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東京妊婦死亡症例報道を別目線で考える [医療記事]

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今回の東京妊婦死亡症例の報道のあり方を観察してみますと、人の心の不安を煽る記事がとても多いような印象をもちました。医療者は、医療者なりの不安が増幅され、医療を受ける側の方は、受ける側としての不安が増幅されているばかりのような気がします。そのような報道姿勢は社会にとって有益なのでしょうか?報道業界はそのことを果たして真摯に考えているのでしょうか?

そもそも、医療って何でしょうか?

病気や外傷は、その程度の大きさはともかくとして、皆さん自身の人生に降りかかった一災難(=リスクの現実化)です。医療は、その災難の被害を最小にすることを目的とした社会的リソースなのです。(注:病気を災難と考えない発想もありますが、とりあえず、それははずしておくことにします。)

ここでは、3前提3心理を提示しながら、私自身の主張を展開してみたいと思います。

前提1 人は、いつ死に瀕する疾病や外傷に遭遇するかわからない。 
前提2 そして、常にその事象に遭遇するリスクを誰しもが持っている。
前提3 リスクの現実化は、医療介入前にすでに生じている

これら3前提に、異論の余地はないかと思います。

また、人は、リスク現実化の前(=普段の日常生活)やリスク現実化の後(=死亡事例の発生など)に、こんな心理状態を呈してくるのではないでしょうか

心理1 いやなことをわざわざ考えたくないという抑圧的な心理
      例:自分が死ぬなんてこと、家族が死ぬなんてことは一度も考えたことがない

心理2 沸いてくる不安を回避しようとする代償的な心理
      例:「自分だけはちがう」と無理やりにでも思い込む

心理3 自己にとって都合の悪いものに対する代償的な心理
      例:死んだのは、○○のせいだと責任をどこかに転化する

報道業界は、この大事な前提を、業界自ら直視しようとせずに、同時に、市民に直視させようとせず、医療問題を医療者自身の問題や国や県の問題だけに矮小化して主張しようとしていませんか?

そうだとすれば、それは、上に掲げた心理(特に心理3)のためなんでしょうか?

さらにいえば、
医療システムが整いさえすれば、リスクの現実化(いわゆる死などの事象)がゼロになるという幻想を市民の心に植えつけてはいないでしょうか?

どうでしょうか?

もちろん、
事実A:システムがより整えば、それによって救われる命があることは事実。
ですが、

事実はそれだけではありません。
事実B:システムが整っても、救えない命があることも歴然たる事実。
も決して忘れてはなりません。

事実A、事実Bの両者の存在性にも異論の余地はなかろうと思います。

事実Aからは、次の主張の展開がごく自然です。
主張A:だから、システムはより完璧であるべきだ、あらねばならない。

一方、事実Bから、どんな主張を引き出せるでしょうか? 私はこうしてみました。
主張B:その死を受容し、それを今後の自分の生き方にどう反映させるかが極めて重要である。

果たして、今の報道風潮は、そこに、自立的なバランスをとって報道していますか?
全くそうは思えません。私には、こう見えます。

報道の目線  
事実A+主張A >>>>> 事実B+主張B

つまり、報道業界の世間に対する情報提供のありようが、悲しいほど余りにアンバランスだと私は言いたいのです。

今回の事例は、事実Aの要因も確かに存在はしていると思いますが、それだけを声高らかに言うのは、医療問題の矮小化だと思います。事実Aの要因だけでなく事実Bの側面も、そのバランスを意識しながら、市民に確実に伝えていくことのほうが、医療報道のあり方に求められている姿勢だと私は考えています。

報道業界のCSR(Corporate Social Responsibility)のあり方という観点からも、私はそう主張します。 

ただ、事実Bは、私が先に述べた人間のもつ心理故に、つい目をそむけたくなるものです。

ですが、医療という社会のリソースに限りあることが、どんどん露呈している現実がある以上、そのリソースを大事に使っていくという視点において、事実B+主張Bこそが、今もっと社会に投げかけられてもいいとは思いませんか?

先人達は、それぞれの時代背景・社会状況の中で、いやがおうにも生と死に向き合ってこざるを得ませんでした。その結果、先人達は様々な思想体系を作り上げてきました。それは現人類の財産と言っても良いと思います。私達も今、そんな財産を見つめなおしてみることが、主張Bに対応した具体的な向き合い方の一つではないかと思います。

私のブログの中では、主張Bに即したエントリーとして、こんなものがあります。
生と死は対立ではない  赤塚氏へのタモリの弔辞に思うこと
このブログをご覧になったどなたか一人にでも、その方にとっての何かの気づきにお役に立つことがあれば、私はうれしく思います。


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コメント 52

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rirufa

近くの人が死ぬことはなかなか想像できませんね。
でも、いつかは死ぬ。
助けられるときもあるけど、そうでないときもある。
受け入れられるように準備しておかないとなりませんね。

by rirufa (2008-10-24 17:45) 

下っ端外科医

いつも拝見させていただいております。
「此れだけ努力しているから私がよくならないはずがない。」
「其れでもよくならないのは、何か原因があるはずだ。」
「医者が悪いのか、病院が悪いのか」
「どこを”改善”すれば私は助かるのか?」
「私は頑張っている。だから、その代償で必ずよくなるはずだ。」

人間は精巧に出来ていますが、工業製品ではないのです。
患者さんも、治す医者も人間です。いつかは衰えるものでしょう。
胸が痛いといって病院に運ばれて何事もなくに家に帰る人、緊急手術を行って何とか家に帰る人、病院でもどうにも出来なかった方。
患者さんを診た医者は、出来る限りのことをしていますが出来ることと出来ないことがあるのです。それは倒れた場所によっても、時間によっても。
同じような条件で同じような手術をしても、経過は一通りではなくそれこそvaitalityや(怒られるかもですが)「運」の違いで千差万別と思います。このような事はここをご覧になる諸先輩方には言うまでもない事でしょうが。

昨今の報道を見ていると、医療に関する事案をどこか他人事として投げ出しているような印象があります。それこそ自分に関わる重要な「医療と介護と最終的な死」を面倒くさくなって下請けにでも放り出してしまい、そして「十分な金は渡しているはずだ。成果が出ていないじゃないか!!」と好い気になって痛罵しているだけのような。自分のことなのですけれども。
自分の健康と生命をお金で購えると思われる方は、それだけの健康と生命としか自分を値踏みしていないのでしょう。
by 下っ端外科医 (2008-10-24 19:08) 

麻酔科医

白骨の御文ですね。
http://www.ii-park.net/~komugimugi/
http://sairen99.cocolog-nifty.com/kotoba/2008/01/post_8417.html
あるいは、謡曲「敦盛」でしょうか?

by 麻酔科医 (2008-10-24 21:01) 

石部金吉

「前向きな潔さ」が大切なのかな、と思います。

妊婦さんの御主人がテレビのインタビューに答えておられました。

http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00142827.html

「救急車に乗った時には、『頭が痛い、痛い』っていうのは言ってなくて、もうろうとしているような状態で、わたしは、彼女の手を握って、最後に強く握ったら、向こうも強く握り返してきた。それで病院に運ぶので手を離しました。
彼女と会ったのは、それが最後です。子どもが生まれたあと、住民票を取りに行きまして、彼女の死亡届が出る前。そこは、3人の名前が入った住民票を、葬式の時にひつぎの中に入れました。今後、本当に同じようなことは絶対に起きてほしくないし、こんな思いをほかのお母さん方にしてもらいたくないっていうのは、今一番強く思うところです」

とてもマトモな人で、好感を持ちました。この御主人のためにも、何とかしなくては、と思わされる内容です。

さて、現在の医療崩壊は構造的な問題であり、我々、医療者だけではどうすることもできません。にもかかわらずマスメディアの医療者叩きはひどい状態です。

無力な我々ができることといえば、

(1) マスメディアの不正確な報道に対しては、直ちに反論し、一般市民に正しい知識を伝える。

(2) 目の前の1人1人の患者を助けるべく全力を尽くす。そのためには、自らの診療技術を磨き続け、個々の症例から得た教訓を皆で共有する。

ということです。

なにか、当ブログの主張そのものですね。このブログの色々な記事を読んで「なるほど、そうだったのか!」と思っている一般市民も沢山おられるはずです。このような活動を継続していけば、その影響力は少なくありません

なんちゃって救急医先生、大変ですがよろしくお願いいたします!

by 石部金吉 (2008-10-25 08:34) 

ただの一般人

初めてコメントさせていただきます。

知人よりこちらのブログを勧められ、以前から医療の周辺の問題に興味があり、共感しながら拝見しております。

私は皆さんと違い、医療従事者ではありません。
しかし、現実にお会いしてきた医師の方々もそうですし、こちらにコメントなさっている方々も、本当に大変なお仕事だと思い、頭が下がる思いでいっぱいです。

しかしながら、今回の東京妊婦死亡症例の報道のあり方については、私からすると、そんなに非難される事かな?というのが正直な意見です。
マスコミの報道なんて、どの記事でも事実のほんの一面だけしか語れないのではないでしょうか?人間が作る以上、限界があります。
私は、むしろ受け手側の問題が大きいのではないかと思います。
最近は想像力に欠ける人が多い気がします。
何かの事実を目の当たりにしたとき、いろいろな要素を含んだ想像ができていないような。だから、マスコミで報道されればすぐに皆頭から一色に染まってしまう。バナナダイエットなんて、いい例です。

一般人として私は、今回の事件の報道については「事実をそのまま報道したに過ぎない」と感じました。
「マスメディアの不正確な報道」があったとしたら、それはどの部分でしょうか?(批判と受けとらないでください。あくまで後学のために・・・素直にお聞きしたいです。)

また、私が知りたいのは、「受け入れ拒否した病院の背景が事実どうだったのか」という事です。
「医療崩壊は構造的な問題」だとしても、ではどうすれば良い方向に進んでいけるのか。
また、今回の事も、構造的な問題だけが問題なのか。
マスコミとしては、今のようなバッシングの姿勢では情けないですが、だからといって厳しい目は必要と思います。
それは医療だけに向けられるものではなく、教育や政治、国民一人ひとりについても同様と思います。



by ただの一般人 (2008-10-25 13:02) 

うなぎ

自分もいつかは死ぬということは分かっていますが、できれば苦しまずに死にたい、安らかな死に憧れます。倒れた家の下敷きになって身動きできずに死ぬ、火事で燃え盛る火の中から出られず死ぬ、何の理由もなく殺される。など、これらはとても恐怖です。痛い、苦しいのがいやです。死にそうな状態を長時間味わいたくないです。救急車に乗って当てもなくさまようのはその恐怖に近いです。
最近の報道は医者不足を強調しているように思えます。
by うなぎ (2008-10-25 14:05) 

非イチ医療従事者

ただの一般人様
まず「受け入れ拒否」ではなくて「受け入れ不可能」が適切なのに、マスコミは依然として「拒否」といった誤読を誘う言葉を使います。

「なぜ受け入れられなかったか?」との疑問に関してはhttp://d.hatena.ne.jp/Yosyan/20081023に背景がまとめて書いてあったのでコメントも含めて読んでみてはいかがでしょう。
こちらの「日々是よろずER診療」ブログと並ぶ素晴らしいブログだと思います。ぜひとも我々一般人もきちんとした知識をつけていきましょう。

なんちゃって救急医さま
出すぎた真似をして申し訳ありません。適切でなければ削除してください、お願いします。
by 非イチ医療従事者 (2008-10-25 14:18) 

ビビりの研修医

>ただの一般人さま
はじめまして。医者になりたての私ですが、私の思うところを書かせていただきます。

まず、やっぱり根っこにあるのが、奈良県のいわゆる「たらい回し」事件報道だと考えます(ちなみに、私はこの事件のことを呼ぶとき、必ず「いわゆる」とつけます。)。
「たらい回し」といい、今回の「拒否」といい、本当は対応できるにもかかわらず、医者が眠たいからとか、さぼりたいからとか。そういう意味で搬送を断った、というニュアンスが強くないでしょうか?
事実、奈良県での事件報道の際には、医師が仮眠をとった、ということ自体が非常に批判されるべきことのように報道されていました。

いみじくも、ただの一般人さまはズバリ、私たちが問題視している部分を指摘されております。

>マスコミの報道なんて、どの記事でも事実のほんの一面だけしか語れないのではないでしょうか?人間が作る以上、限界があります。
私は、むしろ受け手側の問題が大きいのではないかと思います。
最近は想像力に欠ける人が多い気がします。
何かの事実を目の当たりにしたとき、いろいろな要素を含んだ想像ができていないような。だから、マスコミで報道されればすぐに皆頭から一色に染まってしまう。バナナダイエットなんて、いい例です。

この部分です。
みんなが「ほんの一面だけしか」と考えてくれるのならばそれでいいのですが、そうではなく、「テレビが言ってるんだから正しいに決まっている」と考えてしまう方が非常に多い、あるいは、そういう考えをする人の声が非常に大きいのではないかと考えます。

では、この、「ほんの一面」についてはどうか。専門的な知識を持たないがために、「ほんの一面」しか伝えることができなかったのか、それとも、あえて都合のいいように取捨選択した結果の「ほんの一面」なのか。ここも私は疑問視しています。そして、その「ほんの一面」以外の部分に、実は非常に大きな事実が隠れていることもあるのです。たとえば、奈良県の事件では、搬送された妊婦が母子手帳の交付を受けておらず、産科医の妊娠管理を全く受けていない状態で病院に搬送されたわけです。さらには、この搬送中の救急車に、「側面から」衝突した乗用車がいたようです。こういった事実を、マスコミは当初、報道せずに、医師や病院のみを批判しました(現在でも、関西ローカルの報道では問題化されますが、逆に、関東方面や他地方ではどうでしょう?)。

私も日中は仕事をしておりますので、いくら興味があり、他人事ではないからとはいえ、朝や昼間のワイドショーをじっくり見る、なんてことはできませんが、それでも、たまに目にする報道を見ると、最終的に対応した墨東病院の当直体制については、確かに事実をそのまま伝えている部分もあったと考えます。
しかし、そういう事実関係を示しておきながら、搬送を断らざるを得なかった、という考察へ進むことは少なく、断言を避けつつも、病院が悪い、医者が悪いという解釈をさせよう、という方向性で報道することが多いように見受けました。

何より、先ごろ、こちらのブログでも論争が起こった「秋葉原無差別殺人事件におけるトリアージ」の件といい、今回の件といい、マスコミの報道姿勢の中に、「救急隊や、最終的に対応した墨東病院の先生たち、ご苦労様でした。では、今後こういった問題がよりよく解決されるためにはどうしたらいいでしょうか」というものが見えず、「やって当たり前、搬送受けて当たり前」と言わんばかりの態度に、私たちは憤りを感じてしまうのです。

現実問題として、ここに書き込まれている、経験を積まれた先生方だけではなく、私も今後、研修が終わって正式なスタッフとなった場合、搬送を受けるか、受けないかの判断を行う必要が出てきます。そこに病院があるから、搬送をいつでも受けられる、というものではなく、したがって「病院の規模、人員から考えて」手に負えないと判断せざるを得ない場合もあります。しかし今は、「不利益が起こったら、それは誰かが悪かったから不利益が起こったんだ」と考えられてしまうような世の中です。私が「搬送を断った」こと自体を非常にバッシングされてしまうかもしれない、そう憂慮せざるを得ないのです。

最後に、なんちゃって救急医先生ではなく私がお願いするのも変なのですが、今回一回だけの書き込みに終わることなく、どうか、しばらくの間、私たちのディスカッションにお付き合いいただけませんでしょうか。せめて、コメントはなさらずとも、私たちの話し合いに、耳を傾けていただけませんでしょうか。
ごく稀に、自分の言いたいことだけを言い捨てて去っていくコメンテーターもいます。彼らはおそらく、言いたいことが言えて満足なんでしょう。しかし、そういう人を目にしたときこそ、私たちは本当に落胆するんです。
by ビビりの研修医 (2008-10-25 15:19) 

なんちゃって救急医

ビビリの研修医先生のコメントに関する補足です。

第一パラグラフの
「奈良県のいわゆる「たらい回し」事件報道」
は、有名な大淀病院の事例ですね。

これについては、こちらもご参考ください
http://case-report-by-erp.blog.so-net.ne.jp/20070625

第五パラグラフの
「たとえば、奈良県の事件では、」
は、昨年夏に報道された死産事例ですね。

これについては、こちらもご参考ください
http://case-report-by-erp.blog.so-net.ne.jp/20070915


互いの意見を、異見として尊重しあうディスカッションは歓迎します。
そうでない一方的な主張には、様子を見つつ、ブログ主として臨機応変な対処をします。

ディスカッションの際には、その点をよろしくお願いします。
by なんちゃって救急医 (2008-10-25 15:43) 

tobby

いつも勉強させて頂いております。

搬送を担当する救急隊の立場での意見があまり見受けられませんでしたので、私は医師ではありますが、そちらの経験も少しありますので、少々意見を述べさせてください。

私は救急部に所属していた間、定期的に地域の消防署に行き、救急車に1日中同乗していました。いわゆるドクターカーです。救急隊の方々と長い時間一緒にすごし、たくさんのことを教えて頂き、大変お世話になりました。

その経験からです。

地域の救急本部への入電から救急車現着までの時間は非常に短く、本当によく訓練されていて、すごいなと思いました。
その反面、病院への受け入れは非常に困難な場合があり、救急車内で長時間待機することもしばしばでした。救急車内の本人、ご家族はもちろん、同乗する私にとっても非常に長く感じ、イライラする時間でした。
救急隊の連絡では断られ、医師である私が連絡すると受け入れてくれる場合も多かった様に思います(皆さんの周りではどうですか?)・・・

「本当に受け入れることは出来ない/出来なかったのか?」

地域にもよるのでしょうが、救急隊の方々は、本当は病院や医師に対して言いたいことが沢山あるのではないかと思います。最初に現場に到着し、苦しむ患者を見て、いくつかの大病院に「受け入れ不可能」を告げられるのは彼らです。

もちろん本当に無理な場合は、医師として、病院として、断るのがスジでしょう。ただ、自戒をこめて、この時学んだことは忘れないようにしています。

ここからは理想論ですが、医師と救急本部がもっと頻繁に話し合いの場を持ち、現着から搬入までの一定のマニュアル作成・訓練も出来ると良いと思うのですが・・・出来れば、受け入れた後の他院への転送まで含め。
(もちろん、されている地域はあると思います。私が働いていた地域は、この「ドクターカー」に加え、救急隊も病院に来て実習しておられました)
病院ごとの役割も実際は確立出来ていない現状では、難しいのでしょうね・・・

長文すみません。
タイトルにあわせ、医師の立場を少し離れて見てみました。
by tobby (2008-10-25 19:05) 

ビビりの研修医

>なんちゃって救急医先生
たびたび、私のつたないコメントに対し、補足をしていただき、ありがとうございます。今後ともよろしくお願いいたします。
by ビビりの研修医 (2008-10-25 21:23) 

tobby

度々すみません。
一言付け加え忘れていました。

私のコメントは、今回の墨東病院の件に限定したものではなく、過去のいわゆる「たらい回し」と呼ばれる事件と、私の個人的な経験を通じてのものです。

的外れ・・・と思われた方、すみません。
by tobby (2008-10-25 21:45) 

なんちゃって救急医

異論ありは、承知の上で、私の感覚を言います。感情込みです。

赤塚不二夫氏の「死」は、みなが、「これでいいのだ」という雰囲気でした。

ところが、今回の事例に関して、「これでいいのだ」なんてとてもいえる雰囲気ではないですよね。

でも、私はあえてここで指摘します。
この事例も、「これでいいのだ」とあえて考えてみてはどうですか? と。

患者さんもご家族も、医療者も皆一生懸命だったと思います。
少なくとも、標準の医療水準から著しく逸脱した医療行為はいっさいなかったのではないですか?

ご遺族は、まだ「死」を受容するまでには、困難な時期にはあると思いますが、少なくとも、医療者の過失を、訴えている状況ではないですよね?

このような条件がそろっているので、「これでいいのだ」と考えたら、だめですか?

そもそも医療に100点満点は常に存在しないはずです。
今回の事例も、当然100点満点ではありません。
そう、救急システムという点においては、改善の余地はあったかもしれません。

ですが・・・・ですよ。

世間というか、いや報道論調が、あまりに100点満点を要求しすぎてませんか?

あまりに、人体という不可思議な自然に対する敬意が足りてないのではないでしょうか?
四半世紀の科学の発展に、社会の感覚が狂ってきているのではないか・・・?
それは、人類の傲慢とおごりではないのですか?

私とては、そんな人類の傲慢さが恐怖です。現代社会は、何かがおかしいと感じています。

私は、世間全体が、老子の「足るを知る」という精神を忘れ去っているのではないかと思っています。そして、それは、医療崩壊という視点からも見てもとても重要な視点ではないかと思っています。

100点満点を求め続けるとどうなるか? どういう不具合がおきるか皆さん考えてみてください。今の医療問題は、すでに、それが形として表出しているのですよ。まさに今回の事例もそれに相当するわけですよ。それなのに、社会はさらに100点満点を求ますか?
変だなあ?と思いませんか? 気がついていますか?それに。

100点満点問題に関しては、このエントリーで書いています。
http://case-report-by-erp.blog.so-net.ne.jp/20080506 の(2)ゼロリスク希求

まあ、それでも、100点満点を要求する意見が出てもいいですよ、そりゃ・・。
私が言いたいのは、何で、報道各社が口を揃えて、100点満点ばかりを要求するのですか?

その一方で、故赤塚先生の言うような、「これでいいのだ」という意見が、少しくらいあってもいいじゃないですか?

どうして出ないのでしょうねえ? 

世間は、どこかで、許される死と許されない死を、分別していませんか?
その境界線は、決してクリアにできるものではないと誰もが心の中でそう思いながら、それでも分別していませんか?

いずれにせよ、いろんな対立意見が、異見として世論上にあがり、それをきっかけに、国民一人一人が考えるきっかけにすりゃあいいじゃないですか?

私は、そう思うのです。

本エントリーで述べた報道のバランスの悪さを、自分の感情をこめていえばこうなるわけです。

私は、荘子の思想に傾倒していますので、どれが正しいとかどれが間違っているとか、そういう二分的な思考はしないでおこうと常々自分に言い聞かせています。

議論のたたき台になればと思い、挑発もこめつつ、感情的な論調で書いてみました。

by なんちゃって救急医 (2008-10-25 22:23) 

skyteam

 いわゆる熱しやすく醒めやすいメディアの報道姿勢は常に疑問を感じています。まったく、奈良の時もそうですが、メディアが出した情報の不正確さ、「社会正義」を振りかざす時に、現場の状況を踏みにじるような社説、世の中の問題を不正確に「報道」したあと、結局、何も改善に繋がっていないのが現状です。
 まったなしの状況が続いていますが、何一つとは言いませんが、重い行政の腰が少し浮いたくらいで「問題はこれで解決・・・」するわけなく、現場の医療について改善が行なわれているか日夜アップデートしてくれなければ、ならないのですがね。

 いずれ報道側も気づくでしょうが「拒否」とか「たらいまわし」といった表現だけでなく、「日ごろ」何もなければ医療側を無視し、何かあれば「騒ぐ」だけで、迷惑ですよね。
by skyteam (2008-10-26 01:48) 

思う事ありな人

たまたま読ませて頂きました。

私は他業界の人間ですが、その業界でも構造的な問題や人的な問題など完璧では有りません。
したがって、医療関係者の方の苦悩は分ります。まして人命に関る事ですし…

しかし、あえてですが
”外的要因の問題を指摘するばかりで、おのずと自己保身、自己正当化をする”
ような事には為らないで欲しいとも思います。

私の業界でも構造的な原因等、自分ではどうにもならなそうな問題に直面する事は有りますが、それを声高に論じたところで、”文句ばっかり言ってる人”になるだけです。

では、その問題を解決するべく行動していますか?
現場レベルでの解決策を行なっていますか?
国がなんとかしないと駄目と思うなら、国になにか働きかけていますか?

それすらせず、欠陥があると言っている日常業務をこなすだけでは、”文句ばっかり言ってる人”だと思います。

決して、”貴方達がそうだ”と言っている訳ではありませんので!



学校の先生とかもそうですが、医療に関る方には
自分が思う医療をするのが正義、とかにはなって欲しくないです。

何が言いたいかと言うと、生活とか、諸事情あるでしょうが、この国では、”職業選択の自由”が前提です。
つまり、自分で進んだ仕事で、自分で問題があると思うなら、少なくとも自分で行動はおこしましょうよ、と言う事です。

完璧な理想的な社会やシステムや人なんていません。
つまり、決った仕事を行なっていれば良いだけの職業なんて有り得ないはずです。
さらに、正論の正しい事が自動的に行なわれて、全ての事柄が修正されるなんてとこも有り得ません。

しかし、それでも医療に従事する事を選んだのなら、例え正論でも批判ばかりでは、”私はですが”、快く思いません。

仕事を辞める事だって出来るわけですから…
事実、私の同僚には業界の問題点が解決されないと判断して、仕事を変える人間もいます。

あまり上手い文章ではないですが、
自分で決めた道、問題の指摘は良いが、それだけで第三者がどうにかするべき、してくれるでは決して問題は良くならないと思う、と言う事です。
by 思う事ありな人 (2008-10-26 05:43) 

なんちゃって救急医

>思う事ありな人 様

お立ち寄りありがとうございました

【自分で決めた道、問題の指摘は良いが、それだけで第三者がどうにかするべき、してくれるでは決して問題は良くならないと思う】

私も同意します。私は、ブログを通して問題意識を持ってもらう人が増えてくれればいいと思っています。つまり、問題意識に気付いていただくということです。その後は、ご指摘の通り、各人の問題でしょう。

振り返って自分を見るに、ここでほざくだけでなく、やることはやってるかなと思います。

by なんちゃって救急医 (2008-10-26 07:40) 

石部金吉

ただの一般人様へ

医療問題に興味をもっていただき、ありがとうございます。何事も、興味を持つ、ということから始まるのだと思います。早速、東京妊婦死亡症例に関する御質問に対してお答えさせていただきます。

(1) 今回の東京妊婦死亡症例の報道のあり方について

言い尽くされたことではありますが、「たらい回し」「拒否」という言葉が問題です。

そもそも、「たらい回し」という言葉を今回の事件(東京妊婦死亡症例)に使うのは、日本語としておかしいわけですね。
「役所に行ったら、『担当が違う』と言われて、アチコチたらい回しにされた」
という使い方をするのではなかったかと思います。
救急で言えば「一旦受け容れたA病院がB病院に転送し、B病院がC病院に転送した」というのが、正しい使い方だと考えます。「昭和40年代には実際にあったんだ」とウチの院長が申しておりました。なので、今回の事件に「たらい回し」という言葉を用いる人々の学力そのものに疑問を持ってしまいます。

次に「拒否」という言葉ですが、この言葉に対する医療者側の違和感をうまく表したものとしてホテル予約の例があります。つまり、宿泊予約のためにあちこちのホテルに電話したところ「生憎ですが、全館満室でございます」と返答されたとします。その時に、電話した人が「このホテルは受け入れ拒否をした」と言うことはないはずです。同様に、病院が諸般の事情で患者受け入れができない場合に、「拒否」という言葉を用いるのは適当ではありません。

なので「たらい回し」「受け入れ拒否」ではなく「受け入れ不能」が正しい表現ではないか、と思うわけです。

ところで、ただの一般人様の御指摘にもありましたが、東京妊婦死亡症例に対するNHKの報道そのものは、「拒否」という言葉を用いている部分以外は、冷静なトーンのように、私には思います。
http://case-report-by-erp.blog.so-net.ne.jp/20081022

医療側の過剰ともいえる反発は、この報道に続く的外れな「医療機関叩き」「バッシング」を予感してのものではなかったか、と思います。と思っていると、スポニチや朝ズバッ!が見事にやってくれました。このような報道をみると医療側も、「もう、やってられねえよ!」となるわけです。

スポニチ 「それでも指定医療機関か 7カ所診療断られ妊婦死亡」
http://www.sponichi.co.jp/society/flash/KFullFlash20081022032.html
→ なぜか現在はタイトルが変更されています 「脳内出血と分からず…7カ所診療断られ妊婦死亡」

朝ズバッ!を紹介した J-CAST ニュース 「また妊婦死亡 ERって何のためにあるの?」
http://www.j-cast.com/tv/2008/10/23029076.html


(2) 「今回の事も、構造的な問題だけが問題なのか」について

たぶん、構造的な問題+個別の問題だと思います。その割合は、私の感覚では80:20ぐらいのところまで来ているような気がします。つまり、現場で何とかできる個別の問題の部分は非常に小さくなっているように思います。もし、10年前に同じ事件が起こっていれば、この比率は全く逆転していたわけで、医療者側の私ですら「現場は何をしていたんだ!」と非難していたかもしれません。

で、構造的な問題の実態が何であるかを説明しようかと思いましたが、すでに当ブログの過去エントリーに整理されているので、御覧になってはいかがでしょうか? 読んでみて「ここがわからない!」という場合には、御指摘いただければ具体的に説明するに吝かではありません。

http://case-report-by-erp.blog.so-net.ne.jp/20080506
http://case-report-by-erp.blog.so-net.ne.jp/20080507

一般の方から色々な御質問をいただくと、それに答えるという形で、私自身も自分の考えを整理する機会になります。

長文失礼いたしました

by 石部金吉 (2008-10-26 08:00) 

じゅん

システムが整っても、救えない命があることも歴然たる事実ですが、
理想のシステムと現実のシステムのギャップを受け入れる必要があると思います。

理想のシステムは、平成8年に厚生労働省が出した通達「周産期医療対策整備事業の実施について(平成八年五月一〇日)(児発第四八八号)(各都道府県知事あて厚生省児童家庭局長通知)」にあるように、「二四時間体制で産科を担当する複数の医師が勤務している母体・胎児集中治療管理室」を有する総合周産期母子医療センターなのだと思います。
しかしながら、それは机上にしか存在しないセンター。
理想と現実のギャップを埋めないと、現実を直視しないと、なにもかわらないのかもしれません。

今、日本に存在している総合周産期母子医療センターは、望まれる医療従事者を確保できていない「偽装総合周産期母子医療センター」だけど、偽装されていないセンターなんて作れないのも事実なので。
理想を掲げても、実現できないのにそのまま放置したら責任逃れだと思う。
理想に近づくための方法とそれまでの不都合をしっかり説明して理解してもらわないといけないのではないでしょうか?
通達をだして終わりじゃ、国の責任放棄で地方への責任の押し付けってなってしまい、都知事と厚生労働大臣のバトルという構造も理解できるなぁ。
by じゅん (2008-10-26 14:05) 

なんちゃって救急医

>じゅん 様

ありがとうございます。的確なご意見だと思います。

【通達をだして終わりじゃ、国の責任放棄で地方への責任の押し付けってなってしまい、都知事と厚生労働大臣のバトルという構造も理解できる】

この部分に、報道の焦点が当たっているのは、確かに今回の報道を評価すべきだと思います。個人的な報道嫌いという感情的側面がつい上回ってしまいそうになる自分ですが、今回は確かにこのシステム問題の報道が中心ですからね。

しかし、私は、システムが100点満点になっても、医療問題は解決しないと私は読んでいます。なぜなら、人は、死ぬときは、ひとりです。目を背けたい現実からもしれませんが、のがれられない現実です。医療は、人知の遠く及ばない生死をとりあつかいます。そこに謙虚さが必要です。それを忘れてシステムも含めた100点満点を盲目的に目指し続けたら、早々にとんでもないことなると私は予見します。

だからこそ、システム論だけでは不十分で、一人ひとりが自分の生死、家族の生死などを日ごろから考えておくこと。医療問題を人事の視点で眺めずに自分のこととして多くの人が気がつくことが極めて重要だと思います。

今回のエントリーは、システム論を超えた先の所で、一人ひとりの気付きを得てくれればなあと個人的な想いをこめて書いたものです。

(報道に対する愚痴モードに関しては、見苦しい処がありますが、どうかご愛嬌でお許しください)



by なんちゃって救急医 (2008-10-26 14:49) 

rom

いつも楽しみに拝見させていただいています。マスコミは何の得があってあのような書き方をしているのかがよくわかりませんが、いろいろな医療者の方が開いているブログを拝見すると、一様に今後の日本の医療を憂いまた崩壊を何とか防ごうという御努力がよくわかります。
 この医療崩壊における、被害者は医療者でなく、当事者は我々非医療者なのですが。(もちろん医療者の方も患者さんになることはあるので、まったく無関係だとはいえないかもしれませんが、それとて回避は可能です)しかし、肝心のメディアの主張は何故か本質から非医療者の目を奪い、単に報道だけに情報を頼っていると「医療崩壊」が起きると困るのは医療者で、医療者は「奢る者久しからず」で困って当然なのだ、と勘違いしかねない報道姿勢だとおもいます。
 本当はいま「医療行政を何とかをしろ!」と声を張り上げるべきは、マスコミも含め、私たち非医療者なのですが。
 十分でない資源は大切に、大事に扱わないとなくなってしまうということがマスコミの報道からは一切感じられません。
 昔はみんなの周りにもっと普通に「死」が転がっていたと思います。でも最近は多くの病気は助かるし、また環境も改善され普通に生活しているとあまり「死」を考えなくなっています。
 「人が死ぬことは特別なこと」恐らくこれがベースにあって、だからその「特別なもの」から逃げたくて、怖くて、誰かのせいにして少しでも気が休まりたい、というのが風潮にあり、そいこに何かの悪意が付け入っているように感じるのは私だけでしょうか?

by rom (2008-10-26 18:38) 

rirufa

> この医療崩壊における、被害者は医療者でなく、当事者は我々非医療者なのですが。(もちろん医療者の方も患者さんになることはあるので、まったく無関係だとはいえないかもしれませんが、それとて回避は可能です)しかし、肝心のメディアの主張は何故か本質から非医療者の目を奪い、単に報道だけに情報を頼っていると「医療崩壊」が起きると困るのは医療者で、医療者は「奢る者久しからず」で困って当然なのだ、と勘違いしかねない報道姿勢だとおもいます。

24日の10時ごろ、ニュースステーションで墨東病院のことについて報道していたのですが、医者を批判するような姿勢はなく、医師不足が原因だとはっきりつたえ、その原因に医療費の削減を挙げてました。朝ズバでも、軽症なのに押しかけたり、昼間忙しくて夜に来るモンスターぺいしぇんとと句集みたいなの行い、国民が悪いということ印象づけるようないようでした。(背景には触れてはいないところが相変わらずですが)
by rirufa (2008-10-26 20:27) 

ちゃんこ

提言の必要性について、思う事ありな人さまのおっしゃることはその通りだと思います。
しかし、あえて医師の名誉のために言わせていただくと、みんなが何もしていなかったわけではありません。一部の声高の医師は提言していました。
しかしそれが都立病院であれば「アカ」のレッテルをかけられ、退職させられた医師がいるという事実はあまり知られていないでしょう。
また、保険診療という名の国に統制された医療も原因になっています。言いたいことを言っても次の診療報酬は国からカットされる・・・つまり国に対して少しでも反体制的な言動をするとたちまち制裁を食らったわけです。収入が無くなってまで国と対決する医師はそこでいなくなります。

マスコミも興味はないらしく、ほとんどこういうことは報道されてきませんでした。
しかしインターネットが普及し、匿名のブログが現れるとそれが一変します。現場の生の声を一般の方が直接耳にするようになります。
最近はこの効果のためか、医療者に同調する非医療者も増えました。まさにインターネットのおかげですね。
by ちゃんこ (2008-10-27 13:13) 

なんちゃって救急医


日時 2008-10-27 12:04
コメント本文 はじめまして 事実B:システムが整っても、救えない命があることも歴然たる事実。 私は○月、妊娠高血圧症候群で周産期母子医療センターに管理入院していました。それなのに・・・入院生活が一ヶ月経った○月○日、3○週で死産し、私はDICを起こし子宮を失いました。○年前に息子を産んだ後、○年前から二人目不育症で、○度流産した後の○度目にやっとここまで育ってくれた、本当に心から待ち望んでいた赤ちゃんでした。現在の主治医には昨年からお世話になっていて、血圧以外は何も異常がないとの事で、自然妊娠によるチャレンジでした。 私も、多分主治医も、今回問題になっている事例が生じる事を第一に考えていました。私も自分の体の感覚を逐一お知らせしていました。それなのに気付いた時には赤ちゃんの心臓が止まっていました。○曜日の朝の出来事でした。出血があって点滴をしていたけど、前日の夜には心拍確認していたのに、胎動もちゃんとあったのに・・・何故私が気づいてあげられなかったのか、自分の体が赤ちゃんを殺してしまったと動けない体で泣く事しか出来ない地獄のような毎日でした。 主張B:その死を受容し、それを今後の自分の生き方にどう反映させるかが極めて重要である。 頭では分かっています。主人も一人息子もいる私は生きなくていけないという事は。自宅から駆けつけて手術して下さった主治医の先生や、善意で献血して下さった血液をそれぞれ10単位以上使ってやっと助かった命だって事、年間数十人の妊婦が亡くなっていて、私も入院していなければ確実にその一人になっていた事も。それでも、一ヶ月経ってもまだ自分はあの時死ぬべき人間だったのではないか、これは夢で、本当は私は植物人間かもう死んでいるのではないかと思えて仕方ないのです。あの子と同じように朝心臓が停止してほしいとも思いました。朝起きてもつい、お腹の傷の痛みを感じるたびに「今日も心臓止まらなかった・・・」とつぶやいてしまいます。 DICという言葉は手術後に聞いて初めて知りましたが、自分の身に起こった瞬間、裁判の報道が頭を過ぎって自分の死を意識出来ました。正直これで死んでもいいのかも、正に「これでいいのだ」と思っていたのかもしれません。でも、生き残ってしまって次男の死に直面すると、とてもじゃないけど「これでいいのだ」なんて思えません。 今報道されている妊婦さん、36歳で35週での出来事だそうですが、私は 3○歳で3○週での出来事でした。私は他人ですが、そのお母さんは無念だけど赤ちゃんが助かって良かったと思っているような気がします。  ・医療システムが整いさえすれば、リスクの現実化(いわゆる死などの事象)がゼロになるという幻想 私には、入院管理してれば大丈夫だろうという安易な考えがあったのかもしれません。それがひょっとしたら今回の死産に繋がってしまったのかとも思います。 実はこちらのサイトでも相談していたのですが、色々検索しているうちにこちらにたどり着いて、どうしても書きたくなってしまったので、つい書き込んでしまいました。 http://www.askdoctors.jp/public/showCategoryTopPage2005.do 支離滅裂で分かりづらい文章になっていたら申し訳ありません。

■■■

以上、蛍さまからいただきましたコメントです。個人特定、医療機関特定とならないように、本文中具体的な数の部分については、ブログ主判断で伏字(○にて)とさせていただきました。ご理解のほどよろしくお願いします。

当事者には、当事者にしかわからないお気持ちがあるかと思います。
>とてもじゃないけど「これでいいのだ」なんて思えません。
と思われてるのは、ある意味、ごく当然のことなんだろうなと思いました。

ネットコミュニケーションonlyで、各個人の体験ベースのお気持ちにまで踏み込みながら、お話を続けられるととは思えませんので、これ以上、お気持ちに立ち入ることは差し控えさえていただきますが、私は、お感じなっておられるお気持ちそのものを尊重します。



by なんちゃって救急医 (2008-10-27 15:17) 

これからの医者に必要なものを考える人

一部のマスコミが病院バッシングをして 読者受けを狙った「たらい回し」「受け入れ拒否」の報道はインパクトがりますが不適切だと思います。
 ただ 社会的な不安が根底にあるので読者は食いつきます。医療側は一般的にはバッシングされ責任を感じ傷つきます。社会のために働いている医療者のやりがいを虚しくさせている。そのうち 医療者はどうせ酷使されるなら発展途上国の感謝する人々の下へとながれるのではないでしょうか。あるいは医者を目指さなくなる。
本来報道陣で自主規制すべきなにではないかと思います。自殺報道の問題で学んでいないのでしょうか

by これからの医者に必要なものを考える人 (2008-10-27 16:11) 

ビビりの研修医

皆さんの記事を読ませていただきながら、私もいろいろと考えました。

まず、「現場で出来る努力をしていますか?」という問いかけをしていただけた方がおられました。さすがに一介の研修医に人事権などの大きな権限があるわけではなく。できることというと、いわゆる「コンビニ受診」「濫受診」をできるだけ減らすための、わずかながらの努力だと思います。どういうことかというと、何らかの形で、私が外来診療を担当した患者さんには、できるだけ、具体的なフォローアッププランを提示するように努力をしています。私のいる病院は、研修医に結構時間の余裕があります。なので、よほどの混雑がない限り、患者さんへは、説明をしっかりと行うようにしています。帰宅できること=大した病気ではない、とは違う、ということ。なぜ、抗生物質を出す、あるいは、出さないのか。出した場合、一見「治った」ように見えても最後まで飲みきってほしいのはなぜか、なぜ、点滴をしないのか・・・etcetc。なので、来年以降、スタッフとなった私の努力目標としては、この質を落とすことなく継続していくには、どうすればいいか、あるいは、何が足りないか、を考えることだと思っています。

少し前の書き込みで、私は「不安だ」という表現をしましたが、私は同時に、不安というのは、生きていく上でともに抱えていくよりほかにないものだと考えています。極論すれば、私が今日、この書き込みを終えた後に、もしかしたらピッキングにあって殺害されるかもしれない。明日の朝、起きて出勤途中、車にひかれて死ぬかもしれない。最近、私結構不摂生ですので、脳卒中、心筋梗塞を起こさないとも限らない。考え出せばきりがないわけですが、では、それに対してどうすればよいか。全く対処のしようがありませんよね。(せめて戸締りをしっかりする程度、今後の食事に気をつけるくらいでしょうか。)
それに、不安だからこそ、その「不安」の正体をしっかり見つめることが大事なのではないでしょうか。経験の少ない私が日常診療を、まだそれなりにもこなしていくことができているのは、だから、といってもいいんじゃないかと思います。

ただ、数日間考え続けて、とうとう答えが出なかったこともあります。
こちらへコメントを書かれる方、議論をしていただける方、多少の方向性の違いはあれど、おおむね、「不安」「不確実性」についての考え方が賛同できますし、理解できます。
しかしその一方で、そういったものを、かたくななまでに忌避する人がいます。その間にあるものは何なのだろうということについて、全く考えが浮かびません。過度の楽観主義と、それに基づく不安の忌避をあおるマスコミ報道が一部原因ということもあると思います。核家族化、希薄な近所づきあいで、知識が共有されないことも原因の一つなのではないか、とも思います(柏原でのコンビニ受診防止策が成功したことが、端的に示しているように思います。)。
しかし、そのような原因をいくつか並べてみても、「なぜ、不安を抱え込めなくなってしまったのだろうか」と、小松秀樹先生の「医療の限界」を、何回も読み返してみましたが、どうも考えがどうどうめぐりしてしまいます。不安におののくことが、現代における一種の「疾病利得」になってしまっている、というのは考えすぎでしょうか。

この場にマンガの話で恐縮なのですが、ずいぶん昔のマンガ、「おやこ刑事」の全巻セットを、この間購入しました。本当に古くて、私が生まれたか生まれないかのころに発売された漫画です。
タイトルの通り、主人公は父親とともに、刑事を務める青年です。主人公の母親は、主人公を出産した直後、意識を取り戻すことなく亡くなります。
主人公の父親は、恨み事をぶつけることなく、赤ん坊の主人公を抱きしめて男泣きし、しばらくは「ふぬけみたいになっちまった」と言われつつも、やがて、男手ひとつで育て上げます。

こういうお話、今はもう成り立たないのだろうか、今はそこで、医師に食って掛かるのが愛情表現だと思われてしまうのだろうか、と心配です。

なんだかまとまりのない文章になってしまいました。
by ビビりの研修医 (2008-10-27 23:11) 

フィッシュ

昨日になって、ご遺族の方の「誰を責めるつもりもない」というコメントが載りました。赤ちゃんを抱きながら、どんなに引き裂かれるような思いをされていらっしゃることかとつらくなります。
いまだに、今回の記事は誰がどのような主張をしたくて書いたのが、よくわからずにいます。なにか煮え切らないものを感じます。
そう、先生が「なぜ、これでいいのだと思えないのか」と書かれているその核心の部分を避けて、今回の記事は周産期医療をより良くするための議論のきっかけになったかのように、事態が進んでいるからだと思います。

奈良の未受診妊婦が死産された件も、ニュースから得た情報では、産科的にはたとえかかりつけ医がいたとしても死産は防げなかったのではないかという状態でした。なぜそれがニュースになったかといえば、あの時にたまたま救急車が衝突事件に巻き込まれたからニュース性を持ったのだと思います。そして、「たらい回し」という表現が、あっという間に世の中に広がってしまいました。
そして「どこかに不手際があるはずだ」「社会(医療)が尊い命を殺したのだ」という見方が広がってしまったのではないでしょうか。

今回も「搬送までに何回も拒否された」「都内で病院がたくさんあるのに拒否された」「地方では救急拠点は一箇所しかないので、絶対に断らない」
など、首都圏の周産期医療の不備を問うものになっています。それ自体は、改善されるべきことがあれば歓迎です。
ただ、搬送が決まるまで1時間、その間に意識レベルが落ちていった産婦さんを2~3時間以内で帝切、開頭術までしてなくなられたこと自体は、ニュースにすることなのでしょうか。・・・そこが、産科に働く者として、煮え切らないままでいます。
母子ともに安全に分娩が終了するということは、最高の目標だけれども、私達にもどうすることもできないことがあります。それは、どんなに医療レベルが上がっても、またあらたな課題がでてくることでしょう。
生まれる、生きるということはいつも死と隣り合わせなのですから。

周産期医療の不備をニュースにするのでしたら、このような「悲劇」を切り口にしなくても、日頃からいくらでも題材はあると思います。墨東病院の当直体制だけでも、「大丈夫か?」と問いかけることはできたはずです。

by フィッシュ (2008-10-28 12:24) 

整形外科部長

現在当直中です。急患入院後に少し目がさえてしまったのでまた読ませてもらっていました。
先日コメントを記入させていただきましたが、残念ながら承認されなかったようです。
おそらく身内である医師が医師批判をしたからでしょう。
そういう意見も載せてこそ、議論の価値が上がると思ったのですが・・・

マスコミの報道姿勢を批判するなら、医師ブログでも別の意見を取り入れなければ単なる言論規制と同じです。

実はマスコミの医療担当者は、「忙しい」「足りない」といっている医者のなかに、さぼっていて社会性のない人間がいっぱいいることを現場取材で掴んでいます。さすがに医師の信用が落ちてしまうので書かないだけらしいです。
同僚の中にも、無下に急患や新患を断る人がいます。
診もせずにリスクが低いもの意外は断ります。
無論「満床」「処置中」という嘘を使って。
夜間などの救急搬送お断り連発は、そういった医者側の受け入れる姿勢が多分にあります。7つも8つも同時に忙しいなんてありえないことは医療従事者なら皆知っていることです。

「面倒」「診ても断っても給料一緒」「どうせバイトだし」「明日も仕事」
こういう内実で断られていることを世の中が認めてくれるとは思いません。

今回のケースでも、安易に断った病院があるようですが、それが明らかになる前に、ある程度医師側から、「本当に受け入れられなかったのか」という意見が出てもいいと思ったのですが。

医師側も「医療崩壊」を勝手な追い風にせず
職業意識・プロ意識をもって治療に当たって欲しいものです。
そうしないと密着取材で、「それほど忙しくない」「ブログを書く暇がある」
と掴んで実態を暴こうとしているマスコミに本当の意味で窮地に追い込まれます。
by 整形外科部長 (2008-10-29 04:46) 

なんちゃって救急医

>整形外科部長 先生

先の先生のコメントは

速報 妊婦死亡のニュースに関して一言

のエントリーで公開させていただいています。

先生のご意見は貴重なご指摘です。ありがとうございます。

by なんちゃって救急医 (2008-10-29 06:23) 

風流風天

この問題は(国や)都が救急制度の形だけ作って制度の保守を怠っていたために、いざという時に救急搬送システムが能書きどおり機能しなかったというケースですね。
必要なのは制度が機能するように国や都の責任で保守点検することだけだと思います。
なんとなれば周産期センターをERに併設するというのは政策であり公約であるから、保守点検も当然公約に含まれるからです。ERの看板にふさわしい人員や設備の配置不足は公約違反であり、行政が運用に必要な予算を組んでいないのであれば行政の政策実行責務に反します。このケースで事故というのであれば行政事故でしょう。

ひとりの人間として若くして病死なさった女性のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
by 風流風天 (2008-10-29 11:59) 

moto

>整形外科部長様
当直および朝4時台の急患受け入れお疲れ様です。

>実はマスコミの医療担当者は、「忙しい」「足りない」といっている医者のなかに、さぼっていて社会性のない人間がいっぱいいる

これは、診療科によるのではないでしょうか?わたしも皮膚科の出身なのですが、整形外科も、命に差し障る急変は少ないと思うので、医師によっては、自身のQOLを第一に考えるかたは多いように思いますが、いかがでしょうか?
それから、時代も関係すると思うのですが・・5年10年前ならともかく、いま、救急を受ける場に残っている先生方で、そんな余裕な先生っているのかな?

今回の妊婦さんを断った病院のうち、板橋の日大救急センターには、今年の正月に見学にうかがいました。一日見学していて、5~6件救急車を受けたでしょうか?CPAもしくはそれに準じた重症患者ばかりでした。初療中に次の救急隊からの電話がかかってくることも多く、その場合は「初療中です」と断っていましたが、そうでない場合は応じており、受け入れ余力があるのに、医者が恣意的に断るなどということは出来ないシステムのようでしたよ。

by moto (2008-10-29 16:39) 

整形外科部長

>>なんちゃって救急医様
たしかに前回のエントリーでコメントを書いておりました。
勝手な勘違いです。申し訳ありませんでした。

>>motoさま
その通り、忙しさは診療科によると思います。
全国一概に多忙・勤務医医師不足といわれているのは産科・小児科・救急です。そして病院や地方により、不足している科が加わります。
ちなみに先生が思っておられるほど整形外科は甘くないですよ。
骨盤骨折はじめショックに陥る外傷はいくらでも来ますし、高齢化社会で90歳以上の骨折手術は増える一方です。当然ちょっとしたすきに胸水がたまったり、肺炎が起こったり大変です。
また下肢の全患者にDVT・PEのリスクを説明する必要があります。
命には結構関わりますよ。誤解無くお願いします。

さて日大板橋救急は都内で最先端かつ最前線を張る救命サンターで、よく知っておりますし、重症の転送を受けていただいたこともあります。何でもござれのすごい病院であり、ここが受け入れを断るのはしっかりした理由があると分かります。

では他の病院もすべてそうだったか・・・となると発表されている理由では、真剣に患者や紹介もとの医師の必死さが伝わらず、「都内だし、他にもどこかあるでしょ。うちがそこまで頑張らなくても」というニュアンスが感じられて仕方ないのです。
どこか他人任せというか、積極的に関わりを持とうとしないというか、そういう医者のモチベーションで、断られる患者さんは本当に気の毒と思います。

まず最初にリスク・裁判の可能性ありき、で診療を避けるのはやはり同じ医師としては寂しく感じます。
気を引き締めて診療にあたり、患者さんや家族にしっかりと面倒がらずに説明をする、もちろん予測外のことや急変も起こりうる説明もする、という当たり前のことをやっていれば、その患者が重症でも、結果的に訴訟リスクは激減すると思うのですがどうでしょう。
そんなに説明に納得してくれない患者・家族ばかりではなく、今回のような家族のほうが圧倒的ですよね。
重症・急患患者=理解の悪い・ハイリスク・クレーマーとしては患者サイドが気の毒です。

>、「忙しい」「足りない」といっている医者のなかに、さぼっていて社会性のない人間がいっぱいいる

たしかに救命の先生には少ないと思います。1次2次救まで診させられ、「お願いだから1次2次の先生たちもっと取って下さい。隠れ3次だからと押し付けないで!」と困っていらっしゃることがあるようです。

私が接触しているマスコミの方の話は、どちらかというと「都会の大手の病院」の、
要は「ちょっと名の通った先生方」への取材を通じての感想のようです。
ちょっと研修医が減って、自分の雑用が増えてしまった、急患に自分が対応する機会が増えた、おかげでリスクに直面する機会が増えた、というのですが、あまりその忙しさが見えて来ないらしいです。
あんた偉そうにいっているけどもっともっと忙しい人が黙々と救急で頑張っていますよ。といいたくなるそうです。

社会性の無い、サボる医者は私の周りにもいっぱいいます。
皆さんの周りにもいますよね。
30分に1~2人の予約しかいれずそれ以上は絶対診ようとしない医者。
今日は急患3人見たからもう店じまいね~と無条件に断る医者。
逆に何かと可能性の低いリスクを前面に押し出し、断る医者。
夜中の急患には、必ず不機嫌に対応する医者。
ちゃんと診察してないのに、カルテだけはしっかり防衛線張りまくりの医者。
自分のQOLは大事ですが、仕事をちゃんとやった上でのことですよね。
医療崩壊万歳とか、医者がいっちゃあ駄目だと思うんですよね。

長文かつ乱文すみません。
どうも夜書くとハイな文章になってしまいます。







by 整形外科部長 (2008-10-29 23:39) 

moto

>整形外科部長様

そうですね~。おっしゃりたいことは、とてもよくわかるような気がします。ていうか、30代~40才で勤務医であったころの自分の気持ちによく似ています。

しかし、医者の仕事量とか、サボってるサボってないっていうのは、結局はそのひとの能力に関わる相対的なものであって、自分よりもっと働いているひとから見れば、自分はサボっていると判断されてもようがないわけですよね?
いまは、そう考えるようになりました。昔は先生同様の不満をかかえておりました。

それと、やはり、医者が、同僚である医者を、あいつはサボっている、俺のほうがどう考えても仕事をこなしている、といったことは、たとえ匿名でも、ネットとかで言ったらいかんと思うですよ。
なぜかというと、世の中の一般人が、サボっている医者を探し出せ、と疑心暗鬼になるじゃないですか(^^;。
それは、先生が望んでいない、医療崩壊への拍車となりかねません。
これは、医者同士でかばい合うということではありません。明らかな空床を隠していたとか、具体的な落ち度が見つからない限りは、まず医者同士が信じ合わうべきかと。
連携・チームプレーってそういうことだと思います。

えらそうなことを書かせていただいていますが、昔のわたしは、ほんとうに、自分以外の医者は信用しない、くらいの気持ちに追い込まれていたこともありました。
いま思えば、過労だったのでしょう。
先生もご自愛ください。
by moto (2008-10-30 01:13) 

石部金吉

整形外科部長先生

お勤めご苦労さまです

>社会性の無い、サボる医者は私の周りにもいっぱいいます。
>皆さんの周りにもいますよね。

いますよ。

でも、サボっているとまでは、私には言えません。週80時間働いている医師が、他の医師に「キミ、60時間しか働いていないじゃないか!」と非難しているようにも聞こえるからです。そもそも平均60時間労働でも回せない現場の方が異常ではないか、と私は思います。

ただ、時間的なことは抜きにして、以前に比べると、地域住民に対する勤務医のロイヤリティがなくなってしまったのも肌で感じます。今、私の周囲では、勇ましいことをいう医師がいると、「先生、まだ洗脳がとけていないんですか?」と揶揄するのが流行っています。あながち冗談とばかり言えないところが怖いです。

語りつくされたことですが、現在の医療崩壊は、医師たちの週80時間労働にタダ乗りしてきた日本の医療制度の必然的な結果だと思います。医師の心が現場から離れてしまっても責めることはできません。

頑張る医師もいて、頑張らない医師もいて、それでもやっていける現実的な制度を国民全員で考える時期に来ているのではないでしょうか。

勤務医も開業医も、医療者も非医療者も、一緒に前向きの議論をしていきましょう。

by 石部金吉 (2008-10-30 05:55) 

ミヤテツ

 整形外科部長先生のコメントを、夜中に見て、朝になったら、何かコメントしようと思っていたら、moto先生と石部金吉先生がうまくコメントされていました。
 整形外科医先生、かなりの過労だと思いますよ。しっかり、お休みされていますか。ワーカーホリックになっていませんか。しばらく休んでも外来も、病棟もそれなりに回りますから。というより、先生が抜けてもできるそれなりの仕事量を、基準に仕事を 回すように組むことが部長先生としての仕事の大きな部分ではないでしょうか。
 自分が昔、していた仕事量で若い者を図らないようにしてください。今は精神的ストレスは10年前と比べて10倍以上になっていると感じます。
 医師免許は87年にとっています。私も、昔はそのように感じて仕事をしていました。それは今、間違いだったと考えています。

by ミヤテツ (2008-10-30 08:00) 

フィッシュ

整形外科部長先生のコメントの中に、「7つも8つも同時に忙しいなんてありえないことは医療従事者なら知っている」とありましたが、周産期医療に関しては「ありうる」時もあるのではないかと思います。

母体搬送先を探す時、首都圏でもだいたい数箇所以上の施設に連絡をとることがほとんどです。
「忙しい」かどうかだけでなく、周産期医療センターに入院中のハイリスクの妊婦さんたちがいつ分娩や急変する可能性があるなかで、その方と赤ちゃんのためにベッドを確保が必要な予断を許さない状況もあると思います。
また、産科的には受け入れられそうでも、新生児科の方で手一杯だったり、その反対だったり、いつでも2科が同時に受け入れられるわけではないと思います。マッチングがけっこう大変そうです。たとえ断られても、手を抜いているのではなくそういう状況があるのだろうと認識していましたが・・・。

また、産科に勤めていると次から次へと陣発の入院、分娩が続く日があったり、凪のようにぱったり何も無い日もあったりすることは、皆体験することだと思います。他の病院で働いている友人に聞くと、「あ、その日はうちも大変だった」ということもよくあります。






by フィッシュ (2008-10-30 14:01) 

あえて

一連のコメントを読んで
皆さんのご苦労もよくわかっていて
でもあえて、

皆さんはご自分の奥さんがそういうことになっても
あのご主人のように言えるんでしょうか?

「自分の病院に入れればなんとかなる」
「あの(産科 ないし小児科の)先生はよく知っているから」
「いつも急患 無理してとってやってるから」
「(自分は)医者だから たとえ満床でも断られないんじゃないか」
「最初から個人開業のクリニックなんかで出産させないし」

など全然考えないで 一般の人と同じ条件でと思ってください。
当然タライ回しもありですよ。
30件 断られるかもしれないです。

以前の記事で
「救急部にいないくせに安全基地にいて批判するな」という
趣旨のコメントを見ましたが
皆さんも 自分あるいは自分の最愛の家族ということに
関しては ある意味安全地帯にいるんじゃないでしょうか。

医師を患者で受け持つと(すぐ直るような良性疾患ではなくてね)
「入院して初めて 患者の気持ちがわかった」
と のたまう方は多いのですが・・・

皆さんはいかがですか?

大変なのはわかってます。
でもなんか 
「一生懸命やっているから 許される」という雰囲気の
偏った意見が多いような気がします・・・
それにそんなに大変だけど
あえて やっているわけですよね?

救急医ではないけど、
救急(ER)には応援で関わる一医者より。
by あえて (2008-10-30 23:01) 

moto

>あえて様

わたしは、同じ状況、もしくは自分が患者の立場になったとしても「誰も他人を責めはしない」自信はありますよ。

>「一生懸命やっているから 許される」
これ、なんか、とっても違和感あるなあ。。
むしろ「もし助かったら、感謝する」だと思います。わたしの感覚としては。

こういうのは、まあ、性格の問題かもしれません。他人を責める、ってことがほんとにできないたちで。
わたしの場合は、自分が医者であったのに、その場にいて(あるいはいなかったらいなかったで)、なんとかならなかったか?と自責にさいなまれるだろうな・・
帝切ってやったことないけど、救急車の中で、母体の瞳孔不同・意識レベル低下の状態で、児心音落ちてきたら、もう、無麻酔でおなか切って出しちゃうかも。
by moto (2008-10-30 23:40) 

moto

追記)
もとい、瞳孔不動で意識レベル低下して児心音低下なら、とりあえず、気道確保で、純酸素投与・人工呼吸で様子見ですね、この場合は。大量出血とかあるわけじゃなし。
母体の心肺機能保ってさえいれば、胎児には危険及びにくいだろうから、バッグもみながら、2時間でも3時間でも、冷静に待つでしょうね。いつかは、どっかが受け入れてくれるでしょう。
母体に対しては、この場合、すごく急がなきゃならない理由はないし。
それまでの管理なら、まともな救急救命士ならできるだろうし、一般人だって講習受けて理屈勉強してればできるんじゃないでしょうか?
どうでしょうか?
なんか、診断クイズっぽくなってきました(^^;。
by moto (2008-10-31 00:25) 

整形外科部長

石部金吉さま

>地域住民に対する勤務医のロイヤリティがなくなってしまったのも肌で感じます。今、私の周囲では、勇ましいことをいう医師がいると、「先生、まだ洗脳がとけていないんですか?」と揶揄するのが流行っています。

 そうなんです。医者同士の会話は、とても患者さんに聞かせられない類の発言がいっぱいありますよね。
 医療者側にも現在の事態のうちいくらかは原因があると思うのですが、まるでマスコミ・行政・患者に100%原因がある、という医療者側の風潮には身内ながら疑問を感じます。


>頑張る医師もいて、頑張らない医師もいて


頑張らない医者が何かの医療事故で話題にならないかが憂慮していることです。それでも「医者は一生懸命やっているのに・・・」的な身内擁護発言が出るようであれば、それこそ世の中の目は益々厳しくなっていくでしょう。

「頑張らない医者もいるから、今回のような救急受け入れお断りが多いのは仕方ありません。」
ではいけないと思います。


ミヤテツさま
>自分が昔、していた仕事量で若い者を図らないようにしてください。今は精神的ストレスは10年前と比べて10倍以上になっていると感じます。

 私は先生より少し若いです。医療崩壊という言葉は10年前はありませんでしたよね。昔からそんなに医者の資質は変わっていないのに。
 世の中が他者に対して厳しくなってきたのは何も医療界に限ったことではなく、ストレスフルな社会になってきているとおもいます。
 その分医者のスタンスも変えていくことを要求されます。
 ただ世の中が望む医者のスタンスって、多分目の前の患者に対してベストを尽くすって言うごく当たり前のことだと思うんですよ。
 ベストを尽くすためには、オーバーワークになっては危険ですしそれはいけません。結果がそれで悪ければ責任を取らされるのも間違っていると思います。が、逆に「リスクが、訴訟が、・・・」で仕事を制限しすぎている医師が少なからずいて、そういう人たちに限って「医療崩壊」という言葉を好んで使っている印象です。
 













by 整形外科部長 (2008-10-31 07:47) 

なんちゃって救急医

整形外科部長 先生のご意見は、とても貴重でありがたいです。

ネット上の言論は、文字媒体のみ。どうしても、白か黒かの強制二分法になり論調が偏りがちです。

具体的言にうと
医療者側が発する情報は、医療者側のスタンスに偏りがちです。
患者側が発する情報は、患者側のスタンスに偏りがちです。

そんな中、整形外科部長先生のご意見は、なかなか医療者側の意見としてネットには挙がらないと思います。そして、

また、仮に挙がったとしても、攻撃、口激についなりがちのところ、コメンテーターの皆様は、とても好感のもてる主張の仕方だと私は思います。

ここ数日、心身が疲労気味で私自身の意見は遠慮しますが、とりあえず、ブログ主として、コメンテーターの皆様に感謝の意だけ申し上げます。

あわせて、強制的な非承認コメントは皆無であることも、感謝の意に含まれていることも付け加えておきます。




by なんちゃって救急医 (2008-10-31 08:36) 

元脳神経外科専門医

>あえて様
私も同じ状況、同じ立場になったとしても特定の個人(医師等)や施設(病院等)を責めることはしないと思います。行政に対しては別ですが・・・。
私の父親は検査中に食道静脈瘤が破裂してなくなりました。母親は腹痛で何度も病院にいって何度も検査を受けていたのに、ある日突然、癌の多発転移の告知を受けました。2人とも60代前半でした。でも、担当医に感謝することはあれ恨みに思ったことは一度もありません。両親の命を奪ったのは病気であり担当医ではありません。自分自身医者なのになぜ早く気づいてあげられなかったかと自分を責めはしましたが、それも運命と受け入れられました。受け入れられるまでの過程でも一度も担当医を恨んだことはありませんでした。それよりも残された家族がお互いの気持ちを支えあい、また、故人の友人などが声をかけてくれたり、そういったことがとても大切でした。このようなこともあり、このブログ主様がいつもおっしゃってることに大変共感しています。

by 元脳神経外科専門医 (2008-10-31 12:30) 

あえて

コメントいただきありがとうございました。

moto様
一般の人は医学的知識はありません。
先生は冷静に判断できるかもしれませんが
(判断できるというのも一般の人と違って有利な点ですし、
一般の人は気道確保してアンビューなんてできませんが・・・)
何がなんやらわからないうちに
こういうことになって、それでもああいうコメントを出されるなんて
若いのに本当にすごい方だと思います。
ちょっと違いますが 例の福島の産婦人科の先生も
ご自身も大変な最中、コメントの最初は常に
亡くなられた患者さんへの哀悼の意で、素直に共感できました。

元脳神経外科専門医様
私の経験上、
亡くなったのが(まだ平均寿命まで達していないにせよ)親御さんか 
あるいはまだ死ぬには早すぎるお子さんとか(若い)奥さん等の場合は
ご遺族の受け止め方も
ちょっとというかずいぶん違うような気がしますが・・・
また死亡原因が急性疾患か慢性疾患によって
ご遺族の死の受け止め方もずいぶん違う気がします・・・
ご遺族が独身か家庭もちか子供がいるかどうかでも
雲泥の差がありますよね・・
私自身も学生時代に父親を見逃された悪性疾患で早くなくしましたが
今回のご遺族とは受け止め方がおそらく全然違うと思います。


わたしは皆さんの意見が間違っているとかいうつもりはありません。
ただ、なんか偏った意見が多いような気がしただけです。
患者さんからの視点があまりにないような気がしました。
まあ医療従事者のブログだからしょうがないのでしょうけど。

マスコミの報道が偏っているのは今に始まったことではないですし
医療に限った話でもありません。
とくに日本のマスコミはレベルが低いですし。
最近は私の見る範囲では報道もずいぶん 
墨東病院寄りになってきていて 見ていて笑えます。

ブログは勉強になりますし、激務の中
わざわざアップされるブログ主様は大変だろうと思います。
(本も買いました)
ただ 福島の先生みたいな視点が
ブログにもう少しあったらいいなと思いました。


by あえて (2008-11-02 00:16) 

moto

>moto様
>一般の人は医学的知識はありません。

うーん、医学的知識っていうのは、身につけるべきだと思いますよ。たとえ一般のひとであっても、プレホスピタルケアは。
わたしは、医学というか、医療というのは、家庭科の延長だと思ってます。知らなければ教えてあげればいいし、また、医者には、広い意味での、教えるべき社会的義務があると思っています。
なんちゃって救急医先生の偉いところは、こういう一般に開かれたブログを介して、勉強の場を提供しているところにもあります。単に医者同士で議論したいなら、SNSでやればいいですからね。

何事もそうですが、医学も、みずから勉強することで、先達と言うか、より知識・技量の深い人への尊敬・敬意も生まれます。敬意は、医者や救急隊員への信頼感にもつながるし、医療の限界をも悟りやすいでしょう。中学高校の家庭科あたりから、BLSなんかは取り入れるべきじゃないかな。そういえば、アメリカの大学なんかじゃ、BLS受講すると、非医療系でも何単位かもらえるそうですね。

by moto (2008-11-02 10:13) 

消化器内科医

整形外科部長先生のご意見に共感する部分が結構あります。

救急外来で受け入れられる余力があるのに断る医師は少なからずいます。正当化する理由はいくらでも作れます。予定入院の患者だけでもベッドに余裕がありませんから、例えば「入院させるベッドがありません」と言えばウソにはなりません。実際には入れることはできますし、かかりつけの患者ならそうしているんですけどね。

昔、私がトレーニングを受けたころは救急隊からの要請を断るなんて、そういう発想自体ありませんでした。今では「断っていいもの」に変わってしまいました。
医師にかぎりません。救急車を何台も受け入れて忙しくなってくると、看護師から「先生、状況をみて受け入れるか決めてくださいね」とプレッシャーをかけられます。

アル中の患者は一晩に3~4人立て続けに運ばれてくることがあります。「あそこの今日の当直は何でも受け入れるぞ。アル中でもOKだ!」なんて情報が救急隊の間でかけめぐっているんじゃないかと想像したりもします。

かくいう私自身の意識もずいぶん変わりました。患者の相手をするのは嫌いではありませんから、普通に起きている時間帯に来る患者を診るのはあまり苦痛には感じません。しかし、夜中に何度も起こされていると、「当直医にこんな業務をさせるのは違法だろ?なんで不当な労働を強制されなきゃならないんだ?当直なんだから救急外来は断ったっていいだろ?」そんな考えがムクムクと頭をもたげてきます。

当直云々については患者に責任のある問題ではないのだから、と自分に言い聞かせて今のところやっていますが、遠くない将来私もあちらの世界へ行ってしまうかもしれません。これについてはネットの影響が大きいと思います。
当直医なら救急外来は断るのが本来の正しいあり方なんじゃないか?とは結構真剣に考えることがあります。
by 消化器内科医 (2008-11-02 10:28) 

暇人28号

重傷者を受け入れるための動機付けが必要なんだと思います。
重傷者を受け入れれば多少の経験値のアップにはつながるかもしれません。
しかし、受け入れても自分には一文にもならない、受け入れて助かって当たり前、助からなければ医学的な判断を完全に無視して後出しじゃんけんで批判されて多額の損害賠償請求・刑事罰になる。

こんな状況では受け入れ出来ませんよ。

何度も言いますが診療報酬アップ+原則刑事免責・民事も上限設定しなければ話になりません。

サボっているなどといった言葉で片付けてほしくありません。
by 暇人28号 (2008-11-03 14:14) 

まゆみ

私は5年前、脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血で気を失い救急車で大学病院に運ばれてその後帝王切開で無事子供を出産しました。現在は母子ともに後遺症なく元気です。

当時、32歳で妊娠33週でした。8ヵ月半ですからまだ出産までは余裕もあると思っていたのですが、自宅で左こめかみに激痛が走りました。幸い主人が横にいたので「頭がすっごく痛いんだけど・・・」と伝えましたが覚えているのはそこまで、気づいたのは2日後病院のベッドの上でした。

後で主人に聞きましたが、気を失ってすぐに嘔吐し下痢もあったようです。主人が119番して救急隊員が来てくれたのですが、その隊員は脳の異常と判断してくれて大学病院に搬送されました。
拒否されることもなく、処置が早かったため現在は母子ともに健康に暮らしていますがその後同じような状態で亡くなった妊婦さんのニュースを何回か耳にします。
妊婦が脳卒中になる可能性は普通の女性より高いという記事をネットで読みました。でも、実際脳卒中になるのはまれなため、産科医でも忘れてしまうとも書いてありました。
でも、もう少し産科医の方に脳卒中と妊婦との関係を意識して欲しいのです。妊婦が頭痛を訴え嘔吐、下痢・・・脳卒中では?と可能性を意識してほしいのです。

今回の件では脳の異常とわかっていたら拒否しなかったと病院の方が言っていました。インタビューされた方で受け入れたところで助かったとは思えないと言ってる医師もいました。

でも、私は元気です。何故なら倒れた当初から脳の異常に気づいた救急隊員が居てその人が速やかに病院を探してくれて病院が引き受けてくれたからです。

妊婦が脳卒中を起こす割合は昔と比べて増えているのかどうか?増えているならそれを産科医の先生や脳神経の先生方と共有し広く一般に知らしめるべきじゃないのか?と

救急医療の問題だけではないと心から思うのです。

by まゆみ (2008-11-05 16:41) 

なんちゃって救急医

>まゆみ 様

御自身の大変なご経験を発言していただきありがとうございます。
私自身データや論文を身近に具体的に存じ上げているわけではありませんが、妊娠の体内環境の変化は、血管性の病気の発症となんらかの関係があるのではないかと常々思っています。 心臓の血管(冠動脈)が裂けて(医学用語:解離といいます)、その結果、心筋梗塞を発症して突然死される妊婦の報告もあります。 

ある意味、妊娠出産というダイナミックな体内環境の変化そのものは、何らかの急病(頭、心臓、肝臓など様々な場所において)を発症する一つのリスクとなっているのでしょう。

そのリスクコントロールは、人知の届きうるところではないのかもしれません。私はそのように感じています。


by なんちゃって救急医 (2008-11-05 20:42) 

風流風天

>>まゆみ様
>現在は母子ともに後遺症なく元気です。

ご本復の段、心よりお慶び申し上げます。

脳の異常を脳卒中と表現した時注意すべきはある人の「脳卒中」と別の人の「脳卒中」は同じ一つの疾患であるとは限らないということです。脳卒中とは病態(頭痛、意識消失、痙攣、嘔吐などが一度に現れる)を示す言葉であり、脳血管疾患のうちくも膜下出血でも脳実質内出血でも或は頭蓋内腫瘍や膿瘍の破裂でも発症早期には同じような症状を示すものです。
また、脳動脈瘤破裂という出血の原因は同じでも脳内に張り巡らされた動脈のどの部位の動脈瘤破裂であるかによって脳実質が受けるダメージひいては脳全体の機能回復可能性の程度がひとりひとり異なりますので、必ずしも「脳卒中症状」発生から手術開始までの時間が早ければ早いほど後遺症なく助かる可能性が高まるわけではありません。
早く診断されても手の施しようがない「脳卒中」も少なからず存在するものであることをご理解ください。
すなわち、救急体制をいかに整備して迅速に「脳卒中」患者を受け入れたとしても、無事後遺症なく退院できるかどうかは殆どの場合「素早い受け入れ」(外因)以外の病人個人特有的に内在する因子(内因)にかかってくるものであることを、医療側の人間としてひとこと申し上げておきたいと思います。
by 風流風天 (2008-11-12 18:29) 

今日の小児科医

いつもこのブログで勉強させていただいています。今回の件に関しても皆様の議論を読み、いろいろな問題を自分自身の中で再確認させられました。その中で、最近あまり見かけなかい傾向の整形外科部長先生やあえて先生のコメントが心に残りました。私は両親とも医師ですが、もう20年も前に子供心にみていた昔の両親の姿勢は先生方の姿勢と素直に通じるものがあり、今では大変尊敬しております。と同時に自分自身はそこまで強気に患者さんを受け入れられるか、未熟な自分に問いかけているところです。

私は小児科医で(一般の方には仕組みがよくわからないかも知れませんが)大学院生としておおよそ週に1−2回、複数の近隣病院の当直をしております。小児科ではよくあることですが、ほとんどは軽症疾患で治療を要さないものです。それでも夜間は少し時間をかけて話も出来るし、注意点や普段病気に罹ったときの対応などまで丁寧に説明する時間があるので、対応するのは(もちろん普段の啓蒙がしっかりしていれば必要すらないのでしょうが)私としてはやぶさかではありません。
しかし、本当の救急疾患は私ひとりではどうにもなりません。もちろん成人のドクターも当直していて、いざとなったら手伝ってはもらえるでしょう。しかしやることが限られている心肺停止でも小児科医の手が複数ないとやりづらいですし、一刻を争う救急疾患でなくとも、例えば腸重積の整復などでも穿孔のリスクを考えると躊躇してしまい(やっていますが本当はやってすらいけない気もします)、虫垂炎ですら外科からこどもは麻酔が…と言われると他に送らざるを得ません。循環器疾患なんかは診断自体に不安がありますし、自分でみることが出来るのは感染症くらいなものか…。誰がやっても同じけいれんや脳炎脳症なら初療は出来る。そうなると救急搬送の場合、最初から受けることが出来るもの自体限られ、ここでは無理かな、となってしまいます。私はどちらかというと救急搬送を受けてしまうたちですが、受けた後で、ここで診て本当に大丈夫か、受けたことが診断や治療の遅れにつながって、結局は患者さんの不利益になるのではないか、という回避的な思いが常について回っています。

また、幸い救急の場で患者さんを亡くしたことはありませんが、特に医師患者関係という面でも事後のフォローが出来ない非常勤医の立場からは、危険な患者さんをひとりでみるというのはかなりの心理的負担があります。

集約化と言われて久しいですが、現状としては各科ひとりでまかされっきりということは多いでしょうし、成人の科でもそれぞれの事情があるでしょう。そういう病院もたくさんあるはずです。今回の件に関しては大きい病院ばかりのようですので当てはまらないかも知れませんが、救急病院と名のつく中小病院では、大なり小なり非常勤医が当直に入っていて、そうしないと回せないという状況下にあるはずです。

推敲されていない文章で強縮ですが、患者さんを受け入れられない、という背景として、私のような不安を抱えている医師がひとりで当直をしていることに問題があり、そうでなければ医療機関を維持できないという現実に、やはり問題があるのではないでしょうか。自分で救える命なら、自分で診ようと思う医師の方が多いのではないのでしょうか。しかし医療はあまりに専門分化しすぎていて、救急ばかりやっているわけでにもいかないし、、自分に出来ることは限られています。どこまでのレベルを救急医療に求めて、そのためにはどれくらいの医師や看護師といった(ソフト面での)医療資源を集めなければいけないのか、そのあたりをきちんと摺り合わせて欲しいと願うばかりです。

by 今日の小児科医 (2008-11-15 01:30) 

今日の小児科医

申し訳ありません。自分で読み直してみてもわかりにくいので要点だけ書くと、「自分(あるいは施設)で対応可能な症例しか診療してはいけない」という原則に従って考えるならば、「世間で求められているレベルと実際の救急体勢はかなり隔たりがある」ということを、みんなが理解する必要があるのではないかということです。

病院に入ることが出来ればそこにはたくさんの医者がいて、どんな医者でもオールマイティーに救急疾患に対応できるというのは、幻想です。病院にありあまる医者がおり、各分野の専門家が適切に意見を出し合って治療を進行させるだけの余裕を持っているのは、お昼間でも限られた施設だけでしょう。
by 今日の小児科医 (2008-11-17 17:20) 

ハッスル

なかなかゆっくりした時間が取れず遅くなりましたが、ブログ主様、長い間お疲れ様でした。
このブログの存在(希少価値としてのありがたさ)について、自分のみならず布教(?)させてもらったものとして残念な気持ちですが、ご負担を考えれば走りつづけることもできませんから、ご自愛ください。

時間を取ってそちらの講習会に見学させていただきたいと思っております(残念ながらなかなか時間が取れずに実現していません)。
by ハッスル (2008-11-18 14:58) 

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