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田沢湖病院訴訟についての私見 [救急医療]

今回、救急医療に関するある医療裁判において、逆転判決がありました。
なぜ、逆転判決となったのか非常に気になるところです

今回の記事は次の通りです。

http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2012032800980
医療ミス、一転認める=高度病院へ転送遅れた-仙台高裁支部 (2012.03.28)

秋田県仙北市で2002年、交通事故に遭った男性が死亡したのは、搬送先病院の診断ミスで高度治療が可能な病院への転送が遅くなったのが原因として、遺族が病院設置者の同市や担当医を相手に計約1億4000万円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決で、仙台高裁秋田支部は28日、請求を棄却した一審秋田地裁判決を変更し、同市と担当医に計約2500万円の支払いを命じた。
 卯木誠裁判長は、担当医は男性が腰に痛みがあると訴えていたのに、視診や触診などの必要な診察をせず骨盤骨折の発見が遅れたと認定。早期に適切な治療ができる高次医療機関に搬送する決断をすべきだったとし、適切な診断と男性の転送ができていれば救命できた可能性が高いとした。
 判決によると、60代の男性は02年6月8日午後2時半ごろ、仙北市をオートバイで走行中、普通乗用車と衝突して負傷。同市立田沢湖病院に搬送後、岩手医科大付属病院へ転送されたが、同病院に向かう救急車で心肺停止となり、到着後、骨盤骨折による出血性ショックで同日夕に死亡した。
 仙北市は「判決の内容を精査し、今後の対応を考えたい」としている。(2012/03/28-19:59)


この記事からでは、経過がどうにもわかりませんので、G-Searchという有料のデータベースを使って、過去の関連記事をさがしてきました。地裁判決が出る前に、これだけの記事を書いていました。地方紙の関心の高さがうかがえます。

この記事です。

2004.12.29 河北新報記事情報 
法廷 内と外/秋田・田沢湖病院訴訟/救急医療の態勢を問う

交通事故で会社役員男性=当時(62)=が死亡したのは、応急処置を怠り治療可能な病院に転送する判断が遅れたためとして、秋田市の遺族が田沢湖病院を運営する秋田県田沢湖町に、約1億4400万円の損害賠償を求めた訴訟が、秋田地裁で行われている。なぜ早く転送できなかったのか-。遺族の問いが救急医療現場に向けられている。
 訴えによると、男性は2002年6月8日午後2時半ごろ、田沢湖町の国道でオートバイを運転中に対向車と衝突。午後3時前後に田沢湖病院に救急搬送された後、岩手医科大高次救急センターに転送されたが骨盤骨折などの重傷で同6時55分ごろ、出血性ショックで死亡した。
 搬送時、田沢湖病院は時間外で非常勤の当直医が担当し、男性をレントゲン室に運んだ。室内からは看護師が電話で院長と、「すぐには来られないのですね」などと話す声が聞こえた。
 1時間半後、男性はCT室に移され、当直医から家族に「この病院では手に負えない」と説明があった。その後男性の容体が急変、看護師が点滴しようとしたが出血多量のため処置できなかったという。
 秋田県内では現在、24時間体制で対応する救急告示医療機関が34ある。事故などで運ばれた患者のうち、高度な治療が必要な場合は秋田市や他県の救命救急センターに転送される。県医務薬事課によると、交通事故で救急搬送されたのは03年に4078人で、うち55人が死亡、9人が転送された。
 救急告示医療機関は時間外には当直医がいるが、ほとんどは1人だ。ある自治体病院の院長は「医師確保は難しい。自分の守備範囲がしっかりでき、高度な病院との連携がうまくできるかどうかが問題」と話す。
 厚生労働省の調査によると、交通事故などによる外傷で、01年に全国の救命救急センターに運ばれ死亡した患者の約4割は、適切な治療をしていれば助けることができた可能性があるという。
 厚労省研究班班長の島崎修次杏林大医学部高度救命救急センター教授は「センター以外の医療機関も含めると避け得た外傷死はもっと増えるのでは。交通事故は多発性外傷が特徴的で、脳や骨だけを見ていては不十分」と指摘。(1)救急隊員らの教育(2)医師の教育(3)救急搬送システムの整備-などを課題に
挙げる。
 田沢湖町は「時間の認識にずれがある。相応の処置はしている」と争う構え。男性の命は救えたのか。解明の場となる法廷にはカルテや関係医師の証言、医療鑑定などの証拠が提出される。

さて、これによりますと、搬送されたのは時間外ということがわかります。そして、院長を呼び出そうとしていたことがうかがえます。つまり、誠意をもって病院での総力をあげて対応しようとしていた姿勢と考えてもよさそうです。そして、CTを撮って評価をしていることがわかります。 そこまでに1時間半経過しているわけです。 しかし、最初に点滴ラインは確保していなかったのか?という疑問も生じます。いずれにせよ、最初は自分たちの範囲で頑張ったうえでの転送判断ということだけは言えそうです。大淀病院では、CTを撮らなかったことが、あれだけ徹底的にマスコミから責められたのに、この事例では、逆転判決の記事において、こういうCTを撮るなどの患者評価のプロセスは、記者編集にてカットされ、

「担当医は男性が腰に痛みがあると訴えていたのに、視診や触診などの必要な診察をせず

という書き方にまとめてくるあたり、新聞社による医療報道は、つくづく変わらんのだな~と思います。

2008年に地裁判決が出ています。スルーせずにちゃんと敗訴判決を記事にしたのは、河北新報の姿勢を評価したいと思います。

2008.04.01 河北新報記事情報 
仙北・田沢湖病院訴訟/「転送判断適切」妻子の請求棄却/秋田地裁判決

 仙北市田沢湖病院で2002年、交通事故で搬送された会社役員男性=当時(63)=が死亡したのは、治療可能な病院に転送する判断が遅れたためだなどとして、秋田市の妻子3人が同病院を運営する仙北市と治療した医師に慰謝料など計約1億4400万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、秋田地裁は31日、請求を棄却した。
 金子直史裁判長は「医師は搬送を受けた後、血圧低下に対して輸液をするなど必要な措置を取った。骨盤骨折の有無や重症度もコンピューター断層撮影(CT)検査をするまでは不明で、転送を判断した時期も適切だった」と指摘した。
 判決によると、男性は02年6月8日午後2時半ごろ、仙北市田沢湖刺巻の国道46号でオートバイを運転し対向車と正面衝突。骨盤骨折などの大けがをし、搬送先の田沢湖病院から盛岡市の救急センターに転送されたが、出血性ショックで死亡した。
 傍聴していた妻子は判決後、「納得できない。代理人と話し合って控訴を検討したい」と話した。

この地裁の判決のほうが妥当だと個人的には考えます。確かに、CTは死のトンネルとも言われ、とりゃええ~というもんでもありません。そのことは、過去の私のブログでも主張した通りです。 こちらです > CT室で失われた命

もしかしたら、今回逆転したのは、また違う鑑定医が、CTを撮るぐらいだったら、転送を優先すべきだったと主張したのかもしれません。(まったくの推測です)

しかし、私は思います。 もし、そのような根拠でもって、救急車を受けた初期医療機関に賠償を課すなら、、もう一段時間を遡って、 救急隊による病院選定に過失があったのでは? という話になりませんか? 私は積極的にそう主張したいというわけでありませんが、そういう感じ方をする初療医療機関関係者は少なくないのではないかと思います。また、そういう議論の進め方をどんどんしたら、救急医療そのものが成り立ちませんよね。裁判官には、そういう全体の社会的医療バランスの中で、判決をだしてほしかったなと思います。(そもそも裁判とはそういうことを考える必要はない! というご意見を厳しくいただきそうですが、あくまで個人的希望を込めてあえてこう主張します。)

今回の判決は、最後の砦の救命センター以外の医療機関において、「診たら負け」を強く印象付ける判決だと感じました。

残念な逆転判決です。



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胃ろう措置を受けた高齢患者の二症例 [慢性期医療]

老年期という人生のステージは、一人の人生の最終章のようなものだ。

きっと誰しも、その最終章を、穏やかに過ごして自分の人生の完結を迎えたいと思うところであろう。

理想はである。

しかし、老年期という現実は、しばしば、その人自身や周りの家族に対して厳しい試練を与える。穏やな死の前に立ちはだかる様々な病気がその人を襲ったりする。一例をあげれば、脳卒中(脳出血、脳梗塞、くも膜下出血)発症後の後遺症としての、遷延性意識障害や重度な身体麻痺など寝たきりの状態である。当然、その重症度からすれば、自分の口から自力で栄養をとることなど不可能である。また、別の例をあげれば、そういった脳卒中がなくとも、加齢にともなう嚥下力の低下で誤嚥性肺炎を頻繁に繰り返すようになるケースも多い。一昔前であれば、そのままさらに食べられなくなり、そのまま自然に亡くなっていったケースに該当すると思われる。

しかし、今の標準的な医療の場において、そういう患者さんの多くに、人工栄養投与が選択される。

理想的には、患者の生前意思を医療者と家族が十分に話し合い、その選択をそもそも行うかどうかをも含めて、意思決定するのがよかろうとは思うが、急性期医療の現場の状況や、死というものに対する社会コンセンサスや法的しくみなどまで考えてみると、人工栄養を行わないという積極的選択は少数派なのだろうと思う。実態は、脳卒中の急性期治療は行ったものの、残念ながらリハビリでの回復もあまり望めない程の重篤な後遺症が残ってしまった患者さんたちには、何らの人工栄養手段が施されて、急性期病院から慢性期病院へ転院してくるといったところである。誤嚥性肺炎を繰り返す患者も同様である。

その人工栄養を与える方法は、大きく分けて3つある。

1 鼻から細いチューブを胃に挿入して、流動食を与える方法
2 胃ろう増設処置を施して、胃ろうから流動食(1よりも固形に近いものも可ではある)を与える方法
3 大きな静脈に点滴ライン(カテーテル)を留置して、高カロリー輸液を点滴として与える方法

これらの使い分けやメリット、デメリットはそれぞれにはあるのだが、そこは割愛する。

マスコミ報道は、しばしば、胃ろう を 高齢者にまつわる生と死の様々な問題の象徴という形で行っている。しかし、現場に関わる者から言えば、胃ろうはあくまで、ツールの一つにしかすぎない。

そのような重篤な後遺症を抱えた患者は、当然自分で話をすることはできず、ただ寝かされている。そして、定時になるとなかば機械的に胃ろうや経鼻チューブから流動食が投与される。それが、その患者たちにとっての食事であり、生命線でもある。

しかし、その状況を各個人の価値観に任せて、一般論的に、高齢者の生と死はかくあるべきだ論を展開するのは、非常に危険な領域ではある。

とは言うものの、考える材料があればと思うのも、普段こういう世界と無縁の方々にとっては、当然かもしれない。そこで、今日は高齢者医療の現場における胃ろうとその周辺の諸々について自体験ベースに語ってみたい。

同じような背景で胃瘻をつけることになった症例なのだが、いろんな意味で対照的であった二症例について述べてみることにする。

胃ろう患者case 1 80歳女性 認知症、繰り返す誤嚥性肺炎
施設に入所していた。誤嚥性肺炎を繰り返すようになり、急性期病院に入院してはすぐに退院となり、またすぐ再入院といった状況となった。施設と急性期病院の往復運動現象が発生したとも言える。やがてそれを繰り返すうちに、いよいよ経口摂取ができなくなってきた。急性期病院にて、胃ろう増設の処置が施された。さて、その増設までのプロセスまでは私にはわからない。医師が主導だったのか? 家族側からの希望だったのか? ただ、病院側がこれまで通り施設に帰ってもらおうと思っていたところ・・・・

施設の返答:もううちでは見れません

というわけで、当院が転院先として選定された。胃ろうがついても対応可能な施設はそれなりにあるはずなのだが、その施設のその時点での対応力の状況次第では、胃ろうが施設との縁の切れ目になってしまうことだってあるのである。

当院に来てから、この患者は落ち着いている。誰とも話はできないけど体は落ち着いた。家族はふだん誰もこない。だけど一人ずっと落ち着いている。

今、この人にとって、ただただ静かな時間が流れ続けている。当の本人が、この状況をどう思っているのかは、わからない。また、社会としてこの状況をどう考えればいいのか、甚だ難問かもしれない。

ただ一つ言えることは、胃ろうが、生物学的身体の予後向上に寄与した一例であったことは間違いない。

胃ろう患者case 2 90歳女性 繰り返す誤嚥性肺炎

これも胃ろう増設まではcase1とほぼ同様の経過であった。しかし、この患者の場合は、胃ろうからの流動食栄養管理をもってしても、繰り返す誤嚥性肺炎肺炎を阻止できなかった。そこで、急性期病院にて、高カロリー輸液が始められた。これはどうも医療者主体で、その措置が選択されたようであった。

高カロリー輸液という点滴管理となった以上、さすがにこのままで施設に帰ることは不可能である。この場合は、施設という帰る場所が無くなっても、医療者側から積極的に生命永続優先という価値観で医療措置がおこなれたと解することもできるかもしれない。

というわけで、高カロリー輸液管理継続目的で、当院へ転院してきた。

転院時の家族面談においては、家族的にはもう寿命なので、あまり色々な医療措置はけっこうです という確たる意思が確認できた。

私としては、そういう家族の意思があったとしても、やはり現状の状況から積極的に栄養を止めるという行動パターンはやり辛い。そこで、しばらくは高カロリー輸液を継続した。

ある日、突然40度近い発熱が起きた。肺炎ではなかった。
カテーテル感染だ。

いつかは来るだろうと家族にはその可能性は伝え、そうなったときはどうするか、つまりカテーテル挿入措置をやり直して再度高カロリー輸液を継続し続けるかどうかについては事前に話し合いしておいたのだ。その話し合いの結果は、もうそれはしない であった。

私は、治療のためにカテーテルを抜去し、しばらく急性期病院程の厳密性と厳格管理下ではないものの、当院環境の現実的対応力の範囲で、カテーテル感染の治療を行い、その山はなんとか超えることができた。

次の手としてどうするか? せっかくある胃ろうから栄養を再開するか? もうそれもしないか? 考えた。悩んだ。

当然、家族と話し合いをもった。
「胃ろうも結局、前医で上手くいかなかったから、もういいです。自然にお願いします」
という返答だった。

自然にお願いします

しばしば、家族側から発せられる表現だ。言うは楽だが、その意をくみ取り、何らかの行動をアウトプットせねばならない医療者側には悩ましい表現である。

でも、私は考えた。この患者と家族には、これまでのプロセスがすでに十分存在している。医療者とのコミュニケーションも良好である。

決断した。寿命という予見される死を目標に見据えたギアチェンジである。

私はこの決断をする時には、決して機械的ではなく、凄くいろんなことを考える。家族の背景も考える。これまでの生き方も考える。とても全部知ることはできないが、それでも少しでも知ることがあればと努力する。

胃ろうによる経管栄養、高カロリー輸液のいずれの人工栄養からも撤退した。そして、カロリーとしては少ないけれども、末梢輸液管理とした。

以後、患者は発熱を繰り返すことはほとんど無くなった。軽い微熱程度が二回程あった程度で、末梢輸液管理を始めてから、約二ヶ月後に静かに永眠された。 その間ずっと、家族は毎日誰かが来ていて静かに寄り添っていた。

自然を望んでいた家族。いつからそう思うようになったかは正確にはわからない。果たして、この患者と家族にとって、医療者が介入した措置、つまり、胃ろうや高カロリー輸液ってはのは、どれ程の意味があったのだろうか?

そのプロセスがあって始めて、家族はもうそこまでは・・・と思ったのか? ならば、その介入には大きな意味があったのかもしれない。

しかし、
生き方の信念として、それを最初から持っていたけれども、医療者側に配慮して、医療者の提供する医療措置に、家族側が併せていてくれたのならば、その介入の意味はほとんどなかったかもしれない。

この症例を生物学的身体の面からだけみれば、胃ろうが予後向上には寄与しなかった例とは言えるだろう。

以上、身体的背景には類似した状況で、胃ろう増設された二症例を紹介してみた。一方、その転帰とそれぞれの家族背景は対照的であった二例だ。

胃ろうというひとつのキーワードを通して、自分の生と死、家族の生と死について、普段から考えるきっかけとなれば幸いである。

ただ、高齢者の終末期のあり方を、胃ろうというキーワードを指標に単純な二分法で安易に考えて欲しくはない。

胃ろう する vs しない? さあ、あなたは?

みたいな感じでのマスコミの投げかけには、十分気をつけてほしい。

補足:ここで提示された二症例とは、複数の患者での自分の体験を組み合わせたものであり特定の個別症例でないということにはご留意ください。














































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虫垂炎の診断遅延と検察審査会 [救急医療]

読売の記事からです。

http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20111126-OYO1T00349.htm
虫垂炎症状見逃し患者死亡 医師の不起訴「不当」…検察審議決

という見出しです。

検察が不起訴にしても、検察審査会が不起訴不当という議決を出したとのことです。まあ、起訴相当ではなかっただけでもまだましかもしれません。こういう不確実性の高い救急診療に、遺族の処罰感情を慰撫するために、刑事罰への道がある社会システムってはなはだ疑問に個人的にはおもいます。

この症例の経過をもう少し知りたくて、有料のデータベースGsearch で検索をかけてみました。産経が以下のような報道をだしていましたので、引用します。 (固有名詞部分は改変しました)記事で引用されている医師の話も当然産経の編集のもと、けっこう後知恵バイアス感の強い印象を個人的には持ちました。


大阪・XXの病院 虫垂炎見逃し?患者死亡 「風邪と誤診」遺族告訴状

 大阪府XX市のXX病院で平成18年11月、腹痛を訴え受診したXX市の男性=当時(43)=が30代の担当医に「風邪」と診断され、翌日に壊死(えし)性虫垂炎による敗血性ショックで死亡していたことが14日、病院関係者への取材で分かった。病理解剖の結果、男性は死亡の数日前から虫垂炎とみられる炎症を起こしており、医師が診察時に適切な治療をしていれば、死亡しなかった可能性が高いという。

 男性の遺族は、医師の「誤診」で死亡したとして、業務上過失致死罪でXX署に告訴状を提出。病院側は今年7月、当時の解剖結果や検体などを同署に任意提出した。同署は関係者から事情を聴くなどして慎重に捜査している。

 病院関係者や遺族によると、男性は18年11月XX日午前8時45分ごろ、激しい腹痛を訴え受診。担当した男性内科医が聴診器を使うなどして調べたが、「風邪」と診断し、風邪薬を処方して帰宅させた。

 男性は翌朝になって体調が急変。自宅で心肺停止となり、同病院に運ばれたが、午前9時半すぎに死亡した。同病院が遺体を病理解剖したところ、男性の虫垂に穴が開き、そこから漏れた細菌が腹膜に感染、血流に乗って全身に広がり、急死したことが分かった。

 死亡後、医師は男性の遺族に謝罪したが、診断書には男性が腹痛を訴えたとの記載がなかった。医師は病院側の内部調査に「診察時には腹痛を訴えていなかった」と説明。診察時の症状について医師と遺族の間で説明に食い違いもみられるという。

 ただ、専門家が当時の病理組織を検査したところ、虫垂炎の発症時期は少なくとも死亡日の数日前だったことが判明。医療関係者によると、診察時に血液検査や超音波検査などの適切な処置をしていれば、死亡しなかった可能性もあるという。

 病院側は「患者が死亡されたことは大変気の毒だが、当時の対応に問題があったかどうかは捜査機関に委ねるしかない」としている。

 同病院では平成17年2月にも、ヘルニア手術を受けた当時1歳の乳児のぼうこうを誤って切除するミスが起こっている。

                   ◇

 ■症状類似 難しい診断

 虫垂炎は、風邪ウイルスによる感染性胃腸炎などと症状がよく似ており、一般的に正確な診断が難しい疾患とされる。

 典型的な症状としては、みぞおち付近に痛みが出て、時間の経過とともに右下腹部へと移動することが多い。ありふれた疾患だが、右下腹部の痛みを伴う症状は胃腸炎など別の原因も考えられ、虫垂炎の所見を見落として治療が遅れるケースもみられるという。

 「外科医と『盲腸』」や「孤高のメス」などの著書がある阿那賀診療所(兵庫県南あわじ市)の大鐘稔彦院長は「問診や触診をきちんと行ったうえ、血液検査で白血球数を調べたり、超音波やCT検査で炎症反応や虫垂の状態などを確認すれば、そんなに見落とすことはないはず」と話す。

 ただ今回は、担当医が初診の段階で「(患者が)腹痛を訴えていなかった」と主張。遺族の証言と食い違う部分もみられ、医学的観点からの十分な検証が今後、求められる。

 大鐘院長は「初診から患者が死亡するまでの進行が早く、かなり前に発症していた可能性が高い。最近は虫垂炎の手術例が少なくなったこともあり、経験不足が不幸な結果を招いた可能性も否定できない」と話している。

 一方、死亡した男性の遺族は産経新聞の取材に「まさか虫垂炎で息子が亡くなるとは思わなかった。あのとき適切な診察をしてくれていたら、きっと助かっていたはず…」と話している。

産経新聞社

荘子の寓話「莫逆の友」を 現代医療風 にしてみた件 [雑感]

久浜、高石、立橋、鳥麻の四人は小学時代からの親友だった。鳥麻と久浜の家は、隣通しで、しばしば庭の境の生垣を大またで乗り越えて、互いの家を行き来したものだった。久浜は、四人の中のリーダー格で、運動能力も一番だった。鳥麻は、四人の中では一番の物知りで特に昆虫には詳しく、別名昆虫博士と呼ばれるほどであった。立橋は、一番の大柄だったけれども、少し抜けたところがあって、皆からは、”ふっとちょ”としばしばからかわれていた。高石は、色黒で、性格はおとなしめ、運動能力でも際立つところはなく、四人の中では目立たない存在だった。そんな四人は、中学時代までは常に行動を共にする仲間であった。高校は全員別々であったが、それでも頻繁に会い続けた。大学時代になると、会う頻度は減ったが、それでも年末年始などには必ず集まり、互いの近況を語りあったものだった。その後、社会人として、皆それぞれの道を進み始めた。久浜は、東京の出版社に勤務して編集の仕事。鳥麻は、内科の医師。立橋は、地元の銀行で営業の仕事。高石は、パイロットとして航空会社に就職。


皆がそれぞれの道を歩み始めて、20年近くの月日が流れたある日、四人は久しぶりに顔を合わせて、酒を飲みながら、語りあった。昔話に花を咲かせていたところ、ふと、鳥麻が、皆にこんな話題を振った。

「俺らももういろんな病気になってもおかしくない年だなあ。生と死が一体であると悟った人間、そうだなあ、生を背中に背負いつつ、尻には死をくっつけるような人間のことかな。そういう人間はいないものかなあ。いれば、喜んで友達になるのだが」

すかさず、久浜が答える。
「最近、職場の仲間が死んだよ。くも膜下出血だったな。46歳だった。俺も不整脈を言われてるし、人間は生と死はつねにどこかで一体とおもってなくちゃ今を楽しめないな」

高石が続いた。
「俺なんか、落ちたら終わりだしな。常に死の覚悟は、どこかで持っているつもりだな。病気になると、違うかもしれないけどな。ただ、生と死は一体だというのはわかるわ」

最後に、立橋が答えた。
「うちでもあったな。隣町の支店長が、突然死したよ。部下と歩いていて急に胸が痛いとその場に倒れてしまって・・・・・。救急車で病院に運ばれんたが、だめだったよ。心筋梗塞だってさ。51歳だったよ。前の日に会ったときは、何も変わったことななかったのにね。わからないねえ、人の生と死なんて、そんな意味では、生と死は一体なんだなって思う」

もう一度、鳥麻が言った。
「なるほど、おまえらの話を聞いて、おれも安心したよ。俺らは、生と死を一体と思いつづけるという点で一致だな。まっ、悟るってのはまだおいておくとしても」

四人は、顔を見合わせて、にっこり笑いうなづきあった。改めて、今も昔も、そしてこれからもずっと親友であることを確認しあった瞬間だった。

そんな久しぶりの集まりから一年程経ったある日、アクシデントが発生した。高石がフライトを終えた空港から自宅にタクシーで帰宅する途中に交通事故に巻き込まれたのだ。高石の乗るタクシーが右折しようとしたところ、直進する大型トラックと衝突。タクシーは大破し、タクシードライバーは即死という惨劇だった。高石は、死亡こそ免れはしたものの、顔面挫創、外傷性顔面神経麻痺、左肋骨多発骨折、肺挫傷、骨盤骨折、肝損傷、両下腿切断という重傷を負ってしまった。奇跡的に、致命的な脳挫傷は認めず、高次脳機能レベルは外傷前のままであった。

少し経過が落ち着いてきたころ、立橋が、高石を見舞いに訪れた。

高石は、立橋に言った。
「偉大だね、天の造物者は。俺の体、見てくれよ。ほら、顔をゆがんじゃったし、足は膝から先が亡くなっちゃったし・・・・・」

鏡に映った自分の姿をまじまじと眺め、
「なんとまあ、ずいぶんと私の体をいじってくれたことか」

それを聞いた立橋はこう尋ねた。
「おまえ、もうパイロットは無理だし、さすがにいやだろうね」

高石は答えた。
「んん・・ありがとうな。心配かけるな。おれもいろいろ考えたよ。そりゃ、最初は、何でおれだけが・・・・と思うこともあったさ。もう、仕事ができないと思うこともあったさ。だけどな、一年前の話をふと思い出してみたんだ。鳥麻が言ってただろう。生と死が一体でどうのこうのって・・・・。それを思い出してさあ、いろいろと考えてみたんだ。で、今は、もういやじゃないさ。さらに言うと、これ以上状態が悪くなっても、それでも結構だ。天の造物者が、今度は俺の肘を弓に変えるというのなら、鶏を撃って、チキン丼でも作ってやろう。俺の尻をタイヤに変えるのなら、トヨタに頼んで新型車として売り出してもらおう。そうすれば、俺はパイロットをしなくても生きてゆけるよ」

さらに、高石のしゃべりは留まるところを知らない。

「この世に生を受けたのは、生まれるべき時にめぐりあっただけのことだし、生を失って死んでいくのも死すべき道理に従うまでのことだ。めぐりあわせた時のままに身をまかせて、自分の運命に従っていくということなら、その生と死のために感情を動かすこともなく、喜怒哀楽の状なんて入り込む余地はないよ。こういう境地を、県解、つまり束縛からの解放というんだよ。生への束縛から自分を解放できないのは、自分の周りの環境が束縛されそれに凝り固まっているからさ。そもそも、周りの環境も、天の造物者には逆らえるわけがないのは昔からのことだ。そのことに気が付いたおれは、どうして自分の今の状況をいやがることがあろうかってところだね」

高石の交通事故から、さらに二年程経って、今度は、鳥麻が病床に伏した。原因不明の肺炎だった。内科医である鳥麻は、日々肺炎の患者を診療していたにもかかわらずだ。幸い、院内感染の兆候はない。新型インフルエンザもSARSも否定的だ。いわんや、よくある細菌性肺炎、マイコプラズマ、レジオネラなどはとうに否定済みだった。新種の未知のウイルスによる肺炎かもしれない。あるいは、自己免疫が複雑に関与した病態かもしれない。現在の医学ではとにかく説明がつかなった。しかし、病状は刻一刻と悪化への道をたどっていった。

はあはあと息も苦しげにあえず鳥麻の前に、現代医学はなすすべもない状況だ。そんな鳥麻を妻や子どもたちが取り囲み泣いていた。そこに、久浜が東京から急遽かけつけ、見舞いにやってきた。

久浜と鳥麻の妻は、以前からの知り合いでもあった。だからかもしれないが、久浜は、歯に衣着せぬ言い方で、妻にこう言った。
「静かに!奥さんは子供をつれてあちらへ。天の働きをを邪魔してはいけないよ」

久浜は、病室から家族を退室させ、ドアをぴしゃりと閉めた。そして、そのドアにもたれかかりながら、鳥麻に話しかけた。

「たいしたものだな、天の働きは。優秀な医者にさえも、こういう運命を与えるんだな。天は、おまえをどこへ連れてゆこうとしているのだろう。ねずみの肝にでもするのか、それとも虫の足にでもするつもりなのか」

すると、鳥麻は答えた。
「父母は子どもに対しては、東西南北のどこであろうと命令どおりに従わせるものだ。自然の変化が人間を従わせるのは、父母が子どもに対するどころのことではない。自然のほうで、俺の死を求めているのに、俺がそれに従わなければ、それは俺のほうが素直でないのだ。自然に何の罪があろうか。そもそも自然とは、私たちを大地に乗せるために肉体を与え、私たちを労働させるために生を与え、私たちを安楽にさせるために老年をもたらし、私たちを休息させるために死をもたらすのだ。一年前を思い出すよ。おまえらと生と死とは一体であることを話したことを。生と死は言ってみれば、一続きということだ。だから、自分の生を善しと認めることは、自分の死を善しとすることにもなるのだ。いますぐれた鋳物師が金物を鋳ようとするとき、金物の原料である金属が飛び出してきて、『おれはどうしても日本刀になるんだ』といったとすれば、鋳物師はきっとそれを不吉だと思うだろう。それと同じことさ。いま、たまたま人間の形として、この世に出てきただけの私なのに、『いつまでも人間でいたい、いつまでも人間でいたい』というとすれば、自然は、きっとそれを不吉な人間だと思うだろう。天地の広がりを大きな炉と考えて、自然を優れた万物の鋳物師と見立てよう。それによってどのように鋳られ、どんな形にされようと、何の悪いことがあろうか。けっこうなことではないか。死ぬというのなら、のびのびと眠り、生きるというのならば、ぱっと目を覚ますだけだ」


以上、荘子 内篇 第六 大宗師篇 を現代風フィクションにしてみました。現代の医療の閉塞感とどう向き合っていくかの一つの方法がそこにあるような気がしています。


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2011 たらい回し報道再び [医療記事]

最近は、ツイッターで気ままに好き勝手なことをつぶやく毎日ではありますが、どうもここ最近になって、「たらい回し」という言葉がメディア側から、ちらほら聞こえてきました。まあ、昔ほどの大合唱ではありませんけどね。


まあ、こんな感じです  3病院たらい回しという朝日の記事に対する医療関係者の方々の弁

そんな彼らの枝葉な一言一句に過敏に反応しても仕方がないと達観できることを日々自分の目標にしてはいるのですが、まだまだ修行が足りません。ついついこうして何か言いたくなってしまいます。まあ、そういうわけで、過去にお蔵入りにしていた自分の主張を、一部加筆修正して、今日は述べてみたいと思います。

今日の自分の主張の骨子は、

救急要請を受け入れできない事態という現場の実勢は、ずっと昔からある一定の確率で存在し続けており、その率には大きな変動はない。一方、報道頻度の変動は著しいものがある。情報の受け手側は、「現場の実勢と報道頻度には、大きな解離があるのではないか?」という認識を常に抱きつつ、報道情報の解釈をするのが妥当である。

ということです。


●先ずは、言葉の整理

表題には、たらい回しと書いたが、これは私の本意ではないここでは、メディアが時に使う「たらい回し」という表現は、救急搬送「受け入れ問題」という表現に統一する。以下に、私のその意図を説明する。

昨今の救急搬送の受け入れ先がなかなか見つからないという救急医療におけるシステムの問題をメディアが扱うときに、よく使われる表現が、「受け入れ拒否」と「たらい回し」だ。これらの表現に関しては、医療者側からの反発も大きい。医療者側からは、「受け入れ不能」という表現を使うべきだという声が大きい。

まず、広辞苑(第六版)にて、それぞれの言葉の意味を示しておこう。

「拒否」・・・・要求・希望などを承諾せず、はねつけること。防ぎこばむこと。ことわって受け付けないこと
「たらい回し」・・・・一つの物事を、責任を持って処理せずに次々と送りまわすこと
「不能」・・・・・・・できないこと、なしえないこと、不可能

「たらい回し」という言葉には、無責任のニュアンスが非常に強く含まれる。したがって、この言葉を向けられた病院や医師は、病院側の事情はなんらおかまいなしに、一方的にただ非難されているだけと感じる。そういう意味で、医師の心をへし折るパワーのある言葉だ。「受けれ拒否」という言葉は、病院が新たな救急患者をとても診れるような状況の中で仕方なく新規の救急要請を断らざるを得なかった場合でも、患者側にそうとは受け取ってもらえずに誤解を与えてしまいそうな言葉である。そのため、一部の医療者側からは、「受け入れ不能」という表現を提唱されたこともあるが、まだ、メディアの間ではほとんど浸透していないのが現状である。これらの言葉がかもし出す語感というものは、その感じ取り方が、医療者と患者側の間で大きく異なっている可能性もある。また、同じ医療者同士の間でも、それぞれがおかれている立場によって、やはり感じ方が異なっているように思う。

どの言葉を使うにしても、読み手の間でそのニュアンスが異なるのは避けられそうにない。そこで、私は、いずれの言葉も使用しない。私は、救急搬送「受け入れ問題」という表現を使うことにする。これならば、誰が悪いとか誰の責任とかのニュアンスをその表現の中に含ませずに、医療者と患者の間で、救急システムの問題意識を共有できると思うからである。ただし、引用として用いる場合には、その引用元の言葉をそのまま用いることにする。

● 実は、昔からあった救急搬送「受け入れ問題」

2006年以降の医療報道の中で、救急搬送「受け入れ問題」が報道されることが急に突然多くなった。では、この問題は、昔は”なかった”のであろうか? つまり、昨今の医療崩壊問題にともなって、新たに出現した問題なのであろうか?それとも、昔から”あった”のであろうか?

結論から言う。その回答は、昔から”あった”である。

医療法人 徳洲会が発行する徳洲新聞 (2006.4.17 月曜日 NO.514)には、次のような記載を見ることができる。

徳洲会の研修医制度は八尾病院設立の75年から始まりました。日本中で救急車のタライ回しが社会問題となった中、徳洲会は救急車を決して断らないという方針を引っ提げ医療界に登場し、それは現在まで脈々と続くバックボーンとなっています。

また、救急医療を題材にしたエッセイなどの著作でも知られる救急医の浜辺祐一氏は、その著作の中で次のように書いている。

救命救命センターからの手紙、再び  浜辺 祐一   集英社 2005年  P8

最近ではマスコミなどでよく取り上げられるようになりましたが、「救命救急センター」なるものが生まれたのは、実は、四半世紀も前のことになります。誕生のきっかけは、昭和四十年代に起きた、いわゆる「たらい回し」事件でした。時は高度成長期のまっただ中、日本の経済が急速に拡大していた頃のことです。交通量が爆発的に増え、その結果として交通事故も急激に増加しました。そして、その交通事故による犠牲者が年間一万人を突破し、「交通戦争」と呼ばれるほどの非常事態に陥ってしまったのです。
 (中略)
救急患者の「たらい回し」と言われたこうした苦い経験を踏まえて、通常の救急病院では診きれないような患者たちを引き受けるために作られたのが、救急医療の「最後の砦」と呼ばれる救命救急センターだったというわけです。

警察庁が発表する交通事故統計から、年間交通事故死亡者数の推移をグラフ化してみた。(図1)これをみるとまさに、昭和40年代(1965年~1975年)は、交通戦争と呼ぶにふさわしい死亡の数である。このような時代背景の中、救急搬送「受け入れ問題」も日常的であったと十分考えられる。上記2つの引用はその傍証である。つまり、救急搬送「受け入れ問題」は、日本の救急医療の歴史と共に存在し続けてきたといえるのである。救急搬送「受け入れ問題」をいつ頃から「たらい回し」という言葉で表現するようになったかについて私は資料を持ち合わせていない。ただ、このような昭和40年代の時代背景の中からいつの間にか生まれてきたと考えるのが最も妥当な仮説ではなかろうか?当時の医療状況を仮にその言葉が適確に言い表していたとしても、今の医療状況は全く異なっているわけであるから、慣習という理由だけで、「たらい回し」という言葉を今も使い続けることは、もはや適切でない。

図1

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さて、データベースG-Search(1984年以降を検索可能)から検索できた最も古い救急搬送「受け入れ問題」の報道は、1985年の朝日新聞の報道であった。何気なく記事の中に「たらい回し」が使われている。

「救急病院」を再検討 厚生省、質向上へ研究班発足 
1985.08.09 朝日新聞

(冒頭略)
しかし、救急病院の制度そのものが、交通戦争さなかの39年につくられ、指定要件も交通事故のけが人の受け入れを念頭に置いて決められているため、救急病院の中には脳卒中、心筋こうそくなど外科以外の急病に対処できないところもある。40年代後半から、専門医の不在、ベッド不足などを理由にした患者たらい回しが相次いだため、厚生省は52年度から初期、2次、3次と、急病の程度に応じた救急医療体制の整備を進め、たらい回し騒ぎは、最近は聞かれなくなった。しかし「救急病院の看板のあるところに行ったのに、診られないといわれた」などの不満が、今も厚生省に寄せられている。

(以下略)

東京都大田区で、1985年12月30日、スーパーに押し入った強盗を追いかけた20歳の大学生が、強盗に刺殺されてしまう事件が起きた。当時の報道記事には、病院の様子がこう記載されている。

勇気ある大学生、5病院が治療断る 都が救急体制見直し 
1986.01.21 朝日新聞


(冒頭略)
20日、東京都衛生局の調べで、Tさんは事故現場のすぐ近くの大学付属病院はじめ5つの救急医療機関から「担当医が忙しい」などの理由で次々に断られ、やっと収容された6番目の病院で息を引き取っていたことがわかった。事態を重くみた都衛生局は今週中に救命救急センターの代表を集めて緊急会議を開き、全国一の陣容と折り紙のつく東京の救急体制の下で「たらい回し」がなぜ起きたかを探り、対策をたてることになった。

(以下略)   ※人名部分はイニシャルに変更

ここでも当たり前のように「たらい回し」が使われている。断った病院の状況は、この記事の中でも明らかにされており、現場から最も近い救命センターは、重体の患者の手術中(記事によると腸こうそく)で、3名のスタッフがそれにかかりきりの状況、もう一つの救命センターも重傷患者の対応中であったとされていた。どちらも重傷の刺傷患者をさらに受け入れられる余裕があるとは到底思えない。メディアは、病院がそういう切迫した状況であっても、なお「たらい回し」という言葉を使うくらいであるから、そう言われた当時の医療関係者は、そんな「たらい回し」報道にどのような思いを持っていたのであろうか?

それはそれとして、こういう記事を見ると今も昔もきっと変わっていないのだろうなあと私は思う。それは、医療に対するメディアの期待と要求(社会の期待と要求と表裏一体)が強すぎて、医療の限界は受け入れようとしない、あるいは、それは考えたくないのであえて思考停止しているといった心理状況である。そういう期待と要求の強さが、いつの間にか、医療批判やバッシングに変容していくのだろうと思う。

救急車搬送「受け入れ問題」の程度は、昔と今ではどうなのだろうか? データで検証してみた。 東京都における救命センターへの搬送状況ということで昔と今を比較する。

東京消防庁はこの大学生刺殺事件をきっかけとして、東京23区内における救命センターの患者受け入れ状況を調査している。その調査報告に関する報道は次のようなものであった。

救急病院のたらい回し、他に20件 消防庁が12月分を調査  1986.02.06 朝日新聞 東京朝刊 

 「勇気ある追跡」で死んだ東京都大田区の明大生Tさんが最終収容されるまでに5つの病院に応急処置を断られていた問題をきっかけに、東京消防庁が搬送したすべてについて追跡調査した結果、Tさんの事件が起きた同じ昨年12月中に、他にも計20件の「たらい回し」があったことが5日明らかになった。Tさんの「病院たらい回し」では、断った5病院の中に、一刻を争う重体患者のための救命救急、救急医療両センターが1カ所ずつ含まれていた点が大きな問題になっていた。このため、同消防庁は、昨年12月の23区内での救急車出動(約2万4000回)の記録を洗い直し、都内に計13カ所ある救命救急、救急医療センターに収容された357人の搬送経過を追った。重体患者については、救急車に乗せる一方、同消防庁が電話で病院に連絡をとり、「収容できるかどうか」聞く、通称「ノック」が行われる。357人にこの措置がとられたが、20人は、センターを5カ所以上ノックした後、やっと受け入れ先が決まったことがわかった。各センターは、「重症患者取り扱い中」「手術の最中」などTさんのときと同じような断りの理由を挙げていた。救命救急、救急医療センターは「最後の救急病院」といわれ、集中治療施設(ICU)などを備え、専任の医療スタッフが24時間体制で待機している。東京都の運営要綱などで「常時、救命医療に対応できる体制をとる」と決められ、Tさんの「たらい回し」が発覚した際、「起きないはずのことが起きた」(都衛生局)と関係者は深刻に受けとめた。しかし、こんどの追跡調査によって、Tさんの問題は例外でないことが浮き彫りになった。都は改善策として、東京消防庁とセンター間をホットラインで結ぶことを決め、3月中に実施する。しかし、センターで他の緊急手術が行われている最中に別の要請があった際どうするかなどの問題点がまだ残されていることも明らかになった。

※原文の実名などはイニシャルに変更しています。

この報道記事を1985年12月に東京都内の救命センターに入院した357人を対象として調査した結果、20名が受入れまでに5回以上の要請を要したというデータを、昔のものとして、ここで使用することにする。

最近のデータとしては、総務省消防庁が報道資料として公表したものを用いる。

2008年・・・平成20年中の救急搬送における医療機関の受入状況等実態調査 
        生データ引用箇所 P33,P32
2010年・・・平成22年中の救急搬送における医療機関の受入状況等実態調査
         生データ引用箇所 P36,P37

これらから、東京都における、救命救急センター等の医療機関に受入れの照会の部分の生データを採用した。
総件数をN、4回以上をA、4回をB。この生データから、4回以下=N-(A-B) 、5回以上=A-B と算出した。

2008年・・・N=24695  A=1989、B=741  よって、4回以下=23447 5回以上=1248
2010年・・・N=27426  A=1933、B=830  よって、4回以下=26323 5回以上=1103

見やすいように表にまとめた。

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照会回数に5回以上を要した受け入れ困難事例の頻度は、全体の4~5%程度で今と昔で全く変わっていないことが読み取れそうである。また、フレームを変えていえば、今も昔も、95~6%の救急患者がきちんと救命センターに受け入れてもらえているともいえるわけである。


そもそも、リスク一般について考えた場合、リスクは決してゼロにはできないものである。もちろん、ゼロに近づける努力はするという前提においてだ。ただし、リスクをゼロに近づければ近づけようとする程、コストや医療リソース(人・物)は、無限級数的に増大する。だから、現実的には、どこかでリスクを受け入れる妥協点を引いて、社会システムを組むしかないのと思う。もっとはっきりといえば、「断念」するというメンタリティを国民一人ひとりが持つしかないともいえる。しかし、対世間的には、どこの組織においても「あってはならない」と発信することはあっても「もう仕方がないですよ」と公的メッセージを発信することはまずない。そうはっきりと言ってしまえば、マスコミ対応が極めて大変になるであろうからと思う。組織の対マスコミ対策としては、無難な「おもしろくない、ありきたりな回答」が、定石とすれば、必然的に「あってはならない」となるんだろうと思う。

ここで示したように、今も昔も、ある一定の割合で受け入れ困難事例は存在していたことがわかった。救急搬送「受け入れ問題」も、医療システムの中における一つのリスクであるから、そういう意味では同じに考えないといけないと思う。はたして、これからの救急搬送「受け入れ問題」報道に、そのような「断念」や「受容」の視点は今後出てくるのであろうか? もしそういう視点がマスコミから出てきたら、それはマスコミが一つ成熟した証だと、肯定的に受け止めていきたいと思う。

● 昨今の救急搬送「受け入れ問題」に関する報道の実態

まずは、救急搬送「受け入れ問題」に関する報道に関して、どのような単語が使われた傾向にあるのかを調べてみた。調査は、有料のデータベースG-Searchを用いた。報道機関は、読売、朝日、毎日、産経の全国大手四紙と共同通信社を対象とした。見出しとして使われた単語の検索のみを行い、記事本文中に使われた単語の検索までは行わなかった。検索結果を表として示す。なお、ヒットした全ての見出しを実際に自分の目で確認したわけではないので、対象外の記事が”ノイズ”として若干は混入していると思われる。具体例として、一例を挙げておくと、検索語「救急 AND 不能」でヒットした総件数15件のうち、救急搬送「受け入れ問題」とは無関係な”ノイズ”も相当に含まれていた。ただし、2009年の7件は、奈良県生駒で生じた搬送事例の記事が主なであり、このときは「搬送不能」を各社見出しに使っていた。このように、他の検索語句においても同様に若干のノイズは入っているであろうこと(私自身めんどくさいし、検索料もばかにならなくなるので、いちいち全部の記事詳細までは調べていない)は、承知の上で、傾向を読み取ってほしい。

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奈良の大淀病院の事例は、2006年10月、毎日新聞報道が契機であった。出産中の妊婦が大淀病院で急変し、19もの病院に転送を打診したが受け入れてもらえなかったという報道は、まさに医療崩壊の社会問題がどんどん深刻化しているさなかであっただけに、社会的に大変な反響をもたらした。そのため、メディアはこの事例を契機に救急搬送「受け入れ問題」に関する報道を興味を持ち始めた。2006年のヒット件数の増加はそれを裏付ける結果と解釈してもよさそうである。


さらに、ヒット件数が2007年から激増している。これは、2007年8月に奈良~大阪で発生した事例が契機となっていると思われる。その事例とは、奈良で救急要請をした妊婦の受け入れ先病院がなかなか決まらず、10件目でようやく大阪の病院に受け入れ先が決まったが、胎児は死産という結果になったものであった。この事例は大淀病院に引き続いてまた奈良で起きたということもあり、そのことがよりいっそう報道に拍車をかける要因となった。いずれにせよ、明らかに、メディアはこの事例をきっかけとして、以降、爆発的に救急搬送「受け入れ問題」に関する報道を行うようになっていった。しかも、そのメディアの姿勢は、わざわざ昔の事例を掘り起してきてまで、報道するという加熱ぶりであった。上記結果で、検索ヒット件数が桁違いに増えているのはその動きの反映である。 そこで、2007年8月以降に救急搬送「受け入れ問題」として報道された15の事例については、別表として報道日順にまとめてみた。この2007年8月の事例が、その別表の記事No.1である。以後の事例は、全てを網羅できているわけではないが、2007年以降のおおまかな報道実態はこれで俯瞰できると思う。

2008年になっても、その報道は沈静化しなかったということも、上記検索結果は示している。その一因としては、2008年10月に東京で発生した事例-脳出血を発症した妊婦の受け入れ先がなかなか決まらずに、再度の打診で墨東病院が患者を受け入れたが、妊婦は死亡したもの(別表 記事No.9)-が大きかったのではなかろうか。

●過去の事例をわざわざ掘り出してきて報道する

メディアは、注目すべき話題があると、それに関連する事例を積極的に選んで報道する。そのため、旬の話題の場合、その報道頻度の急な増加は、あくまでメディア側の意図であり、実際にその旬の話題が世の中で起きている頻度(実勢頻度)の急な増加をそのまま表すものではない。過去の事例をわざわざ掘り出してきて報道する姿勢などがその良い例である。エレベーターの事故が起きれば、エレベーターの事故報道が増え、回転ドアの事故が起きれば、回転ドアの事故報道が増えるといった具合である。まさに同じことが今、救急搬送「受け入れ問題」に関する報道で起きているといえよう。事実、別表で挙げた15事例のうち、6事例(記事No.5,7,10,11,12,14)も過去の掘り出し事例であることがわかる。情報の受け取り手としては、この辺りのメディアの報道姿勢をよく理解したうえで、物事を判断していく必要性があるのである。つまり、救急搬送「受け入れ問題」に関する報道が増えたからといって、「受け入れ問題」の実勢頻度が同じ割合で急増したわけではないのである。したがって、救急車を呼んでも行き先がないのではないかと必要以上に不安になることは、報道に不安を煽られてしまっているという態度といえるであろう。そのような報道に煽られてしまった方が、また現場の医療者を必要以上に苦しめることだってあるのである。私は、そんな事例を自ブログに書いたこともある。

●救急搬送「受け入れ問題」を死亡との因果関係に直結させて考えてはならない

救急搬送「受け入れ問題」の報道がなされた直後、その報道を話題とした一般の方々のブログなどを読むと、しばしば、受入れが遅れたから(原因)、患者が死亡した(結果)という受け取り方をしているものがある。つまり、原因と結果が非常に単純化されて認識されているのである。なぜだろうか?それは、人にはある認知の性向があるからだと思われる。その認知の性向とは、クリティカルシンキング(論理的思考)の入門の本に次のように指摘されている。

クリティカルシンキング 入門篇   E.B.ゼックミスタ、J.E.ジョンソン著 北大路書房 1996年 P35

人は目につく出来事や、他のすべての出来事の中から浮き上がって見える出来事だけに注目し、それが原因だと即断してしまう傾向があるので注意せよ。 

本来、人の死亡原因を医学的に考察する場合は、常に多面性とあいまい性(≒確率的な存在性)を要求される。一方、報道は、わかりやすさを絶対的に要求されるため、原因考察は単純化されやすい。医療者は、医学的知識が一般の方々より豊富であるために、当然医学的な原因考察にも深みがある。だから、救急搬送「受け入れ問題」報道を見て、それを少し深く考えてみたいと思う方は、医師自らが発信している各種情報にもアクセスしながら考えていくのがよいかもしれない。ツイッターなどはそのツールとしてのよい一例であろう。報道ニュアンスとは、また違った見方をを自らが知ることのできる良い契機となるとは思う。また、別に深く考えようと思わない人は、どんなにセンセーショナルに大きく報道されていようが、自分の中では、「受け入れ」の遅れと死亡との間の因果関係は、常に保留にしておくという姿勢を貫くのが、必要以上の医療不安を自分自身に抱かないもっとも簡単な方法であろう。

つまり、報道との関わり方を、極力「淡く」するように自己コントロールするのである。 自分自身もそれを自分への目標としている毎日なのだが、今なおその境地に自分が到達したとはまったく思えない。これからもその境地をめざして引き続き頑張っていきたいと思っている。

ブログは、気が向いた時だけごくたまにこうして書くことにします。では。

それと、コメント欄はあえて設けない方針にしました。昔と違って、今は、はてなとかツイッターがありますからね。ご理解ご協力のほどをよろしくお願いします。



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NZ地震報道で思うこと [雑感]

連続ツイート形式にしようと思ったが、長いのでブログサイトに記述することにした。


NZ地震の報道姿勢に鑑み、リスク心理学入門(サイエンス社) リスクとマスコミの章から抜粋してみた。

P132より引用

日本のマスコミは、リスク被害の情緒的な表現を好む傾向がある。航空機事故などが起きると、アメリカで真っ先に現地に到着するのは弁護士だが、日本では遺族だというのは、このような傾向を表す挿話としてよくいわれることだが、マスコミの受け手も送り手もリスクに対する遺族などの感情描写に関心を持ちすぎる傾向があるように思われる。これは、二つの点で、われわれのリスク認知に影響を与えていると思われる。ひとつは、このような感情への過度の注視が、リスク本来の原因への関心や将来への防止への関心を薄めさせるという問題である。そしてもうひとつの問題は、これがリスクのカタストロフィックな認知傾向をなおさら強め、その結果バランスのとれたリスク観の形成を妨げる可能性があることである。

とまあ、マスコミの問題点はリスク研究者にすでに前から指摘済みなのであるが、今も昔のままということなんですね、この業界は。

それはおそらく、内省しなければ、自らが不利益になるという状況におかれていない構造がそこにあるからなんだろうと思う。

ひとりひとりの消費者が彼らをはっきりとリジェクトし、それが総和となって彼らの切羽つまっった問題とならない限り、
彼らは、「だって消費者から求められるんだもん~」ということを錦の御旗として、今と同じ姿勢をこれからも続けていくのだろう。

まあ、それはそれとして、

これからの社会構造に合わせたリスク観とは何だろう?

こういう命題を皆さんはご自分で考えてみたことはありますか?

私は、よく考えています。考えるけれども、しばしばよくわからくなります。当然、明確な答えはでません。

でも、日々考える自分にとって、メディアから流れてこんでくる何かのリスクが関連したニュースの類には、いつも違和感がありまくりなんです。

明確な答えは出ないけど、もっと、世の中は、リスクに対して寛容であればいいのに。。。。といつも思っています

※ なお、今はツイッター上を自分の住処としておりますので、このエントリーのコメント欄は設けておりません。


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「気づくこと」と「信じること」 [医療記事]

医療紛争の記事を見るたびに、どこか割り切れない思いを感じる。そう、記事の文面から自分が感じ取るのは、「不毛」という感覚だ。そんな不毛な医療紛争が少しでも社会から減ってほしいと思う毎日である。日々のツイッターでのつぶやきは、私のそんな思いが込められている。メディアに対してきつい言い回しになるのは、そんな自分の思いとは裏腹な現実に対する自分のフラストレーションの結果としてなんだろうと思う。

そんな私が大切に思っていることがある。

それは、「気づくこと」と「信じること」だ。

これは、どちらも相手に求めることでなく、自分で自分に求めることであるという特徴がある。つまり、どれだけ自分が自分と向き合えるかというのが大きなポイントなのだろうと思う。

今日は、そういう「気づくこと」と「信じること」の大切さを伝えてくれるような話を紹介してみたいと思う。

●「気づくこと」について考えさせられるお話

釈迦(ゴータマ・シッダールタ)は、紀元前5世紀頃の人で、仏教を開いた人としてあまりにも有名である。その後、仏教は広く世界に広まっていく。5世紀前半には、ブッダゴーサという仏教徒がスリランカに登場する。ブッダゴーサは、広く経典に精通し、仏教伝道のために尽くしたという。そのブッタゴーサの著作として伝えられる「ダンマパダ・アッタカター」の中にある説話、キサー・ゴータミーの話を紹介する。ある論文(キサーゴータミー説話の系譜   赤松孝章 高松大学紀要34、2000年)を参考とし、少し自分の手を加えた形でここに紹介してみたい。

キサー・ゴータミーの説話
インドのコーサラという大きな国の都サーヴァッティーという町にゴータミーという名前の若い女性が住んでいました。
彼女は、貧窮した家柄の娘で、疲れきった体から「キサー・ゴータミー」と呼ばれていました。

そんなゴータミーでしたが、ある時、裕福な男性と縁があって結婚しました。二人はしばらく幸せな時を過ごし、めでたくゴータミーは、一人のかわいい男の子を授かりました。

しかし、その子がやっと両足で歩けるようになった頃、突然病気にかかり死んでしまったのです。

ゴーターミーは、深い深い悲しみにみまわれました。
ゴータミーは、それまで死というものを一度も見たことがなかったのです。

周りの人は、子供をを火葬するように言いましたが、ゴータミーは拒み、こう言いました。
「私はこの子の薬を探してきます」

そして、死んだ子の亡骸を両手にかかえて、家から家と尋ね歩きました。
「私のこの子にあげる良い薬を知っている人はいませんか」と。

そんなゴータミーに人々は言いました。
「娘さん、あなたは正気を失っている。死んだ子供の薬をたずね歩いている」と。

それでも、ゴータミーは全く聞き入れませんでした。
「必ず、薬を知っている人を見つけ出します」
と言い続けました。

ゴータミーは、子供の死を受け入れることができなったのです。

そんな様子を見かねた町の長老が、ゴータミーにある提案をしました。
「娘さん、私はそんな薬は知らないが、もしかしたら薬のことを知っているかもしれない人を知っている」

そうして、長老は、この辺りで唯一悟りを開いたとされるお釈迦様の元を尋ねるように、ゴータミーにアドバイスしました。

ゴータミーは、期待に胸を膨らませて、町のはずれに住むお釈迦様の元を訪れ、一礼しながらこう尋ねました。
「先生は、この子の薬のことをご存知なんですね」

「ええ、知っていますよ」
「一掴みの芥子の実があればいいのです。ただし、誰も未だ死者を出したことのない家から出た芥子の実でなければなりません。それさえ、あれば私がその子を治す薬を作りましょう」
とお釈迦様は、ゴータミーに優しく答えました。

「わかりました。ありがとうございます」
とお釈迦様にお礼を言った後、ゴータミーは町へ戻り、再び家から家と尋ね歩きました。

ゴータミーは、最初の家の戸口に立って尋ねました。
「ごめんください。この家には、芥子の実はありますか?」

「ええ、ありますけど。それが?」と主人が答えました。

ゴータミーは続けました。
「お宅の家から、今までに誰か死人が出たことはありますか?」

主人は、その質問に少しびっくりしながら答えました。
「何を言うのですか!ええ、たくさん出てますよ。昨年は親が死にました。そして、一ヶ月前に、娘を亡くしたばかりです」

ゴータミーは、この家から芥子の実をもらうのは諦め、次の家に向かいました。そして、同じことを尋ねました。また同じ返事でした。その後、尋ねる家、どの家もどの家も、死人を出したことのない家など一つもありませんでした。

日も暮れようとしてきたとき、ようやく、ゴータミーはお釈迦様が自分に何を教えようとしているのかがわかりました。

その結果、半狂乱な気持ちも消え去り、すがすがしい気持ちにさえなっていました。
子供は生き返りはしなかったにもかかわらず・・・・。

ゴータミーは胸に込みあげてくるものを押さえながら、町はずれの墓地へ行って、子の亡骸を優しく抱いてこう言いました。

「愛する我が子よ、私は今まで、あなた一人だけが、死んでしまったとばかり思っていた。でも、生まれてきた者は、皆いつかは死ぬんだよね」

ようやく、子供の死を自分で受け入れることができたのです。そして、再びお釈迦様の元を訪れました。

お釈迦様は、尋ねました。
「ゴータミーよ、芥子の実は見つかったかね?」

ゴータミーは答えました。
「もう芥子の実はいりません。たくさんの家々を訪ねるうちに、死なない人などいないということをお釈迦様に教えていただきました。私をあなたの弟子にしてください」と。

その後、ゴータミーは、修行を続け、お釈迦様にも認められる立派な尼僧となったとのことです。

人生には、自分の死、愛する人の死という受け入れ難い現実に直面させられることがある。その現実は、時に、あまりに非情でさえもある。しかし、その現実は、どんなに非情であっても、あくまで自分の人生の一部であって、他人の人生ではない。だから、それをどう乗り越えるかを決めるのは、最終的には自分しかいないのである。いくら、他人に死の責任や賠償を求め続けても、自分の心と自分自身が自分自身で向き合おうとしない限り、自分の心の中に納得の境地は決して訪れることはないであろう。この境地は他人から与えてもらうものではなく、自分で見つけ出すものだという自覚が必要なのだと私は思う。この説話は、そういう心のあり様に目覚め、そして生死を超える道を求めるところに、私たちの苦しみや悲しみの根本的な解決があることを教えているのだろうと思う。なぜ、釈迦の教えが、時間を越え、空間を越え、人の心に響き続けるのか?その理由が何となく分かるような気がする説話である。こういう説話を通して人の生死、自分の生死、家族の生死を考えてみることも、不毛な医療紛争を減らす何かのきっかけとはなりえないだろうか。私はそう願い、私は自分を信じ、自分也の医療を実践している。

ちなみに、この話は自分でフラッシュファイル化したものをすでに公開している→ ゴータミーの話をフラッシュに

●「信じること」について考えさせられるお話

小林多喜二(1903-1933)は、日本のプロレタリア文学の代表的な作家・小説家である。有名な代表作に、「蟹工船」がある。ここで紹介するのは、その小林多喜二の母、小林セキ(1873-1961)のエピソードである。作家の三浦綾子が、「母」という作品の中でこの小林セキを描いているが、東洋思想家である境野勝悟氏の著作の一つである「日本のこころの教育」(英知出版社 2001年)のP102~P109には、小林セキの多く人の心に響くであろうエピソードが書かれている。元々、この著作は、境野氏が高校生に対して行った講演の内容を書籍化したものであるから、本来は高校生へのメッセージということになるが、私は、これを読んで、「信じる」ということについて随分と考えさせられるエピソードだなと思った。そこで、境野氏の原文を私なりの要約した形でここに紹介してみたい。

五分間の面接ために駆けつけた小林多喜二の母親、小林セキの話
蟹工船を書いた小林多喜二の時代は、不幸な時代でした。多喜二は、その社会活動のために、憲兵に逮捕され刑務所に入れられてしまいます。刑務所の中では憲兵の鞭が毎日のように飛んでくるつらい日々が続きます。そんな刑務所でしたが、北海道の小樽に住む多喜二の母、セキにだけは面会が許可されました。刑務所からセキへ宛てた手紙にはこう書いてありました。

「三日後の十一時から五分間の面会を許す。五分でよかったら東京の築地署まで出頭しなさい」

セキはこの手紙をみてこう言ったそうです。
「五分もいらない。一秒でも二秒でもいいから、生きているうちに息子に会いたい」

ただ、セキは貧乏のどん底で旅費もままならない状況でした。それでも、なんとか近所から借金して東京まで往復する汽車賃だけは借りることができました。冬の小樽は雪がたくさんあります。汽車もすぐに止まってしまいます。次の駅に汽車が止まっていると聞くと、駅員に止められても、何キロでも雪の中を歩いてその汽車に乗り換えました。

「こんなところで一晩待っていたら多喜二に会う時間に間に合わない」
セキは、そんな気持ちだったのです。

そんな努力が実り、セキは、当日の午前十時半に東京の築地署に着きました。憲兵が見ると、あまりに寒そうな様子だったので、火鉢をそばに持って行くと、セキはその火鉢を端っこに置きながら、憲兵にこう言いました。
「多喜二は火にあたってないんだから、私もいいです」

今度は、別の憲兵がうどんを温めて差し出しました。また、セキは言います。
「いや、多喜二は食べてないから、私もいいです」

十一時ぴったりになりました。
多喜二が二人の憲兵に連れられて、セキの目の前に座りました。多喜二は母の顔を見られませんでした。ひたすらにコンクリートの床に顔をつけて、「お母さん、ごめんなさい」と言っています。憲兵がその顔を持ち上げました。多喜二の顔は、目は腫れ、顔は痩せ細り、頭は剃られて、自分の息子かどうかもわからない有様でした。

セキは、絞り上げるような声で言います。
「多喜二か、多喜二か?]

多喜二は答えます。
「はい、多喜二です。お母さん、ごめんなさい」

二人とも泣き声で叫んだきり声が出ません。そして、何もしゃべらず、ただ手を取り合っているだけでした。たった五分の面会時間が、一分、二分と過ぎていきます。見かねた憲兵がセキに声をかけます。
「お母さん、しっかりしてください。あと二分ですよ。何か言ってやってください」と。

それにハッと気づいたセキは繰り返し多喜二にこう言いました。
「多喜二!お前の書いたものは何一つ間違っておらんぞ!お母ちゃんはね、お前を信じとるよ!」

そうして、たった五分の短い面会は終わり、セキは雪の小樽へ、一人帰って行きました。
多喜二は、その後一度釈放されるのですが、すぐまた逮捕され、死刑を待たずに、憲兵の激しい拷問により獄中で死にます。その死に際の話です。

憲兵が鞭を振り上げると、多喜二がしきりに何か言ってます。しかし、口は動かしても、もう声にならない。コップに水を一杯やり、「何か言いたいことがあったら言え」と言うと、多喜二は絞り出すような声でこう言いました。
「待ってください、待ってください。私はもうあなたの鞭をもらわなくても死にます。この数ヶ月間、あなた方はみんなで寄ってたかって、私を地獄へ落とそうとしましたが、遺憾ながら私は地獄へは落ちません。なぜならば、母が、おまえの書いた小説は一つも間違っていないと、私を信じてくれた。むかしから母親に信じてもらった人間は必ず天国へ行くという言い伝えがあります。母は私の太陽です。その母が、この私を信じてくれました。だから、私は、必ず、天国へ行きます」
そう言い切って、多喜二は、にっこり笑ってこの世を去ったというのです。

セキは、漢字が一つも読めなったのです。片仮名がほんの少し書ける程度だったのです。だから、息子の書いた難しい小説は一行も読んでいないのです。にもかかわらず、「おまえの書いたものは間違っていない。お母さんはお前を信じておる」と声を張り上げて言ったのです。

私は、このエピソードを読んで、人間関係の中での「信じる」ということの重みを感じた。人は、社会生活を営む中で、いろんな人との間に何らかの関係性を構築していかなければならないことを考えると、その重みは、何も母子関係の間に限るものではないと思う。例えば、私たち医療者は、患者から「信じてもらえた」と自分が感じるときに、自分の心の安らぎと安心を覚えるものである。それは、ひいては、患者への責任という自覚に変わっていき、より誠実な医療を行う強力なインセンティブになる。

多喜二が医者、セキがその患者、そして憲兵が今の医療批判社会全般と当てはめたらどうなるだろうか?

私は、ふっとそんなことを思ってしまった。とすれば、私はその憲兵に物を言おうとしているのかもしれない。同時に、セキのような患者が増えてくれることを望んでいるのだと思う。そして、私が、多喜二のように、笑って天国へ行けるかどうかは、私自身のこれからの医療者としての課題であり続けるのだろうと思う。

「不信」も「信用」も、その気持ちを抱く人の心の中にしかないという意味においては同じである。違うのは、その気持ちを向けられた人の反応である。「不信」の気持ちを向けられた人の心の中には、向けてきた人に対して、新たな「不信」と新たな「対立」を生み出すことであろう。これは、不毛な医療紛争の背後にある多くの当事者たちの潜在的な心の状態ではないかと推定している。一方、「信用」の気持ちを向けられた人の心の中には、このエピソードに見るように、新たな「信用」と新たな「自己肯定感」を生み出すだろう。私たち一人ひとりは、このような「不信」と「信用」という自分の心の状態が、他者の心にどんな影響を与えるかも知った上で、自分の感情は自分で選択しなければならない。自分がどんな心の状態を選択するかは、あくまで自分の責任であり、それが自分の人生の今後を決めていくことになるのだという自覚を強くもつことは、医療紛争の緩和において、ひいては人生一般において、とても大切なことだと思う。


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患者に物語を語らせよう [救急医療]

夜間に急な身体症状を訴え、診療所や地域の急性期病院の時間外診療を訪れる患者の多くは、救急車で救命救急センターに運ばれる患者に比べると、軽症であることが多い。その一見軽症と思える患者群の中には、実は隠れた緊急の重症患者も確実に紛れ込んでいる。非典型的な症状や非典型的な病態のために患者自身も重症とは思わず、歩いて自分で病院へやって来るのだ。そのような患者群の中から、隠れた緊急の重症患者をすばやく見つけ出すことは、救急初期診療におけるファンプレーの代表的なパターンである。


しかし、救急初期診療におけるファインプレーは、そのような隠れた緊急の重症患者を見つけ出すことだけなのであろうか?もちろん、それだけではない。そこで、本日は、いつもの地雷探しとは異なるパターンの症例を紹介してみたいと思う。

症例 76歳 女性  繰り返すめまい感とふらつき

ある日、私の当直の時間もあと少しで終わろうとしていた朝の午前7時ごろ、一人の高齢女性が、独歩で来院した。 めまい感とふらつきが主症状だ。不眠もあるようだ。少し焦燥感も漂わせていた。2日前には、同じ症状で、神経内科と耳鼻科を受診しており、特に異常は指摘されておらず、様子を見るようにとの指導を受けていた。もちろん、頭部の画像検査(CT、MRI)で、これという異常がないことも確認済みだ。

私は、患者のバイタルサインに高血圧などの異常がないことを確認のうえ、今なら他の救急患者もおらず救急外来の状況にも余裕があることだし、ゆっくりと時間をかけて患者の話を聴いてみるという方針をとることにした。

「検査で異常がなくても、体のいろんなところが調子悪くなることは良くあることですよ。少しお話を聴かせていただけますか?」

私は患者が話をしやすい雰囲気となるように意識的に会話を誘導した。

すると、出るわ、出るわ・・・・・・。 

若いときはずっと音楽大学の講師をやっていたこと、最近夫と死別したこと、近くに住む子供たちと上手くいっていないこと、自分の将来が不安であること・・・・。

まあ、ざっとこんな感じで患者は語り続けた。一方、私はひたすら聞き役に回った。20分くらい経ったところであろうか、いつの間にか患者の両目に涙がいっぱい浮かんでいることに気がついた。結局、適時相槌を入れながら、30分くらい聴き続けた。ほぼ、患者が言いたいことを言い終わったと思えた時、患者は私にこう言った。

「ありがとうございます。随分と楽になりました。こんな時間にこんなにお相手をしていただきとてもうれしいです」

私は、最後に、軽いうつ状態も重なっている可能性などを含めて、私なりの病態的な考察を患者に説明し、患者を帰宅させた。

患者と医師との対立の問題を語るとき、しばしば、両者間のコミュニケーションの問題が言われる。診療において、患者の話を十分に聴き、そこから信頼関係を構築できるかどうかは、その状況に応じて、様々な因子があり、一概に語れるものではない。ただ、救急診療においては、軽視されがちな側面ではある。もちろん、救急診療の場に余裕がない場合、つまり、他の緊急性のある患者を診察中とか、待ちの患者が多くて一人当たりにかけられる診療時間に限界がある場合などは、診療の優先順位と効率という観点から十分に話を聴くという体制がとれないのはやむを得ないと考える。

しかし、ここで紹介した事例のように、救急診療の場に余裕がある場合において、患者の話を上手に聴き、患者の気持ちを癒すことができる診療というのも、一つのファインプレー診療ではなかろうか?この場合、医師側に「患者のため」という思いが強すぎても、どこかに無理が出るものである。そう思うのではなく、あくまで患者の話は自分のためになるかもしれないと思いながら、対応するのがコツだと思う。患者の話は、自分の今後の医師としての成長というか自我の持ち方というか、そんな自分の内面性の向上に役に立つのではないだろうかという認識を日頃から持っておけば、自然と患者の話に自分も入りやすいものである。そして、そのような対応が、患者の心を癒し、同時に、医師として、いや人間としての自己の内面をより豊かにしていくことにつながれば、まさに一石二鳥のファインプレーと考えることはできないだろうか。

こういう医師の姿は、今のところ報道を通して世に伝えられていることはない。


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ある慢性期病棟での訴訟事例 [慢性期医療]

脳血管障害などを発症し、救急ルートで急性期病院に入院となった患者の多くは、急性期病院での加療で終わりというわけではない。いや、むしろそれからの後遺症との付き合いのほうが、ずっと長いのかもしれない。そういった患者は、現在の医療システムにおいては、慢性期病院が急性期病院より引き継ぐことになるのだ。急性期病院は、国から診療報酬を「平均在院日数」という数値で厳しくコントロールされている事情があるので、とにかく速く安定化させて、慢性期病院へ転院させたいというインセンティブが働く構造になっているのだ。

私も自分が研修医のときに、ある先輩医師からこのように教わった。

「いいか、脳卒中の患者はだな。最初が肝心なんだ、最初が。 緊急入院するその日のうちに、転院の話をしておくんだぞ。でないないと、病院を追い出すのか!ってクレームが来るからな。いいか、忘れるなよ」

まあ、こんな感じである。医療を受ける側にとってもこういう転院のシステムは事前に知っておきさえすれば、急性期病院のスタッフとの摩擦も幾分かは減るのかもしれない。

あくまで、転院する段階というのは、患者が落ち着いたという前提であるので、慢性期病院における病棟管理というのは、急性期病院での外来や病棟に比べて地雷的な要素が少なくなるのは当然だろう。 しかしながら、そんな慢性期病棟でも容赦なく医療訴訟の事例はあるようだ。

本日はある慢性期病棟での訴訟事例の症例を紹介してみたい。 (出展 医療訴訟ケースファイル Vol.2 P61)

症例  58歳女性

既往歴  

45歳時 くも膜下出血→クリッピング術施行
56歳時 交通外傷 外傷性脳内出血、骨盤骨折

病歴
(急性期病院)
上記後遺症のため、某病院をリハビリ通院していた。X年M月Y日、自宅のトイレで倒れ、A大学病院へ救急搬送された。意識障害(E3V1M4)と右片麻痺を認めた。診断は、左視床出血+脳室内穿破。血圧コントロールなど保存的加療が選択された。その後、嘔吐、痰などの症状があるため、気管挿管による呼吸管理を経て、(Y+8)日に気管切開術が施行された。なお、患者の痰からはMRSAが検出されていた。症状も安定化したとのことで、リハビリと呼吸管理の慢性期加療へのため、X年(M+1)月1日、B病院へ転院の運びとなった。転院時の意識レベルは、E4VTM6。

(慢性期病院) X年(M+1)月
1日  転院。 転院後呼吸管理の一貫として、一日4回のネブライザー処置は施行
        されていた。
    (頻回の吸引をしていたかという事実は、
          裁判所は記録にない以上判断できないとした)

5日  発熱。(後にグラム陰性桿菌が血液中より検出されたという結果が判明する)
AM6:00   SpO2 92%
           この日にA大学病院から患者の痰からMRSAが出ていたとの報告を
                受けたため、当院でも血液検査を出すとともにVCMが開始された。

6日  採血結果 WBC 22000 CRP 20.1
AM 10:30 看護師により痰の吸引が施行
  (看護記録に施行者のサイン漏れがあったものの双方の言い分から
                                                                  裁判所は施行したと認定)
 
AM 11:30 急変覚知! 心拍モニタアラーム鳴る。脈拍数28。看護師直ぐに訪室。
       呼吸停止を確認。

AM 11:3X 急変の知らせをうけて直ぐに医師が訪室。
       バックバルブマスクを気管切開チューブに接続し呼吸管理を開始。
       胸骨圧迫も開始。バックによる呼吸管理の様子などから、医師は、
                 痰がつまったと判断。看護師に吸引を指示。ボスミン、硫アトも
                 使用された。中等量の粘稠な痰が排出された。さらに、胸骨圧迫と
      ともに、肉芽組織に似た凝血塊のような痰が気管チューブより飛び出
      してきた。その後、バッグバルブマスクによる呼吸も容易となり、
      心拍は再開した。人工呼吸器が装着された。

AM 11:39  BP164/74、HR120台 に recovery。

このイベントを契機に患者は、低酸素脳症による植物状態となり、寝たきりの状態が続いている。

こういう臨床経過で、訴訟に至るまでの経緯はいっさい不詳だが、とにかく裁判が起された。
判決文から垣間見える訴え側の言い分は次の通り。(思い切ってかなり要約)

「吸引などの呼吸管理をちゃんとやってないせいだ(争点1)」
「急変時の対応がおそかっただろ(争点2)」 


さて、皆さんはいかがお感じであろうか? 判決文で裁判所が認定した経過をまとめてみたが、私個人的には、これで訴えられるとはかなわんな。。。
というのが実感である。

もちろん、判決文には、双方の感情的な部分を含めた紛争に至るまでのプロセスがいっさい記載されていないので、この事実だけでこの訴訟はけしからんと我々は言ってはいけない。おそらく現場の私たちにとってより切実な裁判前の事実経過はここには一切現れていないということには注意しておいてほしい。

で、

判決は、争点1は認定、争点2は認定せず

というものであった。まあ、原告勝訴(満額認定ではないが)と言っていいであろう。

裁判では、この患者は、医療者の過失のため痰が詰まったので植物状態となった と認定された。 それが裁判のルールだから仕方がないのかもしれないが、私はこの判決文を読んでいて何かすごく違和感を感じた。

どんな違和感なのかなあと、少したとえ話を考えてみた。

唐突だが、フジテレビのVS嵐という番組(子どもの超お気に入りの番組なので毎週目に入ってくる)がある。
その番組の中には、ローリングコインタワーというゲームがある。このゲームで自分の違和感を表現してみることにしてみた。
(youtube http://www.youtube.com/watch?v=nswDB-oT7OE いつまでリンクがあるか不明)

複数の人が回転するテーブルの上でコインを積み上げタワーをつくる。当然、だんだんと高さがつくにつれて、コインタワーは不安定化していく。そして、最後の誰かがコインを乗せたときついにコインタワーは転落しゲームオーバーとなる。

上記の裁判の責任のとらせかた(賠償者の認定)って、なんだか、このゲームの最後の一人に全責任を負わせてるような気がする。コインタワーの不安定さを作ったのは、決して最後の一人ではないのに、最後の一人に責任を負わせているようなものだと思うと、それはおかしくないか? というのが私が感じている違和感を例えたものであると言えるような気がする。

そもそも患者の状態は、倒れそうなタワーそのものであるという前提が、まるでなかったように過失認定作業が進められることの違和感と言ってもいいかもしれない。

医学的に、このような臨床経過が生じることは、ほぼ回避不可能だと私は思う。だからこそ、状態が悪くなってもそれがきっかけで医療紛争とならないような下地作りを日常の診療のなかで気をつけながらやっていくのしか手はないのかもしれない。

最後のこの裁判の判決が出たときの医療報道記事を引用して今日は終わりとする。ちなみにこの判決はこれで確定している。

病院側に6千万円賠償命令 たん吸引怠るとT地裁
20XX.XX.XX 共同通信  

低酸素脳症により植物状態になったのは、気管に入れたチューブがたんで詰まったのが原因だとして、K病院に入院していた主婦(61)と家族二人が、病院を経営する医療法人社団「○○○○会」に約一億三千万円の賠償を求めた訴訟の判決で、T地裁は六日、病院側の過失を認め、約六千六百万円の支払いを命じた。判決理由で、K裁判長は「主婦のたんは粘度が高く、血の塊のようなものが生じる可能性もあり、病院側は頻繁にたんの吸引などを行い、呼吸困難を防止する注意義務があったのに怠った」とした。判決によると、主婦はX年Y月、自宅で倒れ、大学病院に入院した。嘔吐(おうと)などの症状があったため、気管にチューブを差し込んで呼吸管理を行っていたが、容体が落ち着いたため、同年(M+1)月にK病院に転院。同月六日に気管のチューブがたんで詰まって低酸素脳症に陥り、植物状態となった。○○○○会は「弁護士から判決について連絡を受けておらず、コメントできない」としている。

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見事な予言的中 [救急医療]

最近は、今流行のツイッターのほうで中心にネット活動をしておりますが、今日は、突然思い出したようにブログエントリーを入れてみたいと思います。今の私は、急性期医療から主軸を撤退し、ゆるやかな時間の中で人の生と死を考えることをやりやすい慢性期の医療環境にその身をおいてます。そして、非常勤で少しだけ急性期医療には関わっています。


そんな自分ですので、救急医療をメインにエントリーを継続することは無理ですが、このように気が向いたときだけ、不連続にブログエントリーを入れてみるのもよいかなと思っている次第です。テーマは、救急医療に限らず、死生観がらみの話、あるいは全く個人的な趣味での受験算数などをテーマしてみたり、時にはツイートをまとめてみたりと、要はまったく気まぐれで好きなようにやってみたいと思う次第です。

まあそれでも、ブログタイトルは、これまでの流れ上、このままにはしておきます。

というわけで、皆様よろしくお願いいたします。m( _ _ )m

では、今日のエントリーへ入ります。

症例:35歳女性 右季肋部(右側の肋骨の下あたり)の痛み

ある日の救急外来、右季肋痛を訴える患者が独歩で来院した。一瞥すると、顔色はそう悪くない、汗もかいていない、つまり、より緊急性の高いショック状態ではなさそうだ。ただ、痛みで顔が少し歪んで見えた。この患者を担当したのは、元外科医のスタッフ医師(T医師)であった。

「バイタルは?」 とT医師は看護師に尋ねた。

救急外来のスタッフ医師は、皆、最初に患者のバイタルサインに注意する習慣がついているのだ。

「血圧120/65、脈拍65、体温36.6、呼吸数24 です」 と手馴れた看護師がすかさず答えた。

「少し呼吸が速いけど、痛みのためかな?」とT医師は考えながら、次の指示を下した。
「心電図を先にとって!」

普通、35歳女性の上腹部痛において、その原因が、急性心筋梗塞であるとは考え難い。しかし、本当にもし心筋梗塞であったなら、次の手以降が時間との勝負である緊迫した診療体制に激変する。時に、心電図検査は、その重大な手がかりを与えてくれるのだ。しかも、心電図検査は、検査自体の危険性が皆無である。しいて言えば、若い女性の場合は、「腹痛なのに、なんで、胸をあらわにしなければならないの?」といらぬ誤解を与え、心情的に不愉快な思いをさせる危険性はないことはないが・・・・・・。そういう誤解を防ぐためには、ほんのちょっとした一言がとても大切だ。

救急診療は、ありとあらゆる患者が、突如やってくる場である。つまり、どんな患者が、どんな形でいつやってくるか全くわからないということを想定して、日々の対応をしなければならないのだ。そこで、その場に常駐する私達救急医は、そのような場でも、最大公約数的に効率よく、診療を進めるための方法論というものを持っている。私は、それを診療の型と呼んでいる。一件可能性が低そうな人にも、こうやって心電図検査を確認しておくのが、そのような型の一つなのである。このような型は、その診察場に関わる人たちと共有しておくことでより効果を発揮する。

ただし、心電図検査の解釈については、誤解のないように言っておかないといけないことがある。以下の通りだ。

正しい解釈
○検査で心筋梗塞に合致する異常がある ⇒ 心筋梗塞として緊急の対応とする
○検査で心筋梗塞に合致する異常がない ⇒ 心筋梗塞かどうかはとりあえず保留とし、診療を継続する

誤った解釈
×検査で心筋梗塞に合致する異常がない ⇒ 心筋梗塞ではないと断定する

注意:医療者の方々へ
ここで使用した心筋梗塞という言葉は、広い意味で使用している。つまり、非ST上昇型の心筋梗塞も含まれるということ。

心電図一つを、いつどう撮るかについても、これだけの深みをもった思考で行っているのだ。こういうところは、患者側の方々には、これまであまり伝えられていないのではないだろうか?さて、話を症例に戻そう。

患者の心電図に異常はなかった。T医師は、問診と身体診察をざっと行い、次に、腹部超音波(腹部エコー)検査、血液、尿などの検査を行った
T医師には、どんな疾患が頭の中に思い描かれていたのであろうか?

尿路結石・・・泌尿器科
子宮外妊娠・・・・産婦人科
肝周囲炎・・・・・・産婦人科
胆石・胆のう炎・・・・外科 and/or 消化器科
総胆管結石・・・・・・外科 and/or 消化器科
急性胃腸炎・・・・消化器科
急性膵炎・・・・・・消化器科
急性肝炎・・・・・・消化器科
急性胃粘膜病変・・・・消化器科
急性冠症侯群・・・・循環器科
胃潰瘍・十二指腸潰瘍・・・・消化器科
消化管穿孔・穿通・・・・・・・外科
アニサキス(寄生虫のこと)・・消化器科
胸膜肺炎・・・・・・・・・呼吸器科
糖尿病性ケトアシドーシス・・・代謝内科
機能性消化管異常・・・・・消化器科 and/or 心療内科
腎盂腎炎・・・・・・・・・・・・内科
急性虫垂炎(初期)・・・・・外科
肋骨骨折およびその他外傷・・・・整形外科 and/or 外科
うつ病・・・・・・・・・・・・・・精神科 and/or 心療内科

ざっと、こんな感じである。

T医師は、上記診察と検査に加えて、造影剤を使った腹部CT検査まで行い、その全てにおいて、痛みを説明できる明らかな所見を見出せなかった。
T医師は、これまでの診療経過で検討した主な疾患を具体的に挙げながら、それぞれの疾患の可能性はあまり高そうでないことを患者に説明した。そして、その後、ある疾患の可能性を説明して、その患者には帰宅していただいたのだった。

翌日、患者の経過は、T医師の予言どおりとなったのだ。
T医師の予言した疾患は、あえて上記のリストから、抜いておいた。

医療者の方々はT医師の予言した疾患が何だかおわかりになるだろうか? 少し考えてみていただきたい。
非医療者の方々は、救急初期診療に携わる医師は、これだけの幅をもって思考しないといけないという大変さを理解してほしい。しかも、これだけ考えても、やはり結果は、想定外であることもありえるという現実も真摯に認めていただきたいと思う。

翌日、患者の右季肋部下に帯状に皮疹が出現してきた。患者は、T医師の説明を聞いていたため、あわてることなく、皮膚科を受診し、帯状疱疹としての治療が開始された。

そう、T医師が予言していた疾患とは、帯状疱疹という皮膚科の疾患だったのだ。

この疾患は、特徴的な皮疹を認めている状況下で、痛みを伴なっている場合は、診断は比較的容易であるが、痛みのみが先行している状況下では、その原因探しを手広く構えないといけないのだ。

この診断過程における思考力の広さ、適切さというのは、医師の間でもばらつきがあるだろう。当然、それは、医師の専門性にもよっても異なるし、受けた教育環境によっても変わるだろう。患者から見れば、T医師の診療は、当たり前のように感じるかもしれないが、実は、T医師の診療は、すごいファインプレーの診療なのである。T医師の診療スタイルは、結果として疾患がどれであったとしても、緊急性の高いものから、確実に網に引っかかるような診療スタンスで行われているからである。それはとても地味で、誰の目にも見えにくいかもしれないけど、れっきとしたファインプレーの診療なのである。その地味さゆえに当然であるが、メディアも報道はしない。メディアは、その性質上、どうしても、医療に対して批判的、ネガティブな面に、報道姿勢が傾きがちである。だからこそ、私達医療者は、患者の目に見えにくい隠れた診療のファンプレーは、積極的に公開していく姿勢が大事だろうと思う。こういうことは、医師からの直接発信でないと、なかなか伝えることができないであろうから。そうすることで、多くの情報の受け取り手の人たちは、バランスのとれた医療情報に触れることができると思う。


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<番外エントリー>大淀病院判決報道に思うこと(判決文リンクしました) [医療記事]

(3月6日 追記しました。読売新聞報道に対する抗議の意です)
(3月7日 追記しました。報道姿勢の問題点を心理的な見地から具体化してみました)

皆様、大変ご無沙汰しております。当ブログの継続執筆を中断して随分と時間が経ちました。当ブログをこれから再開させるという気持ちは特にはないのですが、大淀病院の判決が出た今だからこそ、番外エントリーとして、私見をネット上に公開してみたいと思います。

そもそも、私が一現場の医師としての意見を広く知ってほしいと思い、ブログ執筆へ向かうようになったきっかけの一つが、2006年10月の大淀病院報道でした。当時、毎日新聞を筆頭に、「たらい回し、6時間放置」などの言葉が躍ったメディアの騒ぎぶりに、激しい怒りを感じるとともに、深い悲しみも感じました。いずれにせよ、当時の一連の報道が、救急医療に対する私の心を最初にへし折った報道であることはまちがいありません。これは私の気持ちですから、誰にも否定できないことです。つまり、この初期報道は、現場でがんばろうとする救急医療従事者に対する立派なペンの暴力であったと思います。マスコミ・ハラスメントとも言えるかもしれません。そんな大淀病院事件ですので、その判決が出た今、私自身、久しぶりにネット空間に自分の意見を出してみるよい機会だと判断としたわけです。

では、まずは、これまでの私のブログエントリーの中から大淀病院に関するエントリーをリストアップしてみたいと思います。

シンポジウム聴講記  2007.4.29

奈良妊婦死亡事件の提訴記事  2007.5.24

嫌悪感を覚える毎日の記事  2007.5.30

私は大淀病院を支持します   2007.6.25

大淀病院裁判 世間の声は  2007.6.26

大淀病院を応援します。  2007.8.29

大淀事件を通して今感じること  2008.7.17

まあ、今自分で見直してみると、ああ、当時の自分は随分と一生懸命だったんだなあと思います。同時に、メディアに変わってほしい、理解してほしいという切なる思いも伝わってきます。 そして、今回の奈良地裁の判決は、請求棄却でした。つまり、医師側の勝訴です。私は、2007.8.29のブログエントリーでは、こんなことを言っていました。

医学的判断においては、我々医療者側に十分勝算があることに間違いありません。
裁判官の方々には、遺族感情にながされることなく、中立的な判断を下してほしいものです。

私は、裁判官を信じています。

結果的には、この通りとなったわけです。でも、勝った・勝ったという喜びの感情はありません。ただ、この数年間は一体なんだったんだという虚しさにも近い感情が静かに私の心の中でうごめいています。

そもそも、この大淀病院事件とは、ご遺族もメディアに巻き込まれた人たちだと私は思うのです。そういう観点では、ご遺族もまたメディアの被害者なのかもしれません(死別のグリーフケアの過程をメディアに傷害されたという意味において)。

毎日新聞社は、ご遺族と病院がまだ話し合いの途中であるところに、ずかずかと突然割り込んできて、スクープとしていきなり第一報を流しています。裁判の傍聴録からその様子をうかがい知ることができます。http://obgy.typepad.jp/blog/2008/07/post-99d0.html より引用してみたいと思います。

病院側弁護士(K)
10月17日でしたか、ある日突然報道がでましたよね。報道とはいつごろから連絡を?

Tさん
報道の3日前にいきなり新聞記者が来て、私を指名して、いらっしゃいますかと。
ボクは何か分からなかったので「留守です」と答えました。その話をすると父が「名刺だけもらっとけ!」と言われたので、追いかけてって名刺だけもらってきて。一回話をして。そうしたら次の日に新聞に出ました。


※固有名詞はアルファベットに変えました

この発言から、一連の騒動に、火をつけたのは、まさにメディアだったと思うのです。 病院とご家族は、とても大事な話し合いを進めているところに、メディアが突然割り込んできてわけです。しかも、あれだけの騒ぎになってしまった以上、もう病院とご家族は、対立するしかなかったのではないでしょうか? メディアが病院とご家族の話し合いをぶち壊しにしたと考えられないでしょうか? もし、この話し合いが、ADR(裁判外紛争解決:Alternative Dispute Resolution)としての意味合いがあったとしたならば、そのADRを台無しにしてしまったのがメディアではないのでしょうか?そういう意味においても、あまりにも心無い報道だったと思うのです。大淀病院事件は、メディア介入による事件化という意味において、他の医療裁判とは大きく異なっている点だと思うのです。

その火をつけた側の毎日新聞社の報道にはこのようなものがあります。

記者の目:「次のMさん」出さぬように
2006.10.26 毎日新聞

取材は8月中旬、Tさん一家の所在も分からない中で始まった。産科担当医は取材拒否。容体の変化などを大淀病院事務局長に尋ねても、「医師から聞いていない。確認できない」。満床を理由に受け入れを断った県立医科大学付属病院(同県M市)も個人情報を盾に「一切答えられない」の一点張りだった。
 (中略)
Mさんの遺族にたどり着けたのは10月だった。Tさんは当初、「Mちゃんの死を汚す結果にはしたくない」と、取材への不安を口にした。「県内の実態を改善させるよう継続的に取材する」と伝えると、Tさんの話は5時間以上に及んだ。

(以降略)

(※記事中の固有名詞はすべてアルファベットに変えています)

記者が遺族を説得し、記事化したという経緯が書かれています。

私が思うに、大淀事件のケースは、通常の死別感情の一プロセスとして誰もが通過しうる怒りや敵意などの負の感情の真っ只中に、ちょうどご遺族がいたところに、実にタイミングよく毎日新聞社が割り込んできてしまっという不幸があると思うのです。毎日新聞が、記事として世間に公開してしまったがために、ご遺族のその負の感情が、正常な悲嘆反応として次へ進めずに、そこで停滞、そして大きく拡大してしまった。その結果、訴訟にまで発展したのでないかと推論するわけです。もちろん、私の推論にすぎませんから、本当のご遺族の気持ちは私にはわかりません。

判決が出てから、すでに4日経ちました。 どうして、当時あれだけの騒ぎをしたメディアは、こぞっておとなしいでのしょうかね。最初に騒ぐだけ騒いで、後は知らんぷりというのは、メディア業界の体質として、今に始まったわけではありませんが、「やっぱり大淀でもそうなのか」 という感じです。ただただ、私はあきれるばかりです。

その騒ぎぶりの違いを客観視するために、私は、有料のデータベースG-searchを用いて、第一報が出た2006年10月17日からの3日間と、判決が出た2010年3月1日からの3日間の期間において、毎日新聞社が大淀病院に関して、どんな記事を出しているのかを、見出しによる比較一覧を作成してみました。

2006.10.17~2006.10.19  毎日新聞社の記事から、「大淀病院」で検索 → 結果 11件ヒット

以下その記事の見出しのみ掲示

・病院受け入れ拒否:分べん中意識不明、転送まで6時間 1週間後、女性死亡--奈良 2006.10.17

・奈良の妊婦18病院転送拒否:遺族「助かったはず」 母体搬送システム、改善願う 2006.10.17

・病院受け入れ拒否:意識不明、6時間“放置” 妊婦転送で奈良18病院、脳内出血死亡 2006.10.17

・奈良の妊婦転送拒否:緊急治療の母体37%、県外搬送--04年 2006.10.17

・奈良・妊婦転送死亡:19病院以上、拒否か 大淀病院「判断ミスあった」 2006.10.18

・妊婦転送死亡:脳内出血見抜けず 遺族への謝罪、検討中--大淀病院長が会見 /奈良 2006.10.18

・奈良・妊婦転送死亡:病院の過失捜査へ--県警 2006.10.18

・奈良・妊婦転送死亡:産科満床なら他科へ 県医師会が再発防止、搬送要請で合意 2006.10.18

・奈良・妊婦転送死亡:県警、遺族から聴取 2006.10.19

・奈良・妊婦転送死亡:県警、遺族から事情聴く 病院関係者立件検討も 2006.10.19

・妊婦転送死亡:「周産期医療、整備を」 知事に要請文提出--共産党など /奈良 2006.10.19



2010.03.01~2010.03.03  毎日新聞社の記事から、「大淀病院」で検索 → 結果 6件ヒット

以下その記事の見出しのみ掲示   (判決日当日にヒット記事がないことにもご注目ください)

・奈良・妊婦転送死亡:賠償訴訟 「受け入れ体制作り必要」--大阪地裁 /奈良 2010.03.02

・奈良・妊婦転送死亡:賠償訴訟 「産科救急、充実を」 遺族請求は棄却--大阪地裁 2010.03.02

・奈良・妊婦転送死亡:賠償訴訟 産科救急医療の充実を 遺族の請求は棄却--大阪地裁 2010.03.02

・奈良・妊婦転送死亡:賠償訴訟 救急不備指摘 ママのおかげなんだよ 2010.03.02

・奈良・妊婦転送死亡:賠償訴訟 「救急充実願う」大阪地裁判決言及 遺族請求は棄却 2010.03.02

・ことば:奈良・妊婦死亡問題 2010.03.02


これら見出しの文言がかもしだす雰囲気から、いかに毎日新聞社が、自分達が行ったことを、自ら見つめ、それを自己開示することができていないかということを感じ取っていただければと思います。

どうして、自らの企業責任を自覚し、自発的に、つまり他者からの強制ではなく、

「あのときの報道はいきすぎでした。関係者に対して、深くお詫び申し上げます」

という一言が、社としてきちんと言えないのでしょうか。

まあ、そういう社風だからこそ、読者を失い、信頼を失い、結果、社が傾いていくと理解したらよろいしのでしょうか。 

大淀病院事件は、メディアが作った事件だと私は思っています。毎日が、あのときあのタイミングであんな報道の仕方をしなければ、奈良南部の産科医がいなくなることはなかったのではないのでしょうか? どうして、毎日新聞または他のメディア各社は、その検証報道をしないのでしょうか? そんな自分でまいた種に対して責任をとろうとせずに、だんまりを決め込むその態度に、私自身は当然としても、私のみならず日本国民の多くも、侮蔑の念を抱いてるのではないかと考えます。

これが業界というマクロ(集団)のレベルではなく、人と人というミクロ(個人)の関係の中での出来事であれば、多くの人から、その人は、軽蔑され、嫌われ、相手にされないのだろうと思います。そういう人に相当することを、メディアは、業界として行っているといえないでしょうか。

でも、私は、毎日新聞に謝罪を強制する気持ちはありません。謝罪とは、本来、人に言われてするものではなく、自らの内面から沸きあがってくる気持ちを態度と言葉で表明してこそ、心に響く謝罪になるからだと思うからです。 

判決が出て、一つの区切りとなった今、メディア業界がどういう態度になるのか、非常に興味がありました。 

結果、「やっぱり大淀でもそうなんですね」 でした・・・・

残念です。私は、またも、メディア業界を見直す機会を失ってしまいました。一体全体、これで何度目のことか、もう私にはわかりません。

今の私は、ネット活動よりもリアルの医療の現場の中で、私がこのブログで述べ続けてきたことを地道に伝え続けています。私自身は、まだまだ、自分の修行がたりません。ついつい、こんなエントリーを書いてしまうこと自体、自分の未成熟性の現れだと思います。私は、本当は、メディアが医療に関して、何を言おうが、どんないけてないことを言おうが、気にならない、心を動かされない自分になりたいと常々思っています。そのためには、自分をどうコントロールしたらよいかを悩みながら今を生きています。

今回に限り、ネット空間に出現することにはしましたが、基本的にはまた現実世界に戻ります。

メディア業界の中においても、個々の人というミクロのレベルにおいては様々ですから、私が信頼できると思う人も必ずいます。このエントリーは、あくまで、メディア業界というマクロに対する批判であり、個人というミクロレベルには、必しも該当しない批判であるということをどうかご理解ください。もし、心あるメディア関係者の方が私のエントリーを偶然目にしたとき、とても不愉快にお感じなることもあるかもしれません。そのときは、とても申し訳なく思いますが、業界批判であるという私の主旨に鑑み、お許しをいただきたいと思います。そして、業界としてなぜこういうことを言われるのかということを真摯に考えていただける機会となればと思います。

私は、医療業界というマクロを操作しようという大それた気持ちはもうなくなりました(以前ブログを書いているときはそんな驕りもあったように思います)。今はただ、自分が出会う患者さんやそのご家族を大切にしながら、今ある自分の目の前にある医療資源を使って、決して背伸びをせずに、無理をせずに、現実的な医療を提供していく中で、自分自身も成長できたらいいなと思っています。メディアが創りあげる虚構の概念を元に医療不信の念を抱いてしまう損な日本国民がもうこれ以上増えないことを切に願います。

本日はどうもありがとうございました。

コメント欄は一応承認制のままにさせていただきます。汚い日本語表現、ネット空間にふさわしくない個別情報の開示などが混じっているコメントが私の非承認の基準です。礼節をわきまえた表現でさえあれば、批判や反論でも開示するつもりです。

(3月6日 追記)

私が、家族を説得して自宅購読を中止した読売新聞から以下のような記事がでました。

メディア業界は、自らの報道のあり方をを振り返らないどころか、まったく自分たちのことはさておいて、メディアのほうが先に医師側を攻撃してきたようです。とても残念なことですが、私は、そんなメディア業界を心のそこから軽蔑します

ネットで医師暴走、医療被害者に暴言・中傷 

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100306-OYT1T00532.htm
魚拓
3月6日18時16分配信 読売新聞

 医療事故の被害者や支援者への個人攻撃、品位のない中傷、カルテの無断転載など、インターネット上で発信する医師たちの“暴走”が目立ち、遺族が精神的な二次被害を受ける例も相次いでいる。

 状況を憂慮した日本医師会(日医)の生命倫理懇談会(座長、高久史麿・日本医学会会長)は2月、こうしたネット上の加害行為を「専門職として不適切だ」と、強く戒める報告書をまとめた。

 ネット上の攻撃的発言は数年前から激しくなった。

 2006年に奈良県の妊婦が19病院に転院を断られた末、搬送先で死亡した問題では、カルテの内容が医師専用掲示板に勝手に書き込まれ、医師らの公開ブログにも転載された。警察が捜査を始めると、書いた医師が遺族に謝罪した。同じ掲示板に「脳出血を生じた母体も助かって当然、と思っている夫に妻を妊娠させる資格はない」と投稿した横浜市の医師は、侮辱罪で略式命令を受けた。

 同じ年に産婦人科医が逮捕された福島県立大野病院の出産事故(無罪確定)では、遺族の自宅を調べるよう呼びかける書き込みや、「2人目はだめだと言われていたのに産んだ」と亡くなった妊婦を非難する言葉が掲示板やブログに出た。

 この事故について冷静な検証を求める発言をした金沢大医学部の講師は、2ちゃんねる掲示板で「日本の全(すべ)ての医師の敵。日本中の医師からリンチを浴びながら生きて行くだろう。命を大事にしろよ」と脅迫され、医師専用掲示板では「こういう万年講師が掃きだめにいる」と書かれた。

 割りばしがのどに刺さって男児が死亡した事故では、診察した東京・杏林大病院の医師の無罪が08年に確定した後、「医療崩壊を招いた死神ファミリー」「被害者面して医師を恐喝、ついでに責任転嫁しようと騒いだ」などと両親を非難する書き込みが相次いだ。

 ほかにも、遺族らを「モンスター」「自称被害者のクレーマー」などと呼んだり、「責任をなすりつけた上で病院から金をせしめたいのかな」などと、おとしめる投稿は今も多い。

 誰でも書けるネット上の百科事典「ウィキペディア」では、市民団体の活動が、医療崩壊の原因の一つとして記述されている。

 奈良の遺族は「『産科医療を崩壊させた』という中傷も相次ぎ、深く傷ついた」、割りばし事故の母親は「発言することが恐ろしくなった」という。

 ◆日医警告「信頼損なう」◆

 日医の懇談会は「高度情報化社会における生命倫理」の報告書で、ネット上の言動について「特に医療被害者、家族、医療機関の内部告発者、政策に携わる公務員、報道記者などへの個人攻撃は、医師の社会的信頼を損なう」と強調した。

 匿名の掲示板でも、違法性があれば投稿者の情報は開示され、刑事・民事の責任を問われる、と安易な書き込みに注意を喚起。「専門職である医師は実名での情報発信が望ましい」とし、医師専用の掲示板は原則実名の運営に改めるべきだとした。ウィキペディアの記事の一方的書き換えも「荒らし」の一種だと断じ、公人でない個人の記事を作るのも慎むべきだとした。

 報告の内容は、日医が定めた「医師の職業倫理指針」に盛り込まれる可能性もある。その場合、違反すると再教育の対象になりうる。

最終更新:3月6日18時16分

確かに私たち医師も批判を受けることはあるでしょう。しかし、こと大淀病院の報道のあり方については、メディア業界は、私たち医師の心を折り続けるようなことをやり続けてきたのではないでしょうか?その検証記事が全く出てこない中で、この記事はあまりといえばあまりにひどいのではないでしょうか?

メディア報道のあり方の、あまりのバランスの悪さは、社会的に是正されてしかるべきだと思います。

今のこの時期に、このような記事を流す読売新聞の報道姿勢に対して、私は抗議の意とともに軽蔑の念を表明します。

私は、地道に自分の周りで出会う人々に自分のスタンスを啓蒙していくのみです。 

賛同の意をいただける方は、一言、「私も読売新聞に抗議します」 とコメントお願いします。
(上述の通りの理由で承認制ですので、反映には多少時間がかかります。)


(3月7日 追記)

自分でコメント欄につぶやいてたのですが、せっかくですから、今朝のコメントを加筆して、エントリーの一部にしました。以下、その追記および加筆部分。


誹謗中傷の類は、人の心に傷をつけます。もちろん、それは受け取る側の許容の幅が相当に千差万別的なところはありますが、一般社会常識に照らした超えてはならない一線があるでしょう。

一部の医師がその一線を踏み外したというのは確かに事実でしょう。
医師という職業の特性から、その一線の平均ラインが、医師以外の方のラインより多少厳しいところに置かれるというのも納得はできます。

しかしですね、これまでの幾多の報道被害の歴史を振り返れば、一部のメディアがその一線を踏み外してきたのも事実でしょう。
メディア業界の中に、大淀病院初期報道に対する自主的な反省や相互批判がいっさいないまま、昔の話を蒸し返すだけの一方的な医師叩きの記事です。メディアのこのような状態が、これほど社会に放置されたまままで、皆さん、本当にそれでいいですか?

この報道は、ネットを普通に適正に利用している大多数の極普通の医師たちへのに対する立派な誹謗中傷です。
私はそのように受け取るわけです。

割り箸事件の報道も、BPOから指摘をうけましたが、この記事と同じレベルで、読売新聞は、TBSを批判しましたか?問題点として社会に挙げましたか? 

あまりといえばあまりじゃないですか。メディアの報道姿勢は。

私は、そういう自分達のことを棚に上げて、他人ばかりを批判するメディアの姿勢に、著しく嫌悪の念を抱くのです。

認知療法の著書で有名なデビット・D・バーンズの著書(フィーリングGoodハンドブック 星和書店 P482)には、悪いコミュニケーションとして、15の指摘をしています。今回の読売新聞のこの報道姿勢に合致しそうなところを抜粋してみたいと思います。

原文中の「自分」に読売、「相手」に医師をそのまま当てはめてみます。( )部分が当てはめ部分。

<1.真実> 自分(読売)が「正しく」、相手(医師)が「間違っている」と固執する。

<2.非難> 生じている問題が相手(医師)の過ちによるものだと言う。

<12.罪の転嫁> 自分(読売)は正気で、自分(読売)の行動は適切で、自分(読売)は問題とは関係なく、相手(医師)に「問題」があるのだという態度をとる

<13.自己弁護>  あなたは(読売)は、自分が間違ったことや不完全なことをしたと認めることを拒む。
   (十分に批判があるのはおそらく承知の上で、あえて記事化しない(スルー)していることを、私はこう解釈しました。)

<14.反撃> 相手(医師)がどのような気持ちでいるかを理解しようとしないで、相手(医師)からの批判に対して批判で反応する。

<15.直面している問題からの逃避> いまここで自分(読売)と相手(医師)の双方が感じていることに向き合わず、過去の問題に対する不満をあれこれと列挙する


バーンズが指摘する悪いコミュニケーションの型15のうち、私的は、今回の報道姿勢は、この6個が合致すると解釈しました。

また、同著書P17には、歪んだ思考の10パターンというものが記載されています。(参考エントリー:リスクを認め付き合うこと )
その9番目にレッテル貼りというものが挙げられています。

バーンズはそこで、レッテル貼りを自分自身に対して貼ってしまうことが不適切であることを主に述べていますが、他人に対して貼る場合の危険性についても言及しています。バーンズは、レッテルを貼られた側は、これによって敵意を感じ、状況への改善の希望を失い、建設的なコミュニケーションの余地を小さくするとはっきりとその問題を指摘しています。

今回の場合、「ネットで医師暴走」という見出しがレッテル貼りに該当します。今回の私の感情は、バーンズが指摘する張られた側の心理状況とまさに一致します。つまり、他人に対するレッテル貼りというコミュニケーションにふさわしくない歪んだ認知に基づいて、そういう一般社会常識に照らして、とても適正とはいえないことを新聞社が公に堂々と行ったということになります。

他のメディア各社は、これを社会問題としないのでしょうか? 問題発言として、読売新聞社を批判しないのでしょうか?
それが、メディア業界が、他の業界には常に要求する自浄作用ではないでしょうか?

以上のように、そもそもメディア側のほうから、まず最初に、悪いコミュニケーションの型で、ボールを投げてくるわけですから、医師側から悪いコミュニケーションの型としてそのボールが返されるのは、当然至極の結果です。だから、当然その結果を作った原因は、メディア側にあるわけです。 

メディアは、悪いコミュニケーションのスターターという意味で、社会的にもっと厳しく追求されてもいいかなと思います。

反論をしたくてもその手段を十分に持ち得ない医師側が、まるでメディアのサンドバック状態にすらなっているようで、ほんま悲しくなります。


※ 読売新聞の釣りに、見事に釣られてしまった感がありますがお許し下さい。相手の誘導につい引っかかり、言質をとられるような発言だけは、皆様どうかしないで下さい。

(3/18 追記)

判決文が公開されました。

http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20100318100440.pdf

メディアが報道してきた論調と実際の裁判での出来事とのズレを、今後も冷静に客観的に検証する際には、とても重要な資料なので、当ブログとしてもこの判決文はリンクしておきます。メディア業界は、自らの報道に責任を取らない業界ですので、メディア自身が、自ら率先して大淀病院の初期報道の報道姿勢の反省点を自己検証することはないでしょう。すでに、この2週間がそれを如実に物語っています。ですので、私たちの医療ブログなどが、より客観的かつ妥当な医学情報の提供の一部でありたいと考えます。ここに、お立ち寄りいただいた方々におかれましては、今後も大手メディアが発信する医学情報には、偏った医学的に妥当でない情報が相当の確率で混在しているということを前提にして、自分なりの判断をしていただきたいと思います。この数年にわたる大淀病院の医療紛争はようやく終結を迎えました。私たちはメディアが流す情報だけで絶対に医療不信の気持ちを抱いてはならないこと、つまり、医療メディアリテラシーの重要性ということを、大淀病院医療紛争の教訓として、私は強調しておきたいと思います。それが、今後、皆様が医療と上手に付き合うための智恵だと考えます。


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ブログ終了のお知らせ [雑感]

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このたび、2008年11月2日をもちまして、ブログを終了させる決意が固まりました。1年8ヶ月のブログ執筆期間を通して、多くの方と対話ができました。自分にとって大変有意義な1年8ヶ月でした。皆様に感謝いたします。ありがとうございました。これまで書いてきた255エントリーにつきましては、このまま公開しておきます。左サイドバーにあるエントリー一覧表やブログ検索機能などを適宜ご利用いただければと思います。

ラストエントリーとして、この1年8ヶ月を振り返ってみたいと思います。

● アクセスの多いエントリー  ベスト5

  1. 悩ましい若い女性の下腹部痛   2008.5.21
  2. 昨今の救急報道に関する私見   2008.1.16
  3. マスコミはいつも誰かを責めるだけ  2007.8.31
  4. CT室で失われた命   2007.12.18
  5. あなどれない頭部打撲  2007.5.11

● ブログ主より一般の方々にも見てほしいエントリー7

● エントリー唯一のフラッシュファイル

個人的は、大好きな仏教の説話です。 他責傾向が強い現代社会の中、多くの人にこの話を知ってほしいと思います。

● ブログ主が見る医療崩壊像  

このエントリーは、今年の5月に自由民主党の社会保障制度調査会主催で行われた会合:救急医療現場から時間外労働等の現状報告の資料の一部として提出したものです。ですので、一現場の医師が国会議員の先生方へ呼びかける形式となっています。なぜ、一介の現場の医師の意見が、自民党の会合に直接届くことになったのか? それは、私が、今年の1月に診療関連死法案の反対意見を100名以上の国会議員にメールで陳情した折に、自民党の橋本岳先生が、私の訴えに興味をもってくれたことがきっかけでした。そして、この5月のときは、橋本岳先生から声をかけていただき、私を含め3名の医師が資料を提出する運びとなったわけです。ブログがリアルの社会活動につながった一例だと思います。ブログをはじめとするネット言論をことさらに否定的にみるメディア関係者も一部おられるようですが、私は、印刷された活字であろうが、ウェブ上の文字であろうが、要は内容勝負だと思っています。

● ブログの書籍化

これは、私のブログ活動の中でも最も大きな出来事でした。本来、このブログを開始しようと思ったきっかけが、救急初期診療(≒時間外診療)に携わることの多い若手の先生方へ、ネット媒体を通して、私が現場で感じてきた臨床的なピットフォールを伝えたいと思ったことでした。書籍化されたということは、その本来の目的に大きく近づいたともいえるわけです。 ですので、ブログを終了させるタイミングは、今年6月の書籍化された時点から、ずっと考えていました。

● メディア・リテラシー というか 情報リテラシー

今の情報化時代、 メディアが発する情報(新聞、TV、ネットニュース、書籍など)、個人がメディア媒体を通さずに直接に発する情報(ブログ、掲示板、ホームページ、mixiなどのSNS) など雑多な情報に、我々は常に暴露されています。 情報を受けとる個人個人の力量が問われている時代といっても過言ではありません。 情報の質を見抜く力、情報をスルーする力、そういったスキルが今問われているような気がします。 情報の質を見抜くことができなければ、不確かな情報で振り回されます。 情報をスルーする力が弱ければ、ネット上での罵り合い合戦になってしまったり、過度に自分が傷つけられてしまったと感じたり、なんとも不毛な時間をすごすことになります。私は、皆様方一人ひとり(もちろん自分自身も含めて)に、この情報を扱う力(ここでは情報リテラシーと称しておきます)をつけて、今の情報化社会を上手に生きていってほしいなと思います。これを、自分のブログを終了させるあたり、皆様方への最後のメッセージとさせていただきたいと思います。 長い間、まことにありがとうございました。

※コメント欄を閉じるかどうかは、まだ決めていません。 しばらくは、承認形式で開放しておきたいと思います。(一部例外エントリーはあり)


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東京妊婦死亡症例報道を別目線で考える [医療記事]

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今回の東京妊婦死亡症例の報道のあり方を観察してみますと、人の心の不安を煽る記事がとても多いような印象をもちました。医療者は、医療者なりの不安が増幅され、医療を受ける側の方は、受ける側としての不安が増幅されているばかりのような気がします。そのような報道姿勢は社会にとって有益なのでしょうか?報道業界はそのことを果たして真摯に考えているのでしょうか?

そもそも、医療って何でしょうか?

病気や外傷は、その程度の大きさはともかくとして、皆さん自身の人生に降りかかった一災難(=リスクの現実化)です。医療は、その災難の被害を最小にすることを目的とした社会的リソースなのです。(注:病気を災難と考えない発想もありますが、とりあえず、それははずしておくことにします。)

ここでは、3前提3心理を提示しながら、私自身の主張を展開してみたいと思います。

前提1 人は、いつ死に瀕する疾病や外傷に遭遇するかわからない。 
前提2 そして、常にその事象に遭遇するリスクを誰しもが持っている。
前提3 リスクの現実化は、医療介入前にすでに生じている

これら3前提に、異論の余地はないかと思います。

また、人は、リスク現実化の前(=普段の日常生活)やリスク現実化の後(=死亡事例の発生など)に、こんな心理状態を呈してくるのではないでしょうか

心理1 いやなことをわざわざ考えたくないという抑圧的な心理
      例:自分が死ぬなんてこと、家族が死ぬなんてことは一度も考えたことがない

心理2 沸いてくる不安を回避しようとする代償的な心理
      例:「自分だけはちがう」と無理やりにでも思い込む

心理3 自己にとって都合の悪いものに対する代償的な心理
      例:死んだのは、○○のせいだと責任をどこかに転化する

報道業界は、この大事な前提を、業界自ら直視しようとせずに、同時に、市民に直視させようとせず、医療問題を医療者自身の問題や国や県の問題だけに矮小化して主張しようとしていませんか?

そうだとすれば、それは、上に掲げた心理(特に心理3)のためなんでしょうか?

さらにいえば、
医療システムが整いさえすれば、リスクの現実化(いわゆる死などの事象)がゼロになるという幻想を市民の心に植えつけてはいないでしょうか?

どうでしょうか?

もちろん、
事実A:システムがより整えば、それによって救われる命があることは事実。
ですが、

事実はそれだけではありません。
事実B:システムが整っても、救えない命があることも歴然たる事実。
も決して忘れてはなりません。

事実A、事実Bの両者の存在性にも異論の余地はなかろうと思います。

事実Aからは、次の主張の展開がごく自然です。
主張A:だから、システムはより完璧であるべきだ、あらねばならない。

一方、事実Bから、どんな主張を引き出せるでしょうか? 私はこうしてみました。
主張B:その死を受容し、それを今後の自分の生き方にどう反映させるかが極めて重要である。

果たして、今の報道風潮は、そこに、自立的なバランスをとって報道していますか?
全くそうは思えません。私には、こう見えます。

報道の目線  
事実A+主張A >>>>> 事実B+主張B

つまり、報道業界の世間に対する情報提供のありようが、悲しいほど余りにアンバランスだと私は言いたいのです。

今回の事例は、事実Aの要因も確かに存在はしていると思いますが、それだけを声高らかに言うのは、医療問題の矮小化だと思います。事実Aの要因だけでなく事実Bの側面も、そのバランスを意識しながら、市民に確実に伝えていくことのほうが、医療報道のあり方に求められている姿勢だと私は考えています。

報道業界のCSR(Corporate Social Responsibility)のあり方という観点からも、私はそう主張します。 

ただ、事実Bは、私が先に述べた人間のもつ心理故に、つい目をそむけたくなるものです。

ですが、医療という社会のリソースに限りあることが、どんどん露呈している現実がある以上、そのリソースを大事に使っていくという視点において、事実B+主張Bこそが、今もっと社会に投げかけられてもいいとは思いませんか?

先人達は、それぞれの時代背景・社会状況の中で、いやがおうにも生と死に向き合ってこざるを得ませんでした。その結果、先人達は様々な思想体系を作り上げてきました。それは現人類の財産と言っても良いと思います。私達も今、そんな財産を見つめなおしてみることが、主張Bに対応した具体的な向き合い方の一つではないかと思います。

私のブログの中では、主張Bに即したエントリーとして、こんなものがあります。
生と死は対立ではない  赤塚氏へのタモリの弔辞に思うこと
このブログをご覧になったどなたか一人にでも、その方にとっての何かの気づきにお役に立つことがあれば、私はうれしく思います。


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速報 妊婦死亡のニュースに関して一言 [医療記事]

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症例提示途中のエントリーではありますが、一言は言っておきたいニュースが出ましたので、新エントリーを挙げます。

まず、拒否というタイトルに一人の医療者として心が折れました。
TVの報道では、拒否という言葉は使われていなかったのですが、ネットニュースでは、タイトルに使われています。

一医療者として、NHKに対する不快感を表明しておきます。


「妊婦死亡 7医療機関が拒否

http://www3.nhk.or.jp/news/t10014878971000.html
(おそらく、すぐにリンク先は切れると思います。)
10月22日 6時42分


今月、東京で出産間近の36歳の女性が脳内出血を起こしましたが「対応できる医師がいない」といった理由で7つの医療機関から次々と受け入れを断られ、赤ちゃんを出産後に死亡していたことがわかりました。

東京都は詳しい経緯を調査しています。東京都や消防などによりますと、今月4日の夜出産を間近に控えた都内に住む36歳の女性が体調の不良を訴え江東区にあるかかりつけの産婦人科医院に救急車で運ばれました。女性は脳内出血の症状がみられたためかかりつけの医師が電話で緊急手術が可能な病院を探しましたが「当直の医師が別の出産に立ちあっている」とか「ベッドに空きがない」といった理由であわせて7つの医療機関から次々と受け入れを断られたということです。

およそ1時間後最初に受け入れを断られた墨田区内の都立病院に再度、要請した結果病院側は当直以外の医師を呼び出して対応しましたが女性は帝王切開で赤ちゃんを出産したあと脳内出血のため3日後に死亡しました。赤ちゃんの健康状態に問題はないということです。この都立病院は緊急の治療が必要な妊娠中の女性を受け入れる医療機関として東京都が指定しています。しかし医師不足を理由に本来は2人だった産科の当直の医師を1人にしていたため当直時間帯は原則として手術を断っており、最初の要請に対応できなかったということです。

東京都は女性が死亡したことを重く見て医療機関などから事情を聴いて詳しい経緯を調査しています。妊娠した女性の救急搬送の問題に詳しい昭和大学医学部の岡井崇教授は「今回の問題をきちんと検証し病院施設の多い東京でも産科医の不足や病院の受け入れ体制について対策を講じる必要がある」と話しています。

病気は、一人の人生のなかのリスクです。昨今、メディア報道は、リスクについてどのような見識を持って、これは報道する、これは報道しない という選別を行っているのでしょうか?

昨今のこんにゃくゼリーの騒ぎ方といい、昨日、振って湧いたように、小学6年生のパン窒息の事故を大々的に報道してみたり・・・・。

ただ、私は、とまどうばかりです。

さて、この初期報道から、世間がどのように動くのでしょうか? 静観してみたいと思います。

あらかじめ、皆様にお伝えしておきます。
私は、他者に対する配慮の乏しい言論は大嫌いです。ですので、私がそのように感じるコメントは、このコメント欄には公表いたしません。ご承知おきのほどよろしくお願いします。

15時5分追記
続々とマスコミ各社から報道が出ているようです。 拒否という単語を使った報道各社すべてに不快感の意を表明しておきます。


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痙攣発作だ!!(追記) [救急医療]

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痙攣の患者は、救急外来にはたくさんやってくると思っている方も多いであろう。 確かに、そうだといえばそうなのだが、多いのは、圧倒的に、痙攣後の患者(来院時はすでに痙攣は止まっている状態)なのだ。

だから、救急外来といえども、痙攣中の患者を診ることは、稀とまでは言わないが、そう多いわけではない。

医師の中でも、まさに痙攣中の患者を見たことがある方は、世間の方が思うほど、そう多くはないのかもしれない。そんな背景から、いくら医療者といえども、痙攣を目の当たりにしたことがなければ、ついあわててしまうかもしれない。

そこで、本日は、痙攣患者の症例を2例ほど提示してみようと思う。

症例1   63歳 男性

糖尿病で当院通院中の患者。インスリンを使用している。 ある晩、全身倦怠感を主訴に、妻とともに救急外来を徒歩来院。

その日、その時間は、外来患者の数が多かった。当然、この患者も診察の順番を待つ必要があった。その間、患者は、長いすに腰掛け、壁を背もたれにして、ぼんやりと待っていた。

突然、「ガタッ!」と音がした。 隣の妻が、患者のほうを見ると・・・・・。

眼球を上転させ、四肢を小刻みに震わせ始めたのだ。

妻 「どうしたのっ!! 」 と声をかけるも 反応なし。

妻の大声に気がついた医療スタッフが、大至急患者を直近のストレッチャーに寝かせ、外来中のT医師を呼んだ。

外来中のT医師は叫んだ。
「痙攣発作だ! セルシン(痙攣をとめる注射薬の商品名)1アンプルを持ってきて!」
と。
「あっ!それと血糖をすぐに計って!」
と、的確な追加指示も忘れなかった。

血糖は、234だった。低血糖は否定された。

痙攣で、ややもすると低血糖を忘れてしまうかもしれない。その点は、お見事だ。

しかし、もう少し欲張って言えば、
さて、T医師の対応は、何か大切なことを忘れてないだろうか?

皆さん、いかがですか?

症例2  22歳 女性

近医の精神科に通院中の患者。詳細は不明だが、過去の当院のカルテには、「ボーダーライン」という記載が散見される。 彼氏と口論の後に痙攣発作を起こしたということで救急搬入。

搬送時は、すでに四肢の動きは止まっているようであるが、意識は三桁であった。

担当のK医師は、すぐに血糖を計った。 血糖は、87であった。 低血糖は否定された。

K医師は、患者の身体のある部分の動きに気がつき、こうつぶやいた。

「はあ~~ん、なるほど。多分、あれだな。 なら、大丈夫だ。」
と。

K医師は、それでも、型どおり救急外来で必要な最低限の検査へと診療を進めていった。
案の定、諸検査では異常はなく、ほどなく患者は、普通にしゃべりだした。
かかりつけ医の精神科のフォローを受けるようにと指導して患者は帰宅して行った。

さて、K医師は、患者の身体のどこをみたのでしょう? そして、あれって何のことでしょう?

症例1は、後日、関連図書を紹介いたします。
症例2は、患者の身体観察に関しては私自身の経験色が強く、関連図書をサポートできていません。また、皆様とディスカッションできればと思います。

皆様からいただいたコメントは、数がそこそこ集まった段階でまとめて公開いたします。
公開を希望されない方がおられましたら、その旨明記願います。
その旨が特に明記されていない場合は、公開の了承を得たものとさせていただきます。
よろしくお願いします。

(10月20日 記) 

(10月23日 追記)  10月23日 7:45AM これまでのコメント公開としました。(非公開希望者除く)

今回もたくさんのコメントをいただきました。 ありがとうございます。この両症例で私が伝えたいと思ったことは、しっかりと皆様方のコメントの中に含まれていました。

では、続けます。

症例1

外来中のT医師は叫んだ。
「痙攣発作だ! セルシン(痙攣をとめる注射薬の商品名)1アンプルを持ってきて!」
と。
低血糖を否定後、セルシンも用意され、まさに静脈注射をと思ったその瞬間には、すでに痙攣は止まっていた。患者の意識も回復している。

T医師は、重積にならなくてよかったと思うとともに、初発の痙攣なら、てんかん精査も兼ねて経過観察の入院かなあと思い始めていた。

とりあえず、状況がいったん落ち着いたので、T医師は、看護師にバイタルサインをとるように指示をした。
すると・・・・・

看護師 「先生! 脈拍が、脈拍が・・・・・ 30しかありません・・・」
T医師 「は? 30~~」

T医師は、あわてて自分で脈を取った。 たしかに、著しい徐脈だった・・・・・。 ここで初めて、モニタ装着しつつ、12誘導心電図を撮った。

それがこれである。
図1.jpg

完全房室ブロックだった。大至急、循環器当直医師をコールし、緊急対応を行った。電解質異常や心筋梗塞はその原因として否定的と判断された後、一時ペースメーカ挿入の処置が行われた。 さらに、後日、永久ペースメーカー植込が行われ、患者は元気に退院していった。

まあ、こんな経過です。つまり、T医師が、最初の痙攣用の動きを見たときに、

その原因が、VFを始めとする種々の不整脈疾患によるものかもしれない

ということが全く眼中になかったのでした。私が「何か大切なこと忘れてませんか」と問いかけたのは、このことなのでした。 多くのコメンテーターの方が、除細動器の速やかな準備やモニタ装着の処置のこと、つまり不整脈関連を念頭においた対応をすることを的確にご指摘くださいました。まさにその通りです。

痙攣という医学的キーワードを元に書籍を眺めた場合に、意外と不整脈関連の指摘がなされていないことが多いようには思っていました。(あくまで私の印象に過ぎない話です)
ところが、今回、このことを、実に気持ちよく、指摘している本に出会いました。紹介します。

レジデントノートにER関連の記事を多数執筆されている岩田充永先生がお書きになった本です。出版されてまだ間もない本です。

救急外来でのキケンな一言  羊土社 岩田充永著

この本でも様々な地雷症例が提示されています。 私からも皆様に是非お奨めの一品です。

さて、この本のP87に、研修医が痙攣発作?と思ったが、実はVFだったということを上級医に指摘される事例が紹介されています。 今回の症例はここをヒントに自験例(一部改変)を紹介させていただいたわけです。

なお、そこのページでは、こう結ばれています。

重篤な不整脈でも短時間の痙攣をきたすことがある

重要なご指摘だと思います。

引き続きまして、症例2です。

これは、過換気症候群と助産婦の手のご指摘が最も多かったように思います。症例提示そのものにあいまいさがありますから、この二つを今回の症例に当てはめても、それなりに合うかなあと私も皆様からのご指摘を受けて初めて思いました。

ですが、私が皆様に問いかけてみたかったのは、次の通りです。

K医師は、患者のまぶたがぴくぴくと不自然に動いているのに気がつき、こうつぶやいた。

「はあ~~ん、なるほど。多分、転換性障害(コンバージョン)※だな。 なら、大丈夫だ。」
と。(※ 古典的な言葉で言えば、ヒステリー。ただし、ヒステリーという言葉は、現在のDSM-ⅣやICD-10には含まれていない。参考サイト 転換性障害

かつての勤務先の救急病院では、コンバージョンの患者さんをたくさんたくさん診させていただきました。私自身、その環境の中で、指導医に教わったのか、先輩レジデントから語り継がれたのか、どこでどう教えてもらったのか全く記憶にないのですが、「まぶたがぴくぴくしている痙攣患者や意識障害の患者は、ヒステリーだ」みたいな刷り込みを受けているようです。

レジデントノートのどこかで、まったく同じ事を言っていた先生がいたような記憶があるのですが、それ以上を思い出せません。 ただ、今回、皆様のコメントを拝見するに、複数の方が、このことをご指摘されていますので、それなりの確かなことなのだろうなと私も今回感じた次第です。ありがとうございました。それでも、なんか気持ち悪いので、成書のどこかにきちんと書いてあるのを確認できればいいなあと思います。もし、ご存知の方があれば教えてください。


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「何もしない」という選択肢 [雑感]

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10月の半ば、季節は秋真っ只中である。 そんな季節に、毎年日本救急医学会総会は開かれる。 今年は、札幌で開催された。私も参加した。今回は特に、高齢者救急のセッションを興味深く拝聴させていただいた。

命の最後の砦ともいえる救命センターで働かれている先生方の「とまどい」や「困惑」を、私はそこに感じた・・・・。

運ばれてきたはいいが、このご高齢の患者さんに救命救急医療の適応が果たしてあるのか?

という「とまどい」や「困惑」である。

皆さん、もちろんストレートには言わない。 「連携」「システムの再考」などといういわゆる当たり障りのない無難なマジックワードが頻繁にスライドや口演に出現する。私は、そのマジックワードの裏に、そういった「とまどい」や「困惑」を読み取ったのだ。

人はいつかは死ぬ。もちろん、それに年齢に関係はない。ただ、高齢者であれば、死の確率が高いということだけだ。だから、年齢という要因のみで、高齢者医療を一律に切り捨てるべしと主張しているわけではないので、そういった視点の批判・反論は避けていただきたい。

確かに、救命救急の先生は、現場で頻繁に起こりうるそういった生と死に関する倫理的な側面をプロとして日ごろから考えておくのは重要だ。だから、学会でこういったセッションがあり、救命医がそこでディスカッションすること事態は意義あることだと思う。

しかしである。

彼らがそれを一番に考えるべきだろうか? 私はちがうと思う。 

それをもっとも考えるべきは、救命医ではなく全国民ひとりひとりではないのか?

残念ながら、マスコミは、そういったことは積極的には言ってくれない。それも仕方がない側面はあろう。彼らにしてもいろいろしがらみはあろうから。

私は、医療崩壊が騒がれる現代の医療において、軽視されているかあるいは忘れ去られている選択肢がひとつあると思っている。

それは、

「何もしない」

ということである。

私が最も尊敬する先生の一人である関西医大心療内科の中井教授がずいぶん前に朝日新聞にお書きになった記事を紹介する。

「人生の秋」 中井吉英(臨床医の目) 【大阪】
1995.08.02 大阪夕刊 3頁 3総 写図有 (全1,016字)

四季にたとえれば、中年期は秋に当たる。私は秋が好きだ。人生に秋がなければ、どれだけ味気ないだろう。夏から、いきなり、あの厳しい冬に移り変わるとしたら。残念なことに、素晴らしい人生の秋を体験しなかったと思われる人に出会うことがある。特に男性の場合、社会の最前線で活躍し、四十歳からの厄年を何事もなく通り過ぎてきた人たちが多い。六十五歳になるAさんもその一人だった。常に第一線を歩み続けてきたジャーナリストで、前だけを見て生きてきた行動的な人である。そんなAさんが、定年後、胸の痛みに繰り返し襲われるようになった。心電図に異常はなかったが、入院してもらい、血管造影検査をした。その結果、心臓の筋肉に栄養を送っている冠動脈の攣縮(れんしゅく)が痛みの原因だと分かった。冠動脈を拡張させ、血液の流れをよくするニトロール舌下錠を飲んでもらったが、目ぼしい効果はなかった。胸痛は、不安に伴う急激な自律神経失調のため冠動脈にも異常が現れる「パニック(恐慌)障害」だったのだ。診察すると、肉体は五十歳代半ばの若さである。なのに、胸の痛みの背後に潜んでいる「老い」と「死」に対する不安に抗し切れずにいるに違いない。本人は、そのような内面の急激な変化にまだ気付いておらず、体だけが不安を先取りして訴えている。定年退職するまで夏を生きてきたAさんは、秋を体験しないまま冬に直面していた。中年期を経ずに、突然、青年期から老年期に迷い込んでしまった。
彼は「何かをする」ことに人生の価値を置いてきた人。仕事が人生のすべてだった。だから定年後、「何もしないこと」にどうしても意味を見いだすことができなかったのだろう。Aさんに限らず、私たちはたいてい「何かをすること」にこだわって生きている。中年期は「何もしない」ことの意味を学び、その知恵を生活の中に見いだす大切な時期である。厄年での病気や挫折は、人生のターニングポイントなのだ。「何もしない」ことの中に喜びや楽しみを見いだせた時、私たちは豊かな老年期を迎えることができる。私は彼に「毎日の生活の中での喜びと楽しみを一つだけ発見してくるように」と宿題を出した。何もせず、「あること」の意味を問うたのである。「何もしない」人の中には、千数百年後の今でも、私たちに深く影響を及ぼし続けている人がいる。ボディ・ダーマ(達磨=だるま=大師)である。面壁八年。彼はただ黙々として座り続けただけだった。(関西医科大学教授心療内科)

一人の人生の生き方を、四季にたとえる先生の考えが私は大好きだ。それでいくとまさに私は秋真っ只中ということになる。これから自分にもやってくるだろう冬に向かって、自分自身の「何もしないこと」の意味を、個人的にはゆっくりと考えていこうと思っている。

さて、今度は、この四季の考えを「個人」から「社会」に拡張してみてはどうだろうか?

そうすると、まさに日本社会全体が、これから「夏・秋」主体社会から、「冬」主体社会に今後確実に変わっていくことになる。

ならば、社会のインフラである「医療」においても「何もしない」という意味を社会として少しは考えてみてもよいのではないかと思う。現状では、あまりに考えなさ杉でないでしょうか?

一般的に言えば、救命センターの先生方は、医療において「何もしない」という選択肢の最も対極に位置する先生方である。

だから、年々搬送依頼が増加している高齢者の救急医療に「とまどい」が発するのも無理もなかろうと思う。

「何もしない」なんてとんでもないとお感じなる方もいるであろう。もちろん、ここでの「何もしない」という表現自体は、あくまで私の意図的な誇張表現である。だから、その文面そのままに受け取らずに、積極医療(集中治療、移植をはじめとする高度先進医療など)を控えるという意味から、本当に何もしないまで、すごく幅のある意味だと受け取ってほしい。

「何もしないこと」をな~るほどと感じてみたいなあと思われる方には、中国の老子・荘子の思想に触れてみることを私はお奨めする。何もしないということは、「死」をどう考えるかということにストレートに結びつくからである。 参考エントリー:生と死は対立ではない


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秋葉原トリアージ問題 読売も指摘 [医療記事]

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先々エントリーで、サキヨミのトリアージ批判について考えるを書きました。 活発なご意見が多く、コメント欄はそれなりに盛況でした。今度は、読売新聞もフジテレビに追従したようです。こんな記事が出ました。

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20081014-OYT1T00667.htm

秋葉原事件で重傷2人収容に1時間、トリアージ運用見直し

 17人が死傷した東京・秋葉原の無差別殺傷事件で、東京消防庁が実施した救急搬送のトリアージ(患者の選別)について、読売新聞が被害者の搬送時間を調べた結果、「最優先で搬送」と判断された負傷者7人のうち、少なくとも2人が通報から病院収容まで1時間近くかかっていたことがわかった。

 トリアージの対象外だった別の2人は30分以内に搬送が始まり、数分で収容されたとみられ、トリアージが、かえって搬送の遅れを招いていた。同庁は、情報伝達など現場の連携ミスが原因とみて救急搬送の運用指針を見直す。

 17人の被害者が搬送された12病院は現場から700メートル~数キロの範囲にあり、搬送時間は数~十数分程度。このため都や同庁、医療関係者などで作る「検証委員会」が今回の救急活動を検証している。今回の事件では発生3分後の6月8日午後0時36分ごろに最初の119番があり、7分後に1台目の救急車が現場に着いて応援を要請し、30分後には計14台の救急車が現場に到着していた。

 同庁は負傷者が多数に上ることから現場交差点の東約50メートルの路上に指揮本部を設置したうえで、現場に駆け付けた医師とともに、交差点付近で倒れていた15人にトリアージを実施した。

 このうち5人は致命的な損傷があるとして「搬送を先送りする」と判断され、3人は「簡単な救護処置で間に合う」だったが、7人は「生命の危険が迫り、最優先での搬送が必要」という判断だった。

 この7人について読売新聞が調べたところ、状況が判明した5人のうち、最も早く病院に収容された人が通報の36分後で、40分後と50分後が1人ずつだったほか、腹部を刺されて重傷を負った30歳代の女性は57分、右胸を刺されて一時重体に陥った50歳代の男性も54分かかっていた。

 これに対し、100メートル以上離れた路地に倒れていたためトリアージが実施されなかった重傷者2人は、指揮本部の指示から外れた救急車2台が30分以内に搬送を始め、最も近い700メートル先の病院に収容した。

 最優先の負傷者の搬送に1時間近くかかった理由について同庁幹部や検証委は、〈1〉現場が広く、指揮本部と被害者の間の情報伝達に時間がかかった〈2〉規制線などで一部の救急車が被害者のそばまで行けなかった――などを挙げている。

 同庁や検証委は、搬送を先送りされた5人を含め7人の死者は、搬送時間が短縮できても救命は困難だったとみているが、トリアージマニュアルの見直しも含め、搬送の在り方を再検討している。

 ◆トリアージ=多数の負傷者が出た場合、多くの命を救うため、けがの程度から救急隊員や医師が搬送や治療の優先順位をつける行為。赤(最優先)、黄(優先順位2番目)、緑(軽処置)のタグのほか、死亡または救命不可能で順位が最も低い黒タグがある。2005年4月のJR福知山線脱線事故でも実施された。

(2008年10月15日03時07分 読売新聞)

新聞記事としては、よくまとまっているのかもしれません。問題点の指摘もまっとうなのかもしれません。「マスコミは、社会の問題点を指摘し、批判し、そのことによって世を改善するのがその努めなのだ。マスコミとはそういうものなのだ。」という前提を認めてしまえば、何の問題もない記事かもしれません。

しかし、この記事を読んだ私の感想はサキヨミの時と変わりません。

こういう批判は、果たして医療をよりよくするのに役に立つのでしょうか?
いったいマスコミは何をどうしたいのでしょうか

ということです。

この国は、

専門家に対する敬意

なるものを持ち合わせてないのでしょうか?  本当にさびしい国だとほとほと悲しくなりました。

今、北海道で救急医学会が開催中です。 このエントリーは、そこから発信しています。

ある演題では、救急救命士の黒タッグ使用に際する「ためらい」に関するデータが報告されています。

救急救命士が黒タッグを使用した場合に、心的負荷を感じたという方が、275名(94%)と大多数を占めていた
というデータです。このデータから、心的負荷を軽減する方策の検討が必要であると結ばれていました。 

どうも、私には、 サキヨミといい読売新聞といい、安全地帯にある人が、事後から、後知恵バイアスという存在の気づきもないまま、言いたいことを好き勝手に言ってるだけとしか感じません。つまり、私は、好意的に記事を受け取られないのです。

その感じ方自体は、私自身の心に常に内在している「救急という現場に生じる自分で制御できない不確実性」なるものに対する不安と恐怖があるから故かもしれません。

現場の人たちは、程度の差はあれこそ、大なり小なり私の感じ方と似たようなものがあるのではないでしょうか?

私が言いたいことは、トリアージのあり方という視点だけではなく、現場の人の心のありようまでに想像力を働かすという視点をできるだけ多くの人に持ってほしいということです。


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意外な ○○(=解離)の症例 [救急医療]

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専門外の方にとっては、ちとマニアックかもしれませんが、こんな雑誌があります。私の知り合いの先生もたくさん登場する雑誌です。下記写真の号(画像をクリックするとリンク先に飛びます)は、特にお勧めの一冊です。短いプレゼンテーションでクイズ形式で、多数の地雷チックな症例も含めて、総数67症例も提示されています。 非常に楽しませていただいた一冊です。私も初めて教えていただいたことがたくさんありました。

ちなみにP417には、当ブログの書籍版(今年6月出版)の書評を載せていただいています。この雑誌をお持ちの方はついでにご覧いただければと思います。 この雑誌に提示されている症例と当ブログで紹介した症例に、当然ながらオーバーラップする部分が多分にあります。一部紹介します。

症例11・・・・ ついに麻疹患者がやってきた
症例16・・・・ 血圧が高い!という患者
症例25・・・・ 夏、皮膚科地雷にもご用心
症例34・・・・ 尿路結石?に潜む地雷(その2)
症例36・・・・ 消化管出血に潜む地雷
症例44・・・・ いけてる検査
症例46・・・・ もっとも当たりたくない地雷
症例50・・・・ 高齢者の腹痛に潜む地雷 
症例51・・・・ 悩ましい若い女性の上腹部痛
症例57・・・・ 肺塞栓症という地雷 、 医者を欺く肺塞栓

という感じです。雑誌をお持ちの方は、上記該当症例の当ブログの記事もあわせて目を通していただき、より多角的に地雷疾患学習ができればと思います。

さて、本題です。 本日はこんな症例を提示します。

56歳 男性   背部痛

ある背部痛の患者。以下の通り、何人ものDrがこの患者を診察している。

一人目のDr(開業医)
(X-1)日晩より、嘔気、下痢、発熱(37.5)にて、X日来院。整腸剤等処方。(X+2)日、嘔気下痢は改善したが、急に左希肋部から背部に抜けるような痛みが出現。(X+2)日夕方、当院を再診。 ブスコパン筋注とガスターなど処方で帰宅。膵炎(疑い)の紹介状を作成。

二人目のDr(総合病院、消化器内科医)
(X+3)日、上記紹介状をもって来院。本日普通便有り。来院時 BP157/100(左右差なし)、HR 75整、KT36.3、SpO2 98、RR 18。痛みは持続していると言うが自制内。腹部に特記すべき所見なし、背部叩打痛なし。WBC7500、CRP2.3。P- AMYを含めて他の生化学データに異常なし。ボルタレン座薬を使用したところ、症状の軽快傾向が得られた。内科的疾患は否定的と考え、整形外科を紹介。

三人目のDr(総合病院、整形外科医)
診察、背部痛は左側と診察。圧痛は無い。前後屈などで背部痛の誘発なし。診察時は、症状軽減していた。担当医のアセスメントは、詳細不明だが筋・筋膜由来の背部痛か? 対症療法で帰宅。

四人目のDr(総合病院、当直医(その日の当直医は泌尿器科医))
(X+4)日AM2時、左背部痛の増悪を認め、時間外受診。痛みは持続的、WBC9400、CRP1.7。担当医は、大動脈解離を疑い、造影CT施行。
「大動脈は大丈夫そうだな・・・、やはり、筋・筋膜性の痛みかな?」 と判断。帰宅を進めたが、患者家族の希望で、救急外来に待機、朝を待って整形外科医の再診をうける方針となった。

五人目のDr(総合病院、整形外科医(3人目の医師とはまた別))
(X+4)日朝、診察。画像的には、問題はなさそうと判断。ただ、筋・筋膜性にしては安静時での痛みが強すぎると感じた。本当に整形外科か?と疑問に感じた。

六人目のDr(総合病院、放射線科医)
夜間に撮られたCTを読影。 ■■■■の○○でないの? と実に鋭いコメントを診察中の整形外科医に報告。これで流れが変わり、緊急対応を要すと判断され、救急外来に患者が運ばれてきた。 (伏字は、漢字4文字と漢字2字)

いやあ、さすが放射線科医だなあと思いました。私も時間外にこれを一人で独影できる自信はありませんでした。そして、へええ、こんな疾患もあるんかいなと思いました。 

所見があるかないかわからないという前提と所見があるという前提とでは、圧倒的には前者の方が読影には不利ですが、今回は所見ありの前提とします。その前提で、放科の先生がするどいコメントを入れてきた所見のある部分のスライスです。

図1.jpg

さて、どんな疾患なのでしょう? ほんと病気って難しいですね。 ■■■■は名称、○○は病態です。 よろしくおねがいします。

(10月12日 記  コメント欄はまとめて後日に開放予定)

(10月13日 追記に合わせて、それまでいただいたコメントオープンにしました。)

皆様、コメントありがとうございます。今回は、かなり難しかったのではないかと思います。 

沼地先生、pulmonary先生、DM医先生、僻地外科医先生にご指摘いただきましたとおり

■■■■=腹腔動脈
○○=解離

でございます。ネット上では縮小された画像でわかりにくくて申し訳ないのですが、直の画像では、腹腔動脈にflapを認めることができました。

この患者は、放射線科医から指摘を受けた後は、救急外来でさらに腹部エコーを行いました。そしたら、腹腔動脈の血流はキープできつつ(ドップラーにて確認)、腹腔動脈内にflapを認めることができました。

患者は循環器科に入院となり、血圧管理の保存療法で後日元気に退院の運びとなっています。

今回この症例を選んだのは、腹腔動脈解離の症例が、がクイズとして上記雑誌に出されていたからです。(症例45 P491)
この症例の解説部分(P525)には、こんな記載があります。 

突然発症の激しい腹痛を考える場合、大動脈解離も鑑別の一つとして考えながら各種検査を進めるが、大動脈が正常であった場合、分枝の評価をせずに終了してしまうことはないだろうか?

まさに、本症例がその通りだったといえます。 放射線科医の的確な介入がなければ、もっとさらに多くの医師が診断に苦慮したと思われます。 

「解離は大動脈本幹だけでなく、分枝も解離することもある」

この知識を頭に入れておいて初めて、そういう読影が可能になると思います。 

まとめます。

本日の教訓

解離?と思うCT画像は、大動脈本幹だけでなく動脈分枝(腹腔動脈、上腸間膜動脈など)にも注意を払え!


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サキヨミのトリアージ批判について考える [雑感]

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サキヨミというTV番組があるらしい。この番組で、あの秋葉原殺傷事件における救急活動に批判の目が向けられたようです。そのキーワードは「トリアージ」です。私は、この番組を見ていないので直接の感想を抱くことはできませんが、間接的に伝わってくる情報から、この批判について考えてみたいと思います。

まずは、サキヨミHPにある視聴者からのメッセージの欄には、こちら からアクセスできるようです。
トリアージ批判の番組に対しては、2件ほど感想が出ています。ただ、『当BBSには、不適切な発言がなされた際に書き込みを制御するシステムを導入しております。』ということらしいので、強い主張のメッセージはそう多くないかもしれません。

私は、この番組の存在を、このブログへのコメントではじめて知りました。情報提供ありがとうございます。ビビりの研修医先生からのコメントです。 そのまま引用します。

自分の持つ媒体がないため、ここで書き込ませていただくのをお許しください。10月5日放送の「サキヨミ」で、秋葉原無差別刺殺事件への検証が行われ、

・大災害でもないこの事件にトリアージがそもそも必要だったのか?

・イギリスで起きた大規模災害でさえ、黒タグが2人だったにもかかわらず、今回の事件では6人にも付けられた

・周囲に病院が20件弱あったにもかかわらず(黒タグだったため)搬送が非常に遅れた患者がいる。黒タグが現場を混乱させたと考えられる。

・複数回行うのがトリアージであるにもかかわらず、最初に黒タグを付けられたことを「誤って黒タグをつけられ、本来ならば一刻も早く搬送されるべきであった」(しかも、トリアージは原則複数回行うものである、途中で救急隊の判断により赤タグに変更された、という事実関係を一切無視して。)とコメントされた。


と非常に事実認定がいい加減な批判がされていました。トリアージをやるならやるで「戦争を連想させるから」と批判し、やったらやったで、「誤って黒を付けられた」と批判される。明らかに「救急隊の誤り」という結論でコーナーが締めくくられてしまいました。日本の救急体制にさらなるダメージが加わった瞬間だと思います。医師がいなくなるのに加え、患者さんを搬送してくれる、救急隊員までもを責めて、いったいマスコミは何をどうしたいのでしょうか。(なんちゃって救急医先生へ。この書き込みはこのスレッドへのレスポンスとして明らかに方向性を間違っている書き込みだと思いますので、不適当だとお考えの場合は、どうぞ削除してください。ただ、無視できないと考えて書き込ませていただきました。)

ご覧になられてこのようなご感想だったようです。

モトケン先生のところでも、6月21日エントリーの秋葉原事件現場におけるトリアージに新たなコメントが付き始めています。

私の感想です。

こういう批判は、果たして医療をよりよくするのに役に立つのでしょうか? とはなはだ疑問だと思いました。私もビビリの研修医先生の「いったいマスコミは何をどうしたいのでしょうか」と同じ気持ちになりました。

もちろん、社会の中では様々な立場がそれぞれありますから、各立場の人たちがなんらかの批判をする自由はあります。だから、私は「トリアージ」の批判をするなと主張するわけではありません。ただ、批判するなら、それとともにその業界に対する敬意も同時に表してほしいと思うのです。

なぜ、メディアは、こういう批判番組を企画し放送するのか?

自分が生きることそのものに内在するリスクなるものを、自分自身が受け止めようとせずに、リスク回避を援助する立場の人たちに、それを丸投げし、過剰に責任を負わせようとする無意識の心理が番組制作者にあるからではないでしょうか? いや、番組制作者にかぎったことではなく、平均的な日本人一般の平均的な心理としてそれが存在しているのかもしれないと思います。

もちろん、番組製作者の方々は、自らの良心と価値観に基づき世に訴える番組を作りたいという熱意はあるのでしょうが、無意識のままでは、彼らの本意しないところで医療者との溝を深めてしまうことになるような気がします。

上記メッセージ欄(こちら)からの一部引用してみます。 

ほんとに寂しい国だと思います。そういうところを論議した方がよっぽどいいと思います

私も同感です。リスクをリスクとして受け止める心のありようが社会的にもっと議論されることを望みます。

事後を検証し、今後に備えるという発想事態は良いのですが、メディアは、常に、批判と敬意のバランスをとって報道してほしいと思います。そう思うのは、モトケン先生のブログでのコメントを目にしたからです。

なんにしても現場で奮闘されていた救急隊員の方々に対する思いやり、敬意のかけらは見られませんでした。

去年の夏、メディアに向けて書いた私のエントリーマスコミはいつも誰かを責めるだけ が思い出されます。メディア業界は、批判と敬意のバランスに欠いている風潮が強いんだなと改めて私は思います。


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肺炎という触れ込み(続き) [救急医療]

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肺炎という触れ込みの続きです。長くなりそうなので、新エントリーとして立てました。 いつもながら、たくさんのコメントをありがとうございます。 今回提示した症例を通して、私が言いたいことズバリをコメントの中でご指摘くださっている先生がおられます。レントゲンも出さないという症例提示でありながら、すごいなあ・・・と思いました。

一般の方々に私が誤解してほしくないと思うのは、提示した症例からは、論理的に決してただひとつの答えが導きだされるわけではないということです。つまり、今回提示したものとの類似症例を100症例も集めれば、その最終診断はきわめて多様であるということです。 これは、医療の不確実性のひとつです。だから、○○○という診断結果から、時間をさかのぼって、「あのとき、×××をしていたら、わかったはずだ。だから、誤診だ。」という批判のやり方は適正ではないということを医療を受ける方々には理解してほしいと思います。もちろん、時間をさかのぼって議論するのは、次の診療に役立てるためであればいいとは思いますが・・・。

では、ある診察の診断プロセスの経過が適正な医療行為であったか否かを推し量るにはどうしたらいいのでしょうか?すでに私は個人的な提唱をしています。 このエントリーです。 
結果と考察-ネットで診療評価-

つまり、私の主張の核は、こういうことです。その部分だけここで引用します。

私は、適正、公平な診療行為の判断というのは、複数の医師がその結果をまだ知らされていない段階で行うことが重要と考えます。

さて、今回の症例からは、どれだけ医師の判断がばらつくのでしょうか? 
複数回答も含めて集計してみました。(10月4日午前8:30現在)

今回は地雷疾患があるという前提で述べてますので、そのバイアスがかかった回答群です。実際の臨床の現場では、地雷疾患でない結果に終わることのほうが圧倒的に頻度としては多いので、地雷疾患の存在を前提として言わなければ、またぜんぜん違った回答群にはなろうとは思います。そういうこともご理解の上で結果をご覧ください。

9票・・肺塞栓、消化管穿孔  
7票・・大動脈解離  
2票・・膵炎、心不全、食道破裂、異物誤飲、敗血症、化膿性脊椎炎
1票・・胸膜炎、誤嚥性肺炎、気胸、肺癌、心筋梗塞、縦隔腫瘍、気管腫瘍、腎盂腎炎、
       結核、壊死性筋膜炎、多発性リウマチ性筋痛症、感染性心内膜炎、間質性肺炎

さて、回答はこのようにばらつきました。

では、この症例はどんな経過であったのでしょうか? 続けます。

I医師:「先生~、この患者さんの胸部レントゲン・・・・・。何かおかしくないですか?」

I医師と私はレントゲンを見た。
図1.jpg

私:「肺炎はないなあ・・・。大動脈弓の石灰化と大動脈辺縁の陰の間がいやな感じだな・・・・・」
   (写真矢印部分)
I医師:「え、まさか解離? 熱発しますかあ?解離で?」
私:「それはとりあえず、いい。 解離として合う病歴がとれるかどうか聞き直して来い。」

こういうやりとりで、I医師は再び、患者の問診を行った。それがこの結果であったのである。

・・・体全体がしんどいを繰り返すばかりでいまいち的を得ない・・・・

高齢者の場合、病歴はあてにならないことは多々ある。だから、病歴をもとに考えることは早急にあきらめた。

私:「病歴は無理か。CTしかないな・・・・」

ということで、撮ったCT。
図2.jpg

なんと肺炎の触れ込みの患者の最終診断が、大動脈解離(Stanford B) だった。 
急遽、この人のために押さえておいた一般内科病棟をキャンセルし、循環器科の病棟に入院先を変更した。

患者は、他臓器虚血の合併が出現することなく、降圧中心の保存的加療で後日無事退院した。

病歴から想定しにくい大動脈解離の一例でした。

紹介状の情報のみの情報から、どんな思考が可能なのでしょうか? 検証してみましょう。

X日(金)のイベント・・・発熱・下痢がない嘔気が出現しています。よって緊急地雷疾患のすべての可能性はあります。もちろん、それ以上に軽症である疾患のほうが確率的には圧倒的に高いと思います。後知恵で見れば、おそらくこのときに解離を発症していたと思います。しかし、だからといって、その可能性だけで、高次専門病院に送るか?と言われるとこれだけの情報では送れないと思います。ただ、診療所でも、できれば12誘導心電図は撮るべきだとは思います。

X+1(土)、X+2日(日)  38度の熱発あ

X+3日(月)  SpO2(RA) 89%。

X+4日(火)  WBC12500 CRP 18.3

皆様のご指摘のとおり、SpO2の低下は、解離よりも肺塞栓を想定して行動を起こすのが現場的には妥当だと思います。今回は心エコーをちら見した程度でそれ以上、肺塞栓の除外はやりませんでしたが。

今回言いたいことは、赤線アンダーラインの所見についてです。ここだけの部分を疾患頻度のものさしで見れば、何らかの感染症がまず考えられます。しかし、地雷疾患を回避するための思考回路に、頻度のものさしだけでは考えてはいけないということがあります。つまり、地雷疾患のものさしも同時に考える必要があるということです。

この症例を地雷疾患のものさしで見るとすれば
大動脈解離という疾患に、炎症所見や発熱は合うことなのか、合わないことなのか?

という疑問に対する答えがどうなのかということが重要です。 「合う」ということになれば、赤線アンダーラインの所見を、地雷疾患のものさしで考えたときに、「もしかしたら、大動脈解離の所見かもしれない」と発想することになるからです。

今回のエントリーの目的は、この疑問に対する医学的見解を提示することにありました。

お二人の先生がコメントで次のようにご指摘くださっています。

まーしー先生のコメント

大動脈解離ですかね。
解離おこした人って、SIRS状態になっているためなのか、けっこう炎症反応が上昇したり、低酸素血症になりますよね。
胸部単純写真で縦隔の拡大が疑われたのではないでしょうか。

pulmonary先生のコメント

あとは血圧、背部痛から大動脈解離
これも少し時間が経つと発熱を伴う事が多いです。

私の言いたかったことです。すばらしいコメントをありがとうございます。

日本胸部血管外科学会のHPから記事を引用します。急性大動脈解離(病態) より引用。

全身の炎症反応(SIRS):血管の炎症反応や凝固線容系の活性化により惹起される。発熱呼吸障害を呈する。

まさに、まーしー先生のご指摘と同一です。これで、SpO2の低下も一元的に説明できそうです。

もうひとつおまけに、有名芸能人の病歴から・・・・。
http://kenkobiyodietyasiki.livedoor.biz/archives/51464032.html から改変して一部を引用。

加藤茶 さん(65歳)。

2006年秋
  仕事先の地方のホテルで。
  ・胃に刺し込むような痛み。今まで経験したことがないような、強烈な痛み。
  ・背中の痛み。(痛みが移動)
  ・肩の痛み。
  ・痛みは治まらず、一睡もできずに朝を迎えた。

  ・痛みは薄らいだが、身体がだるくなった

   ・発熱38.2度
      ─>(1週間後)熱は下がらず。 長引く風邪と思った
      ─>(発熱から半月後)熱が下がらず、病院へ。CTで心臓を検査。
      ─>大学病院へ入院。すぐに集中治療室へ。「大動脈解離」

解離発症時の症状の違いはありますが、その後の経過は、私が提示した症例とそっくりですよね。まさに、SIRSという病態で説明できそうです。

では、そろそろまとめます。

本日の教訓
発熱・炎症所見は、地雷のものさしで見れば、「大動脈解離の所見かも?」と考えることができる


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