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医療ミスはいけないことでしょうか? [医療記事]

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今日は、こんな問いかけをしてみたいと思います。

「医療ミスはいけないことでしょうか?」

と。

あえて医療ミスという言葉を使いました。このエントリーで意味する「医療ミス」という言葉は、「医療従事者の法的な過失の有無は問わない」 という意味合いでお考え下さい。つまり、医療事故のほうが本当は適切かもしれません。ですが、ここでは、あえて医療事故とはせずに、医療ミスとしました。以下の引用記事との兼ね合いを考えたためです。それにご留意のうえ記事をお読みください。お願いします。

なぜ、こんな問いかけをするかといいますと、今の医療が、あまりに単一の価値観に支配されてしまっているのではないかと私は個人的に危惧しているからであります。私の意味する単一の価値観とは、「生を絶対視すること」です。 この価値観からは、当然「医療ミスはいけない」という価値観が派生します。

確かに、「医療ミスはいけない」という単一の価値観があったからこそ、
今の医療は発展してきたのだと思います。リスクマネージメントの学問の分野も発展してきたのだと思います。それはそれですばらしいことだと思います。

そういう点は、この価値観の「明」の側面でしょう。

では、今の医療崩壊の現状においてはどうでしょう?
この単一の価値観のために、あまりに医療が窮屈になりすぎてはいないでしょうか?

例えば、事故調査委員会を国をあげて作ろうという話。「医療ミスはいけない」ことだから、国を挙げて組織を作ろうということですよね。理念はすばらしいかもしれませんが、実際は、いろんなところで利害関係が対立して、次々と対立構造が出現している気がしてなりません。そんな対立を続けていて、日本の医療はハッピーになるのでしょうか? 私はそんな疑問を感じています。

「医療ミスはいけない」ことだからと、時に医療者は、法で裁かれます。その中には、医療者が到底納得のいかない裁きもあります。そのような社会の価値観ゆえに、医療者側が今、悲鳴をあげ、そして医療システムが崩壊へむかっています・・・。このままで、日本の医療はハッピーになるのでしょうか? 私はそんな疑問も感じています。

また、「医療ミスはいけない」という単一の価値観は、ゼロリスクの無限地獄へと突き進み、あらゆる資源を枯渇させてしまわないかという危惧も私は感じています。

そういう点は、この価値観の「暗」の側面かもしれません。

では、この価値観を変えてみたらどうでしょうか?例えば、

「医療ミスはあってもいいんじゃないか」 

という価値観はどうでしょうか?皆さん、受け容れられますか?

では、もう少しソフトに、

「医療ミスかどうかこだわらなくてもいいじゃないか」

という価値観はどうでしょう?これならば皆さん、受け容れられますか?

今、私は、救急医療の現場のど真ん中にいて、何か医療に対してとても窮屈な感じを受けています。 もっと医療の中に、いろんな価値観が浸透してほしいものだと思います。

今回、こんなことを考えるきっかけとなった記事はこれです。

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/toyama/news/20080603-OYT8T00043.htm
医療ミスで85歳女性死亡

富山市民病院
 富山市民病院(泉良平院長)は2日、昨年5月に入院中だった市内の女性(当時85歳)が、呼吸を確保するための医療器具「気管カニューレ」
交換時のミスで死亡したと発表した。会見した泉院長は、「市民の命と健康を守るべき当院で、あってはならない事故を起こした」と謝罪した。県警などには届け出ているといい、県警は業務上過失致死などの疑いで捜査している。女性の遺族とは今年5月下旬に示談が成立した。

 発表によると、女性は昨年4月下旬に意識障害のため救急搬送され、脳内の血腫(けっしゅ)を取り除く手術後も意識不明の状態が続いていた。入院6日目に、呼吸を確保するために、気管を切開しカニューレの使用を始めた。

 切開した個所を清潔にしておくため、カニューレは1週間に1回程度交換。入院30日目の5月下旬、担当の20歳代男性医師が女性看護師2人とともに内径8ミリのカニューレを交換したが、この30分後、女性が心肺停止状態になっているのを発見。女性は約2時間後に死亡した。

 事故原因究明のため設置された「医療事故調査委員会」委員長の山城清二・富山大学付属病院総合診療部教授によると、女性の死因は窒息死。県警の司法解剖の結果「気管の背中側の壁に穴があった」といい、「カニューレを誤って挿入し、気管を突き破ったのではないか」と話した。

 「カニューレ交換は特別に難しい処置ではないが、きちんと挿入されているか確認すべきだった。リスクの認識が足りなかった」と注意を促した。同病院は、調査委員会の提言を受け、マニュアル整備や処置実習などの再発防止策をとった。

(2008年6月3日 読売新聞)

「医療ミスはあってはならないもの」という価値観が根にあるからこそ、こういう報道が世に出てくるのでしょうね。 「市民の命と健康を守るべき当院で、あってはならない事故」という発言の裏にある価値観はまさに、「医療ミスはあってはならないもの」なのでしょう。

私は、老子・荘子を学んでいくうちに、「一つの価値観にこだわり囚われて生きることは、人生の幅を狭めることになるんだなあ。」とはっきりと感じるようになりました。そんな目で今の医療を眺めてみると、医療の中にも価値観の多様性がもっとありさえすれば、救われる道が開けてくるのではないかとも思います。残念なことに、今の医療は、生の絶対視という一面的な価値観に余りにも支配されすぎてはいないかというのが、私個人の考えです。

今回引用した記事に関して言えば、きっと患者は人生をかんばって生きてたと思うし、医療者もとてもがんばってきたと思います。だからこそ、遺族は示談に応じたのだろうと私は思います。ただ、記事以上の根拠はないので、より正確には、私は、そう思いたいと言ったほうがいいのかもしれません。 とにかく、なぜ、こんな形でわざわざ報道するのだろう?と私は疑問に思いました。報道のメリットは何なのだろうと思いました。

もし、この事例を、「仕方がないこと」として報道したら、いったい世の中どんな反応があるのでしょうね?

「医療ミスかどうかこだわらなくてもいいじゃないか

こんな価値観がもっと社会に認められれば、医療崩壊のあり方も変わるかもしれません。

私は、今の医療事情を見据えながら、医療とどういう関わり方をしたら良いのか、じっくりと考えていきたいと思う毎日です。


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コメント 23

コメントの受付は締め切りました
麻酔科医

85才脳出血、、、気管切開、、、。
もう寿命でいいんじゃないかなああと個人的には思います。

さて、
http://www.csync.net/service/file/view.cgi?id=1212405602
2chからの拾いもの。
医療事故の被害者らを中傷するインターネットの書き込み
(写真と本文は関係ありません)

>写真と本文は関係ありません


なんか矛盾していませんかね?
by 麻酔科医 (2008-06-03 21:20) 

麻酔科医

うやむやに隠蔽せよ、、という意味ではありません。
厳密に何がおこったか、どうすべきであったか、医学的に検討する意味はあるでしょうが、、この処置を行った若い医者を業務上過失致死で罰したりすること(その前に書類送検したり、捜査すること)に医療を良くする効果は期待できないと思うのです。

お亡くなりになった患者さんのご冥福をお祈りします。
by 麻酔科医 (2008-06-03 21:35) 

なんちゃって救急医

>麻酔科先生

私のブログ・・・いろんな所で使いまわしされてますね。
メディアのレベルとはそんなもんなんでしょうね。

まあ、それも世の定めでしょう。

情報は人をときに不幸にする 

私はそう思います。
by なんちゃって救急医 (2008-06-03 21:38) 

たかぷ

答えになってませんが。

二者択一な人生観を持っている方が多いなと思います。幸か不幸か、善か悪か、勝ちか負けか、生か死か、加害か被害か、成功か失敗か、若か老か、有か無か・・・

「仕方ない」という言葉は僕自身は余り好きではありません。観察と思考と行動が止まってしまうような気がして。

僕は「そういうものなんだなぁ」と思い、喜怒哀楽を出します。

ミスはミスとして、抱え難きを抱えて、また生活することと思います。ハタからは厚顔無恥に見えても。。。

でも、多くの人々は意識無意識かかわらず、そうやって生活していると思います。

ところで、素朴な疑問として果たして先達は「医療ミスはいけない」という所から出発しているのでしょうか?
逆じゃないでしょうか?「医療ミスはいつでもどこでもあるもんだ。だから工夫をしてリスクを分散していこう」じゃないでしょうか?

また昨今の医療革新も「命は救えるものではない」からこそ、「大部分はどうしようもないけれども、せめてこの病気だけでももしかしたら治せるかもしれない」と、先人はそれこそ汗水流して命がけで医療技術をあみだしてこられたのではないでしょうか?その積み重ねが今の有り難い医療技術の革新になっていると思います。

だから、私たちの命が「有り難い」いい方を変えれば「有ることが難しい」というのは変わらないと思うので、それをいつでも忘れないように患者も医師も心にとどめておかないと、「治すのは当たり前」「治るのは当たり前」になってしまうと思います。


by たかぷ (2008-06-04 02:11) 

たかぷ

連投すいません。。。

それと価値観なんて時と場所が変われば、変わってしまうものだとも思います。価値観が永久なんて幻想だと思います。

by たかぷ (2008-06-04 02:18) 

石部金吉

今回も面白いテーマですね

私が思うに、
医療ミスの克服ということが
医学の進歩の駆動力となってきた、
という面もあると思います

たとえば麻酔ガスのピンインデックスです

酸素と笑気をつなぎ間違えた、
という経験を持った先生が、まだ現役で
働いておられることと思います

今では間違えようもありません

現代の医学は、
それら先人の冷や汗と
多くの患者さんの犠牲の上に
成り立っているのです

そして、現代に生きる人々は
その犠牲の結果を享受しているわけです

医療における「原罪」と
言っていいのかもしれません

一概に医療ミスを「悪」と
決めつけられない部分があります


※ 今回の例にあげられている事件は、直感的に、
皮下に気管切開チューブが入ったのではないか、
と思ったのですが、どうでしょうか?

チューブが気管を突き破ることは普通ないですよね

司法解剖の結果には、いささか疑問があります
by 石部金吉 (2008-06-04 06:10) 

最凶

おそらく初めましてかと思います。史上最凶の乳ガン患者こと最凶と申します。医療メディアについて関心を持っています。

「医療ミス」という言葉がメディアで使われるときは、インチキ整形手術のような犯罪についても、点滴の取り違えのようなシステム上の問題についても、大野事件のような医療の限界についても、おしなべて「医療者の怠慢」というバイアスをかけて使われることが多いように感じますね。
 あえてごっちゃに使用しているのかも。なんたってその方が受け手に対してイメージ操作しやすいですから。

 ところで「患者への中傷」と「医療者への中傷」についてうちのブログで話題にしたのですが、こちらの過去ログを使わせて頂いちゃいました。事後承諾ですいません。マズかったら対処しますんでご一報下さい。
「出もの腫れもの処嫌わず・NHKが『不信と対立を煽る?』」
http://black.ap.teacup.com/saikyou/234.html

今後ともよろしくー。

 
by 最凶 (2008-06-04 10:46) 

doctor-d

拙ブログにもコメント頂きありがとうございました。
私は医療訴訟のあり方からこの出来事を見ていますが、なん救先生は価値観(死生観)からの視点ですね。
しかし、85歳の意識不明患者の転帰に際して4400万円ものお金が動くというのは常識の範囲を超えていると思います。

ところで、麻酔科医さんのリンク記事で医師がネットで患者批判をするのは「ストレスのはけ口」と切り捨てられてしまっていますが、過激な発言を殊更に取り上げて医師の姿勢を批判するだけで、全うな議論をしている事については触れないあたり、マスコミの報道には偏りがあるという証明になる記事ですね。
by doctor-d (2008-06-04 11:47) 

banana

人は報道や流行に対してあまり考えもせずに受け入れてしまう傾向があるように思います。特に近頃では、「考える」ということをしなくなったように思う。『生きる』ことの意味をよく考えていない・・・まず、『生と死』は向かい合っている。ということを理解しなければいけないと思う。私は人が生きるために選んだ仕事だと思ってます。多分、「生」に対しての欲が人には多すぎる。永遠の命・固定概念が強すぎるのは、どうかなと思います。医者という立場を重んじるのはいいことですが、あまり生に対しての価値観ばかり考え、ケガや病気本来に対してのことを考えていないのでは? 一般人の皆さんもただ報道や流行を受け入れず少し考えてほしいな。患者を「生かせときゃいいっ」てもんじゃないでしょ! と思います。~自分が患者だけにいろいろとかんがえてしまいます・・・。医療ミスについては「あって当たり前」だと思ってます。
by banana (2008-06-04 11:54) 

ハル

患者側の人間です。医療ミスは幸せなことではありませんが、ある程度は避けられないことだと常日頃は思っています。
ただ、自分や家族が取り返しのつかない過誤を受けた場合は、やはり一度は「酷い!」と憤ってしまうかもしれません。
それは医療関係者を責めるというより、交通事故に遭って「なぜ私なの!?」と、激しく当惑する気持ちに近いのではないかと思います。
運命だと納得するしかないのはわかっていますが、やはり自分なりに心の整理をつけるまで、ある程度の時間が必要だろうなと…。
突然のことで頭が混乱している時に、「納得してください」的な要求をされると、納得できません、という反応になってしまうかもしれません。


ところで、
『日本の「安心」はなぜ、消えたのか』山岸俊男(集英社)
最近読んだ本ですが、大変興味深い内容でした。
直接医療の問題を扱っているわけではありませんが、「社会心理学から見た現代日本の問題点」というサブタイトル通り、日本人に起こっているとされる心理的な変化(荒廃)を、精神論ではなく、2種類の倫理の混乱の問題として論じています。

最近持ち上げられることの多い「武士道」や「品格」といった道徳律が、社会の荒廃を招く結果になるという提言は、半ば現実化しかけていると思えてなりません。
by ハル (2008-06-04 13:25) 

kiki

「医療ミスはいけないことでしょうか?」
というテーマで議論すると、10年たっても結論はでないし、
価値観に絡むことなので、結論が出なくて当たり前と考えます。
ただ、医療ミスが発生し、それが送検されるかどうかもわからないうちに
記事になり、その結果、医師のマインドが落ち、国家として
大きな医療損失が発生していることだけは確かです。
医療損失をやむなし、と考えるか、防ぐべきと考えるか、
防ぐのであればどうすればいいのか、医療者と国民が考えないと
いけないと思います。
下記の記事から、医療ミスかどうかわからないけど、刑事事件で
落ち込む医師が大勢いることを知るべきと思います。

医療事故、再び増加 警察届け出、07年246件
http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20080604AT1G0203R03062008.html

 2007年中に全国の警察に届け出があった医療事故は246件で、2年連続で減少していた前年から
再び増加に転じたことが、警察庁のまとめで分かった。被害者側からの届け出増が目立っている。
同年中に警察が刑事事件として立件した医療事故は92件に上り、4年連続で90件を上回った。
 昨年の届け出件数は、前年比29%増の246件。医師や看護師、事務長など「医療関係者」からが
同19%増の194件で全体の約8割を占めた。被害者や遺族、弁護士など「被害関係者」からは43件と
前年(21件)から倍増し、医療不信の根強さをうかがわせる。報道などによる「その他」は6件から9件に増えた。


by kiki (2008-06-04 18:31) 

石部金吉

上のコメントで、
「警察が刑事事件として立件した医療事故は92件に上り」
とあります。

確認したいのですが、
92件というのは送検された数であって、
起訴された数ではないのですよね。

92件の送検なら、ありそうな数かな、と思いますが、
92件の起訴だったら大変なことです。

by 石部金吉 (2008-06-04 22:53) 

一般人

人は病気や怪我で死ぬのではありません。運命で死ぬのです。毎日毎日充実した人生を送っていれば、いつ死んでも悔いることは無いでしょう。そういう人にとっては、死とは解放であって、甘いものになります。
イチロー選手だってたまにはエラーしますよね。医者だってエラーしても当然でしょ。特に生きるか死ぬかの瀬戸際でぎりぎりの治療をしているときには余計そうだと思います。プロ野球選手はエラーしても逮捕されないのですね。
うわさで聞いたことがありますが、ある高名な医者が「私の誤診率は30%だ」(数字は不確かですが)と言ったところ、医者からは「そんなに低いの!!」と驚きの声が上がり、一般人からは「そんなに高いの!!」と驚きの声があったとか。
医者と一般人の認識のギャップはいつかは縮まるのでしょうかね~。

by 一般人 (2008-06-04 23:33) 

通りすがり

患者側の一般人ですが

>「医療ミスかどうかこだわらなくてもいいじゃないか」
>これならば皆さん、受け容れられますか?

ごめんなさい。受け入れられません。
なぜなら、明らかな怠慢による医療ミスは「あってはならない」と思うからです。(極端な話、昔は飲酒状態で手術なんて話もきいた事がありますし)
ただ、
「誠意をつくした仕事においてのミスは医療ミスではない」
とは思っています。

実は7年前に父を誤診で亡くしましたが、その先生が頑張ってくれた事は分かっているので、父本人も恨みはしませんでしたし、母も私も今でもその病院にお世話になっています。
by 通りすがり (2008-06-05 03:01) 

一般人

「患者側の一般人」さんへ。

「医療事故」と、「医療犯罪」は分けて考えるべきと思いますよ。

「医療事故」、「医療ミス」
野球選手のエラーみたいなもの。神で無い限り、人間なら誰でも避けられないもの。「誠意をつくした仕事においてのミス」。例えば、放って置くと死んでしまう患者をイチかバチかで救おうとして、助けられなかったとき。
これらの場合には、刑事事件にしてはいけません。また、モンスターペイシェントに横暴を許してもいけません。このような場合に、医者は感謝されこそすれ、非難されるべきではありません。

「医療犯罪」
故意に患者を傷つけよう、または殺そうとした場合。また、規則違反の場合。例えば、飲酒状態で治療した場合など。こちらは、刑事罰の対象にすべきでしょう。

現在、医者が誠意を尽くして仕事をした場合でも、結果が悪いというだけで、刑事罰やモンスターペイシェントが待っている所に問題があると思います。


by 一般人 (2008-06-05 03:28) 

なんちゃって救急医

>たかぶ様

私たちの命が「有り難い」いい方を変えれば「有ることが難しい」というのは変わらないと思うので、それをいつでも忘れないように患者も医師も心にとどめておかないと、「治すのは当たり前」「治るのは当たり前」になってしまうと思います。

ありがとうございました。同意です。

世間の価値観が不常であるというご指摘ですね。私は同時に、自分自身、各個人の価値観が不常であることを望んでいます。


>石部金吉 様

司法解剖の結果には、いささか疑問があります

私もそうなんです・・・・ 
記事からでは何も知ることができませんね。

>最凶様

ときどきブログは拝見させていただいておりました。引用とくに問題ありません。今後ともよろしくお願いします。

>doctor-d 先生

まあ、偏向報道は、仕方ないすね。それらが彼らのあるいみ仕事ですから。

> banana 様

特に近頃では、「考える」ということをしなくなったように思う

そうですね。そうかもしれませんね。私は、皆様に考えるきっかけを提供できればと思っているのです。

>ハル様

突然のことで頭が混乱している時に、「納得してください」的な要求をされると、納得できません、という反応になってしまうかもしれません。

仰るとおりだと思います。「悲嘆のプロセス」という感情の推移を考えると、その途中で「否認」というのがあります。そういう人の心の反応を考慮して、メディアが情報を出せばよいと私は思っているのですが、残念ながら、彼らの業界にそれを期待するのは、難しいのだろうなと諦観しています。


>kiki 様

刑事事件で落ち込む医師が大勢いることを知るべきと思います。

全く的確なご指摘だと思います。

>一般人 様

運命で死ぬ・・・この境地に達したくてもなかなか達せない。それが、ごく普通の大多数の人なのかもしれません。

東大の沖中教授ですね・・・
http://www.geocities.jp/machi0822jp/nandemo24.htm

>通りすがり様

受け容れらなくても当然だと思います。お願いしたいことは、自分のもつ価値観は、自分自身で変えることができるんだなあということを感じていただけることです。 そういう視点が、人生の中で、紛争(医療に限らず)を回避する術になるのではないかなあと私は考えています。

>一般人 様

「誠意」という言葉は、相手の心の中にある状態ですから、自分で制御できないですよね。

「誠意」の物差しが、各人のそれぞれの価値観によってばらばらになってしまう。

だから、医師・患者の対立が起きてしまう。

そんな難しさがあると思います。



by なんちゃって救急医 (2008-06-05 06:52) 

なんちゃって救急医

6月5日 7:00am を持ちまして、このコメント欄も承認制に変更させていただきました。何卒、ご協力のほどをよろしくお願いします
by なんちゃって救急医 (2008-06-05 06:53) 

BRUCE

私の娘は、約10倍もの薬を1週間の間、
投与されました。告訴も考えましたが、結局は
和解しました。それは、その後も、娘をそこの
病院に預けなくてはならないからです。
患者側はあくまでも弱者です。

医療にたずさわる方の過酷な勤務状況を考えますと、
医療ミスは、どうやってもおきるものだと思います。
しかし、医療にたずさわる方には
少なくともそんな考え方をもってもらいたくないですね。
とても悲しい気分になりました。




by BRUCE (2008-06-05 13:06) 

なんちゃって救急医

>BRUCE様

つらいことがあったようですね。おっしゃることは、尤もだと思います。

今医療は閉塞感に満ちていると私は感じています。
どうしたらいいのでしょうか?

そんな疑問をつめる中で、今回のような発想も出てきたわけです。
「荘子」を眺めていると、いろいろと考えさせられます。
今回の発想は、自分が「荘子」を読んだからこそ、出てきたものだとご理解くださればと思います。


by なんちゃって救急医 (2008-06-05 14:52) 

らいけん

厳しくなりすぎて、難しい治療はやらない方がマシとなりつつありますね。

医師は憧れの職では無くなってきているし。医師不足で疲れが溜まるとますます医療ミスは増えていってしまう。

その一方で適当な診断で薬を出す楽なヤブ医者は多い。

日本は○○が悪いと責任のなすりあいをするだけで、良くしていこうとしないんですよね。

一度の失敗で現場から外されてしまい、別の人がまた失敗する。責任だけで何も変わらない。
by らいけん (2008-06-05 23:13) 

なんちゃって救急医

>らいけん 様

日本は○○が悪いと責任のなすりあいをする

こういう風土があることは、私もそう思うし、ブログ内でも指摘してきたつもりです。

良い・悪い の分別を超えたところの境地に各人が到達できれば、不毛な争いも減るのになあ・・・・

というのが私の理想郷

社会平均としての到達点がそこに向かうのは無理としても、せめて自分はそうありたいなあと思う今日このごろです。

医療ミスという刺激的な言葉を意図的に使い、医療者でありながら、あえて逆説的な提言をした私の気持ちを感じていただければ幸いです。



by なんちゃって救急医 (2008-06-07 06:59) 

rirufa

はじめまして。とあるブログから飛んできました。

医療ミスが許せないとまでは言えないけど、なくしてほしいです。
経験したことのないような痛みで受診して、問題なしと言われた。その後、激しい頭痛と意識障害で運ばれ、くも膜下出血と診断され、重度の障害が残った。
なんてことになったら、シャレになりません。
医療ミスで死んだら、葬式を挙げれば済むけど、重度の障害が残ったら、そのあとのが大変です。周りの人は介護に追われ、つらい思いをします。

by rirufa (2008-06-13 19:18) 

なんちゃって救急医

>rirufa様

引用されているくも膜下出血の例は、実際現場にいるものとして、
どんなに完璧とされる問診や検査を駆使しても

ある一定の確率 

で生じえるものだといわざるを得ません。

それを「ミス」として、他責的になるか、「運命」として受容していくかは

多分に、その人・家族の中に内在する「心」の問題が主だろうと私は思います。

もちろん、コミュニケーションのあり方など技術的側面もあるにはあると思いますが、それは副次的な面だと私は思っています。


by なんちゃって救急医 (2008-06-14 16:43) 

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