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ある慢性期病棟での訴訟事例 [慢性期医療]

脳血管障害などを発症し、救急ルートで急性期病院に入院となった患者の多くは、急性期病院での加療で終わりというわけではない。いや、むしろそれからの後遺症との付き合いのほうが、ずっと長いのかもしれない。そういった患者は、現在の医療システムにおいては、慢性期病院が急性期病院より引き継ぐことになるのだ。急性期病院は、国から診療報酬を「平均在院日数」という数値で厳しくコントロールされている事情があるので、とにかく速く安定化させて、慢性期病院へ転院させたいというインセンティブが働く構造になっているのだ。

私も自分が研修医のときに、ある先輩医師からこのように教わった。

「いいか、脳卒中の患者はだな。最初が肝心なんだ、最初が。 緊急入院するその日のうちに、転院の話をしておくんだぞ。でないないと、病院を追い出すのか!ってクレームが来るからな。いいか、忘れるなよ」

まあ、こんな感じである。医療を受ける側にとってもこういう転院のシステムは事前に知っておきさえすれば、急性期病院のスタッフとの摩擦も幾分かは減るのかもしれない。

あくまで、転院する段階というのは、患者が落ち着いたという前提であるので、慢性期病院における病棟管理というのは、急性期病院での外来や病棟に比べて地雷的な要素が少なくなるのは当然だろう。 しかしながら、そんな慢性期病棟でも容赦なく医療訴訟の事例はあるようだ。

本日はある慢性期病棟での訴訟事例の症例を紹介してみたい。 (出展 医療訴訟ケースファイル Vol.2 P61)

症例  58歳女性

既往歴  

45歳時 くも膜下出血→クリッピング術施行
56歳時 交通外傷 外傷性脳内出血、骨盤骨折

病歴
(急性期病院)
上記後遺症のため、某病院をリハビリ通院していた。X年M月Y日、自宅のトイレで倒れ、A大学病院へ救急搬送された。意識障害(E3V1M4)と右片麻痺を認めた。診断は、左視床出血+脳室内穿破。血圧コントロールなど保存的加療が選択された。その後、嘔吐、痰などの症状があるため、気管挿管による呼吸管理を経て、(Y+8)日に気管切開術が施行された。なお、患者の痰からはMRSAが検出されていた。症状も安定化したとのことで、リハビリと呼吸管理の慢性期加療へのため、X年(M+1)月1日、B病院へ転院の運びとなった。転院時の意識レベルは、E4VTM6。

(慢性期病院) X年(M+1)月
1日  転院。 転院後呼吸管理の一貫として、一日4回のネブライザー処置は施行
        されていた。
    (頻回の吸引をしていたかという事実は、
          裁判所は記録にない以上判断できないとした)

5日  発熱。(後にグラム陰性桿菌が血液中より検出されたという結果が判明する)
AM6:00   SpO2 92%
           この日にA大学病院から患者の痰からMRSAが出ていたとの報告を
                受けたため、当院でも血液検査を出すとともにVCMが開始された。

6日  採血結果 WBC 22000 CRP 20.1
AM 10:30 看護師により痰の吸引が施行
  (看護記録に施行者のサイン漏れがあったものの双方の言い分から
                                                                  裁判所は施行したと認定)
 
AM 11:30 急変覚知! 心拍モニタアラーム鳴る。脈拍数28。看護師直ぐに訪室。
       呼吸停止を確認。

AM 11:3X 急変の知らせをうけて直ぐに医師が訪室。
       バックバルブマスクを気管切開チューブに接続し呼吸管理を開始。
       胸骨圧迫も開始。バックによる呼吸管理の様子などから、医師は、
                 痰がつまったと判断。看護師に吸引を指示。ボスミン、硫アトも
                 使用された。中等量の粘稠な痰が排出された。さらに、胸骨圧迫と
      ともに、肉芽組織に似た凝血塊のような痰が気管チューブより飛び出
      してきた。その後、バッグバルブマスクによる呼吸も容易となり、
      心拍は再開した。人工呼吸器が装着された。

AM 11:39  BP164/74、HR120台 に recovery。

このイベントを契機に患者は、低酸素脳症による植物状態となり、寝たきりの状態が続いている。

こういう臨床経過で、訴訟に至るまでの経緯はいっさい不詳だが、とにかく裁判が起された。
判決文から垣間見える訴え側の言い分は次の通り。(思い切ってかなり要約)

「吸引などの呼吸管理をちゃんとやってないせいだ(争点1)」
「急変時の対応がおそかっただろ(争点2)」 


さて、皆さんはいかがお感じであろうか? 判決文で裁判所が認定した経過をまとめてみたが、私個人的には、これで訴えられるとはかなわんな。。。
というのが実感である。

もちろん、判決文には、双方の感情的な部分を含めた紛争に至るまでのプロセスがいっさい記載されていないので、この事実だけでこの訴訟はけしからんと我々は言ってはいけない。おそらく現場の私たちにとってより切実な裁判前の事実経過はここには一切現れていないということには注意しておいてほしい。

で、

判決は、争点1は認定、争点2は認定せず

というものであった。まあ、原告勝訴(満額認定ではないが)と言っていいであろう。

裁判では、この患者は、医療者の過失のため痰が詰まったので植物状態となった と認定された。 それが裁判のルールだから仕方がないのかもしれないが、私はこの判決文を読んでいて何かすごく違和感を感じた。

どんな違和感なのかなあと、少したとえ話を考えてみた。

唐突だが、フジテレビのVS嵐という番組(子どもの超お気に入りの番組なので毎週目に入ってくる)がある。
その番組の中には、ローリングコインタワーというゲームがある。このゲームで自分の違和感を表現してみることにしてみた。
(youtube http://www.youtube.com/watch?v=nswDB-oT7OE いつまでリンクがあるか不明)

複数の人が回転するテーブルの上でコインを積み上げタワーをつくる。当然、だんだんと高さがつくにつれて、コインタワーは不安定化していく。そして、最後の誰かがコインを乗せたときついにコインタワーは転落しゲームオーバーとなる。

上記の裁判の責任のとらせかた(賠償者の認定)って、なんだか、このゲームの最後の一人に全責任を負わせてるような気がする。コインタワーの不安定さを作ったのは、決して最後の一人ではないのに、最後の一人に責任を負わせているようなものだと思うと、それはおかしくないか? というのが私が感じている違和感を例えたものであると言えるような気がする。

そもそも患者の状態は、倒れそうなタワーそのものであるという前提が、まるでなかったように過失認定作業が進められることの違和感と言ってもいいかもしれない。

医学的に、このような臨床経過が生じることは、ほぼ回避不可能だと私は思う。だからこそ、状態が悪くなってもそれがきっかけで医療紛争とならないような下地作りを日常の診療のなかで気をつけながらやっていくのしか手はないのかもしれない。

最後のこの裁判の判決が出たときの医療報道記事を引用して今日は終わりとする。ちなみにこの判決はこれで確定している。

病院側に6千万円賠償命令 たん吸引怠るとT地裁
20XX.XX.XX 共同通信  

低酸素脳症により植物状態になったのは、気管に入れたチューブがたんで詰まったのが原因だとして、K病院に入院していた主婦(61)と家族二人が、病院を経営する医療法人社団「○○○○会」に約一億三千万円の賠償を求めた訴訟の判決で、T地裁は六日、病院側の過失を認め、約六千六百万円の支払いを命じた。判決理由で、K裁判長は「主婦のたんは粘度が高く、血の塊のようなものが生じる可能性もあり、病院側は頻繁にたんの吸引などを行い、呼吸困難を防止する注意義務があったのに怠った」とした。判決によると、主婦はX年Y月、自宅で倒れ、大学病院に入院した。嘔吐(おうと)などの症状があったため、気管にチューブを差し込んで呼吸管理を行っていたが、容体が落ち着いたため、同年(M+1)月にK病院に転院。同月六日に気管のチューブがたんで詰まって低酸素脳症に陥り、植物状態となった。○○○○会は「弁護士から判決について連絡を受けておらず、コメントできない」としている。

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コメント 5

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こ~ぢ♪

そのたとえ話では1日~6日の積み重ねをしたのは病院であり6日の対応だけでなく1日~6日の対応に責任をとらせるべきという読み方もできますね。

もっと長いスパンで考えるとそのような状態になったのはそれまでの人生に原因があり病院は最後にできるだけの対応をしたが、結局死ぬのは自分の問題であるので病院は関係ないとも取れますね。

どちらも極端。全部の事象にベストな対応ができないのはわかっているのに自分だけが損していると遺族も病院も主張。
どこでバランスが取れるのでしょうか。
by こ~ぢ♪ (2010-10-03 10:24) 

眠らせ屋

VS嵐の例え話は、考えさせられるものがありますね。
似たようなところで、私は救急外来を受け持った時に「ネプリーグ」という番組の最後のゲームを思い出します。
数人のプレーヤーがトロッコに乗って、画面に出される2択問題を解いていきます。答えは右か左を選ぶものなのですが、間違えるとトロッコごと奈落の底へ落ちます。5題程度の問題を最後まで連続正解すると宝の山にありつけます。1題につき、考える時間は数秒。正しい答えを出さないと、その時点でゲームオーバーで、溶岩の海に落ちる。。。番組自体は笑えて好きなんですが、どうもその最後のゲームの緊張感が、救急外来で短時間で伸るか反るかの治療選択をしている時とダブってしまい、本当の意味で楽しめませんね(笑)
by 眠らせ屋 (2010-10-04 17:02) 

Clown

確かに、これで訴えられたら辛いなぁと思います。勿論、詳細が分からない以上はどうにもコメントしようが無いんですが、じゃあそんな正確無比な管理が出来る病院が今現在どれくらいあるのだろう……
by Clown (2010-10-05 22:13) 

ビビりの内科医

 同感です。
 脳梗塞後遺症、脳出血後遺症なんていう患者さんの誤嚥性肺炎で転科依頼あり、そのまま「脳外科的にやることないからそっちで」なんて言われる患者さんをたくさん診る僕にとっては今日、今にも起りそうなことです。
 これを起訴相当などと言われたらもう立つ瀬なんかありません。
 そこまで言うなら家で診てくれ、としか言いようがありませんよね。


 あと、この場で大変申し訳ありません。ツイッターのほうでいわゆる「24時間ルール」が出ていましたが、あれ、ほんとに誤解が多いみたいですね。
 あれは、「24時間以内に想定内の死因であれば『死後診察しなくても』死亡診断書を書いていい」という意味ですよね。死後診察すればいいし、そもそもこの法律は、死後診察に簡単に向かえない時代にできたもので、「あの24時間というのは死後診察したら全然関係ないんですよ」という厚生局医務長通知が昭和24年(!)に出ていますね。そしてこの通知でも、よほどのことがない限り、死後診察しなさい、と書いてあります。24時間以内、というのは例外事項なんですね。

参考資料
Dr.林の当直裏御法度 ER問題解決の極上Tips70 p183-186
Case33 「死亡診断書の24時間の縛りとは?」
by ビビりの内科医 (2010-10-10 13:48) 

なんちゃって救急医

>こ~ぢ♪様
なるほど、そういう捉え方もできましたね。ありがとうございます。

>眠らせ屋様
ああ、あの番組ですね。そういう連想の仕方は気がつきませんでした。

>Clown様
あんまりないと思います。

>ビビりの内科医様
詳細な情報提供をありがとうございます。

by なんちゃって救急医 (2010-10-10 20:07) 

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