わすれられないおくりもの [雑感]
今日は、ある看護学生さんの話をします。ここでは、Kさんとしておきます。
もうずいぶんと前のことです。 あるとき、Kさんの祖父が私達の病院に入院してきました。重症肺炎でした。この患者さんを受け持ったのが私でした。数日間、ICUでがんばりましたが、残念ながら、病状は厳しいものでした。多臓器不全の兆候もおさまるどころか、どんどんと進んでいる状況でした。
私は、当時の指導医の先生と相談の上、方針を変更しました。
「ギアチェンジだな・・・・」
これが方針変更を意味する言葉です。
つまり、「生」という結果を諦めるという意味です。
私達の判断を患者さんの長女さんに説明しました。ICUの片隅にある患者家族用の待機室で、私は説明しました。
どんな説明をしたかは、記憶に定かではありません。ただ、なるべく医学用語を使わないようにと、努力した記憶はあります。とにかく、集中治療を施しても、病状が好転するどころか悪くなる一方であること、このまま、ここで戦い続けると、最後の別れのための時間を家族が静かにもつことができないことなどを伝えたように思います。
私:「どうしましょうか? ここ(ICU)でがんばってみますか?」
長女:「いえ、もうけっこうです。ありがとうございました。」
私:「そうですか。では、個室を探してみましょうか?」
長女:「お願いします」
昼間にこのようなやり取りをして、集中治療から撤退の準備として、種々の点滴ラインなどを整理し、一般病棟の個室に移る段取りとなりました。ICUから個室へあがる直前、今度は、患者の孫娘がやってきました。昼間説明した長女さんの娘です。その方が、Kさんでした。
「私にも説明してください!」
今の私だったら、もうご家族には説明済みといってこの申し出を却下したかもしれません。当時の私は、ある意味バカだったのかもしれませんが、もう一度、Kさんにも同じ説明をしました。その時、Kさんが、看護学生であることを知りました。
その話の中で、Kさんがこんな申し出をしたのです。
「私、臨終に立ち会ったことがないんです。」
「祖父が亡くなったら、死後の処置を見学させてもらえませんか」
私はそれを聞いて、是非とも、臨終の場をKさんに経験してほしいと思いました。当然、死後の処置にも参加させてあげたいと思いました。
「そうですか・・・。私の権限ではなんともいえませんが、Kさんのお気持ちを、病棟師長にはきちんと伝えておきます。」
と答えました。
夕方、患者さんは、看取りを主目的として、一般病棟の個室に移動していきました。
そして、日が変わること翌未明の1時43分、患者さんは、親族に囲まれて静かに逝きました。
当時の私は、病院の直ぐそばに住んでいましたので、夜間にかけつけ、この患者さんの死亡宣告をしました。
そして、Kさんは、死後の処置に、学生としてではありましたが、一緒に参加することができました。病棟看護師長の計らいでした。
1週間後、この患者さんの長女さんが私を訪ねてきました。Kさんの手紙を私に手渡すためでした。その一部を紹介します。
○○先生
祖父○○○○の入院中は大変お世話になりました。親族が揃って臨終に立ち会えて良かったし、私自身も初めて遭遇した臨終が身近な死だったということで、今後臨床に出るための良い経験となりました。お別れのための個室を探してくれたことや病状説明を2回もしてくれたことや死後の処置に参加させてくれた、すごく嬉かったです。
・・・・(略)・・・・・・
本当にありがとうございました。
患者さん自身あるいはご家族からの心のこもったお手紙は、私達医療者にとって、「わすれられないおくりもの」です。
一人の人が死を迎えるとき、残された人への「わすれられないおくりもの」になり得るものが何か必ずあるはずだと私は思います。この例では、患者さんは、まさに自分の死をもって、Kさんにとっての初めての看取りという一生忘れることのない思い出、つまり「わすれられないおくりもの」を残してくれたのであろうと思います。
スーザン・バーレイ作 わすれられないおくりものという有名な絵本があります。アナグマの友達達が、アナグマの死を、悲しみながらも、やがてはそれを楽しい思い出としてそれぞれの心に刻んでいくお話です。とてもいいお話だと思います。その中に、こんな文章があります。
みんなだれにも、なにかしら、アナグマのおもいでがありました。アナグマは、ひとりひとりにわかれたあとでも、ちえやくふうをのこしてくれていたのです。
さいごのゆきがきえたころ、アナグマがのこしてくれたもののゆたかさで、さいごのかなしみもきえていました。アナグマのはなしがでるたびに、だれかがいつも、たのしいおもいでを、はなすことができるようになったのです。
死の現場に遭遇することが日常の医療者は、日ごろ接する患者さんご自身やそのご家族にとっての「わすれられないおくりもの」って何だろう?という視点をもってみると、また違った医療を提供できるのではないかと思います。例えば、患者さんが、自分自身で、自分をアナグマだと気づけるように援助すれば、今現在の自分の生き方において、どんなものを自分の周りにのこしておきたいか、ということを自らでお気づきになるかもしれません。
医療という視点から見た場合でも、この絵本はなかなか深いな~と思います。
このような視点を気づかせる医療のあり方が、患者さん自身の生き方の援助、遺族への死の受容プロセスの援助となればとも思います。
「死」という結果に、何かと責任追及を要求しがちな今の社会において、このような視点がもっと社会の中で強調されれば良いのになあ~と私は思います。
自分が、ふつうの医者やってたころ、いちばん上手にお見送りできたな、と思ったケースは、悪性黒色腫で膝下離断して3か月くらいで断端から局所再発+内蔵転移してきた患者で、化学療法一応やるんですが、皮膚癌の悲しさ、断端みれば、効いてるのかどうか、患者にも一目瞭然です。
病棟に回診にはいくんですが、病気の話は一切せずに、いろいろ雑談して過ごしてました。
おばあちゃんでしたが、ご主人が付き添ってて、3人で、変な話ですが、下ネタがかった話が結構盛り上がりました。
下ネタっていっても、名古屋には田県神社って、男根祭る神様があって、毎年隣の女性の神様の神社のところまでご神体を神輿にかついでお祭りする、それ見に行って興奮した話とか、そんな類ですが。
末期になっても、若かったころや、性、すなわち自分の子孫を残すイメージの話題ってのは、プラスに作用するんでしょうね。
それで、その方、肺かどっかの転移だったか、呼吸状態も悪くなってきて、人工呼吸管理は必要ということになり、RSIで挿管、「〇さん、いまから、人工呼吸器つけますが、苦しさ感じないように、意識を落としますよ」という私の言葉に、軽くうなずき、片目から一筋、涙流しました。
わたし主治医でしたが、病気の予後の話もなーんにも説明しなかったんですが、すべて察したんでしょう。数十秒後には意識無くなり、その後何日生きてらっしゃったか、意識回復することはありませんでした。
あのときの涙は、「ああ、もうここまでか」という諦めだったんだろうと思います。
自分が主治医で看取った患者のなかで、安らかに満足して死んでいったひとは、誰もいません。みな、苦しそうに無念そうに死んでいきました。
死に対して「受容」というか、観念・諦めをわたしが感じ取ることのできた患者は、このおばあさんだけかなあ・・
みなさん、この患者の死にざまは潔かった、死をちゃんと受容できていた(主治医として上手に誘導できた)、っていう経験ありますか?
ホスピスの先生なんかが、上手なのかなあ。。
by moto (2008-03-16 23:18)
続き)
とにかくみんな、死の瞬間まで、生に執着してるように見えるんですね。苦しい、っていうのは、死にたくないっていう思いが苦痛に合わさって苦しいんじゃないかと思います。
逆に言うと、生への執着を取り除けば、苦しみは多少は減るだろか。
そのことを考えさせられたのが、おばあちゃんの「諦めの涙」一すじだったです。
by moto (2008-03-16 23:29)
10年以上前ですが、当直に出かけて入院中の高齢のおばあさんが眠れないからと睡眠剤を希望されていると。時間があったので、ベッドサイドまで行って話しを聞くと、理由は不明(!)ながらすでに数年入院中の方で、家族は車で1時間くらいのところにいるけど、ほぼ来たことがない方で、あれこれと愚痴やら身の上話をされていました。1時間ばかり話を聞いていたら、気分が晴れたのでしょうかー 寝られました。ので睡眠剤は不要かなとそのままにしました。次の週にまた泊まりに行ったら看護婦さんからポチ袋に2千円が入って、私に渡されました。おばあさんからのお礼でした。失礼ながらそれほど余裕があるとも思えず、返しに行こうとしたのですが、その日はバタバタしていて、そのままになってしまい、翌月行ったときには亡くなってしまわれていました。結局返すことができず、いまでも私が持っています。自宅の部屋の本箱の前にそのまま見えるように立てています。私の忘れられない御礼ですね ポチ袋は結構黄色ばんでいますが、なんとなく宝物みたくなってしまいました
by 単純内科医 (2008-03-17 08:08)
重症患者のインフォームドコンセント、治療方針の決定などは患者背景、それまでの過程などによって変わってきてなかなか難しい問題ですね。
患者の生き方の受容、家族の死に対する受容と少し話は違うかもしれませんが、私は亡くなった患者の家族に、患者死亡後、最後に「入院中の総括」を行うように心がけています。例えば、亡くなってお見送りを待っている間、死亡宣告が済んで30分、1時間くらいたってから、家族に○年○月にこういった症状があって、△月に入院して、こういった治療をしたけれども×日になくなった、など外来カルテ、入院カルテを見せながら説明するようにしています。
医者によって死亡宣告の言動も若干違ってくるのと同様で、このような行為をどれくらいの医者がしているかわからないし、死の悲しさを助長させるだけでしないほうがいいのかもしれないけれど、私はそうすることで家族の死の受容の一助になると思っています。
by めい (2008-03-17 12:58)
人の死は縁の深さにもよりますが、それぞれに感じるところが必ずあるものだと思っています。医療者にとっても、それがたとえ日常となっていたとしても残るものがあるというのが人の死なのだと思っています。
先生が紹介して下さった『わすれられないおくりもの』は、今や小学国語の教科書に掲載され、子供達が死の意味を学ぶ機会となっています。
きちんと死を迎えることが出来なければ、故人も残された人々も不幸になります。よりよい死を迎えるために我々医療者も、そして医療を受ける人々も誠心誠意尽くせるとよいですね。
by クーデルムーデル (2008-03-17 13:43)
もうあと数時間という時に家族から「先生から説明を受けたいんですけど」という申し出をうけました。夕方すぎの時間で、担当医も多忙だったこと(オペ中だったかも)、患者の命があとどれくらいなのかは誰にも何も言えないこと、バイタルなど患者の状況は家族には伝えてたし、面会に来ている家族の中には看護師もいたこと、だから患者はもう少しの命だとわかっているだろう、そういったことを考えながら家族の申し出を聞いた私。先輩看護師にも相談しましたが、忙しい中での相談だったので十分ではなく、結局患者の状況をもう一度話し、担当医にも患者の状況は伝えてあるということを家族に話すだけになりました。結局その日の消灯前に患者は亡くなり、家族としては納得の行く看取りとはならなかったようです。新人だったとはいえ、看護師として後悔した一例でした。あの時、無理を言ってでも担当医につなげばよかったなあ、といまだに考えてしまいます。先生方は、(専門とする科によって違うとは思いますが)医師として看護師にどのようなことを求めるのでしょうか・・・
by さくさく (2008-03-17 22:56)
はじめまして。このエントリにトラックバックさせていただきました。
『わすれられないおくりもの』は子どものころに読んだ絵本ですが、いま読んでみると、深いお話だなあと思います。
うまく伝えられなくて心苦しいのですが、「死」ということをもう少し自然に社会や、そこで生きるわたしたち人間が受け入れられるような土壌ができれば良いのにな、と思います。
by Kumiko (2008-03-17 23:31)
緩和ケアをしています。「全面的に緩和ケアを受ける」という状況がそうさせているのかもしれませんが、ほとんどの方がジタバタしないで静かに死を受け入れ、亡くなられていくような気がしています。
「こんな風に死んでいけるなら、これ以上はないから思い残すことは何もない」と、今年に入ってからも複数の人に言われました。そういう風に思えるための緩和ケアの手法も、痛みの止め方などと同様に広く普及させていくべきなんじゃないかなあ、と思ったりします。
by hirakata (2008-03-18 17:54)
>moto先生
無念そうにお亡くなりになった方が多いんですね。専攻科による違いも大きいのかもしれませんね。
>単純内科医先生
たしかにわすれられないおくりものですね、その二千円。
> めい 先生
なるほど・・・・。きっと受容の一助になるのではないでしょうか。
>クーデルムーデル先生
教科書に出てくる話だったのですね。知りませんでした。
ということは、death educationはそれなりに小学校でなされているのでしょうかね。肝心の先生の方も実体験が乏しいのではないかと危惧もしますが・・・。
>さくさく様
難しい立場ではありますよね。なかなかいい回答がおもいつきません。
>Kumiko様
トラックバックありがとうございます。全く同感です。
>hirakata先生
緩和ケアの現場は、またきっとちがうのでしょうね。そこで培われたスキルがもっともっと広く医療の現場にいきわたるとよいなと私も感じます。
by なんちゃって救急医 (2008-03-18 20:55)
これいい話ですね。
なんか自分にヤル気を起こさせてくれるはなしでした。
このブログを読んでて良かったと思います。
by 最近の女性は胎盤が濁っている! (2008-03-18 22:23)
はじめまして
自分の思い出と重ね合わせ、涙しながらよみました
そしてありがとうございます
この記事に救われました
勝手ながらトラックバックさせていただきました
by さん (2008-03-19 01:53)
看取った方のことは、今でも表情やいろいろな場面をはっきりと思い出せることが不思議です。
婦人科系ですので、女性の先輩としてたくさんのことを死に向かう姿勢から学んだように思います。
昔読んだ本に、英語圏では出欠をとる際の返事はyesではなくpresentで、
「存在すること」と「贈り物」は同じ語源からきている、とあったことがずっと頭に残っています。
若い頃は、死を迎えている患者さんの看護は、粗相してはいけない・・・と、その威厳の前に緊張しっぱなしでした。
だんだん年を重ねるに連れて、「この方は、どんな生き方をしていきたのかな」という関心が強くなりました。
きれいごとのようですが、どんな方とも「出会えて良かった」と思っていることが相手やご家族に伝わったらいいなと思います。
こうして何年たっても、その方のことが思い出せる。だからpresentというのかな・・・と、今回のテーマをきっかけに、またいろいろと考えています。
ありがとうございます。
by フィッシュ (2008-03-19 11:28)
さくさくさんのご経験は辛いです。
患者さんおよびそのご家族と医師の両方を思いやる優しい看護士さんなのですね。
日本では一人の医者が完全主治医、しかも外来や手術もやってて研究日には不在みたいな状態が多いです。
入院患者さんにも入院したら主治医があんまり顔を見せてくれないと思ってる方もいらっしゃると思います。
個人的にはチーム医療ができればいいと思っているのですが。
昔は自分の受け持ち患者さんが重症化したら病院に泊まり込みという状況をよく見かけました。
患者さんが重症化したら主治医も疲労で健康状態が悪くなっていくんです。
これって今もそうなのかな?(私はもう当直と無縁の人間です。
複数の主治医によるチーム医療。
医者不足では実現出来る病院は少ないのでしょうね。
by 沼地 (2008-03-19 22:44)
>さん 様
トラックバックありがとうございます。
>最近の女性は胎盤が濁っている! 様
コメントありがとうございます。
>フィッシュ様
presentのお話なるほどですね。ありがとうございます。
>沼地 様
私もチーム医療には賛成です。
by なんちゃって救急医 (2008-03-20 22:29)
いつも感心しながら、拝見させて頂いております。
私も 忘れられない亡くなった方が数名おられます。
末期になると、こちらも患者さんから 足が遠くなりますが
やはり、 頻回に患者さんの顔だけでも見に行くべきですよね。
久々?に初心にかえらせて頂き、ありがとうございました。
by Keyaki (2008-03-28 17:52)