代背景で、孔子・孟子の儒家に対するアンチテーゼとして生まれてきた思想が、老子、荘子を中心とする道家(どうか)思想である。その根本は、無為自然だ。この道家の思想は、ずっと後になって、仏教にも取り込まれ発展していった。

この道家思想は、今の現代社会の中での個人の生き方において、きわめて数多くの示唆を与えてくれていると思う。とくに死生観のところは秀逸だと思う。

今、世の動きは、医療崩壊の打開策として、社会全体の死生観についての思索が浅いままに、「ゼロリスク医療」をただ目指しているだけに過ぎないと私には、思えてしまう。

しかし、日本社会として、画一的に死生観をいじるのは困難であるという問題もある。死生観は、一種の思想でありそのまま宗教とリンクする。そして、憲法20条で、国としての宗教活動は禁止されているからだ。だから、日本国民、個人個人が、考えていくしかないのだろう。同じ20条で、個人の宗教の自由は確保されているのだから。

私個人は、もう少し、道家の思想を深めてみたいと思っている。

メディア報道でも、道家思想を取り扱っているものを見つけた。本日はそれを紹介する。

[生老病死の旅路]福永光司さんに聞く われ、天地の間に逍遥す
1992.11.20 東京夕刊 7頁 写有 (全2,582字) 
 ふくなが・みつじ 中国宗教思想史家。大正7年大分県生まれ。74歳。東大教授、京大人文科学研究所長などを歴任。わが国における老荘思想、道教研究の第一人者。日本文化と道教のかかわりについても探究を続けている。著書に「荘子」「老子」「道教と日本文化」「道教思想史研究」など。
                   ◇
 ◆生死とは「気の集散」
 死という問題を真剣に考えたのは、やはり戦争に行く前ですね。死とはなにか、生とは何なのか、その意味を見つけようと、お寺や教会にも行ってみましたが、
最終的に「これだ」と思ったのは、『荘子』の言葉でした。

 
〈余(わ)れ 宇宙の中に立ち 天地の間に 逍遥(しょうよう)す〉

 人間とは、無限の空間と無限の時間が交わるところに、一定期間、命を与えられたものに過ぎない。しかし、ほんのわずかな期間ではあっても、精一杯、自分が納得するように生き抜くこと。その大切さを、私はこの言葉から学びました。老荘の思想では、人間の生き死にとは、気の集散なんだと考えます。気とは、宇宙に充満している生命の流れであり、人間の肉体を構成しているもの、そして生命の営みである気息でもあります。だから、人は宇宙の大きな気から生まれ、死ぬとまた、大気のなかに帰っていく。あるいは、宇宙に満ち満ちているわけのわからない混沌(こんとん)から生まれ、死後は再びそこに溶け込んでしまう、ともいえるでしょう。人間の生命は、神とか造物主といったものに作られるのではなく、あくまでおのずから生じ、おのずから変化していく、とみるわけです。そして、生と死の根底にあり、天地、大自然を貫いている根源的な真理が「道(タオ)」と呼ばれるものなのです。
 ◆「複合混成」の生き方
 そうした生死のとらえかたを、なるほどと感じたのは、なんといっても戦地ででした。私は大学卒業の一週間後に、熊本の砲兵連隊に入隊し、南支(中国南部)に派遣されました。先ほどの『荘子』の言葉で一応の覚悟はできていたつもりでも、実際に爆撃や機銃掃射を受けると、怖くて怖くて仕方がない。弾がみんな自分をめがけて飛んでくるような気がするんです。そんな日々が続く中で、慣れと疲労もあったんでしょうが、次第に大きな宇宙の海原では、自分はヒエ粒くらいの存在なんだと思えてきましてね。一トン爆弾が降ってきて、いっそ木っ端みじんになった方が楽でいい、と自分を突き放して考えることさえできるようになりました。ある夜、空襲で草むらに伏せている時、ふと空を見上げると、そこには満天の星。あまりの美しさに、もし、ここで死んだら、天に昇って名もなき小さな星になるんだ、と実感しました。大自然と一体になったみたいな、生きても死んでも同じだ、という気分になりましたね。後年、この話を湯川秀樹さんにすると、「それはすごい体験をしたね」と感心して下さいました。ちょうどガンで入院する前後だったので、先生もご自身の死を意識していた時だったからでしょう。
湯川さんは、こんなことも言っていました。「福永君、荘子は素晴らしいな。人間、死んだらどうなるか、それは死んでから確かめればいいと語っている。たしかに、生きているうちに、死後のことまで『こうだ』とひとつに決めてしまおうとする態度こそ、非合理なんだよ」湯川さんの言った通り、老荘的な生き方では、生死の問題に限らず、ひとつでものごとを割り切ってしまうことはしません。コンビネーションというか、複合混成の論理です。野球にたとえると、ストレートに加えて、カーブやシンカーも投げることです。漢方薬にも、その精神は流れていて、ひとつの薬だけで病気を片付けようとせず、何種類もの薬を調合しているわけです。あれでもあり、これでもある、といった柔軟性を尊ぶ姿勢だともいえるでしょう。われわれ自身、日々変化しているのですから、人生や生き方をひとつに決めてしまわず、状況に応じて、その時、その時で判断していく。いわば、船に乗っているようなつもりで、しけが来たら、沈まないだけの処置をして、あとは波に任せる。そんな感じですかね。
 ◆対立が共存できる場
 複合混成の考え方は、西田幾多郎の「場所の哲学」などにも影響を与えていますが、様々な個性を持ち、時には対立するものが、同時に成り立つ「場」をつくっていくことは、これからの我々、さらには人類全体にとっても大切なことだと思います。それは、老いも若きも、金持ちも貧乏人も、権力者も庶民も、みんな素っ裸になって湯舟のなかで楽しくすごす、銭湯みたいなイメージです。
ものごとを直線的に整理し、ひとつに割り切っていくデカルト的な論理、あるいはキリスト教の一神教の論理は、たしかに現代のハイテク文化を花開かせました。しかし、今はそれだけではやっていけない時代だと思います。民族や宗教など、異なり、対立する存在が、ともに成り立つような文明の原理も必要なのです。ただ、日本における老荘思想や道教の研究はけっして進んでいるとはいえません。なんとか、道教の一切経五千四百八十五巻の国訳本をつくりたいのですが……。とても無理な話なので、百二十巻のアンソロジーである「雲笈七籤(うんきゅうしちせん)」の訳注をつける作業を進めています。これも、どこまでできるかわかりません。でも、すでに七十年以上も生かしてもらったという気持ちは強いですね。とくに私の場合は、自分の命は五十年近く前に消えていたはずで、残っているのは拾いもの、といった意識がありますから。いよいよ体の具合が悪くなったら、日本アルプスの雪渓にでも入って、静かにこの世を終わりたいですね。まあ、先のことは、その時考えますけど、畳の上ではなく、芭蕉みたいに旅に病んで死ぬのが理想です。
  ◆   ◆   ◆
 張りのある声で、熱っぽく語る。郷里の中津に戻って六年になるそうだが、精神、肉体ともに、きわめて元気。風貌(ふうぼう)には、古代中国の賢人を思わせるものが漂う。その話は、まさに気宇壮大。老荘思想を軸に儒教や仏教、さらに東西の哲学、現代文明論にまで展開する。宇宙や人間存在、生命、人生にかかわる氏の見解は示唆に富むが、とくに戦争体験に裏打ちされた死生観には、説得力がある。それにしても、死んだら、宇宙の大きな生命の流れと一体になる、あるいは、夜空に昇って星になるという話は、なぜか、心に安らぎを与えてくれる。(聞き手・小林 敬和記者)読売新聞社

ずいぶん前の報道だ。16年前にこのような視点が社会に問いかけられているに関わらず、今の世は結局・・・・・ともいえるかもしれない。
ならば、それはそれとして、今の流れの中で、それに逆らわず、自分を見失わないのが懸命な生き方なのかもしれない。


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開業医も遭遇する地雷 [救急医療]

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???

最近、こんな本が出版された。 誰も教えてくれなかった診断学 野口善令 福原俊一 医学書院 

私が、このブログ上で書いている診断の話とかなりの共通点がある。それは、当たり前といえば当たり前だが、この本を読んで私が新鮮だと思ったのは、鑑別診断をたてるプロセスを「カードを引く」という例えで、わかりやすく表現していることだった。 そのカードには、インデックスがついており、どういうインデックスを考えるかでカードの中身が変わってくるというわけだ。 正しい診断に早く正確にたどり着くためには、効率的なインデックスをどう考えるかが重要だなどと解説されている。

たとえば、頭痛というインデックスがついたカードを引いてきても、そのカードに書いてあるリストは、膨大すぎてつかいものにならない。

ところが、突然発症の最悪の頭痛で、嘔吐と軽度の意識障害をともなうもの というインデックスをつけたカードを持ってくれば、そのカードには、クモ膜下出血が筆頭にあげられていて、そのリストの数もそう多いものではないことがおわかりいただけると思う。

つまり、初療の段階では、どういうインデックスを立てるのかという、思考プロセスがとても重要となってくるわけだ。

じつは、私もこのブログ上で同じようなことをすでに述べている。 

これらのエントリーである ⇒ いけてる問診(4) 突然発症という病歴

また、この本の後半には、2x2表を使った診断確率の計算の解説が載せられている。
私のサイトのこの部分を併用して、この箇所は眺めていただくとよりわかりやすいかもしれない。
なんちゃって救急医の物置場

というわけで、本日は、こんな症例を通して、こんなカードもあるんだということをお届けしたい。l

症例 23歳 男性 (Aさん)  全身倦怠感 咳 嘔吐

元来、健康。既往歴に特記事項なし。二日ほど前から、全身倦怠感、咳、嘔気、嘔吐が出現するようになった。そのため、午前9時頃に、自分一人で、開業の内科医O先生のもとを訪れた。

O先生 「Aさん、どうぞ」
Aさん 「はい」  

Aさんの足取りや顔色から、O先生には、それほど苦しそうな状態には見えなかった。
診察室の椅子に普通に腰掛けた状態で、O先生の問診が始まった。

O先生 「どんな感じですか?」
Aさん 「 二日前からしんどいんです・・・・・ (上述のような症状を言う)」
      それと昨日体温を測定したら、37.5度ありました。」

O先生 「咳はどんな感じですか?」
Aさん 「夜がしんどいです。喘息の発作なんでしょうか? 痰はありません」
     「関節痛もあったし、のども痛かったです」

O先生 「頭痛、腹痛、胸痛はどうでしょうか?」
Aさん 「いえ、それはとくにありません」
     「ただ、少しお腹が張った感じがします」

O先生は、患者の身体診察を始めた。 

169㎝,76㎏  意識 清明  バイタル BP 106/72 HR 89 整 SpO2 97 KT 36.8。
扁桃の軽度発赤と軽度の腫脹を認めた。口腔内はやや乾燥気味。胸部は特に問題なし。腹部は、やや膨満気味。腸音やや弱い。腹部の圧痛はない。そのほかは特記すべき身体所見はなかった。

Aさん 「どうでしょうか? 風邪だとおもうんですけど」
O先生 「う~ん、うちでは検査がねえ・・・。 検査できるところへ行きますか?」

Aさん 「それよりも、風邪が早く直る注射をしてください。」
O先生 「そんな便利な魔法の注射は存在しないよ。でも、水分補給の点滴をしておきましょう」

患者は、2時間ほど、その医院の隅で、ビタミン剤入りの点滴を受け、感冒薬の処方を受け取って、一人で帰宅していった。

その翌日の朝、O先生に、電話が入った。なんと警察からだった。

Aさんが、自宅で倒れているところを家人に見つけられ、救急病院で死亡が確認されたとのことだった。O先生は、警察から、いろいろと昨日の診療について聴取をされるはめになってしまった・・・・・。

開業医の先生にとっては、こんな経過なんて想像もしたくないことだと思います。まず、こんな経過をとりうる地雷の代表格として劇症型の心筋炎はひとつあるでしょう。ただ、今回の地雷は、心筋炎は想定していません。

地雷を探知するのに、有用な病歴をとることは重要です。そのことに、開業医の診療環境でも、救急病院の診療環境でも全く差はありません。 

実は、上記の臨床経過、あえて、超重要な病歴を意図的に抜いて記載しています。

さて、どんな地雷が隠れていて、どんな重要な病歴が抜けているのでしょうか?

(4月15日 記)

コメントありがとうございます。 pulmonary先生、moto先生、DM医先生にご指摘いただきましたとおり、今回の地雷は、劇症Ⅰ型糖尿病でした。したがいまして、意図的に抜いた病歴は、口渇でした。 今回のネタは、先日東京で行われた内科学会の中での教育講演で花房教授をお話を聴講させていただいたのがきっかけです。 私は、それなりにはこの疾患の病態は知っているつもりでした。ところが、今回花房先生の講演を聞いて、私の認識の甘さを知らされました。こんなにまで経過が早いのか!という驚きでした。 

報道から引用します。

見逃すな「劇症糖尿病」/風邪に似た症状、膵臓の細胞破壊
短期間で合併症発症/予防は困難、まず診断
2007.10.29 河北新報記事情報 (全945字) 


 風邪のような症状や嘔吐(おうと)、腹痛などの後、インスリンを出す膵臓(すいぞう)の細胞が破壊されて急激に悪化し、治療を受けなければ死亡する「
劇症1型糖尿病」。2000年に日本の医師が専門誌に発表したこの病気は、合併症が短期間で出る可能性が高いことが分かってきた。だが、一般の医師に病気があまり知られておらず、依然として見逃されるケースがあるという。全身がだるいと訴える男性に、診察した開業医は精神安定剤を処方した。だが、男性は改善せず翌日、心肺停止に。命は取り留めたものの、血糖値が非常に高いことが分かり、劇症1型糖尿病と診断された。「最初にちゃんと問診すれば、のどが渇いて大量の水分を取るなど糖尿病の兆候が分かり、血糖値を調べれば診断できたはずだ」。花房俊昭大阪医大教授(内科)は指摘する。原因不明で死亡した後に、解剖で高い血糖値が判明、この病気と考えられた人もいたという。花房教授らは、1型糖尿病の中に数日で悪化する劇症タイプを見つけ発表。日本糖尿病学会は04年に、可能性がある患者と判断するスクリーニング基準と病名を確定する診断基準を、それぞれ定めた。糖尿病の0.4%、数千人の患者がいるのではないかという。その後の研究で、神経障害、網膜症、腎症などの合併症が5年以内に起きる人は、通常の1型糖尿病では5%未満なのに対し、劇症型では25%に達することが判明した。生活習慣病とされる2型糖尿病では、合併症は10-20年後に起きるのに比べると、非常に早い。劇症型では、特定の白血球の型の人が多いことも分かってきた。花房教授は、何らかのウイルスが膵臓の細胞に感染し、自分の免疫細胞がウイルスだけでなく膵臓の細胞を壊す過剰反応が原因と推定する。ウイルス感染や膵臓の炎症によって風邪症状や腹痛などが起きるとみられる。ただ予防は難しい。「診断さえつけば、脱水状態の改善とインスリン投与で治療できる。できるだけ早く見つけることが重要で、医師の責任は重い」と花房教授は強調する。一般の人は、一晩に数リットル以上の水分を取るような異常なのどの渇きがあれば、医師の診断を受けるべきだという。
河北新報社

この報道にある専門誌というのはこれです。 New England Jounal of Medicineという超一流の医学誌です。

Volume 342:301-307 February 3, 2000 Number 5

A Novel Subtype of Type 1 Diabetes Mellitus Characterized by a Rapid Onset and an Absence of Diabetes-Related Antibodies

Akihisa Imagawa, M.D., Toshiaki Hanafusa, M.D., Ph.D., Jun-ichiro Miyagawa, M.D., Ph.D., Yuji Matsuzawa, M.D., Ph.D., for The Osaka IDDM Study Group

ABSTRACT
Background and Methods Type 1 diabetes mellitus is now classified as autoimmune (type 1A) or idiopathic (type 1B), but little is known about the latter. We classified 56 consecutive Japanese adults with type 1 diabetes according to the presence or absence of glutamic acid decarboxylase antibodies (their presence is a marker of autoimmunity) and compared their clinical, serologic, and pathological characteristics.
Results We divided the patients into three groups: 36 patients with positive tests for serum glutamic acid decarboxylase antibodies, 9 with negative tests for serum glutamic acid decarboxylase antibodies and glycosylated hemoglobin values higher than 11.5 percent, and 11 with negative tests for serum glutamic acid decarboxylase antibodies and glycosylated hemoglobin values lower than 8.5 percent. In comparison with the first two groups, the third group had a shorter mean duration of symptoms of hyperglycemia (4.0 days), a higher mean plasma glucose concentration (773 mg per deciliter [43 mmol per liter]) in spite of lower glycosylated hemoglobin values, diminished urinary excretion of C peptide, a more severe metabolic disorder (with ketoacidosis), higher serum pancreatic enzyme concentrations, and an absence of islet-cell, IA-2, and insulin antibodies. Immunohistologic studies of pancreatic-biopsy specimens from three patients with negative tests for glutamic acid decarboxylase antibodies and low glycosylated hemoglobin values revealed T-lymphocyte?predominant infiltrates in the exocrine pancreas but no insulitis and no evidence of acute or chronic pancreatitis.

Conclusions Some patients with idiopathic type 1 diabetes have a nonautoimmune, fulminant disorder characterized by the absence of insulitis and of diabetes-related antibodies, a remarkably abrupt onset, and high serum pancreatic enzyme concentrations.

さて、ここで提示した症例ですが、実はある訴訟症例の判決文を元に創作した物語でした。判決文の中で、患者の死因の可能性の一つして、この劇症Ⅰ型糖尿病が挙げられていました。しかし、劇症Ⅰ型糖尿病は、まだ報告された直後で、広く多くの医師に知れ渡るものではないという裁判官の判断で、予見できなくても無理はないという判断となっていました。さらに、患者側の自己責任的な要素もあり、医師側勝訴の判決が出ている裁判です。(大阪地方裁判所平成16年 第9561号損害賠償請求事件 平成18年3月15日判決)

ただし、今後、このような症例が、訴訟まで進んだとき、裁判官がどのような判断を下すのでしょうか? 心配です。

さて、花房先生が、講演の最後に、この疾患を見逃さないためのTipsをご紹介してくださいましたので、それをここでも紹介します。(参考:日本内科学会雑誌2008 第97巻 P108)

1)感冒症状、腹痛などで発症することが多い
2)風邪や胃腸炎と思っても口渇の問診
3)尿糖と尿ケトンがともに強陽性であれば、Ⅰ型糖尿病を強く疑う
4)次に血液検査(血糖値、HbA1c)は必須
5)血糖値が高いのにHbA1c≦8.5%なら、劇症Ⅰ型糖尿病を強く疑う。直ちに入院治療
6)グルコース入りの点滴は死を早める!

ほんとうに怖い病気ですね。でも、医師として救命のしがいのある病気でもあります。

最後にこんなカードを作ってみました。まとめの代わりとさせていただきます。
コピー ~ 図1.jpg


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「真実を知りたい」に対する私見 [雑感]

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昨日は、日比谷公会堂に行ってまいりました。
No 041.jpg

「医療現場の危機打開と再建をめざすシンポジウム」

・報道記事 ⇒こちら (魚拓
・シンポジウムの詳細は、ロハス・メディカル・ブログで報告されています
 ⇒議連発足記念・真の公聴会
・続いて僻地の産科医先生のところも
 ⇒こちら

No 043.jpg

このシンポジウムを聴講するためです。 残念ながら、私事があり、中座せざるを得ませんでした。

国会議員の先生方に、現場の医療者が抱える現場の生の危機感が、それなりに伝わったのではないでしょうか?私は、そう期待したいです。

一方、患者側の立場として、NPO法人がん患者団体支援機構副理事長である内田絵子氏の発言もありました。

そのご発言の中で、やはり、意見の相違というか、立場の違いというか、落としどころが見えないというか・・・・

私が個人的にそんな風に感じたご発言を報告します。

(#)「私達(患者側)は、真実を知りたいんです」
 というご発言です。

医療をお受けになる方々は、医療に対して、このようにお考えの人も多いでしょう。 それは、なんとなく感じます。だから、本日は、この点に対して、私見を述べてみます。

もちろん、これは、一医療者の私見にすぎません。医療者側の総論的意見であるとの誤解のなきようにお願いいたします。

「私達(患者側)は、真実を知りたいんです」とは、メディア報道を介してよく聞く台詞です。 自然災害であれ、殺人事件であれ、交通災害であれ、人が死んだとき、 その遺族側の方々の台詞として、私達は、この台詞を耳にします。 そして、医療関連の場合でも、その例外ではないようです。

「死」という結果においては、すべて共通するわけですから、同じ心理がベースにありそうです。

私は、今の現代社会が、「真実」「真実」と社会を挙げて騒ぎ立てることによって、かえって、よりいっそう暮らしにくい社会になってしまっているのではないかと危惧します。 

真実になんて、だれにもわかないものだ。 

と割り切ってしまったらどうでしょう?

人は、真実の名の下に、 物事に善悪のラベルをつけ、悪のラベルを貼った人を糾弾してやろうという性質があると思っているからです。

今の医療崩壊の一端は、こういう社会性が、一因となってはいないでしょうか?

中国の思想家、荘子(そうし)およびその一派によって記されたという「荘子(そうじ)」という書物の中の内扁・斉物論(さいぶつろん)から、ある一説を引用します。この部分は、荘子自身の記載といわれているようです。

吾は蛇蚹蜩翼を待つ者か。悪んぞ然る所以を識らん。悪んぞ然らざる所以を識らんと。

蛇蚹(だふ)とはヘビのうろこのこと、蜩翼(ちょうよく)とはせみの翼のことだそうです。この漢文の言わんとするところは次のようなことだそうです。

ヘビはなるほど歩く場合にうろこがあるから歩ける。うろこによってヘビは動いているともいえる。けれども、ヘビがなければうろこが動くわけではないから、うろこはヘビによって動くということかもしれぬ。ヘビがうろこによって動くか、うろこがヘビによって動くか。どっちがどうかわからぬ。セミは翼によって飛ぶということかもしれぬ。けれども、翼はセミがなければ飛ぶこともできない。どちらがどうか、これもよくはわからぬ。結局世の中に議論する、善悪を論ずるといったところで、善というものが真の善であるか、悪というものが真の悪であるか。可が可であり、不可が不可であるか。その判断が付かぬ。 (荘子物語 諸橋轍次 講談社学術文庫 P113)

医学上の因果関係を論じていこうとする場合、まさに、この蛇蚹蜩翼(だふちょうよく)です。「蛇蚹蜩翼」は、持ちつ持たれつの関係にあることを表す意味の熟語として用いられているようですが、ここでは、因果関係をどちらかに無理やり白黒つけようとしてもつけらないということの意味として受け取っていただければ幸いです。いろんな病態仮説を繰りだせば、それはそれになりに確率論としては、考えられてしまい、それらに対してそれ以上、因果関係を突き詰められないということがままあると私は言いたいのです。

今、厚労省は、「真実を知りたい」という社会風潮に乗っかり、国を挙げての調査システムを作ろうとしています。

そこからでる結論や判断を、ここでは仮に、真実としておきましょう。

私が予想するには、
「・・・・という可能性もあるが、XXXXも考えられ、断定はできない。」
という玉虫色の真実が続々と出てくるでしょう。
「明らかに医師が悪い」
というきっと期待されているであろう真実は余り出てこないのではないかと思っています。

さて、そんなとき、(#)を主張される方々に、ご納得いただけるのでしょうか?

私は、はなはだ疑問です。ぶっちゃけ、本音は、「死」という結果を、医療者のせいにしたいということではないでしょうか? なぜ、そうしたくなるのか? それは、その人個人の問題ではないと私は思います。むしろ、現代社会の当然の産物なのではないかと思っております。

人の「知」は自然を支配しようしてきたし、まだ今もそれをしようとし続けています。そんな現代社会のあり方が、結果として、多くの人々を他責的にさせてしまっているのではないでしょうか? 参考エントリー:転倒と訴訟.

とにかく
医療から生じる結果には、真実という言葉では、語りきれないことが十分起こり得るものだ
このことを、多くの方々にわかってほしいと私は思っています。 

この前提を抜きにしたまま、信頼・不信の二元論だけで、論じようとしても、限界があると思います。

(#)を主張する方々の多くは、その背後に「不信」「希望」が隠れていると思います。だからこそ、すぐに「隠蔽」などという相手が悪意を持っているに違いないという表現で、医療者側を傷つけたり、時に身構えさせたりしてるのではないでしょうか?つまり自らが対立煽る言葉を自らで使ってしまうのではないでしょうか? そういうことに、お気づきなんでしょうか? 私がそういうと、彼らは、医療者の態度が、原因なのだときっということでしょう。

私にはよくわかりません。荘子の斉物論的視点からみれば、どっちもどっちなんでしょうかね。

まあ、いずれにしても、政治家の方々に置かれましては、医師の一人一人が、今の現状に失望し、確実に心を折られて、自分の持ち場を去っているということが進行中である現況において、社会的視点から、有益か有害かのバランスを十分に、お考えのうえ、政策を練ってほしいものです。

私は、社会がどちらに転んでも、自分が自分らしく、生きていける道を、粛々と探すのみです。

さて、次の記事で使われている真実という意味は何なのでしょうね?

[記者日記]いやされぬ傷 /埼玉
2001.03.23 地方版/埼玉 28頁 (全354字)
医療過誤で家族を失ったとされる人たちを取材している。大切な人を失ってから時が止まったままの遺族の話を聞くたびに、胸が締め付けられる。2年前、4歳の息子を失った母親はこう言った。「あの日から私には春は訪れません。今年、ランドセルの業者がダイレクトメールを送ってきますが、この春ほどつらい時期はない」。また「医師は、直接死と向き合う仕事をしている。彼らにとって毎日起こることでも、遺族は生涯で数回しかない」と語り、
いやされることのない気持ちを必死で抑えて生活する姿が痛々しい。裁判では、「医療」という聖域が遺族側に大きな壁となって立ちはだかる。また、医療過誤訴訟のほとんどは病院側が勝訴しているのが現実だ。死とミスの因果関係を立証するのは難しい。真実を知りたいと願う強い信念が、遺族を支えている。 毎日新聞社

このような記事が書かれ、そして社会に出てしまうことが、私としては、悲しい限りです。このご遺族に必要なのは、適切なグリーフケアだと私は考えます。真実という言葉に翻弄されてはいけないと思います。これをお書きになった記者には、グリーフケアという視点は見えてなさそうですね。

厚労省の3次思案で、訴訟が減るのでしょうか?

次の記事なんかを目にすると、不信あるところには、システムも労力も時間も多大な無駄骨かもしれません。私はそう思いました。 この記事で表現されている「真実」の意味合いをどうぞ各人でお考え下さい。

県内高校生の異常行動死 タミフル訴訟、争う姿勢 XX地裁XX支部
口頭弁論 機構側、因果関係で
200X.XX.XX 朝刊 29頁 社会 (全1,184字)
二〇〇X(平成XX)年X月、インフルエンザ治療薬「タミフル」の服用後に異常行動を起こし、死亡した県内の男子高校生=当時(17)=について、独立行政法人「医薬品医療機器総合機構」(東京)がタミフルとは別の薬の副作用と判断し精神的苦痛を受けたとして、父親の会社員男性(50)が同機構を相手取り、慰謝料百万円を求めた訴訟の第一回口頭弁論が四日、XX地裁XX支部(XXX裁判官)で開かれた。被告側は全面的に争う姿勢を示した。被告側の答弁書によると、タミフルと異常行動の因果関係などについて争う姿勢で、次回以降に詳しく主張する。次回弁論は十二月五日。訴状によると、高校生はA型インフルエンザと診断され、〇X年X月X日昼に医師が処方したタミフルを服用。数時間後、雪の中をはだしで飛び出し、国道を走るトラックにはねられて死亡した。男性は事故を受け、〇X年X月、同機構に遺族一時金などの給付を請求。同機構は昨年七月、副作用の原因が当日朝に服用した塩酸アマンタジンだったとして支給を認定した。
男性はタミフルの副作用が認められなかったことを不服とし同八月、厚労省に審査を申し立てたが、却下された。男性は遺族一時金の受け取りを拒否し、今年七月、提訴に踏み切った。
◆「真実が知りたい」 父親、副作用の解明期待
「親として
真実を知りたい」―。タミフル服用後に死亡した県内の男子高校生をめぐり、タミフルと異常行動死の関係解明を目指す全国初の民事訴訟。高校生の父親で原告の男性(50)はX日、XX市内で会見し、「真相が明らかになることで同じような被害の再発防止につながるのではないか」と訴えた。十七歳だった男性の長男は二〇〇X年X月、タミフル服用後に自宅から国道に飛び出し、トラックにはねられた。「自殺するような子ではないのは親が一番分かっている」と男性。「薬害タミフル脳症被害者の会」の一員として、タミフルの副作用による異常行動を指摘し、タミフルの使用禁止を呼び掛けてきた。だが、副作用被害かどうか審査する「医薬品医療機器総合機構」に遺族一時金の支給を申し込んだが、タミフルの副作用は認められなかった。審査申し立ても「既に遺族一時金などの請求が認められており、判定による申し立て人の利益侵害はない」と却下。真相を明らかにする手段は訴訟以外に残っていなかった。タミフルは、インフルエンザの特効薬として国などが備蓄を進めている。男性は「自分も含めてタミフルの被害者は多い。真実を追求しないと、息子のような犠牲者は増える」と警告する。代理人のXXX弁護士も「機構の認定はいい加減で、根拠はない。科学的より政治的な判断が加わった気がする」と指摘し、「これらを状況証拠などからあぶりだしていきたい」と今後を見据えた。同機構は「裁判で係争中の案件であり、コメントは差し控えたい」としている。XX新聞社

真実=タミフルの副作用=自分が信じる事柄  
こういう文脈であることが、皆様にもご理解いただけると思います。

こういう紛争の落としどころに、蛇蚹蜩翼(だふちょうよく)の荘子の思想が役に立つかもしれないなと私は思っています。

まとめます。

「真実・真実」と主張しても今の医療事態の好転は望めないでしょう

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あなどれない頭重感 [救急医療]

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ぼんやりと頭が重い。肩もこる。疲れ気味だ・・・・・・。 こんな不快な症状に悩まされる人も多いと思う。しかし、わざわざ病院にまで足を運ぶ人は少数派かもしれない。いわゆる緊張型頭痛だ。頭痛の中で、最も多いタイプだ。 

しかし、いったん、「頭重感」という主訴を持って、病院を正式に受診すれば、私達は、気軽に緊張型頭痛として手短に診療を終わらせるわけにはいかない。 

慎重な問診、慎重なバイタルサインの解釈、慎重な身体診察、そして慎重なCT読影だ

100人の頭重感の患者を、適当なざる診察をしても、98人は、大丈夫であろう。しかし、その診療で見逃された2人の中には、恐ろしい転帰をとる地雷疾患も紛れている。

慎重な診療は、そういう2人を拾い上げるために、行うのだ

こういう努力は、なかなか、患者側には伝わりにくい。したがって、メディアも報道してくれない。
このブログのエントリー一つ一つがそういう一医療者の努力と受け取っていただくとブログ管理者としてはありがたい限りである。

医療に限界は、存在する。 だから、こういう努力をしても、不幸な転帰をむかえる人は必ず出てしまう。

残念ながら、それは事実だ。だから、国民一人ひとりが、日ごろから、運命を受け容れることができるように心の準備をしておいてほしい。どういうわけか、国は、そういうことは、決して言わないので、せめてこのブログでは言っておく。 何でも、人のせいにする国民性が、今あるとすれば、それこそが、医療崩壊の元凶であろう。

人は、死亡という結果から、時をさかのぼって考えようとする性からどうしても脱却できない悲しい習性がある。だから、たださえ、わかりにくい医療者の努力は、なかなかわかってもらえずに、あるいはわかろうとせずに、ひたすら何かミスがあったのではないかと勘ぐられ、そして訴訟へ発展していくのだろう。

普通に、医療を行ってるものから見たら、本当に逃げ出したくなるほどの悲しい現実だと私は感じる日々である。

では、本日の症例にそろそろはいります。

42歳 女性   3日続く頭重感

元来健康。3日前、出勤前に頭痛を感じたが、その日はそのまま出勤した。同日、夜、自宅で入浴中に気分不良あり、嘔吐一度あり。2日前は、朝から、頭重感は残っていたものの、その日もそのまま出勤した。
本日も同様であったため、仕事を終えたその足で、当院の夕診を初診で受診した。

来院時 バイタル  血圧 152/100 脈85 呼吸数14 体温36.4  
     意識 清明  身体所見 特記事項無し。

担当医は、緊張型頭痛だとは思いつつも、救急部の上司から、頭痛の怖さの話を聞かされているため、念のためにCTをとった。これである。
図2.jpg

さあ、この患者さん、どうしましょう? (4月9日 記)


(4月11日 記)

コメントありがとうございます。側脳室の白いハイデンシティの部分を出血と読めるかどうかが第一関門です。まさに、皆様のご指摘の通りです。では、これが出血だとしたら、病態は?と考えるのが第二関門です。病歴がかぎになります。

ポイントは、3日前の発症でした。

3日前に、何らかの基礎疾患(動脈瘤、脳動静脈奇形(AVM)、もやもやなど)をベースにくも膜下出血(SAH)を発症したと考えてみましょう。その直後であらば、その出血量にもよりますが、CTで一番出血を検出できる可能性が高いと思われます。しかし、時間が経つにつれて、髄液循環によって、最初の出血はwash out されていきます。再出血がなければ、ついには完全にwash outされてしまうでしょう。そうなった後にCTをとっても正常所見ということになります。

今回撮ったCTの写真は、一回目の出血がほとんどwash outされていて、たまたま側脳室にごく少量の血液が残存していたのでしょう。

このような病態仮説を立てると、この患者は、SAHを最も想定しないといけないということになります。

さて、SAHの地雷的な怖さは何だったでしょう? それは、このエントリーでした。SAH再出血の怖さ

ということで、この患者さんは、脳神経外科に直ちにコンサルトするとともに、髄液検査が試行されました。
結果、血清の髄液でした。 そのまま脳神経外科へ緊急入院となりました。

古い症例で、SAHをきたした疾患の最終確定診断が何であったを、フォローすることができませんでした。申し訳ございません。

SAHの怖さが、これから新たに時間外診療に出て行く先生方へ少しでも伝われば幸いです。それが、今回のメッセージです。

こんな記載もあります。ご参考ください。

ER流研修医指導医 まる秘心得47 加藤博之先生著 P90~91に、本日のエントリーの主旨と関連することが述べられている。第4脳室部分にHDAがあり、あたかも小脳内のごく小さな血腫と見間違いそうなCT像をみて、ある研修医が、これを軽い脳出血と診断しそうになるというエピソードが紹介された後、加藤先生ははこうまとめている。以下に該当部分を引用。

「チョー軽い」脳出血がくも膜下出血
その心は、CT上の血腫は、確かに小さいものですが、これは正確には血腫ではなく、第Ⅳ脳室内の出血です。このような場合には、出血の原因として動脈瘤破裂、脳動静脈奇形破裂、椎骨脳底動脈系の動脈解離などが考えられ、今後急激に悪化する可能性も否定できません。直ちに脳神経外科医に相談すべき疾患であり、脳神経外科医は上記のような疾患を考えて緊急で血管造影をする場合が多いと思います。CT所見が激しくないからといって、決っして、”かわいらしい”などと侮ってはいけません

もし、今回のような緊張性頭痛とまぎらわしい病歴でやってきたがために、帰宅の転帰となって、直後に自宅で再出血を起こして死亡したら、今の日本ではどんな評価がなされるのでしょうね? 

これは医療事故でしようか?それとも患者の運命でしょうか?

こういう症例が、これから設置されるであろう国の調査委員会でどう評価されるかが、興味あるところです。後知恵バイアスのことを自分自身になんら意識しない人が、評価者であったならば、「これはわかったはずだ、回避できたはずだ」といって批判するのはないでしょうか? 厳しい人ならば、「CTの出血を見逃したのだから、著しく標準から外れる医療だ」と言う人もいるかもしれません。もし、私が評価者の立場になったら、あくまでこのケースは診断困難な非典型な症例だったので、仕方がなかったという判定をくだすような気がします。なぜなら、病歴と来院の仕方がが非典型だからです。 おそらく、こういう事例は、評価者間でそうとう意見が割れるのではないでしょうか? きっと真実はだれにもわかりません。そもそも、真実って何よ?と感じるのは私だけでしょうか?そうして、結局は再発予防として、「CTのダブルチェックを」とかいうありきたりの結論がでるのでしょう。 医療のニーズと、提供のリソースには、物理的に大きな解離があるにもかかわらず・・・・・・・。

私は、そう感じます。

CT読影がからむくも膜下出血死亡事例の報道記事です。

200X.XX.XX 夕刊 夕社会 (全628字) 
くも膜下出血見逃し死亡 昨年2月 ○○○病院 CT画像を誤診

○○大は十九日、○○○病院で記者会見し、昨年N月にコンピューター断層撮影(CTスキャン)の頭部画像を誤診した医療ミスで、○○県内の三十歳代男性患者がくも膜下出血で死亡した、と発表した。会見した△△副学長と□□病院長の説明によると、男性は昨年N月上旬の午後十時ごろ、頭痛や吐き気を訴えて救急外来で来院した。当直の内科医師がCTスキャンを実施。
実際は、くも膜下出血が発生していたものの、風邪薬などを処方するにとどまった。男性は三日後と同月中旬にも内科系の診療科に来院したが、いずれも鎮痛剤などの処方だけで帰宅させた。三回目に来院して帰宅した夜、心肺停止状態で同病院高度救命救急センターに運ばれ、一時間後に死亡したという。その日の救命措置時のCTスキャンで、くも膜下出血を確認した。○○○病院は患者死亡後に医療事故調査委員会を設置。診療記録を調べた結果、初診時のCT画像で既にあった出血を見落としたことや、再診時でも脳神経外科や脳神経内科の専門診療科に引き継ぎしなかったことが、患者の死亡に結びついたと結論づけた。○○○病院は医療ミスを認めて遺族に謝罪、既に示談が成立したという。△△副学長は会見で「深くおわび申し上げる。全職員を挙げて再発防止に努める」と陳謝した。
XX新聞社

記事では、あっさりと次のように書いてありますが・・・・・

実際は、くも膜下出血が発生していたものの
初診時のCT画像で既にあった出血を見落としたこと

我々現場のものからしたら、これがどの程度のものであったがすごく気になります。 例えば、今回私が出したような所見のパターンでさえ、報道では、こう書かれてしまいそうな気がしています。

ほんとうに医療者が、とんでもない見落としをしていたかどうかは、結果を知らない複数の医師に、診療状況と画像だけを見せて、どのように結果の解釈が分布するのかを統計的感覚でしらべないと、上記の記事が適切な表現であるかどうかは、私には判定できません。

でも、ほとんどの人は、この記事の表現なら、「この医師の能力が低いので見落とした」と解釈するのではないでしょうか?

まとめます。

本日の教訓
出血がwash outされていく過程をイメージしながら、CT画像を眺めると、再出血前のSAH患者を診断できるかもしれない

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肺炎といえども [救急医療]

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本日は、クイズ形式の症例提示は無しです。

時間外診療で、肺炎の患者さんと遭遇することは多い。元気で健康な人の肺炎から、高齢者で施設などで寝たきりの患者さんの肺炎まで、その種類は、様々だが、入院を扱う急性期病院の時間外診療の場では、まさに日常そのものだ。

通常、肺炎の診断にはそれほ難渋することはない。発熱、咳などの症状があり、胸部レントゲンでとると肺炎の影を認めれば、診断がついてしまうからだ。(もちろん、例外的な症例や微妙な症例は多数ある。)

診断がついたら次にすることは、外来加療でいくか入院加療でいくかを総合的に考えることになる。総合的に重症度を考えたり(A-DROPなど)、細菌性か非定型などを考えたり、時には特殊な肺炎を考えたり・・・・
まあ、そんなことを考えながら、大まかな方針をまず決めていくのだ。

時に、肺結核の患者さんが混じってくることもあるのが、地雷的といえば地雷的かもしれない。そのためには、痰の検査が重要である。注意深い病歴も時にきっかけとなることもあり大事である。また、肺炎の中に肺ガンが隠れていることもありそれも要注意だ。

まあ、それでも、現在の日本において、診断のはっきりしない胸痛、腹痛、背部痛に比べると、地雷性がずいぶんと低いといえる「肺炎」という病気ではあると思う。

とはいうものの、数年前のSARS騒動を思い出せばわかるように、いつ、肺炎が恐ろしい地雷疾患となって、我々の前に猛威を振るう疾患となりえる可能性は否定できないが・・・・・。

そんな肺炎でさえ、容赦なく訴訟は存在するようだ。今日は、そんな報道記事を二つほど紹介する。

法廷=死亡の患者遺族が病院提訴-S地裁
199X.XX.XX 朝刊 23頁 (全527字) 
夫が死亡したのは病院が
肺炎にかかっていたのを見落としたためとして、F市の妻(73)ら遺族がN日までに、I郡F町のK病院を相手に合わせて約二千二百万円の損害賠償を求める民事訴訟をS地裁に起こした。訴えによると、死亡した男性は平成X年Y月2日の日曜の昼すぎ、救急外来でK病院を受診し、発熱や不整脈などの症状を訴えた。対応した医師は体温や脈を測り、脳CTや心電図を取るなどしたが、聴診や胸のレントゲン写真の撮影はしなかった。男性は異常がないとしていったん帰宅したが、容体の悪化で午後七時に再び救急外来を受診し、重症の肺炎と診断されて緊急入院。十八日に死亡した。遺族側は「病院は最初の受診の際、七十九歳という年齢や訴えから肺炎などの呼吸器系の病気を疑う注意義務があった。最初から必要な処置をしていれば死亡しなかった」と主張し、慰謝料などの支払いを求めている。訴えに対し病院側は「訴状を見ていないのでコメントできない」としている。            S新聞社

いやあ、この時間関係で、訴訟ですか・・・。正直たまりませんね。私達の戦略としては、一回帰宅してダメなら、再来して再評価するということは、よくやる手です。この訴訟事例の時間的経過では、そういう戦略であった可能性もあります。記事に書いてあることを真に受ければ、「聴診」をしなかったというのが、家族側の心証を悪くしたのかもしれませんが。 このケースは、最初に入院しても結果は同じであったと私は思います。
ちなみに、このケースは、後日和解となっており、裁判所は、診療と死亡の因果関係には言及しておりません。

誤診で65歳女性死亡 病院は4300万円支払え 地裁判決=T
200X.XX.XX 朝刊 31頁 (全433字) 
K町の医療法人「S内科」で入院中の妻(当時六十五歳)が死亡したのは、主治医が
急性心筋炎の症状を見逃した誤診が原因として、夫ら遺族四人が同病院を相手取り、慰謝料など約五千五百万円の損害賠償を求めた訴訟の判決がX日、地裁であった。M裁判長は「適切な治療を受ける機会を与えていれば、助かった可能性は高い」として、同病院に約四千三百万円を支払うよう命じた。判決によると、妻は一九九X年X月六日、同病院で吐き気や呼吸困難などを訴え、医師が初期の肺炎と診断。同日、妻は入院したが、点滴を受ける度に吐き気を訴え、翌日から血圧が急激に低下、入院から四日後に死亡した。判決で、妻の血液検査から、急性心筋炎にかかり、低血圧による心原性のショックで死亡した可能性が高いと認定。M裁判長は「肺炎では説明のできない症状や、他の疾病と合併していた可能性を疑わせる症状が多数出現していた」と指摘した。S院長は「今後の診療の教訓として厳粛に受け止めたい」と話している。

劇症型心筋炎の経過ですね。心筋炎は、ほんとうに怖い病気です。患者さんの運命であったと思います。おそらく救命不能であった可能性が高いと私は思います。
なのに、こんな経過で、

適切な治療を受ける機会を与えていれば、助かった可能性は高い

こんなことを言う日本の裁判システムに私は失望します。

初期の段階で、 うっかりと「肺炎」などと断定的言ってしまうと、その後の経過が悪くなってしまったとき、このようなパターンで、誤診だと言って、相手から責められてしまう可能性があるということです。

「肺炎だとは思うけれど、現時点では断定はできません。人間の体には、何が起きるか分かりませんから。だから、注意深く見ていきますよ」

こういうトーンで常に病状説明をしておくのが固いかもしれないですね。


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厚労省3次試案に対する私見 [雑感]

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厚労省より、第3次試案がでました。一部の報道では、最終試案などと報じていますが、それは誤りです。

Yosyan先生 2008-04-05 事故調第三次試案パブコメ募集始まる 
urouro先生 医療事故調第三次試案を公表、このままでは国民の健康が『大惨事』となるでしょう

のところで、たいへんわかりやすくまとめてくれています。皆様も是非ご参照ください。

私も端的に申します。

医療者が患者のために全力をつくして自分のスキルを発揮し向上させ、結果として社会に対して医療を提供できるという目的を達するための法的な保護(刑事訴訟などの抑制)の観点が、

口約束のみ   謙抑的=口約束 という意味

に終わっています。 

ここを法文化させることが、我々医療者にとって、当然、多くの物言わぬ一般の方々(=医療を受ける側)にとっても、一番重要なところです。

医療の安全の確保に向けた医療事故による死亡の原因究明・再発防止等の在り方に関する試案-第三次試案-」に対する意見募集について

上記URL 募集要項より抜粋

4 意見の提出方法等
個人のご意見の場合は【様式1】、法人・団体のご意見の場合は【様式2】に記入し、次のいずれかの方法により提出してください。なお、いただいたご意見に対し個別の回答はいたしかねますのでご了承ください。

(1)電子メールを利用する場合
電子メールアドレスIRYOUANZEN@mhlw.go.jp 厚生労働省医政局総務課医療安全推進室 あて

※ 送信する電子メールの件名は「第三次試案に対する意見について」としてください。

※ ご意見の提出は、【様式1】又は【様式2】の電子ファイルをメールに添付して提出してください。(ファイル形式は、テキストファイル、マイクロソフトWordファイル、ジャストシステム社一太郎ファイル又はPDFファイルのいずれでも構いません。)

※ 容量が5MBを超える場合は、ファイルを分割する等した上で提出してください。

(2)郵送する場合
〒100-8916 東京都千代田区霞が関1-2-2 厚生労働省医政局総務課医療安全推進室 あて

(3)FAXを利用する場合
FAX番号:03-3501-2048
厚生労働省医政局総務課医療安全推進室 あて
※ 照会先窓口(03-5253-1111(内線:2580、2579))に電話連絡後、送信してください。

上記URLより様式1をダウンロードして、上記メルアドへ添付ファイルすればよろしいようです。

ここは、数が重要とみます。 多くの方々に、口約束では困りますという主旨のパブリックコメントをメールにて送っていただければと思います。

ここからが、私の今日の意見です。

私は、このブログの随所で、医療の不確実性について、ことあるごとに強調しています。 医療は、不確実とともに限界があるのです。 なぜなら、人の生死は、人為ではどうすることも出来ないからです。昔、秦の始皇帝は、不老不死の薬を求めてたゆまぬ努力をしたが、それはかなわぬ努力であったという話が有名でしょう。

昭和時代の偉大な漫画家 手塚治虫も、名作 ブラックジャックの中で、こんな一説を残しています。

ブラックジャックの恩師である本間先生が脳出血で亡くなります。ブラックジャックは自分で執刀しました。完璧な手術でした。ですが、本間先生は、術中に亡くなります。打ちひしがれるブラックジャックに、なくなった本間先生が、かけた言葉がこれです。

人間が生きものの生き死にを自由にしようなんておこがましいとは思わんかね・・・
図1.jpg

報道から私達につたわる状況はどうでしょう? 「死んだら、だれのせい?」という報道が多すぎませんか? 私はそう感じています。 この3次試案の理念も、所詮はその延長上にあるようです。 なぜなら、医療者の処罰に対しては、まったく法的効力をなしていない制度設計だからです。つまり、口約束です。もちろん、実際の現場では、自分やご家族の生死に関し、達観しておられ、自分の人生のお手本にさせていただきたくなるようなすばらしい方々とも出会います。こういう方々は、あまり報道では強調されませんが・・・・。 人のもつ、潜在的な死に対す不安や防衛が個々の人々の心の中にあるからこそ、「死」の事例に対して、人の心が動くのでしょう。これは、社会的なマスで見れば、「死」の報道のニーズ(=知る権利?)へつながり、ニーズがあるからこそ、その方面の報道が活発になるという理屈になります。そして、報道が活発になれば、そのメディア効果により、多くの人の心に、いつの間にか「死はだれかのせい」という感覚が刷り込まれていくのではないのでしょうか? 今の社会にはそういう循環による個人の心の形成がなされていると思います。つまり、医療という観点からみれば、これは、メディア報道の弊害だと私は考えます。

さて、このような社会背景を鑑みて、この3次試案は、適切でしょうか?

私は、不適切だと判断します。

医療機関、医療関係者を処罰でコントロールしようという視点が大きすぎるからです。つまり、厚労省の役人の心も、今の社会事情に影響を受けているということに他ならないのでしょう。

だからといって、個人個人の死生観を変えろと国が強制するわけにはいきません。一人ひとりの心の問題は、社会システムで統制というより、哲学や宗教の助けを借りて、個人個人で深めて熟成させていくしかないでしょう。

では、私は、一地方の医療者として、この3次試案に関し、何を要望するか? 二つあります。

一つ目です。

刑事抑制の内容をきっちりと法文化してほしい。

二つ目です。

届出の基準が、これでは使えないので、変更してほしい。

とくに、一つ目の部分について、多くの意見が必要です。数が必要です。 どうか皆様ご協力のほどをよろしくお願いします。

これから、二つ目の要望について述べます。

3次試案P4の届出のアルゴリズムの引用します。これです。
図2.jpg

どうでしょうか? 判断の分岐基準が、あいまいです。 元々、医療の不確実性という観点にたてば、こんな基準では使い物にならないというのは、明白です。こんなんで運用されたら、現場は混乱のきわみとなります。 ちなみに、奈良大淀病院の事例をこのアルゴリズムに当てはめてみると、 明らかでない⇒起因しない⇒届出不要 となります。ところが、ご遺族は納得がないからこそ、訴訟に出ています。つまり、このアルゴリズムで病院側が運用したとしても、紛争が起きてしまうことになります。これでは、新システムを立ち上げる意味がありません。

何が重要か? 
届出に際し、医療者側と遺族側の間で、どれだけの納得が形成されているか

これに尽きます。ならば、これを中心に基準を作ればいいわけです。 遺族の気持ちは、二転三転することは十分に起きえますから、そのことも想定において、私は、こんな届出基準の試案を作ってみました。これです。
図3.jpg

いかがでしょうか?

とにかく、多くの方が、厚労省に声をあげてくださることを希望します。 


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地雷の香感じますか? [救急医療]

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 4月になった。 初期研修を終えて、いよいよ自分で全責任を背負った始めての時間外当直を経験するレジデントの先生方も今たくさんいらっしゃることと思う。そんな先生達へ、本日は、こんな症例をお届けしてみたい。

31歳 男性  両下顎痛

<問診>
健康な男性。既往歴にも特記事項なし。2日前まで、婚約者と国内旅行をしていた。 その婚約者は風邪気味であったという。昨日、昼頃より寒気を感じたが、激しく身体が震えるほどのものではなかった。その日の夕方、体温計で熱を測ると39.5℃であった。市販の解熱剤を飲んで、早めに就寝した。なお、頭痛なし、咳なし、のど痛なし、下痢なし、腹痛無し、側腹部痛なし、胸痛なし、呼吸困難なし、背部痛なし、排尿時痛なしであった。本日、朝午前6時ごろ、両下顎痛を自覚。30分ほどで軽快したとのこと。同日、午後14時ごろ、再度、両下顎痛が出現。今度は、自制内だが、痛みが持続するため、救急外来を15時30分に受診した。なお、虫歯の治療はうけており、最近とくに歯痛に悩まされていたことはない。

<身体診察>
バイタル KT 35.8 BP 132/87 HR 77整 RR<20 SpO2 99
意識 クリア。咽頭 軽度ほっ赤あり。 扁桃腫大なし。  耳下腺、顎下腺 腫脹、圧痛ともになし。 頚部リンパ節 触知せず。 甲状腺 圧痛、腫大なし。心音異常なし。肺音 正常肺胞音。

さあ、あなたの診察で、ここまではわかりました。時間外診療で使えるツールは、一般の採血、検尿、レントゲン、心電図、CT(造影も可)、心および腹エコー(ただし自分でおこなう)、インフルエンザ迅速、トロップ、Dダイマー。

問診、身体所見からの判断で、検査無しで様子もみるのもありかもしれません。

ですが、時間外診療は、常に地雷原を一人歩くようなもの。地雷探査機は、あなた自身の嗅覚とそれを補助する諸検査です。

あなたなら、次の一手をどうしますか?地雷の香を感じますか?

(4月2日 記)
たくさんのコメントありがとうございました。

先ずは、この患者の続きです。

担当医は、看護師の予診では、耳下腺が痛いとのことではあったが、自分の診察では、ムンプスでもなさそうだし、患者は元気そうだったので、検査をどうしようか?と少し悩んだが、インフルエンザの流行時期でもあったことから、インフルエンザ迅速検査を行うこととなんだかよくわからない患者の訴えだから、とりあえずルーチンの検査でもして、それらの結果を見てから、担当医は考え直すこととした。

検査結果がそろった。 
インフルエンザ迅速は、陰性。
Hb 15.2 PLT 22.1 WBC 12000 AST/ALT 78/34 ALP 145 LDH 350 AMY 25 GLU 110 BUN 10 CRE 0.65 Na 141 K 4.2 Cl 105 CPK 985 CRP 8.3

担当医は、想定外のCPK高値をはじめとするAMIパターンの異常値を見て、まさか!?と思いながらも、CK-MBとトロップ、そして12誘導心電図を確認した。

CK-MB 88  トロップ陽性

そして12誘導心電図がこれ。しっかりとST上昇を認めている。
図1.jpg

直ちに、循環器科の当直医が呼ばれた。心エコーでは、下壁の動きが悪かった。
年齢と病歴を鑑みて、AMIというよりむしろ急性心筋炎の疑いで、循環器科入院となった。緊急CAGを行うか否かについては、複数の循環器医による検討と家族や本人の希望をふまえ、まずは、データとバイタルの厳重な経過観察、状況悪くなりそうならば、直ちに血管造影で確認するという方針となった。

結局、その後状態が悪化することなく、保存的加療のみで、軽快退院となった。 

つまり、両下顎痛は心筋炎と関連した放散痛と考えることができると思います。

いかがでしたでしょうか? 血液検査をしなかったら、風邪でしょうねということで、きっと終わったことでしょう。 このような軽症の心筋炎の症例は、潜在的には結構いるのかもしれません。その心筋患者群の一部の方が劇症化の末死亡の転帰をとるものと思われます。 劇症化する人を早期発見し、救命につなげるためには、このような軽症例を拾い上げる診療体制が必要なのかもしれません。

とにかく、今回のケースは、血液データがアラームサインとして機能して、事なきを得ました。

このケースから教訓を引き出しておくとすれば、クーデルムーデル先生からいだきましたコメントがよろしいかと思います。

繰り返す痛みであり、しかも2回目は持続性ということもあり、両下顎痛は重要なサインと考えるべきと思います。臨床所見の情報からはまずは大動脈緊急症などの放散痛と考え、心電図と胸部レントゲンをオーダーします

日ごろの臨床で、放散痛に気がつけるかどうかは、地雷回避という意味合いにおいて、きわめて重要だと思います。

心筋炎という症例は、健常者のよくある風邪症状を呈する患者群の中から出てきますから、まさに地雷的なのです。 

過去の心筋炎のエントリーです。ご参考ください。
小児地雷:心筋炎の2例たかが風邪なのに・・・たかが風邪なのに(続編) あなどれない風邪

ほんとうに怖い病気で、いくら医療者が努力しても、勝てないことがある手ごわい病気であることも事実です。それでも、私達がお手伝いし、少しでも助けることができたらいいなあとは個人的に思っています。だからこそ、年度初めの今回のエントリーとして挙げてみました。

急性冠症候群と放散痛の関連については、ER・救急のトラブルファイル のP74 真実を知る歯から引用してみます。(要約のため一部短縮あり)

72歳の女性が歯の痛みを訴えて救急部を受診した。昨晩、この痛みで起こされたが、次第にひどくなってきていた。患者には高血圧と糖尿病の既往があった。バイタルサインは正常だった。打診で歯痛は起らなかったが、いくらか左の顎関節に圧痛があるようだった。痛みはどうも顎の開閉にいくらか関係しているようであった。救急医は、顎関節症候群か早期の歯感染と暫定的に診断をつけて、痛み止めを処方し帰宅させた。3時間後、患者は完全に心肺停止状態で救急部に搬送された。蘇生は成功しなかった。剖検では、心筋梗塞の所見が認められた。

大動脈緊急と放散痛の関連については、過去のこのエントリーから紹介します。  死の意味を考える  

以上のことから、放散痛は、 急性冠症候群、大動脈緊急、急性心筋炎 のいずれの地雷疾患でもありえるということです。特に、急性心筋炎は、元来健康な人でも十分起りえますから、年齢、性別、既往歴で、検査前確率を落とすことができないという点が、他の2疾患と決定的に異なります。この点をふまえて診療に望むかとが重要だと思います。今回の症例は、まさにそのことをお伝えするのに最適だろうと私は思いました。

まとめます。

本日の教訓
急性心筋炎も放散痛あり!健常者の放散痛にも注意!

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腸炎?という触れ込み [救急医療]

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さて、本日は、前振りなしで、いきなり症例から入ります。

75歳男性  嘔吐、下痢

ADLは自立。高血圧で近医通院中。当院の受診歴はない。ある日の深夜午前1:30、そんな患者の受け入れ要請が入った。

救急隊「夜10時から、下痢が3~4回。0時から、嘔吐が5~6回です。
     バイタルですねえ・・・、血圧142/74、脈拍56、ルームでサチュレイション100です。
     意識クリアです。受け入れよろしいでしょうか?」

看護師「頭痛、めまいは、ありますか? 体の痛みをどこか訴えていますか?」

救急隊「頭痛、めまいは、ありません。 下腹部痛の訴えがあります。」

看護師 「つきそいの方はいらっしゃいますか? 当院の受診歴はありますか?

救急隊 「息子さんが同乗しています。そちらの受診歴はありません。」

看護師 「既往は何かありますか?」

救急隊 「近医で高血圧でかかっているそうです。その他は特にありません。」

看護師は、医師に確認を取って、この患者の受け入れを受諾した。


さて、この触れ込みから、どんな疾患を想定しますか?患者搬送前の頭の準備運動という気持ちをもちつつ、諸情報は救急隊からの生情報の段階であるということも考慮しつつ、考えてみてください。

もちろん、ピンポイントで疾患を当てろという意味ではありません。ただ、幅広く発想する柔軟性は重要かと思いましたので、このような形の提起としてみました。

なお、今回のテーマは、私自身学術的に興味があるところで、是非皆様の教えをいただきたいと思っています。

普通に考えれば、まず思い浮かぶのが腸炎のたぐいですよね。ところがどっこい・・・というのが本日の症例です。まさに現場の現実をお届けしています。

現場を体験しない方々から、後になってあれこれ注文や批判をつけられることが、どれほど現場に携わるものの心にマイナスに響くか・・・・。 多くの人にそのことを少しでもわかってほしいと思っています。

そのためには、こういう症例の存在を知っていただくのが良いと思っています。

(3月30日 記)

皆様、コメントありがとうございました。

あいまいな情報提示のみにもかかわらず、たくさんのコメントをいただきました。ありがとうございます。その中から、飛び切りのすばらしいコメントだと私が感じたものは、pulmonary先生の次のコメントです。

嘔吐の場合は特に消化器疾患以外から考えるようにしています。

私は、この事例の報告を受けたとき、ホットラインを最初にとる救急外来の看護師さんたちに、教育的意味をこめてこんなことを言いました。

「嘔吐+下痢の第1報だったら、嘔吐から先に注目してください。とりあえず下痢は無視してていいです。 嘔吐は、何でもありの症候ですから。だから、嘔吐がある人には、こちらのほうから、救急隊に、頭痛、胸痛、腹痛、背部痛、発汗などを積極的に質問しましょう。

ちなみに、消化器疾患とまちがえそうなAMIの話は、去年の夏にこんなものを書いています。
消化器疾患?実はAMI

さて、この患者さんの話に戻しますが、まず、結論からいきます。これです。

図1.jpg

最終結論は小脳出血です。驚きの方も多いかもしれませんが、事実です。

ですが・・・・、「下痢と脳出血や脳梗塞は何か関係があるのかもしれない??」・・・(*)

これが、私の学術的興味です。 なぜ、私がこんなことを考えるのか?

このブログの記念すべき第1エントリーをご覧ください。 医師を助けた看護師の一言
これも嘔吐+水様性下痢頻回の触れ込みで救急搬送された患者が、脳出血でした。

私が、研修医の頃、ERセミナーという毎週の症例検討会の中で、こんなことを教えてもらったことがあります。「腸炎と間違えるPICA梗塞があるから、気をつけろ!」 ※PICA:後下小脳動脈

しかも、今回の症例を担当した内科医師は、過去にも、下痢で来た人で小脳出血の人がいたと言っていました。

何か下痢と脳疾患に関係性がありそうだと思いませんか?

以上のような背景もあって、(*)が一体学術的どうなのだろう?という疑問を今もっています。
というか、調べたことが過去に一度あるのですが、類似報告を捜すことができませんでした。

(*)に関して、論文の有無とか、あるいは類自体験の例とか、何かありましたら、ご教示ください。

患者の話に戻します。 患者さんは、診断がつき次第、脳外科の対応できる病院へ転送させていただきました。基本的には、緊急脳疾患対象の患者は、救急隊による病院選定の段階で、当院は選ばれませんから、今回の症例は、ある意味、病院前トリアージの限界といえる症例です。 

医療の不確実性とは、こんなところにも存在しているのです。

この患者さんで、どうして頭部CTをとるに至ったのか? 診療を担当した医師から、私は直接に話を聞きました。この医師の話と救急隊の情報を突き合わせて、私が検証してみました。

1)意識レベル クリアという情報について
本人は、目をつぶっていた。 開眼すると気分が悪いと言っていた。眼振があった。 名前とかはちゃんと言えるが、語尾がちょっと?という印象だった。クリアとは言えないが、意識障害としてすぐにワークアップしようとまでは思わなかった。

結論: 救急隊の判断と医師の判断に若干の差異があった 

2)頭痛無し、めまい無しの情報について
本人は、「気分が悪い」というのが精一杯の状況だった。 とても患者が救急隊と会話したとは思えない。ただ、来院直後に頭痛がないとは言っていた。同乗の息子は、「下痢したあと吐き出したんです。頭痛とかめまいとはなかったです。」と言っていた。救急隊は、息子の情報をそのまま電話で看護師に送ったのではないか?

推論: 救急隊が電話で伝えた情報は、息子の情報であった可能性大。
     常に情報のソースを意識して情報の解釈に当たるのが重要。

3)下腹部痛について
たしかに、正中やや下腹部に、軽いが圧痛を認めていた。

推論: 腸管蠕動の亢進なのだろうか? 何か病態的につながるものはないのか???

とにかく、担当医師は、患者が到着した時点から、「何か違うなあ」という第1印象を持ったとのことです。
その印象は、耳鼻科的なめまいで、たまたま腸炎を合併しているのかなあ?とのことでした。

来院後、担当医は、めまいの点滴で様子を見始めました。
2時間くらいって、 「だいぶ楽になりました」と患者。
担当医の方針は、点滴によるめまいの改善がいまいちならば、CTをとる予定にしていたとのことでした。だから、この患者の発言を聞いて、帰そうかなあ?と考えてた矢先に、

今度は、「頭が痛い」と本人。

これを聞いた担当は、ここで、あわててCT。そして出血の診断。

こんな流れでした。

本人の申告がなければ・・・・・。危うく地雷を踏むところだったというわけです。

それにしても、小脳出血の患者は、悩ましい情報で来院することがありますね。このこのエントリーも御参考ください。 入院!と強く希望する家族     読み直して気がつきましたが、これも下痢がありますね。

まとめます。

本日の教訓
救急隊からの情報は、その限界を十分に知って診療に当たろう

(3月31日 記)


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地雷遭遇確率 [救急医療]

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このブログは、救急初期診療や時間外診療における地雷疾患について語ることをメインにしている。では、救急診療をやっていて、一体どのくらいの確率で地雷疾患に遭遇するのだろうか?そんなことを考えてみたい。

本日、救急医専門医セミナーを聴講した。その中の講師の一人に、私が尊敬してやまない箕輪先生がいらっしゃった。 箕輪先生はたくさん本を書いていらっしゃるが、特に私のお気に入りの2冊といえばこれである。
救急総合診療Basic20問 、 医療現場のコミュニケーション

そんな箕輪先生の講演タイトルが、「ERディジーズ-ハイリスクである致死的疾患を見逃さないために-」であった。

そのご講演の中で、大変興味深い具体的なデータが提示された。

自施設の徒歩来院患者で、トリアージナースによるトリアージはかからずに、夜間救急センターで通常の外来診療をおこなった患者群を母数として、一体その中に、致死的疾患(Killer Disease:まさに、このブログで言うところの地雷疾患といっていよいだろう)が、どれくらいまぎれてくるかというstudyの結果だ。

結論は、0.3%であった

先生の施設は、聖マリアンナ医科大学病院である。この施設において、2005年9月~翌3月の間に徒歩来院し、トリアージナースによって併設の救命センターにトリアージされることなく夜間救急外来に来た患者4229名のうち、Killer Diseaseが13名まぎれていたというのである。その13名の内訳には、AMI2名、SAH2名、脳内出血2名、DKA1名、SMA血栓症1名、喘息発作2名、外傷3名となっていた。なお、このデータは、聖マリアンナ医科大学の田中拓先生がおまとめになったデータです。

なるほどである。

会場からある先生が質問をした。2次の施設で勤務される先生であったようだ。
「私の感覚では、0.3%よりもっと多い気がします」 
ということであった。

箕輪先生は、大学病院という性質と、じつはもっと見逃しがあるのかもしれないというご返答だった。

私は、0.3%・・・そんなもんじゃねえかなあ?と思いながら、じっと聞いていた。
(会場で発言はしませんでした)

さっそく、自分のその感覚を確かめるべく、ある病院のデータベースを調べてみた。7年間で約10万人の徒歩来院患者の転帰や疾患名などがすべてそこに残されているのだ。

徒歩来院患者全数101721人。その中から、緊急カテや緊急手術となりICUに収容された患者数を調べてみた。多くは、SAH、AMI、PTE、緊急開腹手術を要する急性腹症などの疾患がそれに該当する。
327名だった。 つまり、その比率でいえば、0.32%である。

なんと、箕輪先生のデータと一致した。恐ろしいまでの一致である。

今の施設ではどうだろうか? 記録はアナログで集めているので、客観的統計的データをすぐには出せないが、体感でいくと、自分が関わる徒歩来院患者1000~2000名/年くらいとして、記憶に残る地雷的疾患の数が10人いるかいないかという感覚なので、大体1~0.5%くらいということになる。

ということで、本エントリーの結論

急性期病院の夜間診療で、地雷疾患が隠れている確率は、0.3%くらいなのかもしれない。

では、これをふまえて、算数を一つ。 

あなたの施設では、時間外(当直帯)診療一回当たり、14名の徒歩来院患者を診察します。
あなたは、その施設で、毎月2回の当直が回ってきます。

さて、あなたは、この施設のこの勤務状況で、一年間で少なくとも1回は地雷疾患に遭遇する確率は、大体どれくらいになるでしょうか?

なお、地雷疾患が徒歩来院患者群に紛れ込んでくる確率は、箕輪先生のデータをそのまま用いることとする。つまり、地雷疾患存在確率P=0.003(0.3%)とする。

いかがでしょうか? このブログとお付き合いの長い方はピンとくるかもしれませんね。

(3月29日 記)

(3月30日 追記)
physician先生ありがとうございました。 正解でございます。 「少なくとも一回は・・・・」を見たら余事象を考えて見ましょうという確率問題における定石を使うことで、比較的簡単に立式できます。後は機械計算あるのみです。

一回あたりの試行で、ある事象が発生する確率P(Pは十分に小さい)が与えられたとして、そのPの値から、何回くらい試行すれば、すくなくとも一回はその事象がどれくらい起こりやすくなるのかということを、もっと気軽に体感できる方法はないでしょうか?

あります。私はある計算式をこのブログ上で発表していました。

合併症を算数する  、 合併症を算数する(続編)

です。

要点は、以下の通りです。

確率がp(十分に小さい値)である事象(合併症など)を繰り返し試行(検査など)する場合において、その試行回数と発生確率の関係についての公式

1) 1/p回試行(検査など)した場合、
63%の確率で、少なくとも一回はその事象(合併症など)に遭遇する。

2) 5/p回試行(検査など)した場合、
99%の確率で、少なくとも一回はその事象(合併症など)に遭遇する。

これをこの問題に適用してみます。P = 0.003ですから、1/P = 333、5/P = 1667 です。

つまり、330回程度当直すれば63%の確率で一回は地雷にあたります。1700回程度当直すれば99%の確率で一回は地雷にあたります。

そんなことを上記式が教えてくれます。

本問での年間当直回数が、14x2x12=336回ですから、地雷に一回は当たる確率は約63%とわかるわけです。付け加えて言えば、5年も続けたら必発であるともいえます。

夜間の時間外診療を継続業務として、お持ちの方は、やはり、日ごろから地雷疾患対策を練っておく必要があるという結論としてよいように私は思います。

地雷疾患存在確率のデータは、ほとんどないと箕輪先生が講演の中でおっしゃっておりました。
今後、データがもっと蓄積されれば、またいろんな新たなことがいえるかもしれませんね。


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学校検診危うし!二つの報道記事 [医療記事]

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本日、こんな記事がでました。学校医が訴えられました。

脊柱検診怠り病状悪化、大阪・能勢町と学校医提訴へ  (魚拓)

 小中学校の学校医が検診を怠ったため、背骨が横にねじれて曲がる「脊柱(せきちゅう)側湾症」に気付かず、症状が悪化したとして、大阪府能勢町の高校1年の女子生徒(16)が同町と在校時の学校医に計約5000万円の損害賠償を求める訴訟を近く大阪地裁に起こす。学校保健法は脊柱検診を義務付けているが、見落とされることが多いといい、生徒側は「学校検診のあり方も問いたい」としている。

 訴状などによると、生徒は町立小、中学校に通学し年1回、学校医の検診を受けていた。中学3年だった2006年6月、風邪で受診した病院で、「背骨が曲がっている」と指摘され、別の病院で「特発性脊柱側湾症」と診断された。

 生徒側が中学校に確認したところ、学校医は校長に「思春期の女子に裸の背中を出させることはできず、脊柱検診はしていない」と回答したという。

 生徒側は「
学校医が診断できなければ、町は別の対策を取るべきだ」と主張。学校医は読売新聞の取材に対し「弁護士に任せており、答えられない」とし、同町は「検診したが、発見できなかったと理解している」としている。

 日本側(そく)彎(わん)症学会元会長の鈴木信正医師は「側湾症の専門は整形外科医だが、内科医が学校医のケースが多く、検診していない学校がかなりある。
検診を徹底するほか、かかりつけの小児科医らが診断できる体制作りも必要」と話している。

(2008年3月27日 読売新聞)

巻き込まれた方は、お気の毒としか言いようがありません。日本社会の中で、他責的な人たちが増えているという現われなのでしょうか? 

学校医が診断できなければ、町は別の対策を取るべきだ

なんだかですねえ・・・・。どこまでもどこまでも他人に責任をとらせようとする勢いをこの一文に感じます。

しかし、訴えに出るほどの側湾とはどの程度なのでしょうか?私にはよくわかりません。軽い側湾があり、慢性的な肩こりに悩まされている人は、かなりいると思うのですが・・・。その方々達も検診医の見逃しのせいなのでしょうか? 私には、すぐには理解できない訴訟です。

では、

思春期の女子に裸になっていただいて、丹念に背中を診察したら、つまり、記事中の検診を徹底するということです。それを実行したら、今度はいったいどうなるのでしょう?

それは、約10ヶ月前の次の記事を思い出していたければ、容易に想像がつこうかというものです。

札幌の道立高*「胸触られた」120人苦情*女生徒*内科検診終了できず
2007.06.30 北海道新聞朝刊全道 35頁 朝社 (全1,405字) 

 札幌市内の道立高校が五月中旬に行った内科検診で、女子生徒約百二十人が「(大学病院から検診の応援に来た三十代の)男性医師に乳房をつかまれた」などと訴えたため、検診を中断していたことが二十九日、分かった。学校側は
「丁寧に診たことで誤解された」としているが、一連の混乱で学校保健法が健康診断の期限とする六月三十日までに、検診を終えられない事態となった。同校や道教委によると、内科検診は二日間の日程で初日は一年生全員と三年生の半数の計四百五十人が対象。大学病院からの応援医師(協力医)三人と学校医の計四人が診察。協力医のうち男性一人、女性一人が女子生徒を担当した。検診後、女子生徒から養護教諭や担任に「(男性の協力医に)右手で聴診器を当てている時に左手で胸をつかまれた」「ブラジャーを外された」などと苦情が続出。このため、学校は二日目の検診を延期した上で、この男性医師が診た女子生徒にアンケートを実施。一年生百二十人のうち九十人と三年生の三十四人全員が不快な思いをしたと答えた。同日、学校から相談を受けた学校医が、大学病院の医局を通じて男性医師から事情を聴取。その結果《1》乳房の下部に位置する心尖(しんせん)部の心音を聴くため、ブラジャーを外したり乳房を持ち上げたりした《2》短時間で行うため、聴診しながら同時に胸郭のゆがみを調べる触診もした-と判断。これらは正当な医療行為で、他の医師より丁寧に診察したことが誤解を招いたと結論付けた。検診では胸郭の異常を調べることなどが定められており、また、この医師は他校の検診で問題になったことはないという。検診の二日後、臨時全校集会で校長が「校内において不安で不愉快な思いをさせ申し訳ない」と謝罪した上で、「(医師は)大学病院勤務で学校検診は不慣れだった」などと説明した。さらに、女子生徒の保護者に家庭訪問などで説明したほか、ショックを受けた女子生徒には専門家によるカウンセリングも行った。学校は二十七日に検診を再開したが、学校行事の関係で二年生三百十二人の検診が七月中旬にずれ込むこととなった。同校の教頭は、六月末の期限に間に合わなかったことは「申し訳ない」とした上で、「今後は女子生徒の感情に配慮するよう学校医から協力医に事前に話してもらう」と話している。また、学校医が「学校のアンケートが混乱を大きくした。正当な医療行為だと生徒や保護者に説明することが先だった」と学校の対応を批判。六月十五日に辞表を提出している。
*学校側対応は妥当
 道教委学校安全・健康課の佐藤憲次課長の話 期限までに健康診断が終えられなかったことは残念だが、学校側の対応はおおむね妥当と考える。内科検診の内容や必要性について、思春期の女子生徒やその保護者にはさらに丁寧に説明して理解を得るよう努力してほしい。
*聴診は重要で常識
 札幌市学校医協議会の長谷直樹会長(はせ小児科クリニック院長)の話 後天的な心臓病を発見するため(乳房の下の)心尖部の聴診は重要な場所であり、ブラジャーを外させ、乳房が大きい場合は持ち上げて聴診器を当てるのは医師として常識。胸郭の異常も思春期の女子に多く触診は必要。病気が内科検診後に見つかり「学校医は病気を見逃した」と親から抗議が来ることもある。入念に診ることを批判されたら検診は成り立たない。学校が事前に検診の内容や意義を十分生徒に周知する必要がある。 北海道新聞社

報道は、社会現象のほんの一部を切り取って拡大している虫眼鏡のようなものです。ですかから、そんな性質の報道を意図的に二つだけ抜き出して対比することは、ばからしいことかもしれません。私は、自分でそんな馬鹿なことをしてるんだなあと自虐的に思います。

でも、たとえそんな報道でも、それらを目にするたびに、暮らしにくい社会だなあ・・・・、医療がやりにくい社会だなあ・・・と私はしみじみ感じます。。


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血圧が高い!という患者 [救急医療]

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救急診療での大切な型は、地雷を見逃さないことをめざす診療の「型」である。具体的には、引き算診療という「型」である。こちら⇒引き算診療という考え方

しかしながら、地雷的なものを引き算したところで、患者が気にしている身体症状が解決するわけではない。医療者は、このことをよくわきまえておく必要はあるかと思う。

次のような台詞は、あまり好ましくないと私は個人的には思っている。

「あなたの症状は、気にする必要はないですよ。」
「あなたの痛みは、心因性かもしれませんね。」
「あなたの症状は、ストレスかもしれませんね。」

では、医療者側が、安易にこのような説明をしないためにはどうしたらいいのだろうか? 本日のエントリーはそんなことを考えてみたい。


症例  77歳男性  血圧が高い(心配)

近医で高血圧で通院中。現在、ARB単剤が処方されている。一人暮らし。すでに妻は半年前に他界している。妻他界の直後に当院に一度近医からの紹介で入院し、高血圧の精査を循環器科で行ったばかりである。二次性高血圧は否定的と判断されている。最近、顔のほてりとともに、急に血圧が上がった感じを自覚するようになり、手元の血圧計で測ると230もあるので、どうしようもない不安感に襲われ、救急車を呼んでしまうことが、この3ヶ月間で4,5回も繰り返されている。救急外来につくと、血圧は150くらいにいつも落ち着いている。 最初のころは、血液や心電図、頭のCTなどをチェックしてくれて、異常がないと言ってくれたが、ここ1,2回は、医師は検査もしてくれなくなった。それどころか、これぐらいで救急車を呼んではいけないと医師側から諭されることもあったという。 最近の記載には、「不安神経症?」「心因性?」「精神科へ紹介の必要かも?」などと書かれている。 そんな患者が、また救急車でやってきた。やはり、今回もこれまでと同じようだ。

問診というものは、病態を積極的に想定して初めて診断に役に立つ情報源になり得ると思います。
今まで診察した医師は、その病態を想定においた診察はしてこなかったものと思われます。

この症例をみて、皆様方は、どんな病態を思い描き、どんな問診を追加しますか? 
それをふまえて、この患者にどんな説明をしますか? 

この症例は、地雷的ではありません。時間外の診療は、こんな患者さんも多数来院しています。もちろん、狼少年のようになってはいけませんので、同じ主訴で来院でもある程度は、毎回引き算の型を流すことはそれなりに大切だと私は思っています。(どこまでやるかは、別としても)

しかし、現場では、地雷を引き算さえすれば、終わりというわけではありません。もちろん、後は、正規の診療につないでもらったらいいだけなのですが・・・・・。ただ、どうつなぐかが問題で、そのためには、病態考察は、日ごろから深めておくことが好ましいのかもしれません。

(3月25日 記)

(3月27日 追記)
皆様、コメントありがとうございます。いろいろな視点からご意見をいただきました。とりあえず、想定していた話を続けてみます。


さて、患者がやってきました。今回も来院時は、すでに血圧が、146/87に落ち着いていた。

「先生、すみません。何度も・・・。すごい不安なんです」

不安げな患者の様子と、過去のカルテ記載から、私は、ある一連の問診を試みた。

1:「胸痛はありませんでしたか?」 ⇒ ○
2:「息苦しい感じはありませんでしか?」 ⇒ ◎
3:「胸がどきどきとしませんでしたか?」 ⇒×

4:「めまい感、ふらつき感はどうでしたか?」 ⇒◎
5:「体のしびれがしびれるなど異常な感覚はどうでしたか?」 ⇒×
6:「手足が震えたり、体が身震いしたりしませんでしたか?」 ⇒×

7:「現実的でない感じや自分が自分でない感じがしませんでしたか?」 ⇒○
8:「自分をコントロールできない恐怖感はありませんでしたか?」 ⇒◎
9:「このまま死んでしまうという恐怖感はありませんでしたか?」⇒◎

10:「汗はでませんでしか?」   ⇒◎
11:「体が冷たい感じまたは熱い感じはありませんでしか?」⇒ ◎
(10,11は、患者の身体を触りながら行う)

12:「窒息感はありませんでしたか?」 ⇒ ○
13:「「吐き気や、腹痛あるいは腹部の不快感はありませんでしたか?」 ⇒×

以上13個のうち、6~9項目がこの患者には該当した。

さらに、
・これが10分以内でピークに達し、30分ぐらいで消失するということ
・また起きるんじゃないかという不安感が存在すること
・一連の不快感はすべて血圧が高いためだと思っていること
などを確認した。

以上より、この患者は、パニック発作に併発した発作性の高血圧という病態を想定した。

そして、患者には次のように説明した。

「よくわかりました。救急車で来ざるを得なかったわけもわかりました。確定ではありませんが、パニック発作という病気の可能性があります。これは、脳の中にある内臓のセンターが急に乱れることで、血圧圧がたかくなり、同時にいろんな身体症状や精神症状が出現するのです。命には別状はないので、その点はご安心ください。私の判断を手紙にしておきますので、明日にでもかかりつけ医を受診してください。」

患者は、その手紙をもって帰宅していった。

いかがでしょうか?想定病態は「パニック発作」でした。

救急の現場では、意外と多いと思われます。ただ、気をつけないといけないのは、確定診断は、正規の継続診療の中で行うというスタンスだと思います。というのは、二次性高血圧の除外は、長い時間軸の中で併診で考えておく必要があると考えるからです。時間外診療の一回こっきりの診療で確定診断とするのは、地雷を踏む元になります。

ただ、このように自分なりに病態がイメージできた場合は、なるべく具体的にそれを説明する努力をします。

では、もし、病態イメージはいまひとつだが、ただ地雷は引き算できたと判断した場合は?

「人間の体は、わからないことだらけです。だから、私達がすぐに説明できない症状も存在するんですよ。今日は、少なくとも命にすぐに関わるような重大な病気の可能性は低いと思います。その点はどうかご安心ください。私の説明をお薬だと思ってご安心いただければ幸いです」

などと言うと思います。私は、患者の訴える身体症状を承認し、「心因性」「気のせい」というフレーズ等で、患者とのコミュニケーションを断絶させない努力をしているつもりです。


さて、パニック発作ですが、DSMでは上記13個の身体・精神症状のうち4つ以上を満たすことが診断基準のひとつに上げられていますが、覚えにくいですよね、この13個。次のように考えたら覚えられないでしょうか。こんな覚え方を考えてみました。

循環器内科の診察室をイメージして 上記1,2,3の問診
神経内科の診察室をイメージして 上記4,5,6の問診
精神科の診察室をイメージして 上記7,8,9の問診
皮膚科の診察で実際の患者の手や顔に触れながら、上記10,11の問診
消化器内科の診察室をイメージして 上記12,13の問診  (窒息は食道と関連付けイメージ)

パニック発作と高血圧をググッてみたら、ちょうど今回のエントリーを補強するいい題材がぐうぜんみつかりましたので、最後にそれを引用しておきます。

http://paxil.jp/clinical/clconfer/20070610_1.php

急な血圧の上昇と身体症状を訴える患者の中にパニック発作が潜んでいる日常診療において、動悸、手のしびれ等の身体症状と、急な血圧の上昇を訴えて受診する患者さんがいる。家庭血圧計が普及し、血圧の上昇と身体症状を訴えるこのような患者さんの中に、パニック発作が含まれていることがある。高血圧の背後にあるパニック発作がみつかりにくい理由として、患者さんは、気分が悪い、何かおかしいと感じると血圧を測り、血圧が高いので、血圧上昇が身体症状の原因と考えてしまう為、医師への訴えも血圧に集中してしまうことなどが考えられる。

動画はこちら
http://paxil.jp/clinical/clconfer/forum_003_dl/forum_003_1.html


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「気分不良」と言われても [救急医療]

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「気分不良!」という第一触れこみにて、患者が救急車で搬送されてくることがある。ところが、患者を受ける我々の立場としては、「気分不良」と言われても、なかなか難しいものがある。 「気分不良」を訴える患者群の中には、すべての地雷疾患が含まれていると言ってよいだろう。それらは、いわゆる重症疾患(隠れた重症疾患も含めて)だ。一方、機能的疾患群(パニック発作、一過性の血圧低下など)もその群に含まれているだろう。これらは、救急の現場では、軽症と区分される疾患だ。

救急初療の短い時間の中で、「気分不良」を訴える患者の重症度を的確に判別するのは、大変難しいのである。

本日は、そういう難しさの実際を伝えてみたい。

症例1 80歳女性 主訴 気分不良

ADLは自立。定期内服無し。医療機関にはほとんどかかかったことがない。当然、当院の受診歴無し。ある日のできごと。その日は、朝からとくに変わりなかったが、夕方18時ごろ、夫が部屋に行くと、「しんどい・・気分が悪い・・・」と言って、臥床していたという。半年ほど前から、元気に乏しくなり、外出することも少なくなったという。 気分が悪いという訴えは、これまでにも4,5回は聞いたことがあるという。夫は、しばらく様子を見ていたが、今回は、なかなか改善しないため、23時50分、救急要請を行った。

なお、来院後に当直医が、本人と夫の両者から確認したclosed questionの結果は以下の通り。
頭痛(-)、胸痛(-)、背部痛(-)、腹痛(-)、腰痛(-)、嘔気(-)、嘔吐(-)

来院時、身体および各種所見
バイタル BP 138/80、HR100、SpO2 99、RR<20、KT 35.7
意識 清明  その他身体的に特記すべき所見無し
ECG  CRBBB (比較できるECGはなし)
cXp  特記すべきこと無し
Labo WBC12000, Hb 9.0, Ht 29.3, BUN/crn 49/3.1, K 6.6, DD 17 他特記すべきこと無し。

担当した医師は、救急外来での一通りの検査の後、次のようなアセスメントを立てて様子観察で入院の方針とした。

#1  腎機能の低下 ⇒ 慢性腎不全の悪化?
#2  高カリウム血症  #1によるものかも
#3  DD高値  ⇒ 入院後、全身精査を要する
#4  貧血  ⇒ #1の結果? 出血など他の原因も要チェック。

症例2  75歳男性  主訴 気分不良

ADLは自立。胃潰瘍、虫垂炎の手術歴あり。他特記すべきこと無し。定期内服、定期通院なし。当院は初診の患者。

(妻より) ここ一週間変わりなし。今朝も起床時からとくに変わったことなし。朝風呂にいつものように入ったら、なかなか出てこないので、見にいったら、湯船にもたれかかるようにして、ぐったりとしていた。「どうしたの?」と聞くと、「しんどい・・・気分が悪い・・・・」と返答があった。ただ、その反応もにぶく明らかに様子がおかしいので、救急車を私が呼びましたとのこと。

なお、来院後に当直医が、妻のみから確認したclosed questionの結果は次の通り。
頭痛(-)、胸痛(-)、背部痛(-)

来院時、身体および各種所見
バイタル BP 右70(触診) HR 64 KT 36.2 SpO2 96 RR 20
意識  E3V5M6 他特記すべき身体所見無し。
ECG  NSR (bradycardia気味)、STEMIに合致する所見はない
labo   特記すべきこと無し
cXp   下図の通り
図1.jpg

この2症例は、患者自身の訴えは、ほぼ同じです。ですが、転帰は大きく異なっています。
気分不良を訴える患者の対応の難しさを考えさせられる対照的な2症例です。

皆様は、どちらの症例がより地雷的とお感じになりますか?

(3月22日 記)

(3月24日追記)
皆様、コメントありがとうございます。 症例1を地雷的とされた方が2名、症例2を地雷的とされた方が5名、どちらともいえないという判断の方が2名という感じでコメントをいただきました。

今回のエントリーで、言いたかったことは、気分不良って難しいということです。皆さん方のコメントを通して、救急医療の現場の苦悩と限界が、多くの方々に伝わることを望んでいます。


まずは、症例2の続きから。

意識障害+血圧低下+縦郭の拡大?
から、私は、真っ先に急性大動脈解離Stanford Aから考えた。 

速攻でエコーをした。 経胸壁から、エコーの入りが悪く、心のう液貯留がないことの確認は取れたものの、大動脈については結論をだすことは到底不可能と判断した。当然、造影CTを行った。

答えは、異常なしだった。

そんなこんなで考えているうちに、患者のバイタルと意識は完全に正常に戻った

諸検査で異常がないことと患者の自然回復の経過から、次のように考え、患者には帰宅してもらった。

病態仮説と私見 
「入浴と関連する血管拡張により、血圧が低下した。それによる脳血流の低下により、意識障害が発生した。高齢者のもつ自律神経系の反応性の低下ゆえに、血圧低下と意識障害が遷延した。結果として正常に戻るまでに3時間ほどを要した。その3時間の間に、我々が介入することになり、種々の検査が行われた。この症例は、高齢者の入浴中の死亡事故の病態を考えるのに有用なヒヤリハット症例とも考えられる。」

というわけで、症例2は、大動脈緊急疾患と強く疑ってかかったにも関わらず、ハズレだった症例である。結果論だけでいえば、この症例は、家で様子をみてるだけでよかった症例だ。

しかし、いったんこうして病院に来てしまえば、我々はこうして検査せざるを得ないのである。

では、症例1の続き。

当直の深夜帯で、この患者の外来評価も終わった。午前3時過ぎの頃だ。後は、いったん病棟に上がり、夜が明けて日勤帯になれば、受け持ち医も決まり、本格的な診断や治療が始まるという算段のはずだった。

と・こ・ろ・が・・・・・・・・・

病棟にあがる直前の出来事だった。

「先生!先生!患者さんが!!!!!」
患者が突然、全身性の痙攣を起こしたのだ。

「おい!、ホリゾンだ。ホリゾンを早く!」
患者の痙攣は治まった。

患者の意識は清明だったが、血圧70代、脈拍120というショックバイタルだった。

この時点で、何らかの急性のショックを想定し、循環器の当直医師Mに応援を要請した。
M医師が心エコーを行ったが、hypovolemic schokが考えられ、急速輸液の指示だった。

1500mlの輸液が急速に入れられた。脈は100程度になったが、今度は呼吸が失調性になってしまった。

気管挿管された。

そして、ショックバイタルではあったが、診断を優先し、造影CTが行われた。

そこに答えがあった。これである。
図1.jpg

皮肉なことにCTから帰室した直後に、脈拍30代となり、PEAになってしまった

蘇生を試みたが、患者の心拍が二度と再開することはなかった。

午前3時30分に急変し、一連の格闘が終わったときには、すでに午前6時30分だった。

おそるべし腹部大動脈瘤の破裂である。 まさに地雷炸裂の症例だった。

この地雷は、果たして回避可能だったのだろうか? 

来院時の病歴、バイタル、来院時間などの諸因子を勘案すると、回避できなかったのは止むを得なかったのではないか?

腹部エコーをあてていれば、わかったはずだというのは、まさに後知恵バイアスのかかった意見だと私は思う。なにせ、この患者は、痛みをまったく訴えてくれなかったのであるから。

大動脈緊急は、こうして医療者の目を欺くのである。大動脈緊急疾患が診療で発見されず、突然死してしまった場合、それは、必ずしも医療者の技術や能力が劣っているための結果とは限らないことを多くの人にわかってほしいと思う。

本日の教訓
大動脈緊急疾患の患者は、医療者の目を欺く主訴で来院することがある

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自分の家に帰れたある老人の話 [救急医療]

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「死」という問題は、一人ひとりに必ずいつかは訪れる決して避けることのできない問題である。特に高齢者自身や高齢者を介護する立場にある方々にとっては、よりいっそう切実なる問題だと思う。「死」はとても個別的な問題であり、社会的に統制することの難しい問題でもある。しかも、人間が本来持ち合わせている「生への固執」という本能故に、「死」は、つい社会から遠ざけたくなる問題であることも事実である。

しばしば、救急の現場では、予期せぬ急変で、何の心の準備もなしに、いきなり唐突に「死」の問題に直面さぜるを得ないことがある。そんな場合に患者やその家族がとまどうのは、まだ無理もない。しかしながら、十分に「死」の問題について時間をかけられたはずの臨床経過が存在するにも関わらず、関係者(医療者さえ含む)が誰一人として「死」の問題に直面してこなかった(あるいは直面させなかった)という症例に救急の現場で遭遇することも少なくない。

その一方で、ずいぶん昔に、こんなケースも経験した。今にして考えてみても、このご家族は、「死」に対してしっかりと芯の通った覚悟を持っていたものと思う。今思い返しても本当にたいしたものだと思う。

81歳 男性  左半身麻痺、意識障害

元々ADLは自立していた方。突然の左半身の完全麻痺で救急搬送。脳梗塞の急性期との診断で入院となった。3日後、意識レベルがダウン。JCSⅢ-200となってしまった。なんとか脳浮腫を抑えたいところであったが、厳しい状況と思われた。それでも当時の私は、指導医であったT医師といろいろと相談しながら、積極的に加療していこうと思っていた。その矢先のことである。家族から、突然の申し出があった。

娘 「 退院できないでしょうか? お家に帰らせてほしいのです」
私 「とても、戻れる状況でないです。無理です。」

娘の決心は固かった。

娘 「父は、ずっと前から死ぬときは、家で死にたいと言ってたんです。
   お願いします! 家で看取りたいんです。」

私 「・・・・・。わかりました。検討してみます。」

私は、その勢いに負けた。 T先生に相談を持ちかけた。

私 「○○さんのとこのご家族が、家で看取りたいと言ってます。」
T医師 「へえええ・・・。珍しいね。 ん、いいんじゃない。」

指導医は、あっさりと退院を許可した。 そこで、私は、考えた。

・もしかしたら、理想と現実のギャップを感じて、すぐに病院に戻ってくるかもしない。
・往診してくれる医師との連携が必要だ。
・当院の救急外来との連絡も必要だ。

私は、いろんなことを考えた上で、もう一度娘と話をした。
それでも、娘の決心は変わらなかった。

種々の根回しを終えて、病院のドクターカーで、私が同乗し、患者を家まで送り届けた。

その別れの際、娘は、泣きながら、何度も私の手をしっかりと握って、お礼を言ってくれた。

当時の私は、何もしないことでこんなに感謝されるなんて・・・・・と考えていた。

患者は、翌日の昼過ぎに、呼吸が止まり、その後、往診医師が死亡確認をしたと報告を受けた。
私が根回ししておいた救急外来に患者が戻ってくることはなかった。

患者さんは、かねてからのご希望通りにお家に亡くなることができたのであった。

住み慣れた家で最後を迎えたい。迎えさせてあげたい。

多くの人が、考える、いわば「死」の理想形かもしれない・・・・
しかし、現実は、理想とは異なり、さまざな物理的問題や「不安」を代表とする精神的問題などがあって、そのハードルは高いといわざるを得ない。それが現状ではないだろうか?

でも、こんな風に考えるとなんだかそれが出来そうな気にならないだろうか?

あなたも私も仕事が終われば家へ帰る。それと同じように人生という仕事が終わるときは家に帰ろう。

これは、ある冊子の表紙に書いてある文章からの引用である。
その冊子とは、このブログ上でも一度紹介したことがある ⇒ 思い通りに死ねない日本社会

「あなたの家にかえろう」という在宅での看取りを支援するプロジェクトから出ている冊子のことである。
http://www.reference.co.jp/sakurai/

この冊子は、本当に良くできていると思う。まず、言葉が優しい。そして、イラストも優しい。在宅での看取りを考えておられる方には、本当にお勧めの一冊だと思う。

この冊子から、また別の箇所を引用紹介する

健康なときは、自分自身や自分自身の大事な人の障害、病気・・・まして死など、とても考えれらないし、縁起でもない。しかし、今生きている人すべてに、いつかその時は訪れます。この冊子は、「住み慣れたところで最後まで」と願う人たちへの道しるべです。
病院での死が増えると同時に、死は人々から遠くなってしまいました。家では、家族や周りの人々の役割が増える分、死は近くなります。しかし実際、旅立つ姿を自分の目で見て、その手で触れるのは、とてもつらいことです。去り逝くこと、看取ることとは、本来苦しいもの、悲しいもの。楽なものではありません。しかし、死を見つめるとは、生を見つめることに他なりません。その中で何か言葉を越えたものが伝わってくる。温かいこともあれば、良いことではないかもしれない。しかし、何かが伝わる・・・・。それが「いのちのバトン」というものかもしれません。
「生・老・病・死」が医療にとりこまれ、日常から隔離されてしまいました。20世紀の科学の進歩は、人々に幸せをもたらすかに見えましたが、必ずしもそうではなかったし、また医療の進歩も例外ではありません。日常のほとんどを専門家に依存して暮らしている私たちは、自分自身の最後をどこで迎えるか・・・ということさえおまかせしなくてはならないのでしょうか。

多くの人たちが、身近に「死」を感じること、感じれること・・・・・その延長上で在宅死が当たり前に思えること。そんな社会変化が、間接的長期的かもしれないが、医療崩壊を回避する一助となれないだろうか? 少なくとも私は、そう思っている。

私は、自分がまだ駆け出しのころに、この患者さん、この御家族に出会えたことに感謝している。


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わすれられないおくりもの [雑感]

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今日は、ある看護学生さんの話をします。ここでは、Kさんとしておきます。

もうずいぶんと前のことです。 あるとき、Kさんの祖父が私達の病院に入院してきました。重症肺炎でした。この患者さんを受け持ったのが私でした。数日間、ICUでがんばりましたが、残念ながら、病状は厳しいものでした。多臓器不全の兆候もおさまるどころか、どんどんと進んでいる状況でした。

私は、当時の指導医の先生と相談の上、方針を変更しました。

ギアチェンジだな・・・・」 

これが方針変更を意味する言葉です。
つまり、「生」という結果を諦めるという意味です。

私達の判断を患者さんの長女さんに説明しました。ICUの片隅にある患者家族用の待機室で、私は説明しました。

どんな説明をしたかは、記憶に定かではありません。ただ、なるべく医学用語を使わないようにと、努力した記憶はあります。とにかく、集中治療を施しても、病状が好転するどころか悪くなる一方であること、このまま、ここで戦い続けると、最後の別れのための時間を家族が静かにもつことができないことなどを伝えたように思います。

私:「どうしましょうか? ここ(ICU)でがんばってみますか?」
長女:「いえ、もうけっこうです。ありがとうございました。」

私:「そうですか。では、個室を探してみましょうか?」
長女:「お願いします」

昼間にこのようなやり取りをして、集中治療から撤退の準備として、種々の点滴ラインなどを整理し、一般病棟の個室に移る段取りとなりました。ICUから個室へあがる直前、今度は、患者の孫娘がやってきました。昼間説明した長女さんの娘です。その方が、Kさんでした。

「私にも説明してください!」

今の私だったら、もうご家族には説明済みといってこの申し出を却下したかもしれません。当時の私は、ある意味バカだったのかもしれませんが、もう一度、Kさんにも同じ説明をしました。その時、Kさんが、看護学生であることを知りました。

その話の中で、Kさんがこんな申し出をしたのです。

「私、臨終に立ち会ったことがないんです。」
「祖父が亡くなったら、死後の処置を見学させてもらえませんか」

私はそれを聞いて、是非とも、臨終の場をKさんに経験してほしいと思いました。当然、死後の処置にも参加させてあげたいと思いました。

「そうですか・・・。私の権限ではなんともいえませんが、Kさんのお気持ちを、病棟師長にはきちんと伝えておきます。」

と答えました。

夕方、患者さんは、看取りを主目的として、一般病棟の個室に移動していきました。
そして、日が変わること翌未明の1時43分、患者さんは、親族に囲まれて静かに逝きました。 

当時の私は、病院の直ぐそばに住んでいましたので、夜間にかけつけ、この患者さんの死亡宣告をしました。

そして、Kさんは、死後の処置に、学生としてではありましたが、一緒に参加することができました。病棟看護師長の計らいでした。

1週間後、この患者さんの長女さんが私を訪ねてきました。Kさんの手紙を私に手渡すためでした。その一部を紹介します。

○○先生

祖父○○○○の入院中は大変お世話になりました。親族が揃って臨終に立ち会えて良かったし、私自身も初めて遭遇した臨終が身近な死だったということで、今後臨床に出るための良い経験となりました。お別れのための個室を探してくれたことや病状説明を2回もしてくれたことや死後の処置に参加させてくれた、すごく嬉かったです。
・・・・(略)・・・・・・
本当にありがとうございました。

患者さん自身あるいはご家族からの心のこもったお手紙は、私達医療者にとって、「わすれられないおくりもの」です。

一人の人が死を迎えるとき、残された人への「わすれられないおくりもの」になり得るものが何か必ずあるはずだと私は思います。この例では、患者さんは、まさに自分の死をもって、Kさんにとっての初めての看取りという一生忘れることのない思い出、つまり「わすれられないおくりもの」を残してくれたのであろうと思います。

スーザン・バーレイ作 わすれられないおくりものという有名な絵本があります。アナグマの友達達が、アナグマの死を、悲しみながらも、やがてはそれを楽しい思い出としてそれぞれの心に刻んでいくお話です。とてもいいお話だと思います。その中に、こんな文章があります。

みんなだれにも、なにかしら、アナグマのおもいでがありました。アナグマは、ひとりひとりにわかれたあとでも、ちえやくふうをのこしてくれていたのです。

さいごのゆきがきえたころ、アナグマがのこしてくれたもののゆたかさで、さいごのかなしみもきえていました。アナグマのはなしがでるたびに、だれかがいつも、たのしいおもいでを、はなすことができるようになったのです。

図1.jpg

死の現場に遭遇することが日常の医療者は、日ごろ接する患者さんご自身やそのご家族にとっての「わすれられないおくりもの」って何だろう?という視点をもってみると、また違った医療を提供できるのではないかと思います。例えば、患者さんが、自分自身で、自分をアナグマだと気づけるように援助すれば、今現在の自分の生き方において、どんなものを自分の周りにのこしておきたいか、ということを自らでお気づきになるかもしれません。

医療という視点から見た場合でも、この絵本はなかなか深いな~と思います。

このような視点を気づかせる医療のあり方が、患者さん自身の生き方の援助、遺族への死の受容プロセスの援助となればとも思います。

「死」という結果に、何かと責任追及を要求しがちな今の社会において、このような視点がもっと社会の中で強調されれば良いのになあ~と私は思います。


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ある心肺停止患者 [救急医療]

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急性期病院の救急外来であるならば、心肺停止患者に対応することは、日常の業務に近いことだとは思う。そのような病院の救急外来で従事する者にとっては、心肺停止患者の初期対応のスキルは、業務上必須といえる。しかしながら、突然の心肺停止患者は、病院外のみならず、当然、入院中の患者にも発生することがある。しかも、この場合、スキルをもった専門家をただ待っているだけというわけにはいかない。たった、3~4分間の放置のみで、脳がやられてしまうからだ。それゆえ、心肺停止患者の初期対応のスキルは、医師の専門に関わらずすべての医師において、同時にすべての医療従事者において、その習得が求められている。

その具体的なスキル習得にあたり、今では、ずいぶんと教育体制が整えられている。アメリカ心臓協会(AHA)のトレーニングコースや、日本救急医学会認定のトレーニングコースが、日本のいたるところで受講できるようになっている。

そのようなコースを通して、しっかり勉強している人には、すぐわかるかもしれないが、本日は、ある心肺停止症例を皆様に考えていただきたいと思っている。

症例  70歳女性  CPAOA
糖尿病で近医通院中の患者。内服はあるが詳細不明(ただし、インスリン自己注射はなさそう)。昨日、13時ごろより飲酒をし始めたという。その日の夕方、酔っ払って足が立たなくなり、服を脱いだりして周囲のものに迷惑をかけていたようだ。それでも、一人飲み続け、家人も就寝したため、夜間の行動は不詳。翌朝、8:30頃、酔っ払った状態で家族と会話したらしい。その10分後、声をかけても反応がないことに家人が気がつき、救急要請の運びとなった。

8:47 119
8:55 救急隊 現着 初期調律VF 現場で除細動→PEA
           引き続き、気管挿管およびルート確保
9:26 病院着  直ちに二次救命処置が始められた。
最初の20分で、リーダのY医師が命じた処置とその結果は次の通り。
「モニタは何だ?」 → wide QRS brady のPEAだった。
「挿管の確認をする」 → 一連の確認作業、問題なし。
「血糖は?」    → 243が判明した。
「エコーもってこい!」 → 腹部:腹水(-)、大動脈径 大丈夫そう。
                 心: 心のう液(-)、右室拡大(-)。
「エピ、硫アト投与!」 → それぞれ1A、2A 投与が2回なされた。
「採血しろ!血ガスもだ!」  → トロポニンTも含めて、採血がなされた。
<そんなこんなで、次のリズムチェックの時間がやってきた。
「リズムチェックする」
「VFだ! 除細動!」  →  360Jで除細動が一回なされた。
「おい!血ガスどうだった?」 → K4.1 PH 7.321が判明した。
2分経過し、次のリズムチェックがやってきた。
「VFだ! 除細動!」 →  360Jで除細動が一回なされた。
また2分経過し、次のリズムチェックがやってきた。
「VFだ! 除細動!」 →  360Jで除細動が一回なされた
「リドカイン投与!」   → リドカイン75mgが投与された。
さらに、また2分経過し、次のリズムチェックがやってきた。
「VFだ! 除細動!」 →  360Jで除細動が一回なされた。
救急隊の処置も含めると合計5回の除細動がなされた。
難治性のVFだ・・・・・・

リーダのY医師は、緊急の心カテとPCPSが必要かもしれないと思い始めた。

いかがでしょうか? ここまでの経過で、おや?と思うことありませんか?
(3月12日 記)

(3月13日 追記)

皆様、コメントありがとうございます。 なるほどですね、アルコールの情報からは、Mgは考慮すべき薬剤だったかもしれませんね。 それは、思いつきませんでした。現場では。 皆さんからいただけるコメントは本当に勉強になります。

とりあえず、続きを書いてみます。

リーダのY医師は、緊急の心カテとPCPSが必要かもしれないと思い始めた。

そこに、H医師が助っ人に加わった。 卒後20年近くになるベテランだった。救急の経験も豊富だ。
H医師は、これまでの流れをY医師たちから聞いた後、
H医師は患者の足を触った。冷たかった

そして、指示を出した。

「おい! すぐに直腸温の測定だ!」 ⇒ 27.5℃だった。
「重度の低体温だ!」
除細動中止! 薬剤投与中止! まず、復温だ!!

43℃の生理食塩水を用意しろ!」

あいにく、この病院の救急外来ではPCPSなど高度な医療装備はなかった。
原始的だが、この43℃の生理食塩水での輸液、胃洗浄、膀胱洗浄など原始的な内加温を行った。もちろん、電気毛布や加温ブランケットを病院からかき集めてきて、外加温の併用も行った。

ひたすら、胸骨圧迫と加温療法が、続けられた。

しばらくすると、直腸音のデジタル表示が、コンマ1づつあがり始めた。

「よ~し、いいぞ。 そのままがんばれ」 H医師はチームを励ました。

約1時間後、直腸音が30.5℃に達した。
そして、リズムチェックの時間が来た。
ず~~と、低振幅のVFだった波形に変化が起きた

「波形が出ている。チェックパルスだ!」 ⇒ かすかに頚動脈が触れた。

「心拍再開! 血圧を測れ」 ⇒ 触診で60だった。

10分後、また心停止になった。 今度は心静止(asystole)になってしまった。 直腸音は32℃になっていた。

ここからさらに1時間近く蘇生を試みたが、asystoleは変わらなかった。

患者が搬入されて約3時間あまりの格闘の末、この患者の蘇生を断念した。

患者のご家族も、この蘇生チームの医師たちに深々と頭を下げて感謝の意を示してくれた。

この患者さんは、この蘇生チームの医師たちに、低体温下でのVFは除細動ではなく、復温によって回復することがあるということを、自分の命をもって、教えてくれたのだ。

こうして、日々の患者さん一人一人から、医療者は学ばせてもらっているのだ。

教科書に次のように書いてあるかもしれないが、この患者さんの蘇生に加わった医師たちの心には、この患者さんの経験がずっと心に刻み込まれ、きっと次の患者さんに遭遇したときに、この経験を生かしてくれるだろう。そう、今回のH医師の適切なアドバイスのように・・・・・・。

救急蘇生法の指針<2005> 医療従事者用 P80

中心部体温が30℃以下でVFが電気ショックに反応しない場合は最初の1回の電気ショックにとどめる。アドレナリン(=エピネフリン)などの蘇生薬剤の投与は中心部体温が30℃以下では行わない。これは、著しい低体温症ではその効果が期待できないだけでなく、薬物代謝の障害により薬物血中濃度が中毒域に達することがあるからである。

まとめます。

本日の教訓
重度の低体温(<30℃)は、除細動や薬剤よりも復温優先で

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心電図所見の伝え方 [救急医療]

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動悸を訴え、夜間の時間外外来を訪れる患者も多い。その患者を最初に診療する医師は、必ずしも、循環器内科の医師とは限らない。むしろ、夜間の時間外外来という場であれば、研修医を含めた若手の医師が、初療にあたることのほうが多いのではないだろうか?



そんなとき、「動悸」だから・・・・「心電図で脈が速い」・・・・なんて理由だけで、循環器内科の医師をすぐにコールしてしまうのは、ちょっといけてないかもしれない。「動悸」を主とする主訴で、いつどこから、循環器内科の医師が、専門として、その診療に参画するかは、あるいは、参画できるかも含めて、病院の規模、診療の時間帯、院内取り決めなどで、様々ではあろう。



そこで、ここでの話は、次のような状況であると明示しておく



時間外診療(内科系)・・・・・若手医師(卒後6~7年目まで)。若手医師の専攻は、様々。

応援体勢・・・・・・・・・・・・・・循環器医師は、循環器病棟の当直医として常駐はしている。

                 原則、初期診療にはタッチしないが、外来からのコンサルトは受ける。

                 ただし、「丸投げ」診療の依頼は、原則受けない。



本日のエントリーの主旨は、循環器領域を専門としない医師が、心電図所見をどのように、循環器の医師へ伝えるかを目的としたものである。 不整脈診断の一発診断を目的とするものではないということはあらかじめことわっておく。


それでは、3症例のECGを提示する。 いずれも、自覚症状は動悸のみ。バイタルは安定。胸部レントゲンでも心不全像などは認めていない。採血データもこれといった大きな動きはないものとしておく。なお、3症例は、いずれも同じ不整脈疾患である。

図1.jpg

図2.jpg

図3.jpg


いずれの症例も、初療に当たった医師は、総合的に考えて、上室性の不整脈が今対応すべき問題と判断を下した。そして、循環器医師とともに、不整脈の治療に当たりたいと考えている。



さあ、皆さんが、初療医の立場だとして、循環器当直医師に電話でどのように伝えますか?



以下、初療医Aが循環器当直医Bへ電話をしている様子。



初療医A 「あ、B先生ですか? 先生、今よろしいですか?」

循当直B 「はい、どうぞ。」

初療医A 「○○歳、男性。 動悸の患者さんです。症状は今も続いています。

       バイタル安定で、意識は清明です。

       心電図所見は、・・・・・・・・・・・・です。一緒に診ていただいてよろしいでしょうか?」

循当直B 「わかりました。では、一緒に診ましょう。いまからそちらへ行きます。」





私のお勧めすることは、無理に(自分の)不整脈診断を伝えようとするのではなく、心電図波形の認識を伝えるという循環器医師への情報提供の実践です。



循環器を専門としない方は、初療医Aの立場に立って、3症例に共通するような言い方を考えてみましょう。 

また、循環器を専門とする先生は、このような状況で、自分だったらどう言われるのがいいかというご意見をいただければ幸いです。 私とは、また違うご意見がいただけるかもしれませんね。



(続きは後日 3月5日 記)


(3月7日 追記)



皆様、いつもコメントありがとうございます。 皆様のご指摘どおりです。 それと、5年目整形外科医先生のコメントの中にありました「心電図をもって病棟に走る」というのは、いいですね。私自身、状況を考えて、「心電図をもって循環器外来に行く」や「胸部レントゲンをもって呼吸器内科外来に行く」というのは、日常茶飯事です。Dr間のコミュニケーションを良好にするためのフットワークの軽さは、潜在的な地雷回避につながる診療スタイルだと考えています。


初療医A 「あ、B先生ですか? 先生、今よろしいですか?」
循当直B 「はい、どうぞ。」
初療医A 「○○歳、男性。 動悸の患者さんです。症状は今も続いています。
       バイタル安定で、意識は清明です。

       心電図所見は、
       RR間隔整のnarrow QRS tachcardiaでHR 150bpm前後です。

       一緒に診ていただいてよろしいでしょうか?」

循当直B 「わかりました。ああ、なるほど、
       HR150ね。ならば、AFL2:1も考えなくてはならないね。

       一緒に診ましょう。いまからそちらへ行きます。」



という感じで、スムーズに循環器当直医の応援も得られ、ATP(アデノシン3燐酸)の急速投与が行われた。(adenocardという不整脈専用のアデノシン製剤はあるにはあるが、日本では使えないようである)


ちなみに、3つのECGはすべて、ATP投与で、flutterの粗動波を確認しています。 ECG1、ECG2では、粗動波の存在がわかりにくいですよね。でも、ATPを投与して、一時的に房室伝導を抑えると次の写真のようにはっきりとわかります。


図4.jpg

これで、心房祖動の診断がつきます。(あくまで診断であり、治療ではありません)

心房祖動の場合は、心房レートは約300/分といわれています。従って2:1の割合で心室へ伝導するならば心室レートは150となります。そういう背景から、HR150程度の規則的な上室性の頻拍は、2:1AFLが自然と鑑別に挙がってきます。 もし、HR190~200くらいのnarrow
QRS regular tachycaridiaなら、もうそれだけでAFLの線は薄いかなと思うわけです。



そういうわけで、頻拍発作の心電図の認識を循環器医師へ伝える場合、QRSの幅、RR間隔だけでなく、心室レートも伝えておくとよいと思います。


まとめます。


本日の教訓

HR150 ・・・・・2:1AFL診断の鍵

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ある意識障害の患者(2) [救急医療]

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只今ブログ主より、コメンテーターの方に個別にお話ししたいことがあり、下記のようなご案内をさせていただいておりますが、たくさんの方々からご連絡をいただきました。まことにありがとうございます。引き続きご案内しておきます。


<ご案内>

コメンテーターの方に個別にお知らせしたいことがあります。 ある個別なお願いです。この場でオープンにするには、まだ早いと考えていますので、これまでにコメントくださった方は、h1b1k0rey0r0zu@mail.goo.ne.jpまで、メールの表題を「XXX(ハンドルネーム表記)です」という具合にして、本文は空でもけっこうですので、私にメールを下さい。そのメールアドレスに、折り返しこちらから、そのお願い内容を添えたメールを返信させていただきます。すでに、何らかの方法(SNS、個別メール)にて、連絡をさせていただいている方々には、とくにご連絡の必要はありません。



特に私のほうから、是非連絡を取らせていただきたい方々は以下の通りです。なお、ここのリストにない方々も、今後のことがございますので、連絡をいただければ幸いです。



hiropon様

Rホーリック様

落ちこぼれ消化器内科医様

ただの小児科医様

ツネツネ様

匿名様(このエントリーのコメント)

ねこ様(このエントリーのコメント)

のうげみならい様

ひろとも様

マルモ院長様

元脳神経外科専門医様

tidalwave様

ドクターサイコ様

ご連絡お待ちしております。


さて、本題に入ります。 今日は、救急初期診療で、研修医の方々と一緒に仕事をしていて、ありがちなお話を一つ。

今回の症例提示は、第一回目の限定提示情報だけでも一発診断できる人は、できるかもしれません。ただ、この症例のメッセージは、一発診断できるかどうかでなく、もっともっと基本的なことです。


症例 86歳 男性  主訴 意識レベルの変化 何かおかしい





当院初診のPt。詳細は不明だが、家族が持ってきたお薬袋から、ノルバスク5mg、ワーファリン2mg、ラシックス40mg、アルダクトンA 25mg、ディオバン80mgが定期内服として処方されているようだ。元々は、松葉杖で自力歩行が可能。10日ほど前に転倒し、頭部打撲および挫傷。近くの市民病院で3針ほどの縫合処置を受けたという。頭部CTは問題なしとのことだった。その後、家族は、なんとなく様子がおかしいことを漠然と感じるようになった。杖歩行ができなくなり、車椅子を使うようになった。5日ほど前には、かかりつけの整形外科を受診。整形外科的には、問題ないとのことで様子をみるようにいわれた。昨日は、前のめりに転倒し、上唇を軽度挫傷した。本日、デイサービス先で、職員がその様子の変化に気がつき、医療機関受診を勧められ、当院受診の運びとなった。


来院時意識 GCS13(E3V4M6) 
来院時バイタル BP128/70 HR44整 RR<20 SpO2(room) 95 KT 36.5


担当したのは、一年次臨床研修医のAだった。



A先生は、意識障害の枠組みで、診療の型通りに仕事を始めた。



A先生「 血糖をとってください」

看護師「 はい、 145です!」・・・・・低血糖発作は消えた



A先生はラインを確保し、ルーチンの血液の検査オーダと胸部レントゲンをオーダした後、患者の身体診察に入った。



神経学的所見を熱心に取り始めた。妙に熱心だ。時間がかかる・・・・・。

まあ、それもありかなと介入せずに見守ることにした。



その結果、A医師は、右のバビンスキが陽性ではないか?という所見を見つけたようだ。

指導医サイドにもその報告が届き、一緒に見たが、う~~ん・・・・、どうかなあ?微妙やなあという具合だった。



私は尋ねた 「どうするの?」

A医師は答えた 「はい、脳梗塞が一番です。10日前のエピソードがあるので、

           外傷由来の出血も考えます。まずCT、その結果次第でMRIも必要です。



確かに、それはそうだと私も同意した。



だが、私は尋ねた 「何か忘れてない?」

A医師は戸惑った 「 は?・・・・・・・・・」



私は、A医師に何を促そうとしたのだろうか?

なお、その後出てきた血液データと胸部Xpには特記事項なし。 PT-INR 2.18。



(3月1日 記  続きは後日)


(3月2日 追記)



たくさんのコメントありがとうございます。とりあえず、続けます。


だが、私は尋ねた 「何か忘れてない?」
A医師は戸惑った 「 は?・・・・・・・・・」



私 「いつも言ってるだろ。バイタルよ、バイタル」

A医師 「はい、血圧は大丈夫でしたよ」



私 「バイタルは、血圧だけか?」

A医師 「 そういえば、脈がおそいですね・・・・」

     「あっ! 12誘導心電図だ」



とまあ、こんな感じで、A医師に気づいていただいて、12誘導心電図をとったわけだ。

それが、下図である。


実は、彼が時間をかけて患者の身体診察をしている間に、スタッフサイドでは、お薬袋をもとに、病状照会を進めていたのだ。その結果、患者は、慢性心房細動、慢性心不全、高血圧で加療中であることが判明していた。さらに、最近の心電図をファックスしてもらい、心房細動の心電図を確認済みであった。過去も含めてジギタリスの内服がないことも確認、さらに家族に他医からの内服がないこと、救心を常用していないことも確認しておいた。



図1.jpg


ECGは、一気に不整脈診断をしようとするよりも、波形パターンの認識という段階を意識することをお勧めします。そうすると、これは、「RR間隔が整な幅の狭いQRS幅の徐脈」と認識できますよね。それをふまえて不整脈診断の考えどころだと思います。

ほぼこれで、心臓のproblemは確定的となりました。ならば、頭のwork upは何処まで仕上げておくか・・・・・ここは、意見が割れるかもしれませんね。 皆様のご意見をお伺いしたいところであります。



ちなみに、当院一年目研修医に、この患者の流れを軽くプレゼンした後、この12誘導心電図を見せたら、程よく悩んでくれましたので、こうやってアップするに至った次第です。


続きはまた後で。



(3月3日 追追記)

たくさんのコメントをありがとうございます。ECGを提示する前の段階ですでに、次のようなコメントをしているシモイグ様のコメントが、今回の症例では、ほぼビンゴでした。ありがとうございます。


内服薬から考えると、基礎疾患に高血圧、心不全がありそう。ワーファリンも飲んでいるので、心房細動も。となるとHR44は危ない。12誘導がとられていませんがどうなんでしょうね。実はAMIからのブロックとか? でも生化学は正常でしたか・・・加齢による徐脈でしょうか。昔、「ボケたボケた」と言われていた方が、実は徐脈によるLOSで、ペース―メーカー入れたら見事に社会復帰された経験があります。


class=caption>by シモイグ (2008-03-01 12:24) 

私は、この心電図が判明した時点で、 完全房室ブロックが頭に浮かび、その目で病歴を眺めると、一元的に説明可能だと感じました。 パズルが解けた瞬間の頭の感じでした。こういうのをAha体験というのでしょうか。


【心電図所見】  完全房室ブロック

元々心房細動があるので、P波とQRS波の不規則性を見ることができないところに、気がつきにくいところがある。

徐脈でかつRRの規則性から発想するのが大きなポイントなる。



【病歴】 繰り返す外傷をともなう転倒の高齢者

房室伝導の加齢性障害(SSSなど)の進展の末の完全房室ブロックが生じたと考えるのは、妥当。その際の病歴は、数週間スケールの話となるのは、極自然であり今回のエピソードこそぴったり合うと考える。徐脈性の低心拍出(LOS)による一過性意識障害による転倒には、しばしば外傷を伴うので、これも話に合う。



あえて、言葉で書けばこのような感じでしょうか? 実際の現場では、「ひらめき」みたいな一瞬の感覚でした。



だいぶ以前に、地雷を踏まない思考法として、私はこんなエントリーを書きました。

引き算診療という考え方


何か一元的に説明できる病態を”はっ”と思いついた後は、得てして、ついついそれに走ってしまいたいという衝動に駆られます。しかし、引くべきものは、きっちりと引き算はしておくという診療の型は、地雷回避のためには、極めて重要であると私は考えます。



という背景から、この症例で、特に今、引き算せねばとなるぬと判断したものは以下の通りです。


1)完全房室ブロック → 急性冠症侯群の評価が必須、電解質、薬剤などの確認も必須

2)転倒に伴う頭蓋内病変  → 頭部CTが必須

3)脳血管病変 → 頭部MRIが必須(特に2)が否定されたとき)


1)は循環器の先生にお願いしました。なお、循環器にコンサルトした後も、救急部で、2)3)の引き算の仕事を引き続き行いました。従って、途中からは、循環器の先生と一緒になって、この患者の診療をしました。結果、2)、3)はほぼ確実に引き算でき、循環器の先生は、安心して、自分の専門治療に打ち込むことができたわけです。



この患者さんは、一時ペースメーカを挿入し、後日、永久ペースメーカ植え込み術が施行され、無事独歩退院の運びとなっております。


まとめます。今回のエントリーからは、3点ほど抽出しておきたいと思います。


本日の教訓

・意識障害が主訴でも、バイタルサインの解釈は重要!

・心房細動患者の完全房室ブロックは、心電図診断の意外な盲点!

・病態整理が付いたと思っても、地雷の確実な引き算は重要!

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診療関連死法案 舛添大臣の答弁 [医療記事]

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各コメンテーターの個々の方々においてブログ主より個別にお伝えしたいことがございます。

こちらをご覧ください⇒ 謎の両肩痛 の冒頭部分です。 連絡お待ちしております。



本日、衆議院議員の橋本岳先生が、国会において診療関連死法案に関する種々の質問を、約30分の時間をかけて、枡添大臣および厚労省医政局長の方にされました。 



その光景は、衆議院TVを通してネット上で見ることができますので、本日は、それを紹介します。



<動画へのアクセス方法>

http://www.shugiintv.go.jp/jp/index.cfm?ex=VLの検索画面において、発言者名に「橋本岳」と書いて検索ボタンを押すと9件ほどヒットしますが、その中から平成20年2月28日 予算委員会第五分科会をクリックします。


医療関係者の方々は必見だと思います。 特に山場の部分と思われるところは、言語化してみました。(一部省略などあり)。 橋本議員の的確なご質問のおかげで、極めて重要な発言を大臣から引き出せたと思います。 数字は、動画での経過時間


橋本議員 12:08~

死亡という結果になってしまったことが重大な過失につながるのか?



医政局長 14:01~

ここでいう重大な過失とは、
死亡という結果の重大性に着目したものではなく、標準的な医療から著しく逸脱した医療行為であると医療安全調査委員会が認めるものと想定しております。



橋本議員 17:20~

結論というものは、明らかにでるものではないと思う。
意見が割れるということは十分にあると思う。亀田病院とか割り箸事件とかの鑑定などをみても意見が割れている。そういうときに、まず、調査委員会の報告書として、原因がわかりませんと、あるいは両論併記しかできなかった、 まとまりませんでした 



そういう結論をだすということは想定されているのですか?

そうした結論がでたときに、捜査機関へ通知するのですか?




医政局長 18:50~

専門的な調査を行った結果としても、なお、原因は不明という結論や委員の間で医学的に見解が異なり、少数意見を付記した結論というような場合も
ありえると考えています。そして、仮に、原因は不明という結論に至った場合には、原則として捜査機関への通知の対象にはならないのではないかと考えております。



橋本議員 20:10~

今の点は相当重要だと思いますが、大臣、見解を



舛添大臣 20:25~

両論併記とか原因不明の場合に、今の法律体系を考えれば、法務省的な立場で見ても、
捜査機関への通知はやらない、できない・・・できないというか・・しないという方針でいいと思います。

ただ、忘れてならないのは、片方に患者さんがいるんです。患者さんの家族がいるんです。



「なぜ、警察もうごいてくれないんだ」

「どう考えても医者のミスじゃないのか」

「不明ですませるのか」



という声が出てくるんです。



で、これに対してはね、刑事では訴追しないけれども民事で訴追することは可能です。ですから、常に我々がやっぱり国民の代表として考えておかねばならないのは、一つのテーマについてやると関係当事者の意見ばっかりが
きてるんです。じゃあ、
同じだけのメールが国民からきてますか?一通も来てません。お医者さんからしか来てません。そうすると、私達はそこも考えなければいけないので、立法の責任者としては、そういう意味で、私は、お医者さんの意見だけなく、国民
の声を聞くのが、国民の代表としての国会議員の仕事だろうということもありますので、両論併記とか不明のときには、捜査機関に通知はしない、委員かとしては、それででいいんだだと思いますけど、しかし、
それに対する不満が患者さんから出てきたときにどうするかということも我々は考えておかねばいけないので、それについては、民事訴訟という手は残ってますというお答えをとりあえずはしておきたいと思います。

橋本議員は、医師の冷静な意見を、国民の代表として、的確にご質問してくださったように私は感じました。

患者側の立場も考える舛添大臣のご意見もまっとうなものだと思いました。舛添大臣は、この質疑応答の冒頭にて、医師と患者の信頼関係が大切だ と力説しておられました。にも関わらず、この最後の方で、刑事がダメなら民事もあるよという医師ー患者間の敵対関係を煽るようなことをおっしゃてしまったのはちょっと残念でした。 



少なくも、このような方向で国がきちんと動いてくれ、もう二度と大野病院や割り箸事件のような刑事訴訟が起きないことを切に願います。



「死」という結果に対する患者の不満をなくしていくには、舛添大臣のお答えは不十分すぎると思います。



今おかれている日本全体の死生観の変容をめざすという国家的視点がなければ、根本解決にはならんだろうなというのが私の見解です。



一般の方々からのメールを待っているという舛添大臣のお言葉です。ぜひ、一般の方々におかれましても、メールで大臣の元へ届けてみてください。

舛添大臣の公式HPはこちらです。⇒ お問い合わせ



医師の心が折れて、現場から去っていかないように、是非とも一般の方々からの声も必要です。



私が、一般の方々に声をあげてほしいと思うことは、次の2点です。

1)調停機関(ADR)の充実・・・特に「死」の受容プロセスへの援助(スピリチュアルケアの制度化)

2)メディア報道の抑制・・・ 公的に歯止めをかけないと、取り返しのつかない風評被害が広がります。


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