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救急外来でのある看護師の涙 [救急医療]

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今日紹介するのは、ある救急病院のある日の一こまです。医師会員制の某サイト内に紹介されたものです。本日は、その一部をここに紹介し、救急医療というものを皆様一人ひとりが考えてくだされば幸いです。

ストレッチャーを病院じゅうからかき集め、救急初療室はもちろん、観察室も人が通れないほどの患者様で埋め尽くされました。

方々から赤ん坊の泣き叫ぶ声、お年寄りのうめき声が聞こえ、誰かが看護師・医師を呼べば、また次が呼ぶということが繰り返され、そのたびに仕事が中断し、医師も看護師も病院職員も、食事を摂る間もなく朝から夜まで一生懸命働き続けました。

まるで大災害の後のような光景でした。

本当にみんなよくやったと思います。
こんな状況でも決して救急要請を断ることなく、急患の受付も断らなかったのですから。

でも、とても悲しいことが何回もありました。

それは、病棟になかなか上がれないこと、結果の説明が遅れていること、診察が遅れていることに腹を立てられた多くの患者やその家族から、何度も医師や看護師に対する苦情があったことです。

激昂され収まりがつかない患者・家族の場合、その対応に私が呼ばれました。
私は、謝罪した上で、「大変多くの患者様が来院されており、重症の患者様から順番に診させて頂いているのでご理解下さい」と誠心誠意お話ししました。
ですが、何人かの方から私達の心が折れてしまいそうな辛い言葉を浴びせられました。

「それなら何で受け入れたの?無責任じゃない。対応できないとわかっていて何で前もって言わないの?」と。

確かに患者様とそのご家族の立場に立てばその通りでしょう病気のつらさ故、肉親の急変に動揺したが故のキツイ言葉だったのかも知れません。
でも、あまりにつらい言葉でした。

ある看護師は耐えきれず控え室で泣いていました。

私は、どんな患者も決して断ることなく受け入れることにより患者を幸せにし、その喜ばれる姿を我が幸せとする為に今の仕事をして来たつもりです。
ERの仲間達の多くも同じ気持ちだと思っています。

でも、双方ともにハッピーになれていないのはなぜなんでしょうか?

「それは一部の人だけだよ。大部分の人はハッピーになっているよ」と仰有る方もあるかも知れません。
ですが、私にはそうは思えませんでした。
救急初療室、観察室、ウォークイン待合室、どこを歩いても、その場にいる患者や家族から一斉に私に鋭い視線が注がれ、そのどれもが厳しい眼差しでした。

長くなって申し訳ありません。
そこで皆様にお伺いしたいこととは、こんな場合、どうすれば双方少しでもハッピーになれるか、ということです。

いかがでしょうか? 以前、私も似たような環境にいましたので、この現場の様子、痛いほどわかります。そして、看護師さんの涙もわかります。

はたして、医療を受ける側の方々は、こういう状況にあっても、医療者は救急患者を受けるべきなのでしょうか?それとも、受けるべきではないのでしょうか?

そして、こういう状況の中で生じた悪い結果は、世間は許してくれるのでしょうか?
ちなみに、世間ではこんな判決もあります。⇒待ち時間に潜む地雷

生へのこだわりは、人間の根源的な欲望です。 そして、今の日本社会は、欲望実現をめざす社会です。そんな社会だから、この記事にありますように、「双方ともハッピーになれない」という事態が発生するのだろうと最近の私は思っています。 医療者の方と、医療を受ける方とでは、それぞれ立場が違いますから、いろいろなご意見があろうかと思います。 皆様の自由なご意見をお聞かせ願えれば幸いです。


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コメント 36

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Taichan

riraさん、我々救急医療に従事する者で法律に明るい医師ってどの程度いらっしゃるでしょうか?このブログ主は先日お会いしましたし、このブログを最初から拝読している読者の目から客観的に評価してブログ主は【法】に関しては一般の医師中レベルと比較してお持ちだと思います。

法の知識不足は日常診療しながら感じるところであり、弁護士さんとのSNSで勉強させて頂いています。法的には受け入れてはいけないことは分かりますが、受けなければ患者さんはどうなるんでしょうか?

もしriraさんが救急車に乗って受け入れ病院から次々に断れても平気でしょうか?法的にはそうでも救急の厳しい現実があること、ご理解頂ければ幸いです。
by Taichan (2008-05-30 12:20) 

なんちゃって救急医

ありがとうございます。

>「法」の知識不足を感じます。

これは自覚しております。たしかに、法の裁きを受けないためには、rira様のご指摘の通りかもしれません。 私の心の中には、そう割り切れない何か上手く言語化できない違和感が沸いてきます。・・・なんでなんでしょうねえ

ただ、社会生活を営むにあたり、「法」は一つの手段であってほしい・・・
「法」が主で、行動が「従」でありたくない・・・・・
そういう想いはあります。

しかし、現実は、そんな甘いものではない
とも自覚しております。

世の中、「法」の隙間はたくさんあります。(法の不確実性)
救急の現場もその一つかもしれません。


「受けるべき?」「受けないべき?」という二者択一的な疑問の提示は
意図的にそうしました。 いろんな意見が引き出せると思ったからです。

引用した文章において
一人のリーダーが、「絶対受ける」としていても、その組織(=職場)全体としては、どうよ? 看護師さんの涙の原因は、そういう所にもあるのではないか?と私は思うわけです。

今回、そういう視点にも皆様が気づかれないかなあと思いながら、エントリーのタイトルを決めています。


老子の言葉に、「大動すたれて仁義有り」という言葉がありますが、http://homepage1.nifty.com/kjf/China-koji/P-193.htm

さらに進めると「仁義廃れて法律有り」になるのではないか?と私は思っています。

そんな法律に、自分の心は縛られたくないなあと思います。
(たんなる戯言です)




by なんちゃって救急医 (2008-05-30 12:47) 

肉球

救急の場面に遭遇した事が無いので、普通の「待ち」についてですが、自分が何番目で、今何番が対応中と分かればいいです。(銀行などそうですよね)。救急で順番通りにいかないときは、赤(超緊急)、黄(緊急)、青(大丈夫)の番号札に分けたらどうでしょう。自分が青い札だったらちょっと安心して待てると思う。そして診察室に赤、黄、青、のランプを付けて待合室から診察室の状況が分かるようにするといいと思う。
by 肉球 (2008-05-30 13:48) 

僻地外科医

>riraさん

>結論から言います。「受けるべきではない」です。
出来ないモノは出来ないと言う。(他の出来る方に任せましょう)

>そういう思考が 法的にも有効です。
受け入れなければ 今いる患者の対応もでき、訴えられる心配もないし
今いる患者にも 不安を与えないと思われます。

 おっしゃる通りです。受け入れなければいいのですよ。で、その結果マスコミはどう報道しているでしょう?「たらいまわし」だのという言葉で今語られているものは何でしょう?

 riraさんは法的知識は多少おありのようですが、社会一般で知られている基本的知識については全く欠如されているようですね。訴えられなければそれで良いというものではないでしょう。
by 僻地外科医 (2008-05-30 13:51) 

僻地外科医

 奈良県橿原市でのいわゆる「妊婦たらい回し」報道で奈良県立医大が当日の当直医に全く余裕がないことをHPでコメントしました。

 これに対し「そんなの言い訳だ」などと宣ったマスコミ、一般人ブログもあるのです(ひどいことに医者にも同じ事を宣って方もいますが)

 確かに法的にはおっしゃる通りでしょう。でもなんちゃって救急医先生がブログで書かれていることの本質はそう言うところにはないんじゃないですか?「多忙で頑張っている医療者に心ない言葉を投げかけないで欲しい」と言う事じゃないですか?

 もう少し読解力を身につけてから発言される方がよろしいのでは?
by 僻地外科医 (2008-05-30 14:07) 

mallin

非医療者の立場、治療を受ける側として希望することは「先に知りたい、予め納得したい」です。インフォームドコンセントの根幹です。

例題のケースでは、この病院の救急患者への対応方針を予め知っていて、それでも自分又は家族が入院しているのならば、私は「受け入れるべきじゃない」などとは言わないです。

「全ての救急患者を受け入れる病院」「患者の重症度によっては、入院患者であっても後回しになる可能性がある病院」なのだと知った上で入院を希望するか、イヤなら「受入をしない別の病院」を選ぶか、少なくとも選択を考える余地は、最初に与えて欲しいです。

もちろん、実際にはいろいろな状況があって、そう簡単に他の病院に入院できるとは思いません。

この病院に入院することを選択したとしても、その背景には「全ての救急患者を受け入れることは大事なことだと共感するから」「先生方を信頼しているから」といったポジティブな判断もあれば、「この病気の専門があるのはここしかないから」「近くの病院で空いているのはここだけだから」「他の病院を探す時間/お金がないから」といったネガティブな判断もあると思います。

いずれにしても、自分で入院するしかないと判断したのであれば、その時点で私は「諦め」ます。それが、私なりの「納得」です。

ですから、先に知らせていただかない限りは、私も、「対応できないとわかっていて何で前もって言わないの?」 と言うと思います。なぜなら「先に選択の余地をくれなかった」という事実が、私が諦めることを妨げるからです。

このような患者の反応が「私達の心が折れてしまいそうな辛い言葉」と表現されるほどとは予想外でした。私にはごく当たり前の言葉に思えます。

でも勉強にはなりました。自分自身又は家族のことでいっぱいいっぱいになったときに「こんな言い方したら先生達を傷つけるな」などと考えてしゃべる自信は今のところありませんが、人間関係の基本として、なるべく意識しようと思います。
by mallin (2008-05-30 14:28) 

僻地外科医

>mallinさん

 まず、そもそもここで例示されているのは、入院についてではないでしょう。受診されてその後「入院出来ない」と言われたというケースであればおっしゃる通りかと思います。

 ですが、ここで例示されているのは救急外来で「重症疾患などで多忙な為、待たされている」患者さんの発言です。ごくごく普通の一般常識と普通に見える目がおありなら「いかに患者さんが救急外来にあふれ、医師や看護師が忙しく働いている姿が見える」はずじゃないでしょうか?

 そこへ「対応出来ないならそう言ってくれ」って、、普通の常識がある方が投げかける言葉ではないように思えますけどいかがですかね?
by 僻地外科医 (2008-05-30 15:14) 

僻地外科医

そしてさらに言わせて頂ければ、

 救急外来って何の為にあると思いますか?
 一刻も早く診察しなければ生命に関わったり、重度の機能障害が残る可能性のある患者さんを診る為にあると思いませんか?

 そして、そういう「本当の重症疾患」って休日夜間の救急外来でどのくらいいるかご存じ?

 とある病院の救急外来では受診した患者さんの実に70%以上が軽症の患者さんで、そのうちの1/3は平日日中からの症状だったと言うデータが出ています。

 本来なら救急外来ってそんなに待つものじゃないんですよ。ユーザーである患者さん自身の使い方が間違っているから無駄に混むんです。そこへもってきて、ああいう言葉を投げかける人たちの言葉が「ごく当たり前の言葉」なんですかね?
by 僻地外科医 (2008-05-30 15:25) 

bamboo

実際に受け付け時に情報を与えていたのかどうか存じませんが、全く情報を与えること無しにホイホイ受け付けるようなことは、今ではするべきではないと思います。

「お待たせすることになりますがよろしいですか?」の一言が受け付け時にあれば、たとえ非難されても強気でいられるのではないでしょうか。ご紹介の事例では、患者の側も見ていれば、スタッフが忙しいのは分かるだろうと思いますが、そういうことを「察する」ことの出来ない人が増えているのも現実です。どの程度のことが出来るのか示し、後は患者に選択して貰う時代なのだと思います。

麻酔科医である私の場合だと、手術が手一杯で緊急手術を受けられない状況になったら救外に連絡しています。待ったなしの手術の可能性のある患者(母体搬送など)は断らざるを得ません。
by bamboo (2008-05-30 15:26) 

akagama

>非医療者の立場、治療を受ける側として希望することは「先に知りたい、予め納得したい」です。インフォームドコンセントの根幹です。

 一応、医療者です。

お気持ちはわかりますが、それは、無茶な相談なのです。

 救急医療の現場では、状況が刻々変わります。 

 たとえ、一見軽症にみえる患者さんも実は、緊急手術が必要な状態だったり、その逆も当然ありえます。

 お返事した段階で、受け入れ可能な状態で、お返事したあとに、そういう患者さんが、突然運び込まれることだってあります。

 来院したとき青ランプでも、いつ黄ランプ、赤ランプになってもおかしくないのが、救急医療の現場です。

 財務省にいじめられて、限られた医療資源の中で、今も、身を粉にして患者さんを救うために必死で働いている、医療者のことをわかってください。

 いいかげんに、救急診療を、行列のできるラーメン屋と一緒にするのは、もうやめにしませんか ?
 

 「そんなんだったら、よそいくわ!」
 
by akagama (2008-05-30 15:44) 

akagama

だいたい、悪態をつかれる患者様は、どこでも受診でしるような、そういう、軽症の人が多いようです。
by akagama (2008-05-30 15:48) 

mallin

僻地外科医様、ご指摘ありがとうございました。私は読み間違いをしていたようです。

>病棟になかなか上がれないこと、

という一文から「救急治療に忙しく、先生が病棟に戻れない状況」なんだと解釈してしまいました。それで、そういう救急を優先している病院に入院している患者や家族への対応が遅れて、文句が出たのかと。

では、なぜそんな間違った解釈をしてしまったのかと、よくよく考えてみますと、私としては、その現場にまさに「居て」つまり「救ってもらうのを待っている患者・家族」から、まさか、そんな文句が出るなんて思わなかったからです。

僻地外科医様のおっしゃるとおり、普通は口にしない言葉だと思い、かえってそういう場面だと理解できませんでした。

間違った投稿してしまいまして、大変失礼しました。
by mallin (2008-05-30 16:33) 

僻地外科医

>mallinさん

 ご理解頂きありがとうございます。あなたのような方ばかりだと、こういう事例は挙がらないのですけどねぇ・・・(ため息)。

 もっともうちの町では町議など、医療に理解のある方々の活躍でこのような事例はほとんど見られません。医師としては幸せなところに勤務していると思っています。
by 僻地外科医 (2008-05-30 16:40) 

なんちゃって救急医

>rira様

まあ、まあ、そうおっしゃらずに、ご意見お待ちしております。

ー裁判所での真実ーという言葉が理解できるでしょうか?

私は、裁判所に真実はないと考えている一人です。
「真実」という言葉は、その人の「心のありよう」をあらわす主観性の高い意味で使われることが多いと感じるためです。

社会の非寛容性が、裁判という社会システムを必要とするのでしょう。

今、多くの医師は、裁判に愛想をつかしていると思います。

>自分の正当性を認めてもらえる場所

これはちがうと思います。亀田病院のカテーテル事件の裁判例をお調べになれば、医師が愛想をつかすのもわかってもらえるかもしれないと思っています。 もちろん、すべての裁判がトンデモというわけではないですが、たった一つでもトンデモがあれば、その医師社会への影響の大きさは、一般の方の想像を超えるかもしれません。 医師は、裁判を起こすのではないのです。起こされる側なのです。

by なんちゃって救急医 (2008-05-30 18:00) 

koro

なんちゃって救急医先生 前回は申し訳ありませんでした。
エントリーと関係ないことを長々と書き込み ご迷惑かけたと思っていました。
先生のご返事も聞かず その事の方が よほど失礼だったと後悔しています。 なのにお礼を言って頂き 本当に申し訳なく思っています。
そんな私がまた書き込むのもと思うのですが・・・

人は 現実やまわりの人のことを 「受け入れる」ということは 出来ないことなんでしょうか? (出来ないから「看護師の涙」みたいなことが起こるのだろうけど・・・)

前回取り上げていた薬品で自殺された方の報道についても 思ったのですが・・・ マスコミの方が 医療に関してプロであるべきと 医療者に 「完璧」と「責任」を求めるのであるのならば 世間の人々に 伝えることが仕事であるマスコミの方は その文字や言葉や文章に プロであるべきなのでは? そして医療者に求めるのと同じだけ やはり完璧であり責任を持つべきなのでは?と私は思うのですが・・・

(どちらも「人間」であるという事 完璧はないと思いますが・・・)

でも 誰しも 相手に望み求めるのであるのならば 自分もそうあるべきなのではないでしょうか?
人に 受け入れてもらいたいと思うのなら 認めてもらいたいと思うのなら 自分も まわりの人を受け入れ認めるべきなのではと思うのですが・・・
やはり 出来ないことなんでしょうか・・・?

とんでもない理想論で きれいごとなのでしょうか?



なんちゃって救急医先生 病気の件ですが 私の病気は同じ病気でも 
HV型の方でしたので 半年に一度の経過観察で良いとのことです。 
結果的にも あの時の手術は やはり やって良かったということです。 
主治医が ???と思っていたことも 後になれば 全部つじつまがあったわけで これも やってみなければわからない現実でした。
すべて運命だと思いますが 病気も手術も全部が覚悟していた結果のいいほうに転がり 受け入れやすい現実だったので ありがたく思っています。
by koro (2008-05-30 20:39) 

たかぷ

はじめまして。
僕は一般人です。

こんな事言っては医療関係者に失礼かと思いますが、
僕が病院に行く時、とてもアンハッピーな気持ちで行きます。何故なら体調悪いから。
ですから病院に行く事はアンハッピーですし、出来たら先生方にはお会いしたくない(苦笑)

でも、アンハッピーから取り敢えずニュートラルなっときたいなという「淡い」期待を持って参ります。

先生に取り敢えず色々処置してもらって、楽になったらラッキーとは思いますがハッピーとは限りません。それは体調が悪くなったその時点で充分アンハッピーだと思うからです。

けども、ラッキーにも取り敢えず体調回復にむけて、処置して下さった先生方には「ありがとう」と言います。

こんな言い方おかしいかもしれませんが、


アンハッピーなのは患者も医療関係者も変わらない。

けどラッキーにも処置を受けられて取り敢えずアンハッピーな流れに踊り場を作ってくれる。そんな場が病院なんじゃないでしょうか。


その病院でハッピーになってもらおうと、あるいはなりたいと考えるのは、少し背伸びしすぎな気がします。

アンラッキーで無いことを患者は期待しますし、医療関係者もとても頑張ってくれていると思いますが。


by たかぷ (2008-05-30 22:28) 

元医療機器サービスエンジニア

医療もある意味“サービス業”と言う意味では、待ってる患者からクレームを受けるのは仕方ないことだと思います。
受け入れ拒否したらしたで、クレームつけるだろうし。

ただ、受ける側もそれなりのモラルは持って欲しいものです。


そのうち
「鼻水が出る方、咳がする方は風邪薬を薬局でもらって帰宅してください」
って感じでトリアージするかも。
(ドラマ“ER”でそんなシーンがあったのを思い出して…)
by 元医療機器サービスエンジニア (2008-05-30 22:39) 

なんちゃって救急医

>受ける側もそれなりのモラルは持って欲しいものです。

これ、興味あります。もう少し具体的に教えてください。
by なんちゃって救急医 (2008-05-30 22:47) 

なんちゃって救急医

>その病院でハッピーになってもらおうと、あるいはなりたいと考えるのは、少し背伸びしすぎな気がします。

なるほどですねえ・・・。すごく納得しました。ありがとうございます。
by なんちゃって救急医 (2008-05-30 22:50) 

tororo

>医療もある意味“サービス業”と言う意味では、待ってる患者からクレー>ムを受けるのは仕方ないことだと思います。

初めてコメントします。一応医療関係者です。いつも興味をもって見させて頂いております。

患者さんからの色々なご指摘を受けることはやぶさかではないのですが、医療は決してサービス業ではないと思います。最近の惨憺たる状況はマスコミなどによって過度に喧伝され、あたかも医療もいわゆるの第3次産業かのように触れ回られたことも原因のように思います。

色々なご意見もあるかと思いますが、医療は決してサービス業ではなく、人が生活をしていくために必要な社会的インフラであると思います(その中に接客的な要素があるのは否定しませんが)その点をぜひご理解いただきたいと思います。

ところで、今回のような状況に置かれた場合、他の医療機関へという選択肢があるのならばそちらにお願いすると思います。他がなければ・・・、きっとお受けすると思います。
by tororo (2008-05-31 00:36) 

僻地外科医

>法から話はそれますが 見てわかれ!とおっしゃる先生がおられますが
現代においては 「言われないとわからない」が 標準になりつつあります。

 見て分かれ、というのは「見て分かる想像力を持て」と言うことです。想像力がもてない人が標準の世界では何千兆円かけても医療は維持出来ません。出来る訳がありません。これは法以前の問題です。

 上にも書きましたが普通なら大して待たずに済むはずの救急外来が無駄に混むのは「自己都合の為に軽症で救急外来を受診する人が後を絶たない為」です。そこにあるのは自分一人が受診することがどれだけ救急外来に負荷をかけるかについての想像力の欠如です。お年寄りが病院を老人サロン化するのも想像力の欠如が原因です。救急車をタクシー代わりに利用するのも想像力の欠如が原因です。

 想像力の欠如を標準にしてはならないんです。

>そして お年寄りは その性質から自己中心的でひがみっぽくなる・・・
高齢者が増えると言うことは 今までの常識が非常識になることだと考えております。

 こういうことを平気で言える感覚も想像力の欠如です。お年寄りが自己中心的?それはお年寄り全体の問題ではなく個人の問題です。若い世代にも自己中心的な人は同程度以上にいます。モンスターペアレントって言葉がありますが、これってお年寄りの問題ですか?

 「見て分かれ」というのは法以前の問題です。もちろん、「見て分かれ」だけで対処していては法的には不利なのは織り込み済みです。それでも「見て分かれ」を「主張」しなければ医療もこの社会も確実に滅びます。
by 僻地外科医 (2008-05-31 03:18) 

サルガッソー

こちらでは初めて書き込みます。
>元医療機器サービスエンジニアさん
私の持論ですがサービス業というのはあくまで無形の商品を扱っているだけであって、そういう場合は客商売と言うのだと思います。
ただし客商売にしたって、客にヘイコラする必要は無いと思うんですよね。
あくまで料金の対価として提供しているだけなんですから。
高度成長期に流行った「お客様は神様です」ってのを客本人が真に受けてからおかしくなったんじゃないのかなぁと思います。


by サルガッソー (2008-05-31 04:51) 

ひろ

僻地外科医さんが主張したいところがよくわかりません。私が読み違えている気もしますが

>「見て分かる想像力を持て」と言うことです
これが何の事態の解決になるのか、それが全然わかりません。声をあげないと何も変わりませんが。見てわかった、って誰が何をどうわかったつもりになったのか見てわかるのでしょうか?何だか意味が読み取れません。

また、想像力の欠如とエントリの内容はおそらく関係はないと思います。エントリの患者さんは、おそらく病院が、他者がどうであろうと、その惨状を想像どころか認知していようと自分の家族のために医師や病院を動かす人たちでしょう。

こういう人たちに必要なことは想像力の喚起ではなく、厳しい受け入れ拒否、現状の認知、救急の有料化などで、「わかりやすい」形の医療崩壊をさらに社会に訴える活動(というのも変ですが)なのではないかと私は考えるのですが。


by ひろ (2008-05-31 11:58) 

けい

初めて書き込みをさせていただきます。
いつもこのブログで社会勉強をさせていただいている拙い一般内科医です。最近、医療はサービス業というコメントを多々見ますが、私も一般的なサービス業ではなく社会に必要なインフラだと思います。

仮にサービス業だとするならば、「サービスが行き届いていない」と思う方はその施設を利用しなければよいと考えます。料理がおいしくなかったり、マナーがなっていないレストランが自然淘汰されるように、そういう病院は淘汰されかねないと思います。ただし、他に行くところがないから仕方ないという意見も多数おありでしょう。実際、飲食店などはサービスを売ることで黒字が出る可能性が高くなるから、より高次なサービスを提供するわけで、ただでさえ医療費が削られている医療現場で、より高次なサービスを提供できる余裕はありません。病院はまずは健康の回復を提供する場であり、必要以上に患者様にコビを売る必要はないと考えます・・・でも私は若手の医師という立場もあり、ものすごく患者様にコビており、良好な医師患者関係は保てておりますが、時々心が折れています・・・。一部の心無い患者様やわがままな患者様は、いつでも何でも言うことを聞いてくれるホテルの従業員のように医師・看護士を扱っている現実があることを知っていただきたいものです。
by けい (2008-06-01 01:43) 

banana

はじめまして。私は現在通院中ですが、病院に行くと思い感じるのは、患者は常に「不安」と戦っているということです。救急患者は受け入れるべきだと思います。その間、ほかの患者への「不安」を少しでも和らげてあげることができれば・・・と思います。 辛く悲しいことと向かい合いがんばってる人大好きです! 患者の笑顔のために、どうかメゲズにがんばってください。
by banana (2008-06-01 08:16) 

KIKI

同情します。頑張ってください。

朝から始まり、徹夜を経て次の日も終日続く36時間勤務。
しかも、扱うのは人命だ。そんな過酷な仕事に見合わない「当直料」に、救急医の失望は深い。
給与を支払う病院の経営は苦しく、医師不足の中では増員も望めない。
激務が若手に敬遠されれば、将来の救急医療はどうなるのか。
現場の医師たちは危機感を強めている。
http://www.asahi.com/kansai/news/kyuukyuu/OSK200803120124.html


真面目な医師の結末

(1)「殉職」 救命の代償 我が命

午前1時を回ると、意識がぼんやりしてきた。気がつくと病院のベッドの上。
朝、出勤して来ないのを心配した同僚が駆けつけてくれた。
飲んだのはざっと100錠。致死量は優に超えていた。

 男性は45歳。当時、関西の救命救急センターで働く救急医だった。

http://www.asahi.com/kansai/news/kyuukyuu/OSK200802120037.html


by KIKI (2008-06-01 21:50) 

tomopons

今日の朝日新聞だったかに、死についての医療が載ってたな~。いつも思っていることだが、高齢者の自宅でCPAで家族に発見され、救急車で運ばれてくるパターンって気になってたんですよ。それが載っていてある意味、よかった。世間の人にどう死を迎えるか、考えてほしいな~と思いました。無駄な蘇生術で救急外来がいっぱいになってしまう。
 外来がいっぱいのときは救急車受け入れは拒否しています。それで受け入れてトラブルが起こると裁判で負けるということですから当然です。だれもぱっぴーになれません。
by tomopons (2008-06-01 22:08) 

b

個人的には、現状でそれだけ患者をうけてしまったことがやはり問題だと思いますけどね。

予約制の内科外来でさえ、30分の遅れで患者様に怒られるなんてザラです。
予約外の患者や、予約患者で具合が悪い患者の処置で、診療時間は予定通りにはいきません。

 「なんでこんなに待たせるんだ!」

 と怒る患者様の対応に30分~1時間かかり、そのあとの患者様の診療がどんどん時間がおかしくなっていきます。

 ましてや「救急」な治療の必要な患者様を、待たせるというのは救急の機能をしていません。単に24時間の一般外来です。名前だけの救急です。

 はっきりと、「ていっぱい」と断るべきでしたね。それでお互いハッピーですよ。
by b (2008-06-02 01:54) 

石部金吉

初めてコメントいたします。
いつも勉強させていただいている一介の勤務医です。

冒頭の記述を読むと、地下鉄サリンかJR西日本か、という気がしますが、
実際は、ある救急病院のある1日、ということなのですね。

そうすると
「ある一定数以上の救急は断る」 という選択が最も妥当な気がします。

そうしないと、職員が次々にやめてしまうでしょう。

でも、どうしても 「ある救急病院の平凡な1日」 とは思えないのですが。

by 石部金吉 (2008-06-02 18:14) 

puhimaru

救急外来で待たされる患者っていうのは、救急に来る必要がなかった患者である可能性が高いと思います。
緊急性が高い患者はピックアップされてるはずですから。
待たされて騒ぐのも軽症患者。
重症患者は騒げませんから。

こういう医療資源を無駄に使っているいる人たちが文句を言う。
あと数時間待って、明日の外来まで本当に待てない状態なのか考えてもらいたい。

あなたやあなたの家族が、本当に重症なのになのにどこの病院も受け入れてもらえない状態を想像してみてください。
なぜ受け入れてもらえないのかというと、2-3日前から喉が痛い患者と、一週間下痢が続いている患者と、さっき血圧を測ったらいつもより高かったからとかいうような患者がたくさん来ているから。
しかもこういう人たちも救急車で来ます。
タクシーより安いし早いですから。

あなたやあなたの家族が受け入れてもらえて、緊急性があれば処置してもらえる(しかし、緊急性がなければ待たされる)のと、緊急性の判断さえしてもらえず重症でも受け入れ先が見つからない、どちらか好ましいか考えてください。
その結果待たされることになったとしても、内科外来で待たされるのとは全く性質が違います。
待たされている時点ですでにトリアージという診療が始まっているんですから。

訴訟のリスクを回避するのは簡単です。
患者を診なければいいだけだから。
そんなことはみんな分かってるんです。
開業医じゃないから病院の儲けなんて考えたことがないし、患者を診る数で給料が変わるわけでもない。
当直時の手当も深夜のコンビニバイトに毛が生えた程度。
だいたい救急なんて病院の儲けに貢献しているのか不明?
保健適応外のこと、結構しますからね。
患者をとらない方が良いという発言が多々見受けられますが、医師も本当は患者は取らないで安眠したい。
訴訟のリスクからも解放されたいって思います。
そういう方向に行っちゃっていいんですか?
あなたや、あなたの家族が死にそうなときに。

こういうのも想像力の欠如なんだろうなぁ。
by puhimaru (2008-06-02 18:56) 

なんちゃって救急医

たくさんのコメントをありがとうございます。

コメント欄で挙がったことに関して私の意見をのべてみます。


●医療はサービス業か否か?

けい様よりいただいたコメントに私も同意です。
つまり、医療は、般的なサービス業ではなく社会に必要なインフラであるということです。

サービス業と思う人と思わない人との間で、すれちがいがおきるのだろうなあと思います。

このコメント欄で、この議論に決着をつけるのは不毛だと思いますので、ここではこれ以上この話はなしにしてください。

よろしくお願いします。

●患者の不安について

banana様のこのコメント
>ほかの患者への「不安」を少しでも和らげてあげることができれば

確かにそう思います。たとえ医療者がこの点を重要視し、それを目指して対応するにしても、このエントリーで出した救急医療の場というのは、それをやりたくてもできないという問題があります。

●真面目な医師の結末

KIKI様のご指摘には、本当に考えされるものがあります。私も自分のどこかのエントリーで指摘した業界の「過剰適応」という問題と関連するのだろうと思います。思うに、このエントリーでの救急の現場というのは、いわば、医療者側の過剰適応の一形態ではないかと思うのです。

「できないものは、できない」 ・・・・限界設定

過剰適応を回避するには、限界設定を設けることだと思います。

さて、この論理で押すと、救急患者は、断ることは致し方ない
といことになりますね。

私の意見は、これに近いような気がします。


●職員が次々にやめてしまう

石部金吉様のこのご指摘は、実は、私が懸念していることそのものです。このエントリーのタイトルに看護師を持ってきたのは、この救急現場の理念としての「絶対断らない」にこだわりすぎることは、職場の士気を落とし、崩壊につながるのでないかという危惧です。
by なんちゃって救急医 (2008-06-02 19:58) 

oldDr

いつも勉強させていただいています。
こういう光景はずっと前から変わらないものですね。
夜間や休日の外来は全く患者さんが来ない時間もあれば、どんどんやってきて収拾がつかなくなるときもあります。
昼間の外来の方がまだ予約制にしていて待ち時間の間に検査をしてもらったり食事をしてもらったりと、医師も患者も他のことで時間をつぶすことができますが、夜間や休日は(うちのように辺鄙な場所では)救急外来でじっと待っていてもらうしかないです。
何時間も待てる人には何時間でも待っていてもらうしかないです。重症患者が優先ですので。それで怒って帰ってしまう人も時々いますが、帰れるのなら元気だったと思うばかりです。
夜間や休日の病院は昼間とは異なり、公共財となります。
このことを地域にきちんと理解していただく必要があります。

以上、勝手ながらコメントさせていただきました。
by oldDr (2008-06-03 07:10) 

doctor-d

病気で困って病院にやってきている人間とは、それだけで不幸な気持ちで一杯な訳ですから、さらに待ち時間というストレスを加えられると、怒りの閾値は簡単に越えてしまうでしょう。

私は患者に待ち時間の情報と提供できるサービスはあらかじめ出来るだけ伝えておくようにしています。その上で、診察を受けるかどうかを選択頂けいています。

医療サービス論に関しては、当ブログで持論を展開していますので、参考にして頂ければ幸いです。
「医療はサービス業か否か?~「お客様は神様です。」の意味とは~」
http://ameblo.jp/doctor-d-2007/entry-10035531306.html
by doctor-d (2008-06-03 09:30) 

Tommy

救命で働く医師です。
この紹介文だけではよくわからない事もありますが、無理解なクレーマーの存在だけでなく、この看護師さんの勤務する病院のシステムにも問題があると思います。おそらくトリアージナースでしょうが、なぜ彼女に患者や家族が苦情を投げ掛けるような構造になっているのでしょう?彼女が謝罪した理由も理解できませんが・・。
>患者の「それなら何で受け入れたの?無責任じゃない。対応できないとわかっていて何で前もって言わないの?」という苦情はごもっともだと思いますが、これはその場の責任者(管理医師や事務)が対応するべきです。
このERは、受け付けする際におおよその待ち時間(例えば「1時間以上お待ち頂きます」など)の表示をしていないのでしょうか?
小生のセンターでは受付の前にこの待ち時間表示を示し、加えて必要時には「只今救急車が搬入してその対応に・・」という掲示もしています「容体の悪い方はすぐに申し出て下さい」云々の表示はもちろんですが。
「待つのを承知」で診察を申し込まれた時点でそういう医療契約が成立するので、その後に「やっぱり待ち時間が長いじゃないか」というクレームはできません(患者がキャンセルして他のERへ行かれるのは自由です)。
みなさんおっしゃるように、医療、特にERは社会の共有財産で、我々医療人はそれを粛々と運用する立場だと思います。
by Tommy (2008-06-03 21:46) 

なんちゃって救急医

>Tommy 先生

ありがとうございます。私も同じ疑問です。

このERは、受け付けする際におおよその待ち時間(例えば「1時間以上お待ち頂きます」など)の表示をしていないのでしょうか?

どうなんでしょうね、これ。


by なんちゃって救急医 (2008-06-03 21:52) 

いっちゃん

医療の最前線で働いておられる、医療関係者の方々には心から感謝と尊敬の気持ちでいっぱいです。医療を受ける側ですが病院での生活が長かったこと、救急の現場や病棟での入院生活、末期ガン病棟での看病を通じて医師や看護師さんの大変さや有り難さを実感しています。物理的に体力的に出来ることには限界があり優先順位をつけなければならないことがあるのは、仕方ないと思いますし頭でわかっていても気持ちがわりきれないことやも多いと思いますが、後遺症などのこともあるので救急救命を優先させてもらいたいし、必要以上に自分を責めたり、心ない言葉に傷つかないで下さい。今、自分が生きていられるのは、看護師さんのおかげです。
by いっちゃん (2012-08-07 01:16) 

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