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合併症を算数する(続編) [医療記事]

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さて、前エントリーの続きです。 前エントリーをまだご覧になっていない方は、こちらからどうぞ →合併症を算数する

合併症の発生する確率をpとする。 ただしp<0.05
検査の試行回数をNとする。
このとき、すくなくとも一回は合併症が発生する確率をf(N)とする。

すると  f(N) =1-(1-p)^N となる。

ここで、p → 0 のとき (1-p)^(-1/p)  → e  なる極限の関係を上式に利用することを考えるべく、式変形を行えば、次のようにできる。

      f(N) = 1-{(1-p)^(-1/p)}^(-pN)
          ≒ 1- e^(-pN) ・・・・・・・・・・・・①

実は、この式変形プロセスは、二項分布をポアソン分布に近似する計算作業と同一でした。 自分で式をいじっているうちに気が付きました。 (参考URL

まあ、それはそれとして、①式からは、おもしろいことがわかります。

試行回数を確率の逆数(=1/p)だけ、おこなうと、 ①式より、その確率は常に一定で、その値は、1-1/e=0.632 となります。

よって、 確率1/100のものを100回行った場合、 確率1/500のものを500回おこなった場合、確率1/1000のものを1000回行った場合、確率1/10000のものを10000回行った場合、いずれの場合においても、合併症に遭遇する確率は63%ということになります。

公式化できます。

合併症を発症する確率がpである検査を、1/p回行った場合、

63%の確率で、少なくとも一回は合併症に遭遇する。

では、次に、ほぼ100%合併症に当たってしまう確率を考えます。 ここでは、99%で計算します。

①より、 99/100=1-e^(-pN)  ⇔  e^(-pN)=10^(-2) ⇔  Ln (e^(-pN)) =Ln ( 10^(-2)) ⇔ -pN = -2Ln 10 ⇔ N = 2Ln 10 / p = 4.6/p ≒5/p

よって、 確率1/100のものを500回行った場合、 確率1/500のものを2500回おこなった場合、確率1/1000のものを5000回行った場合、確率1/10000のものを50000回行った場合、いずれの場合においても、合併症に遭遇する確率は99%ということになります。 (※より厳密に計算しておけば99.3%)

これも公式化できます。

合併症を発症する確率がpである検査を、5/p回行った場合、

99%の確率で、少なくとも一回は合併症に遭遇する。

以上の公式より、前エントリーの問題の解答は簡単ですね。

当院の循環器科では、冠動脈造影検査(心臓カテーテル検査)を施行するにあたり、脳血管障害など重篤な合併症が生じる確率は、1/1000(=0.1%)と説明して患者の同意を得ている。さて、当循環器科で、1000例の検査を施行したとき、重篤な合併症が少なくとも一件は生じる確率は何%であろうか? また、いったいこの施設で何例くらいを施行した場合に、少なくとも一件は合併症が生じる確率が99%にまで到達するであろうか

解答  1000例の検査で、63% 、 4600回(≒5000回)の検査で99%  (moto先生が正解を出してくださいました)

これを使えば、日ごろ行っている検査の合併症が、医療者側にとってどれくらいの確率で降りかかってくるかを身をもって知ることが出来ますね。

例えば、  (当院の同意書を一部参考)
・大腸ポリープ切除術での大きな合併症 0.15%  ⇒ 667例で63%、3333例で99%
・内視鏡(上、下)検査での大きな合併症 0.018% ⇒ 5555例で63%、27777例で99%
・気管支鏡検査で処置を要するような出血 0.3%  ⇒ 333例で63%、1667例で99%
・気管支鏡検査で死亡する          0.01%  ⇒ 10000例で63%、50000例で99%
・ERCPでの大きな合併症           0.1%  ⇒  1000例で63%、5000例で99%
・ERCPで死亡する             0.007%  ⇒ 14285例で63%、71428例で99%
・造影剤の重い副作用            0.1%  ⇒  1000例で63%、5000例で99%
・造影剤で死亡する            0.001%  ⇒ 10万例で63%、50万例で99%
・H19サマージャンボ1等(2億円)  0.00001%  ⇒ 1000万回で63%、5000万回で99%

いかがでしたでしょうか? 一回あたりの確率が低くても、繰り返して行えば、これだけ確率が増えてくる感覚をわかっていただけでしょうか?

では、最後は、自分のお好きな数字を入れてみてください。
・訴えられる確率      X%  ⇒  100/X 人の診察で63%、500/X人の診察で99%


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合併症を算数する [医療記事]

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ある手術やある検査を行ったとき、不幸にも何らかのトラブルがあったとしよう。 そんなとき、患者側は「医療ミスだ!」と、医療者側は「合併症だ!」とそれぞれの主張がまっこうから対立し平行線に終わることもある。 患者側は、たとえ合併症のことを事前に聞いていたとしても、そんな低い確率のものが自分に起こるはずがない、だから、きっと何か医療者側がミスを隠しているのかもしれないと思いがちだ。特に、事前の両者の信頼関係が不十分のときは、なおのことそうなりやすい。一方、医療者側は、同じことを日々の業務の中で繰り返し同じようなことをやっており、たとえ合併症がおきたとしても、いつもと同じようにやっていたのに起きてしまったとしか言いようがない場合が多い。

つまり、合併症の発生についての感覚に関して、両者の間に次のような違いがあるような気がする。
患者側=めったに起らない、
医療者側=そう珍しいことではない 

本日は、この感覚の違いについて数学的考察を行い、一般の方々に「合併症」なるものの医療者側の考えについて少しでも理解していただければと思う。

本日のエントリーでは、この問題が理解できることを目標とする

当院の循環器科では、冠動脈造影検査(心臓カテーテル検査)を施行するにあたり、脳血管障害など重篤な合併症が生じる確率は、1/1000(=0.1%)と説明して患者の同意を得ている。さて、当循環器科で、1000例の検査を施行したとき、重篤な合併症が少なくとも一件は生じる確率は何%であろうか? また、いったいこの施設で何例くらいを施行した場合に、少なくとも一件は合併症が生じる確率が99%にまで到達するであろうか?

患者さんにしてみれば、造影検査なんて一生にせいぜい数回うけるくらいでしょう。 たとえば、3回受けても、いちども重篤な合併症が生じない確率Pは次のようになります。

P=(1-1/1000)^3 = 0.999^3 = 0.997 = 99.7%  いいかえれば、合併症に巻き込まれる確率が100%-99.7% = 0.3% となります。

患者側の視点で眺めれば、確かに、まあ、私は大丈夫でしょう とう感覚でもうなずける数字です。

ところが、医療者側の視点で眺めると、話が変わってきます。 何が違うのでしょうか?

医療者側は、検査が日常です。つまり、繰り返し同じ検査を施行します。 検査の施行回数が決定的に患者側とは異なるのです。
試行回数が増えれば増えるほど、たとえ一回あたりの確率が小さくても、結果的には、合併症発生の確率は著しく高まるのです

私はこのことを、算数を通して、多くの人に実感してほしいのです。そして、医療者側の話を、信頼をもって理解できるようになってほしいのです。

ですので、
医療者側からすれば、一つので合併症で、やれ訴訟だの裁判だの賠償だの、大騒ぎされたら、正直たまらんのです。


では、皆さん、まずは、各自で計算をしてみて確認をしてみてください。

算数の土台を以下に準備しておきます。

合併症の発生する確率をpとする。 ただしp<0.05
検査の試行回数をNとする。
このとき、すくなくとも一回は合併症が発生する確率をf(N)とする。

すると  f(N) =1-(1-p)^N となる。

ここで、p → 0 のとき (1-p)^(-1/p)  → e  なる極限の関係を上式に利用することを考えるべく、式変形を行えば、次のようにできる。

      f(N) = 1-{(1-p)^(-1/p)}^(-pN)
          ≒ 1- e^(-pN) ・・・・・・・・・・・・①

①式を使えば、問題の計算は比較的容易にできるであろう。

続きは、続編で。


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院内暴力増加中 [医療記事]

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今朝の読売の記事を本日のエントリーとします。

横暴患者に大学病院苦悩、昨年は暴力430件暴言990件
8月19日3時11分配信 読売新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070819-00000001-yom-soci
(魚拓)http://megalodon.jp/?url=http://headlines.yahoo.co.jp/hl%3fa%3d20070819-00000001-yom-soci&date=20070819090209


 全国の大学病院で、昨年1年間に医師、看護師が患者や家族から暴力を受けたケースは、少なくとも約430件あることが、読売新聞の調査で明らかになった。理不尽なクレームや暴言も約990件確認された。病気によるストレスや不安が引き金となったケースも含まれているが、待ち時間に不満を募らせて暴力に及ぶなど、
患者側のモラルが問われる事例が多い。回答した病院の約7割が警察OBの配置などの対策に乗り出しており、「院内暴力」の深刻さが浮かび上がった。調査は、先月から今月にかけ、47都道府県にある79の大学病院を対象に行い、59病院から回答があった。このうち、何らかの暴力あるいは暴言があったと回答した病院は54にのぼる。暴力の件数は約430件、暴言・クレームは約990件。暴力が10件以上確認されたのは6病院、暴言・クレームが50件以上あったのは5病院だった。

読売今朝の社会面には、ネット記事よりも詳しく書いてあります。そこからも一部引用してみます。

患者からの暴力の例  
・医師が、時間外に入院を希望した緊急性のない患者を断ったところ、缶コーヒーを投げつけられ、顔を殴られた。
・医師が、「説明がわかりにくい」と腹を立てた患者から、聴診器で首を絞められた。

患者からのクレームの例
・病院玄関で転倒して打撲した患者が、「施設のせいだ」と、診療費の支払いを拒否した。
・希望した検査で「異常なし」と判明した患者が、「何ともないから」と支払いを拒否した。

H大病院は、小さなミスをとらえて「謝罪しろ」「賠償金を」とクレームをつけてくる人が多く、医師や職員のストレスや過労につながっているとしている。

自己責任を忘れた日本社会の一面でしょうね。医療業界に限ったことでなく、どこの業界でもきっと同じような問題をかかえているのでしょう。 関連エントリー(No.79) ああ、モンスターペイシェント

ただ、医療業界は、クレームに打たれ弱い側面は否めないかもしれません。 前エントリー(No.71)より 苦情対応力って必要?  から引用です。

さて、医師の世界に目を転じると、そこにも形こそ違え、苦情が横行し始めてきたようです。私が担当しているのは、主に歯科ですから、そこの例で申し上げます。
(途中略:入れ歯のクレーム例が紹介される )
しかし、そのように常識的に考えてくれない人たちが、増えてきていることは心しておかねばなりません。平行して、医師に対しても、

クレーマーらしき人間が増えだしてきました
(途中略:クレームの具体例がいくつか紹介)
医師もこういうクレーマーにぶつかると思考回路が止まるようです。どうしていいのか、わからなくなる。学校の教師と同じです。その結果、どうなるでしょうか。教師については、前に述べたとおりですが、歯科医師も同じように精神科の門を叩いています。その原因は、
苦情への対応が未成熟、つまり、「苦情対応力欠如」の問題となるでしょう。
(途中略)
教師と医師は、現代社会において、あるいは
「気の毒な人」なのかもしれません。

さて、このような社会背景の中で、一方では、米国直輸入盤の「謝罪マニュアル」を病院に正式に導入しようという記事がでていました。 関連エントリー(No.88) 謝罪マニュアル中の「責任」

下手な謝罪は、かえって権利意識の高まった患者側をより高圧的なものにしてしまわないか危惧されます
ただし、上手な謝罪は有効だと私は思います。ほんと、難しいところです。 

日本の医療は、アクセスにおいて世界一です。 皮肉なことに、このことが、医療は「ありがたいもの」から、医療は「当たり前のもの」であるという民意が形成されてしまったように思います。この意識があるからこそ、ささいなことで不満を生み、それがクレームへと発展するのでしょう。 

患者を「性善説」でなく「性悪説」に基づいて、対応しなくてはいけなくなったきたような気がします。
悲しい社会です。

つい、最近の自分の当直でも、24時間通しで患者を診療し続けているなか、その最後の方で、自分の心が折れる出来事がありました。 それは、患者のクレームでした。 緊急性のない症状で、深夜にやってきて、勝手に救急外来のベッド使い、看護師の点滴を痛いと罵倒し、私の問診には、一切答えようとせず、「カルテを見れば分かるだろ!何だ、この医者は!」と私を罵倒し、挙句の果てには、会計もせずに勝手に帰ってしまいました。

こういう患者に出会うたびに、医療者のモチベーションは確実に磨り減っていきます。それは、次の患者に間接的に影響するかもしれません。 こういうことに疲れて、現場を去っている医療者もきっといることでしょう。

こういう社会情勢の中、自分の生き方は、自分の責任で選んでいかなねばならないと思う今日この頃です。


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患者の自殺と医師の自殺 [医療記事]

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自殺は、社会問題の一つとして、大きな問題である。 毎年3万人強の人が、自殺によって命を失っている。

もし、裁判の場において、ある自殺がある過失と因果関係があると認定されれば、損害賠償という責任を負わされる。

つまり、              

過失   ⇒   自殺という結果         

            ↑         

       因果関係

という図式が成立する場合に、損害賠償責任が生じるのである。
さて、この背景を踏まえて、ある2つの訴訟例をみてみよう。 

「誤診」で男性患者が自殺 病院に過失、地裁が賠償命じる判決
2000.02.26 東京朝刊 28頁 (全688字) 
 ○市内の男性が、入院先の病院で首をつって自殺したのは、実際はうつ病だったのを神経症と誤診されたのが原因などとして、男性の遺族が、診断した二病院を相手取り、総額約一億五千万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が二十五日、○地裁であった。大和陽一郎裁判長は「
うつ病を疑うべきだった。症状に合わせた措置を取らず、自殺を防止できなかった過失がある」として、二病院合計で約七千五百五十万円の支払いを命じる判決を言い渡した。支払いを命じられたのは、N病院とH病院。
 判決によると、同市内の自動車販売修理業の男性(当時三十六歳)は、一九九三年二月から、頭痛や肩こりを訴えN病院に通院していたが、
刃物を持って錯乱状態に陥るなど、うつ病と疑われる症状があったにもかかわらず、同病院はつ病よりは軽い症状の神経症と診断した。その後、男性は九四年九月十一日、H病院に転院したが、N病院は、男性の症状を「ヒステリー」と記載した紹介状を書いた。H病院も、男性の精神状態の検査や診察を行わず、精神安定剤を注射しただけで隔離室に入院させたが、男性は同日深夜、引き裂いた衣服を鉄格子にかけ、これに首をつって自殺した。
 大和裁判長は、N病院について、
症状からうつ病を疑うべきだったにもかかわらず、それを怠った過失があるとした。H病院については、慎重な検査を尽くさず、十五分おきの看護婦巡回を怠った過失がある、などとした。判決について、N病院は「弁護士と相談して今後の対応を決めたい」とし、H病院は「担当者が不在でコメントできない」としている。 読売新聞社

かなり、いけてないと私が個人的に思うところ。
刃物を持って錯乱状態に陥るなど、うつ病と疑われる症状
素直に読むと理解不能です。 ええっと、双極性うつ病の、そう状態だったのでしょうか? 

うつ病よりは軽い症状の神経症
うつ病と神経症を同列に並べて症状の重さを比較することは、心不全と心筋梗塞の症状の重さを比較するようなものです。つまり、病状が一部オーバーラップすることはあっても、根は異なる疾患である以上、その症状のみで比較することが無意味であるということです。

この裁判は、二つの病院に、損害賠償の判決を出しています。 つまり、過失と自殺の間に上記図式が成立するという判断です。 みなさんは、いかがでしょうか? 私には、この記事だけからでは、とても因果関係を見出すことができません。 こんな物言いをされたら、何でもありじゃないですか?? 

患者が病院で自殺すると7500万円だそうです。では、医者が病院で自殺するとおいくらでしょうか?
次の判例です。

医師自殺の賠償請求棄却  予測できないと△地裁
2003.03.25 共同通信 (全441字) 
 M病院に勤めていた医師の夫=当時(42)=が自殺したのは、過労を知りながら放置した病院の責任だとして、H市の妻(39)ら遺族が日本赤十字社(東京都港区)に約二億円の損害賠償を求めた訴訟の判決が二十五日、H地裁であり、山垣清正裁判長は原告の訴えを棄却した。
 判決理由で、山垣裁判長は「
医師が担当外の女性患者を診療したのは自責の念に駆られた自発的行為」と指摘。自殺は過労によるものと認めたが「病院側は自殺を予測する具体的危険性を認識できず、不測の事態を防止する措置を取る注意義務違反があったとは言えない」とした。
 判決によると、医師は一九九六年七月から同病院内科に勤務。八月、女性患者が検査後に危篤状態になったことについて、責任が自分にあると強く感じ、連日病院に泊まり込むなどして患者を診療した。このため精神的、肉体的に疲労し、十二月に病院内で自殺した。
 遺族は九七年一月、XX労働基準監督署に「過労自殺」として労災申請し、九八年七月に認められた。

私は、この記事を読んで、思いっきりブルーになりました。 医師の場合は、自分で勝手に死んだだろ、という認定がされています。自責の念に駆られた自発的行為で自殺をすること自体が、まさにうつ病という病気ではないでしょか?
これは、前述の判例を言い分を適用すれば、病院は、職場状況からうつ病を疑うべきだったにもかかわらず、それを怠り、勤務を継続させた過失があるともいえませんか?

患者が病院で自殺すれば7500万円。一方、医師が病院で自殺すれば、0円。
・・・・・・・・・

まあ、もちろん、新聞記事には出ていない個々の背景があってのこれらの判決だとは思います。ただ、二つを並べてみると、日本社会は、医者を大切にしない社会なのだなあと思います。


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謝罪マニュアル中の「責任」とは [医療記事]

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さて、今朝の新聞紙面では、ハーバードの有名な謝罪マニュアルをマスコミがネタにしています。

興味のある方は、原文を直接ご参考になさるのがよいでしょう。 (私は見ていません)

翻訳版もありますが、翻訳上の問題点を指摘されている人もいます。 ↓ 翻訳はこれです。

(ハーバード大学病院使用)医療事故:真実説明・謝罪マニュアル「本当のことを話して、謝りましょう」 翻訳:東京大学 医療政策人材養成講座有志「真実説明・謝罪普及プロジェクト」メンバー

本日の読売から。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070814-00000001-yom-soci

医療事故「謝罪マニュアル」、社会保険連系列病院に導入へ
8月14日3時7分配信 読売新聞

 全国で52の社会保険病院を運営する「全国社会保険協会連合会」(全社連、伊藤雅治理事長)は、医療事故が起きた際、患者本位の姿勢で対応する方法を示した米国の「医療事故・真実説明・謝罪マニュアル」をグループ病院で実施することを決めた。医療事故の際、患者側に十分な説明をしない病院が少なくない中、大手病院グループが謝罪マニュアルの実施に踏み切るのは初めて。「謝罪マニュアル」は米国のハーバード大医学部の関連16施設で用いられており、昨年3月に発刊された。日本では同11月に翻訳されている。

 同マニュアルは、医療事故が発生した際は、隠さない、ごまかさない、逃げない姿勢が正しいと強調。
〈1〉過失の有無が不明な段階でも、分かる範囲で状況を説明し、
責任があることを表明する
〈2〉遺憾の意を表す
〈3〉過誤が判明した時は謝罪する
〈4〉再発防止策を示す
――などの対応方法を具体的に示している。

さて、これは、とうぜん要約ですので、読み手が誤解することも十分にあり得ると思います。

ブログ主が危惧していることに、「今の現代社会は、どこか自己責任というものを忘れてはいないか?」ということがあります。 ですので、こういう記事が、新聞という形で、世間に公にされるとき、自己責任感を持たない人が、ますます医療に対して、その責任を理不尽なまでに押し付けはしないかと不安になります。

つまり、「責任」という言葉の独り歩きが、最も懸念されます。

一般に、医療事故で、「責任」という言葉を使う場合は、それは、「過失を認めて賠償を行い、謝罪をする」という意味に解釈されるのが、一般社会の中での平均的な解釈だと私は思っています。

つまり、この平均的解釈の中で、〈1〉を読んだ場合は、
「医療の中で起きた悪しき結果は、すべて、医療者側が賠償をおこうなうべきだ」と解釈する人も出てくると思われます。 それは、由々しきことなので、本エントリーでは〈1〉について原文をもとに補足解説をしておきたいと思います。 以下は、原文の該当箇所の引用です

少し考えてみると、医師が有害事象に関してまったくなすすべがないような状況において、その事故に責任を負わなければならないというのは変なことに思われるかもしれません。このような場合、責任をとるということは単に罪過を負うということを意味しているわけではありません。おそらく多くの要因が医療事故に関わっており、その要因の多くはだれにも統制できないものです。しかしながら、医療チームのリーダーとして、医師は当該の患者さんに医療を提供する医療システムになくてはならない部分です。患者さんやご家族が、医師が医療行為に責任がある人物であると考えることは理解できます。患者さんは、主治医に気遣いや慰めを当てにしており、物事を自分たちのためにうまく動かしてくれると期待しています。患者さんは、だれかが責任を持って状況を統制していることを知りたいと考えているのです。
 医師や病院幹部が医療事故の責任を負うときには、将来の行動に対する責任を受け入れているのです。すなわち、
医療事故の原因を見つけ出そうと試みたり、患者さんやご家族に情報を伝えたり更新したり、そして有害事象の合併症を監視したり管理したりします。彼らは、将来に同様な医療事故が他の患者さんに起きるのを予防するために、可能なことは何でも行なうという病院の責任について知らせます。
 もし医師が有害事象に直接関わっていたならば、その医師は自分自身の役割に対して責任をとらなければなりません。しかし、また、有害事象が起きるのを助長したシステム上の要因についても説明するでしょう。しかしながら、「システム」を非難すべきではありませんし、「システム思考」のような専門用語を責任の回避をするための言い訳に用いてはなりません。

いかがでしょうか?このマニュアルの中で述べられている病院の「責任」とは、一般社会の中で普通に使われている「責任」とは、ちょっと違うと思えませんか?私には、「患者や家族から逃げずに、病院として真摯に話し合っていきますよ」という意思表示のことを「責任」と表現しているように思えます

病院で、患者が死ねば、病院のせい(=病院の責任)と言われかねない今の世の風潮を憂えているブログ主の感想でした。


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脳梗塞という地雷(ある医療訴訟より) [医療記事]

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脳梗塞は、脳の血管が詰まることにより、脳血流が途絶え、様々な身体症状がでる病気だ。 血管の老化現象とも言える動脈硬化がその背景にあることが多い。 時間外診療においても、脳梗塞患者に遭遇することは多い。 もちろん、患者は、「私は脳梗塞です」というプラカードを掲げて、我々の前にやってくるわけではない。 我々は、患者の訴える多彩な身体症状から、その症状が脳梗塞かどうかを考えることを求められているわけである。 この思考プロセスは、確率論に準じており、 どんなに名医であっても、たとえ経験のあさい研修医であっても変わらない。  参考エントリー → 診断とは確率にすぎない 
脳梗塞ならではの診断の特徴としては、 発症早期では、頭部CTで診断が付かないということである。 これが、出血系の脳卒中( 脳出血、クモ膜下出血など) と決定的に異なる点である。 脳組織が死んで、脳梗塞ができあがってくると、CTでもはっきりと診断できるようになるのだ。 

このような画像特性から、 脳梗塞という疾患も、 後医は名医 (後知恵バイアス)なる人間の認知バイアスゆえに、「誤診だ!」と言いがかりをつけられる可能性がある。そういう意味において、脳梗塞も地雷的であるといえる。 ただ、脳梗塞は、帰宅させてすぐに突然死することは少ないので、横綱級の地雷疾患( 参考エントリー → 地雷番付表   後知恵バイアスについて 本当に腸炎でいいですか? )ほど、訴訟は多くないのかもしれない。 

それでも、こんな脳梗塞に関する訴訟記事を、見つけることができた。新聞社で書き方の違いを眺めるのもいいだろう。 あいからわず診断ミスなんて言葉を使っている新聞社もある。ほんとうにどうしようもないと私は思う。「診断ミス」という表現を公の場で使っているのをみたら、その使っている人や組織の見識を疑うべきである。読者が相手にしなくなって、初めてそういう見識のなさは、組織として改善をしようとする気になるのかもしれない。皆様方のご協力を期待したい。

医療過誤:診断ミスで後遺症 日赤と医師に2189万円賠償命令--地裁/岡山
2005.06.14 地方版/岡山 25頁 (全519字) 

適切な診断を怠ったため脳梗塞(こうそく)の後遺症が残ったとして、瀬戸内市の女性(63)が日本赤十字社(東京都港区)と岡山赤十字病院(岡山市青江2)の男性内科医に約3036万円の損害賠償を求めた訴訟で、岡山地裁(金馬健二裁判官)は13日、女性の主張を認め日赤と内科医に計約2189万円の支払いを命じた。判決によると、女性は02年6月16日、口の周りにしびれを感じるなどしたため同病院で受診。内科医と研修医はCT検査などの結果から「異常なし」と診断、女性は帰宅した。しかし翌17日昼、右手が動かしにくくなり、別の医師が「軽い脳梗塞」と診断。夕方には更に症状が悪化して別の病院に移り、同8月19日まで入院したが、右上下肢不全まひが残った。女性側は「経験の浅い研修医に任せず、MRI撮影をした上、入院させて初期治療をするべきだった」などと病院側に過失があったと主張。病院側は「問診や当時の症状を前提にすれば、診断に過失はない」などと反論したが、
金馬裁判官は「適切な問診やMRI検査を怠り、早期に治療しうる機会を逸した」と退けた。岡山赤十字病院の石原一夫事務部長は「判決文を見ていないので、コメントは差し控えたい」としている。【横山三加子】 毎日新聞社
岡山の後遺障害訴訟 日赤と医師の過失認定 地裁「2100万円払え」=岡山
2005.06.14 大阪朝刊 35頁 (全538字) 

瀬戸内市の女性(63)が岡山赤十字病院(岡山市)で診断ミスによって適切な治療を受けられずに右半身に後遺症が残ったとして、日本赤十字社(東京)と担当医に慰謝料など約3000万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が13日、地裁であった。金馬健二裁判官は
「病院にはMRI(磁気共鳴画像)の機器があり、検査が実施されていれば後遺障害を防げた」として病院側と医師の過失を認め、約2100万円の支払いを命じた。判決によると、女性は2002年6月、口元のしびれを訴えて岡山赤十字病院でコンピューター断層撮影法(CT)と血液検査を受けたが、担当医から診察を任された研修医から出血や血液の異常はみられないと診断され、帰宅した。翌日、右手を動かしにくくなったため、別の病院でMRI検査を受けたところ、脳こうそくや高脂血症などと診断された。女性は退院後もリハビリテーションを続けたが、右手や右下肢に後遺症が残り、県から身体障害者の認定を受けた。金馬裁判官は、「(担当医は)適切に問診していれば脳こうそくを疑えたにもかかわらず、研修医に任せきり、経過観察入院もさせないで早期に治療する機会を逸した」と指摘した。岡山赤十字病院の石原一夫事務部長は「判決文を見ていないので、コメントは差し控えたい」としている。読売新聞社

う~ん、どうかなあ、この判決、という感じです。 まず、毎日新聞社の見出しが最悪ですね。診断ミスという表現は、家族の主張に過ぎないわけで、見出しにこう書くこと事態、すでに中立性を欠いています。おそらく、診断ミスという言葉で、読者の気を引かせようという腹ですか。本当に情けないと思います。

まあ、それはそれとして、これは、典型的な「後医は名医」型の判決ですね。 裁判官自身、この認知バイアスに関して知識を持っているんでしょうかね?

意識も清明で、バイタルにも問題なく四肢麻痺もなく口のしびれのみの症状で、いったい初療の医師は、どこまでやればいいでんすか? 同じ症状であっても、上記裁判例のような臨床経過を取る人ばかりではないのですよ。 そこは、まったくの確率です。 それは、人という生物の自然現象であり、だれも制御できません。 

これは、研修医でなくても、同じ判断をする医師はたくさんいると思います。 研修医だから判断を誤ったという誤った先入観はありませんか? 
MRをとればと安易に言いますが、それはそれでいろいろな事情があるものです。平均的には、どこの施設でもCTよりも敷居が高い緊急検査だと思いますが。

私は、こんな訴訟に巻き込まれたいとは思いません。 普通の医師ならそうでしょう。 

それなのに、一部では、こんな発言をする人もいるそうです。 私も許せません。 akagama先生のブログより: 俺は国谷裕子を許さない からの引用です。

訴えられることが怖くてリスクのある医療をしない。これは医師として責任を放棄しているように、やはり思いますけれども

安全地帯にいる人間から、こんなことを言われるのは、心外です。 きわめて不愉快です。 医師に対する侮辱だと思います。謝罪報道をしてほしい。

私は訴訟が怖いです。 それはいけないことですか? だから、リスクのある医療はやりたくありません。 ですが、今の自分の医療は、責任をもってやっている自負はあります。 そして自分の経験が、少しでも多くの医療者と共有できてそれがよりよい診療につながればという思いで、このブログを書き続けているのです。 

報道関係者の皆様、 もし、あなた方の行った報道がもとで、あなたがそれで、容易に聴衆から訴えられるという社会システムにかわり、そして、部外者からこのように言われたら、どう感じますか?

訴えられることが怖くてリスクのある報道をしない。これは報道者として責任を放棄しているように、やはり思いますけれども

これと一緒でしょ。 ただ、単に報道者は訴訟から守られ、医者は守られていない。ただ、それだけでしょ。

すこし、話題がそれましたが、 訴訟に巻き込まれないためには、 医学的なことのみならず、患者側の心理背景を読みぬき、交渉術、コミュニケーション術を培っていくしかないでしょう。そういう勉強もしておく必要があるでしょう。 


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泣かせてあげてますか? [医療記事]

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我々医療者は、適切な医療を提供するという社会的な責務がある。当然のことだ。世間の我々に対する要求がいくら厳しくなろうが、この建前は変わる事はない。
適切な医療行為とは、何も救命をすることだけではない。ある患者の病状を、その時その場にその個々の患者に相応する医療水準において、助かるのか、助からないのか? のジャッジを行い、結果、助からないと判断したときは、その別れの場をどのようにセットアップしていくのが良いのか? そんなことにも配慮する必要があるのでないか

言うのは簡単であるが、行なうは難しである。

このような配慮をするにあたり、医学という自然科学の思考に加えて、患者や家族の社会背景や価値観、現代社会の一般倫理観など、様々な要因を加味して、個々の症例において様々な配慮が要求される。かなり高度な総合的な人間力を要するといえるのかもしれない

本日のテーマは、患者と家族の別れの場について触れてみたい。

症例  88歳女性  発熱、呼吸困難

88歳女性が、重症肺炎でICUに入院となった。 受け持ちは、医師2年目の私だった。  数日前から全身倦怠感を訴えていたとのこと。ある日、たまたま来訪した孫娘が、元気のない患者の様子に気が付き、救急搬送となった。 WBC 23000 CRP 45。 右肺野には著明な浸潤影。 脱水も著明。 翌日、呼吸状態悪化し、人工呼吸管理となった。さらに、翌日、血圧低下と尿量減少が出現。 

私と当時のチーフレジデントは、この時点で、ギアチェンジを図った。 つまり、「助ける」から「看取りへ」のギアチェンジである。

その日、私はたまたま当直明けだった。 当時の私には、殆んど徹夜の救急外来当直が月に7~8回課せられていた。しんどかった・・・・・。

それでも、その日の昼14時ごろ、 ICUの個室で、私が家族(娘)に病状説明を行なった。  

私の話を聞いていた娘が泣き出した。 当時の私は、その涙を無言で受け止めるだけだった・・・。私はどうしたらいいのかよくわからなった。

私は、この患者を自分で看取りたかったので、当直明けでふらふらであったが、家へ帰らずに、医局のベッドで仮眠した。

眠りに付いたと思ったら、17時ごろ、ポケベルがなった。ICUからだった。 患者の孫娘(看護学生)が、説明を聞きたいとのことであった。

今の私なら、さっさと説明の窓口は家族のキーパーソン一人に統一するので、たとえこのように言われても冷たく拒絶するかもしれない。
が、当時の私は、何も考えずに、はいはいと、ばかみたいに同じ説明を孫娘にも行なった。

そのときすでに患者の状態は、ほとんど尿量もなく、昇圧剤もほぼマックスにもかかわらず血圧は低空飛行であった。

「今晩だな・・・・」 チーフレジデントの予測だった。
チーフレジデントの計らいで、看取りのための個室が一般病棟に用意された。 

そのときだった。孫娘から、突拍子もない申し出がなされた。

「死後の処置に私を参加させてください。私、一度も人の死に目に出合ったことがないんです。お願いします。」

「え・・・」 ちょっとびっくりした。 でも、その希望に答えてあげたかった。チーフレジデントのOKをもらい、看護師サイドへは、私が交渉してOKをとりつけた。

チーフレジデントの予測どおり、患者は、その日の夜、逝った。 私が死亡宣告を行なった。 孫娘は、希望通り死後の処置に加わることが出来た。

患者を看取る経験がまだまだ乏しかった当時2年目の私の経験をベースに、一部に脚色をいれた話でした。
この患者家族からは、後日、すごく感謝されて、孫娘からは、丁寧なお礼の手紙までいただいたケースであった。

当時の私は、チーフレジデントの指揮下で、ちょろちょろ動いただけあったが、今振り返ってみると、患者と家族の別れの場のセッティングが非常にうまくいったケースではないかと思う。

人生の実力  柏木哲夫先生著 から引用する
予期悲嘆というのは、患者さんの死を予期して家族が悲しむことをいう。(中略) 予期悲嘆に関しては様々な研究がなされているが、
非常に重要なことは、予期悲嘆のプロセスにおいて、十分に悲しんでおけば、死別後の立ち直りが早いということである。(中略) 例えば、ホスピスで家族のケアをする時に我々が注意している点が二つある。一つは、「泣くこと、悲しむことはいいことだ」という知識・概念をこちらがしっかり持っていること。二つ目は、家族に十分に泣いてもらう、悲しんでもらうこができるような環境と時間を提供する、という姿勢である。

この本を読んだ後、私の上記経験を振り返ったとき、なるほど、偶然にも柏木先生が指摘するような配慮が見事に行なわれていたケースだったからこそ、家族があそこまで感謝してくれたかなあと思っている。 まとめます。

本日の教訓
家族が十分に悲しめる環境をセッティングしてあげるのも時に重要である。

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当直について考える [医療記事]

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多くの医療施設において、勤務医の勤務体制は、昼間通常に働いて、そのまま当直に入り、そして次の日も通常勤務を行なうというのが実情である。多くの医師達は、そのような勤務体制が法的に明らかにおかしいにも関わらず、その不条理な勤務体制の中、献身的な医療を行なっているのではないだろうか?
下図は、医師の当直例と、その間の看護師勤務体制の比較図である。

ご覧の通り、看護師勤務が5シフトの間に、医師はずっと一人で働き続けるのだ。 実は、「当直」という勤務体制は、働かないのが前提で、いざ働く場合には、別途、時間外手当てが出るというのが、法律上の建前である。このあたりの考察は、いつも勉強させていただいているYosyan先生のブログがベストでしょう。そこから、「当直」の建前を引用する。

http://d.hatena.ne.jp/Yosyan/20070516より引用

常態としてほとんど労働する必要がない勤務のみを認めるものであり、病室の定時巡回、少数の要注意患者の検脈、検温等の特殊な措置を要しない軽度の、又は短時間の業務を行うことを目的とするものに限ること。したがって、原則として、通常の労働の継続は認められないが、救急医療等を行うことが稀にあっても、一般的にみて睡眠が充分とりうるものであれば差し支えないこと。なお、救急医療等の通常の労働を行った場合、下記3のとおり、法第37条に基づく割増賃金を支払う必要があること

多くの勤務医たちは、自分達が、まともに現行法規で行動すれば、今の医療体制が回らないことを知っている。おそらく、管理者側も、そして元締めの厚労省もわかってはいるが、あまりにも公言してしまうと、国民の要求に答えられなくなるので、黙っているのだろうと私は考えている。昨年、奈良の産婦人科医師たちが、病院に過去の時間外労働分を請求する訴訟を提起しているはずだが、この問題は、大淀病院とは異なり、マスコミはあまり報道しないようだ。マスコミはなぜ報道しないのか? これを報道する都合が悪いと思っているのではないのか? そう勘ぐりたくなる。

今後、この問題に関しては、医師側のほうから、きちんと
できないものはできない
とまず声を挙げて、何も知らない一般の方々の意識を変容させていく必要があるかとは思う。

もう、今の世の中、皆さんのために
全力でがんばります
は通用しないのでないか。 あるいは、逆説的かもしれないが、できないと声を挙げることが、結果的には、国民の医療の要求に答えられることになりはしないだろうか?なぜならば、過酷な当直勤務に耐えられず、多くの勤務医たちが今次々と現場を立ち去っているのだから。

さて、今回の産業医研修を通して、今労働者の、過重労働問題が、産業医業務の一つとして大きくクローズアップされているということを知った。それには、労働安全衛生法が改訂され、昨年の4月より施行されていることが大きい。

改正労働安全衛生法のポイント

事業者は、労働者の週40時間を超える労働が1月当たり100時間を超え、かつ、疲労の蓄積が認められるときは、労働者の申出を受けて医師による面接指導を行わなければなりません

過重労働は、身体的には、心血管病変を突然発症させるリスクを上げる。急性心筋梗塞やくも膜下出血などが該当する。いわゆる、地雷的疾患だ。 そして、メンタル的には、うつ病、ひいては、過労死自死を誘発させるリスクを上げる。
ちなみに、ここ数年の医師の自殺数は、90人で推移していることのこと。 推察するに、法的に違反した当直勤務体制による過重労働がかなり影響しているものでないかと思案するしだいである。

このようなリスクマネージメントとして、医師(現実的には産業医)による面接が法で強制されることになったのであろう。
では、今後病院はどうするのか?いたるところで、
医師の医師による面接
が必要となるのではないか? 

ブログ主の勤務する病院では、昨年より各医師に自分の残業時間を自己申告するようになっているのだが、この法改正のためであったのかもしれないと気がついた。

私は、面接を受ける側ではなく、面接をする側に回りたいと思う。 


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ああ、モンスターペイシェント、ファミリー [医療記事]

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最近、教育現場で、理不尽な要求を突きつける親達のことをモンスターペアレントと呼称するようになったようだ。このような、クレーマー的な人種が増えてきた社会背景には、いろんな要因があるであろう。私個人的には、便利になりすぎた現代都市化社会そのものが、大きいと思っている。

さて、この教育現場の荒廃ぶりは、そのまま今の医療の現場にも当てはまらないだろうか?

我々が、一生懸命患者のために良かれと思ってやった医療行為が、残念な結果に終わってしまったとき、患者家族から、感謝されるどころか、訴訟され損害賠償を請求される、訴訟とまではいかなくても理不尽なまでの謝罪を要求されるなどなど、医療者の心に深い傷を負わせる仕打ちを行なう人たちが増えているような気がするのだ。

そのような患者やその家族達を、モンスターペイシェント、モンスターファミリー と呼称できるのではないだろうか?だれも今までに言ってなければ、私は、いまここでそういう言葉を提唱したい。

医療者側から、こんな物言いをするとは許せんとお怒りの方もおられるとは思う。それでもあえて私は提唱したい。
やはり、理不尽なものいいには、毅然とそれは理不尽だと主張することが、結局は、医師の心の健康にプラスになり、ひいては貴重な医師という人材がドロップアウトしないための方策となると私は信じているからだ。

大多数の善良な方々は、我々医療者と良好な関係を築ける人達だとは思う。 しかし、ほんなわずかでも理不尽な人のために、一人の医師の心が折れたとき、多くの関係ない善良な人たちがその医師から享受できたであろう医療が受けられなくなってしまうのだ。

なお、医療者の中にも、一部、モンスタードクターと言われても仕方がない人もいるということも正直に申し上げておく。しかし、一般の方々と同様に少数派だと思う。 少なくとも、マスコミ報道自体に、明らかに歪曲性、偏向性という問題があり、その結果、実際以上に不当なまでに医療者が極悪人であるかのようなイメージを自然と世間の人々に植えつけられてしまうという視点を忘れないほしい。

あるモンスターペアレントについて述べたブログをたたき台にして以下のような文を作ってみました。

以下は、 ああ、モンスターペアレント が原文です。 

モンスターファミリーが、さまざまなマスコミで話題になっている。
理不尽な要求を病院へ突きつけ、謝っただけでは許してくれず、すぐ「訴える」というのが彼等の常套手段である。現場にいる医師は、このようなファミリーが一人でも病院にいれば、正常な医療活動ができなくなる。 
でも、私がブログで今まで何度も書いてきたように、このような事態は今に始まったことではない。 
ますますひどくなっていることだけは事実であるが、私は、もう正常な医療活動ができないほどにひどくなっていると思っている。 
もちろん、いつも言うことだが、モンスターファミリーの問題は、氷山の一角である。 
その裾野には、直接理不尽な要求を突きつけないが、そのように思っている患者達はごまんといるのである。 例えば、次のようなことだ。 
ーー子供を自宅まで迎えに来て、病院まで連れて行ってほしい。 
ーー子供は熱があってきつそうだけど、自分は忙しいので子供を病院へ行かすから何とかしてほしい。 
ーー子供は、点滴が嫌いなので、治療から、点滴を除いてほしい。 

驚くにあたいしない。こんな話題などいくらでも事欠かないのである。 一体、この問題は、何なのだろうか。 ここには、病院の捉え方の変化が大きくある。 つまり、病院は、「診て」ー「治す」という医療機関ではなく、医療サービスを受けるサービス機関と考えられているということだ。 病院は、自分たちが税金を払って成り立っているのだから、サービスを受けるのは当然であると考えるのである。 患者たちの「治療」の場という考え方が、恐ろしく遠のいていっている。 もちろん、このような考え方があるのは、患者たちだけではない。 医療行政でも、医療を「商品」化して考えているところがある。 だから、この考え方は、患者達にも徐々に浸透していっている。 モンスターファミリーの問題は、同時にモンスターペイシェントの問題でもある。 それは、比例して膨れあがっている。 地区の弁護士と相談して病院を援助してもらう制度が確立していかなくてはならない。 そうしなければ、病院で正常な医療活動などできないのである。 だが、問題は、モンスターペイシェントである。 私たち医師にとって、こっちの方が、より深刻である。

私達医療者が教師と違い、難しいところがある。それは、相手の感情や行動を、疾病という視点で、医科学者のような冷静な視点からも、相手を見ておかないといけないということだ。 そういう目で眺めて、治療可能な病気が原因(器質疾患、精神疾患を含む)が見つかれば、それはそれで医療を必要とするのだ。 相手をモンスターと判断して、毅然とした態度に切り替えるのは、そういう冷静な視点を通過したうえでのことでないといけないのだ。 そこが教師と決定的に違うと思う。


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心に響くブログ紹介 [医療記事]

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たまたま、出会ったブログです。 非医療者の方のようです。 散発的に医療関連のエントリーを入れられておれますが、実に興味深くかつ感動的な内容であったので本日ここでもご紹介させていただくことにしました。他のエントリー等から推察するに、WEBデザイナーの方でしょうか。

マスコミの問題、医療政策の問題、個々人の心の問題 など 医療従事者のモチベーションを打ち砕く諸問題に対して、非医療者の立場の方から、このような声が上がることが大事ですね。医師たちだけが言えば、「かばいあい」などという疑義をかけられかねないですからね。

一部関連エントリーのご紹介とそれらの中から抜粋して一部だけ文章の引用をさせていただきます。

問題なしじゃ駄目なの? 2007/5/4

あまりにも今の医療が進んだ結果、不幸な事例は起こらない、起こるとしても見知らぬ他人にであって、自分や自分の家族に起こるはずがないと思うようになってしまったとか、あるいは、医師の対応が冷静すぎる、それってプロフェッショナルってことだと思いますが、とにかく親身に見えなかったとか、家族を失ったことがあまりに辛いから、誰かを恨まないと耐えられないとか、理由はあるのだと思います。けれど、そう思いこんでしまって、大丈夫、問題ありませんでしたという、本来、ほっとするはずの結論を受け入れられず、怒りと憎しみを抱き続けるとしたら、これは誰にとっても不幸なことなんじゃないでしょうか?仮に、その主張が通って、本来仕方なかったことなのに、医師が罰せられたとしたら。それで家族はすっきりするでしょうか?勿論、家族は、医師のせいだと思ってるとして、それでも、亡くなった人は帰ってきません。その痛手は、別の誰かを叩いたからって消えるものではないでしょうし、そういう結果になってしまえば、家族にとっては永遠に、失った人は、手を尽くしてもらったけれど不幸にして亡くなった人ではなく、防げるはずだったのに殺されてしまった人になる訳です。そして、一方では、その医師は家族の遣り場のない怒りのぶつけ先として、人生を狂わされ、その医師が救えるはずだった人は、救われなくなります。本当にミスがあったのなら、当然、医師は責任を負うべきです。必要な処罰も受けるべきです。ですが、その前提として、ミスがあったのかなかったのか冷静に調べ、あったという結論を医師は誠実に受け止めるべきであるのと同様に、なかったという結論も、家族もマスコミも警察も司法も国民も、虚心坦懐に受け止める覚悟が必要ではないでしょうか?それがなく、最初に結論ありきだとすれば、それは真実を明らかにする行動ではなく、単なる魔女狩りになってしまわないでしょうか?

医療崩壊 2006/11/20

マスコミは、医者が患者を助けたいと思っているという当たり前のことすら否定し、患者を殺すのは病気じゃなくて医者だとでも言いたげな報道を繰り返して、医者と患者の間に、不信、疑念、敵対の種を播いて、信頼関係をぶち壊し、日本の医療を絶滅においやった責任なんか取る気ないのでしょうけれど。
そのとばっちりを受けた私の知人は何処に行けばいいのでしょう。

特大の春一番  20007/3/1

今、頑張っておられる医師の方々に、なんとか技術と知識の継承をお願いしたいところですが、今なお医師は儲け主義で威張っていて悪人というステレオタイプな見方をし、人を殺すのは病気であり、怪我であるのに、医師が殺すのだと生物の摂理を無視した非難を浴びせる人々があり、どれ程頑張っても結果が患者や家族の気に入らなければ訴えられる、警察に捕まる、マスコミの集中砲火を浴びるという状態で、どれだけの人が現場に踏ん張り続けられるでしょう。本当は、問題はとてもシンプルなことだと思うのです。医師だって人間であり、完璧にはなりえないこと、休養、報酬、理解、感謝がなく、敵意と侮蔑だけを投げつけられ続け、ろくに睡眠も取れない過酷な労働を押しつけられ続ければ、潰れてしまうのだと、誰もが理解すればすむことです。医師も人間だ。なんと馬鹿馬鹿しいくらいに当たり前の結論でしょう

「大淀病院事件」と産科壊滅の主犯 2007/6/26

これらを見れば、大淀病院事件で本当に訴えられるべきは政府であり、国であり、自民党であり、厚労省であることは自明でしょう。でも医師個人の方が、国という大きな相手より叩きやすいですし、事実、毎日新聞は、個人を叩く方を選び続けている訳です。マスコミの総バッシングにあって耐えられる個人なんて滅多にいませんから、当然の帰結として、ミスがなくても叩かれる報道を目にした医師達は震え上がり、奈良南部の産科は壊滅しました。一体、報道機関の矜持ってものは、どこにいったのか聞きたくなりますが

医療崩壊の主犯が国と自民党であるなら、従犯はマスコミというところでしょうか。
折しも参院選を控えています。マスコミの報道姿勢が、国の医療政策が招いた日本の医療崩壊から国民の目を逸らし、結果、崩壊が一層進むとしたら、その責任は重大でしょう。

医師不足の構造  2007/5/28

日本には既に多くの良心的医師がいました。彼らは他国から奇跡とも言われる、高度な医療を誰もが何時でも何処でも格安で受けられるシステムを自らの志だけで支えてきました。その医師を奴隷労働とバッシングで燃え尽きさせてきたのは国と国民です。どれ程医師が頑張っても追いつかない程に医療を追い詰めたのも国と国民です。それでもなお貴方は医療崩壊は医師の努力が足りないんだと思いますか?

ほんとうにありがとうございます。私は、偶然このサイトに出会い、涙が出そうになるくらい感動しました。 我々医療者が、個人ブログという微々たる力しかないツールで訴え続けたことが、伝わっている人がいたということがわかったような気がしたので、感動したのです。

当ブログの前エントリー 私は大淀病院産科医師を支持します での私の主張とずいぶんと共通項があるように感じます。


このブログ主さんは、メディア・リテラシーの大変しっかりした方ですね。それと、「死」という結果を受容する心の容量を十分に持っておられる方でもあると思いました。このような方は、医療従事者と良好な関係を作れて、結果としてよい医療を受けられる可能性が高いと思います。 

非医療者の方々から、多くこのような声が上がり初めて、国やマスコミが変わっていけるのだろうと思います。


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大淀病院裁判 世間の声は [医療記事]

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6月25日、大淀病院、第一回口頭弁論が行われるにあたり、多くの医師ブロガーが、支援メッセージを送りました。 支援ブログ一覧は 産科医療のこれから(6月25日) の下段にあります。

当ブログにご支援いただきました方々は33名(6月26日現在)です。

いなか小児科医様、脳外科見習い様、moto様、bamboo様、エビ様、じゅん様、kudelmudel55様、僻地外科医様、HDsurgey様、rinzaru様、takuzo様、Tai-chan様、6年目内科医様、seyuchi様、あおむし様、うろうろドクター様、なな様、おけやんやん様、Yukitake様、子持ちししゃも様、山口(産婦人科)様、でも様、S-chan様、道標主人様、tet様、 Dr. I 様、えりぃ様、アンフェタミン様、 根無し草様、おだんご様、 luxman様 、田舎の一般外科医様、Lone wolf様

まことにありがとうございます。 皆様方のご支援のお気持ちは、当事者である大淀病院関係者の方々へ伝わっていることと思います。

さて、第一回口頭弁論に関する報道記事(ウェブ魚拓)です。   共同通信  朝日

報道記事を見る限り、病院側は、全面的に争う構えのようです。今後も私達は引き続き支援の声を挙げていきます。

意見陳述した晋輔さんは、転院先の医師から「あまりに時間がたちすぎた」と伝えられたことを明かし

共同通信社の記事の中にあるこの発言内容は、気になるところです。 しかし、実際のところの真実を部外者が知る由もないと思います。

言葉を発する側が伝えたかったこと VS 言葉を受け取る側が実際に受け取ったこと

この両者がまったく異なることってよくありますよね。おまけに、記事には、当然新聞記者というフィルターも入っているので、真相はまったく別のところにあっても不思議はないと私は思っています。

さて、SNS上の一般の方々の日記やネット上の一般の方々のブログ上でも、ちらほらと大淀病院の話題が取り上げれていました。あくまで、私一個人でネット内を軽く検索かけてみた程度ではありますが、 

不当な報道に対する批判的な見方や産科医の先生を擁護する意見が大勢を占めていました


メディア・リテラシーを身につけられている一般の方々もかなりおられることがわかったような気がします。
少し安心できました。

それにしても、毎日新聞は・・・・・ 。下記引用ブログを御覧の上、自らの責任でご判断ください。

天漢日乗様のブログより
「マスコミたらい回し」とは? (その76)  毎日新聞 6月26日 大阪版実際の写真(ウェブ魚拓)
「マスコミたらい回し」とは? (その77)
「マスコミたらい回し」とは? (その78)

ちなみに、私は、毎日新聞は大嫌いです。

私達、医師ブロガーの間では、横のつながりが大きく拡がりつつあります。
今後も不当な報道に対しては、団結して抗議の声を挙げていきたいと思っています

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私は、大淀病院産科医師を支持します [医療記事]

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本日は、奈良大淀病院、妊婦死亡事例の民事訴訟の初日です。
こういう事例でした。 参考URLはこちら

私達は、医師として、大淀病院の産科医師を支持します。
この裁判は、我々医師達が、よりよい医療を社会に提供していくためにも、大淀病院側の勝訴を信じ、支援を続けます


次の要因がこの訴訟の背後にあると私は考えるからです。

その要因とは、
1) 国が強いてきた医師の劣悪な勤務体制  ・・・当直明けの連続勤務など 
2) マスコミによる報道被害 ・・・・・あまりにも公平中立性に欠いた扇情的な家族よりの報道体制
                ・・・・・・病院側にあたかも怠慢や過失があったことを誘導する報道表現
                ・・・・・・日本全国多くの医療者がリスクから逃散しようと思うに至った報道
3) ご遺族の「死」の受容プロセスのありかたに対する疑問
4) 陣痛促進剤による被害を考える会の問題

今回の被告である産科の先生のご心痛も如何ばかりかと、本当に胸が痛む思いでいっぱいです。

医師側支持のご意見を持つ方は、どうかコメント欄に次のようなコメントをお寄せください。よろしくお願いします
    

私も大淀病院産科医師を支持します


もちろん、ご遺族の方々におかれましても、さぞかし無念であったことか、その心中をお察し申し上げます。
様々な支援者のもと、お子様が健やかに成長されていくことをお祈り申し上げます。

医学的な議論は、これからの裁判の中で行なわれていくことでしょう。私は、ネット上から流れた情報、および去る4月28日に行なわれたシンポジウム(参考エントリー:シンポジウム聴講記)で配布された資料中のご遺族自らが公表された看護記録などを目を通した上で、自分なりの医学的判断において、産科医師は懸命に患者さんのために力を尽くしたであろう事が伝わってくるからこそ、支持を表明しているのです。決して、医者同士のかばいあいの精神で支持しているわけではないことは、はっきりと言っておきます。私自信の医療に対する考え方や姿勢は、本ブログの他のエントリー内容から、ご自由に推察してただければと思います。そのうえで、私の発言を信じるか否かを決めてください。

1)について考えます。
担当医師は、経験のあるベテランの産科医師とお聞きしております。にもかかわらず、多数の夜間勤務、そして翌朝の連続勤務。国は、勤務医師の劣悪な勤務体制の放置を続けています。それでも、多くの医師は懸命にがんばってきたのです。きっと、今回の当事者である先生もそんな良心的な産科医であったのだろうと思います。私は、医師が懸命にがんばるのをいいことに劣悪な労働条件を放置し続けた国を一番に批判したいと思います。もし、ご遺族も、この1)の要因で共感をいただけるのなら、産科医個人相手ではなく、国や県を戦う相手にしてほしいと思います。

2)について考えます。
当初の報道は「6時間放置」「18病院拒否」「たらい回し」「恥を知れ」など医療者側を批判する表現が目立ちました。一方、マスコミは、ご遺族の悲しみに打ちひしがれる映像を、これでもかこれでもかというぐらいに報道し続けました。ところが、医師筋から流れてくる情報は、マスコミが流している情報とあまりにもちがったのです。それをきっかけに、医師達はネット上(ブログ、掲示板など)で医学的な討論を繰り返してきました。その討論でさえ、マスコミは、「誹謗・中傷」だと、またまた一方的に報道しました。マスコミは、あまりにも中立性を欠いていると私は思います。このような報道をうけ、多くのお産施設が撤退の意を強くしたことでしょう。多くの医師たちが、やってられないと思ったことでしょう。大淀病院の一連の報道は、明らかにマスコミによる報道被害といえると思います。その被害は、個人や施設の直接の風評被害にとどまらないのです。日本全国の医師達の士気を格段に低下させたという意味において、社会的な報道被害と言ってもいいと私は思います。彼らは、松本サリン事件で河野氏を徹底的に報道で犯人に仕立て上げたことを忘れてしまったのでしょうか?報道のあり方は、ご遺族とはまったく関係のない話です。 私はマスコミ報道の下劣さには、ほとほとうんざりしています。

3)について考えます。
ご遺族のご心痛は、シンポジウム(4月28日)を聴講したものとして、とてもよく伝わってきました。私も聞いていて正直泣きそうになりました。だから、とてもすぐには受け入れられない出来事であろうことも想像できます。ただ、現実問題として、これから、ご遺族は「死」を受容していかないと前に進めないことも事実です。やがて、お子さんにも、事実を伝えなければならないときが来るでしょう。そういう視点で、今どうするか? 何を考えるか?そういう心的サポートを専門家からお受けになられてはどうかなあと個人的には考えています。受容できないご家族の気持ちをいいことに、外野が、つまり、マスコミが、被害者の会が、ご遺族を先導して、医師との戦いに仕向けているような感じを私は受けるのです。訴訟をしてもご遺族が納得しえる事実なんか、もう何も出てこないだろうと私は思っています。今回の報道→訴訟の流れは、ご遺族のお気持ちの癒しにはならないような気がします。残念です。

4)について考えます。
被害者の会の考え方に対する私の批判的考えは、シンポジウム聴講記に詳しく書きました。ですので、ここでは触れません。きっと、彼らが、ご遺族のご心痛に対して、深く共感の意を最初に示されたことだと思います。それが、ご遺族とこの会とのつながりのきっかけになったのだろうなと推察します。それはそれで、この会はご遺族にとって大切なことをしてあげんだろうとは思います。ただ、残念ながら、彼らのベースにもつ医療に対する考え方や攻撃性が、2)の要因との相乗作用をもって、これだけ大きな騒ぎになってしまっていると思います。これも残念でなりません。

最後に、一言。
今の日本社会は、どこか責任を他人に何でも押し付けようとする風潮がありませんか?この事例は、ご遺族にとっては、悲しいつらい出来事だと思います。しかし、その責任は、一個人の産科医師でしょうか?一病院でしょうか? もしかしたら、誰の責任でもないのかもしれません。一個人、一病院に責任を押し付けて、この事例を終わらせてはいけないと思います。第二、第三の大淀病院をもう二度と出さないために。

Yosyan先生の新小児科医のつぶやきには、続々と支援の声が集まっています。当事者の方々の心の支えになればと思います。

※なお、ブログ主は不特定の相手と自分のブログ上で不毛な討論をする気はありませんので、ご容赦ください。
  ブログ炎上の可能性ありとブログ主が判断するコメントは一切公開しません。ブログ主の方針です。

コメント一覧
私も大淀病院産科医師を支持します。
written by いなか小児科医 / 2007.06.25 00:22
僕も大淀病院産科医師を支持します。
written by 脳外科見習い / 2007.06.25 02:19
私も大淀病院産科医師を支持します.
written by moto / 2007.06.25 06:43
私も支持します。
written by bamboo / 2007.06.25 07:48
私も大淀病院産科医師を支持します。
はじめましてI先生のm3でない方のエビです。
普段は恥ずかしいので他にコメントしないのですが今回はなんちゃって救急医先生の強い勇気に感銘を覚えまして、畏れながらお邪魔させて戴きました。
関わるすべての方々に安らぎの日が一日も早く訪れますようお祈りします。
written by エビ / 2007.06.25 08:15
私も大淀病院産科医師を支持します。

written by じゅん / 2007.06.25 08:42
私も大淀病院産科医師を支持します。

この報道は無茶苦茶です。憤りしか覚えません。
written by kudelmudel55 / 2007.06.25 08:47
私も大淀病院参加医師を支持します。
written by 僻地外科医 / 2007.06.25 09:08
私も大淀病院産科医師を支持します。
written by HDsurgey / 2007.06.25 09:18
私も大淀病院産科医師を支持します。
written by rinzaru / 2007.06.25 09:47
私も大淀病院参加医師を支持します。
written by takuzo / 2007.06.25 10:40
出産前後に脳卒中、子癇、脳静脈血栓症、脊髄病変を伴うことは脳外科医ならよく知っていて、この時期は小児科、麻酔科、脳外科、各科が連携して産婦人科を援助しないといけないんですね。
大淀病院の事件以降、日本はこの支援体制を整備する努力はしているのでしょうか?
私も当然医師を支持する立場ですが、開業産科医、脳外科施設のない病院の産科医を助けてあげる。
分かり易く言えばベッド調整を何とかして柔軟に受け入れる体制、心構えが出来たのか?本当に国立循環器病センターまで運ばれなくても、もっと近くの病院で面倒がみれる脳外科医のバックアップ作りは出来たのかが気になります。


written by Tai-chan / 2007.06.25 11:15
私は大淀病院産科医師を支持します。
written by 6年目内科医 / 2007.06.25 11:24
私も大淀病院産科医師を支持します。
written by seyuchi / 2007.06.25 12:19
私も大淀病院産科医師を支持します
written by あおむし / 2007.06.25 13:32
私も日本の産科の先生方を、同じ医療者として、国民として尊敬しています。
自分の子供・孫のため、100年後の日本のためにも、大淀病院産科医師を応援・支持して行きます。
written by うろうろドクター / 2007.06.25 13:43
はじめまして。
産科勤務医をしている者です。
ここ1,2年で、周産期医療の現場は急速に厳しくなりました。
他科の先生方がこうして支援して下さることは、
本当に嬉しく、心強い限りです。
TB送らせて頂きました。
今後ともよろしくお願い致します。
written by なな / 2007.06.25 13:45
私も大淀病院産科医師を支持します
written by おけやんやん / 2007.06.25 13:48
私も大淀病院産科医師を支持します。
written by Yukitake / 2007.06.25 15:28
大淀病院の産婦人科医師を支持します。
どこの病院でも産婦人科の中堅が燃え尽き力尽きぼろぼろです。
大野病院と大淀病院の裁判の行方を見守るのが切ないです。むなしさと諦めから逃散したい衝動と戦っています。

written by 子持ちししゃも / 2007.06.25 15:56
それでもお産が好きだから、辞めると妊婦さんが困るからと自らにむち打ってきた産科医が、この騒ぎで燃え尽きました。

その結果が奈良南部から和歌山の広大な地域に渡る無産科地域です。この地域の産科崩壊はひとえにマスコミの無責任な医者たたきによるものです。その責任も認めず、今更免罪符のように「医療危機」を語るマスコミに怒りを覚えます。
明日我が身に降りかかるかもしれないとおびえつつ、それでも産科を辞められない医師からエールを送ります。
written by 山口(産婦人科) / 2007.06.25 16:40
 私は大淀病院の産婦人科医師を支持します。
私は今、緊急手術を終えたところです。今の私にとってこの手の手術をすることは苦痛でしかありません。今日も生き延びた、それだけです。
written by でも / 2007.06.25 21:23
初めまして
 私も大淀病院産科医師を支持します

written by S-chan / 2007.06.25 21:36
私も微力ながら協力します。
http://guideboard.blog.com/1877291/
written by 道標主人 / 2007.06.25 21:58
私も大淀病院産科医師を支持します
written by tet / 2007.06.25 22:06
私も大淀病院の元産科医の先生を支援します。
written by Dr. I / 2007.06.25 22:57
私も大淀病院産科医師を支持します。

産科医療の崩壊がこれ以上進みませんように。
written by えりぃ / 2007.06.25 23:08
おはようございます

僕も大淀病院の産科医先生を支持します


written by アンフェタミン / 2007.06.26 05:36
私も大淀病院産科医師を支持します
written by 根無し草 / 2007.06.26 12:39
私も大淀病院産科医師を支持します。
written by おだんご / 2007.06.26 13:57
私も大淀病院産科医師を支持します
こんな事しかできませんが、当事者になってしまわれた先生が
これからも今までと同じようなお気持ちで診療を続けられることを切に願います。
written by luxmann / 2007.06.26 15:23
私も大淀病院産科医師を支持します。
written by 田舎の一般外科医 / 2007.06.27 00:09
私も大淀病院産科医師を支持します。
written by Lone wolf / 2007.06.27 23:03

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大淀病院産婦人科医を支援します。 (いなか小児科医)
http://swedenhouse-oita.cocolog-nifty.com/pediatrics/2007/06/post_6369.html

日本の医療のために (五里夢中於札幌菊水 )
http://blog.goo.ne.jp/peak1839/e/a74d79de787611ac83568fce7c866e0a

奈良、大淀病院事件を考える2 (今日手に入れたもの)
http://blog.so-net.ne.jp/kyouteniiretamono/2007-06-25

大淀病院産婦人科医師を支持します (医療報道を斬る)
http://plaza.rakuten.co.jp/tinyant/diary/200706240000/

脳神経外科疾患合併妊娠の予後 本日、奈良大淀事件の裁判です。 (産科医療のこれから)
http://blog.m3.com/OB_Gyne/20070625/1

産科支援体制は大丈夫? (マイアミの青い空)
http://blog.m3.com/Neurointervention/20070625/1

産科医療の行く末を案ず (ななのつぶやき)
http://blog.m3.com/nana/20070625/1

私たちだって真実が知りたい! (さあ 立ち上がろうー「美しい日本」にふさわしい外科医とは)
http://blog.m3.com/Fight/20070625/2

奈良 大淀病院事件について (サッカーと地域医療の部屋)
http://medicalfootball.blog69.fc2.com/blog-entry-81.html

奈良県大淀町立病院事件被告の先生を支持します (がんばれあかがま)
http://blog.m3.com/akagamablog/20070625/2

大淀病院事件の初公判 (ポンコツ研究日記~悩める産婦人科医のブログ~)
http://ameblo.jp/y-gami/entry-10037764967.html

奈良大淀町立病院事件公判に関して   (眠らない医者の人生探求劇場・・・・(夢果たすまで))
http://blog.m3.com/my-quest-since-2006/20070625/1

私達は医師として、大淀病院の産科医師を支持します (産科医療を考える)
http://d.hatena.ne.jp/guri/20070625/1182747068

私も大淀病院産科医師を支持します (のりのり海苔)
http://blog.m3.com/Norinorinori/20070625/1

私も大淀病院産科医師を支持します (日々のたわごと・医療問題資料館)
http://symposium.b-r.under.jp/?eid=602116

奈良、大淀病院の産科医を支援します。 (「やぶ医師のつぶやき」?健康、病気なし、医者いらずを目指して)
http://blog.m3.com/yabuishitubuyaki/20070625/1

奈良県大淀町立病院の事件について (東京日和@元勤務医の日々)
http://blog.m3.com/TL/20070625/3

奈良県大淀町立病院事件被告の先生を支持します (女医^^遊佐奈子のお気楽! )
http://blog.m3.com/nakoyusaBlog/20070625/1

私も大淀病院産婦人科医を支援します (天国へのビザ)
http://blog.m3.com/Visa/20070625/2


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誤診という誤報道 [医療記事]

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医師、結核を「アレルギー性鼻炎」「風邪」と誤診 大阪

2007年06月20日20時00分

大阪市は20日、西成区の高校で結核の集団感染が発生し、生徒10人と家族6人の計16人が感染したと発表した。最初に感染した男子生徒は昨年12月に耳鼻科医から「アレルギー性鼻炎」、今年3月に内科医から「風邪」と誤診され、翌日に別の病院でようやく結核と診断されていた。市は「早期にX線撮影などをしていれば感染拡大は防げた」として、医師2人に正確な診断と治療を求める異例の指導をした。市によると、男子生徒は鼻炎と診断された後、7~10日間に1回程度、同じ耳鼻科医院に通院。症状が悪化したために3月に受診した内科医にも見逃された。翌日に39度の高熱を出して救急車で別の病院に搬送され、結果的に約2カ月間の入院を余儀なくされた。市は男子生徒の入院後、学校などで健康診断を実施し、感染者の特定を進めていた。男子生徒以外にも生徒1人が発病したが、ともに快方に向かっている。感染拡大の恐れはないという。

http://www.asahi.com/national/update/0620/OSK200706200076.html

この記事を読んで、まず、私が思ったこと
誤診という言葉を使うな
です。

誤診という言葉は、医師側と患者側の信頼関係を破壊させる可能性のあるよくない言葉です。
誤診という言葉は、医療不信をあおる言葉ともいえます。

患者側が医師を信用するということは、円滑な医療に必須の条件です。医療はその結果に不確実性が常につきまとうからです。不信感があれば、医療のなかで生じた悪い結果を、患者側が決して受け入れることができなくなります。たとえ、医療が十分かつ適切な説明を行ったとしても、患者側が何かミスを隠しているかもしれないと疑い続ける限りは、絶対に医療者側の説明に納得することはできないでしょう。また、その消えない不信感は、患者側をも苦しめ続けることになります。そうして、医療者側との不毛な対立が永遠と続くことになります。マス・メディアは、これまでにも医療不信をあおるような表現をくりかえし行ってきました。その社会的な責任は大きいと私は思っています。マス・メディアは、誤診という言葉の使用をすぐに止めるべきです。

誤報道と書かれてみて、どうですか? 記者さん、メディアさん、不愉快でしょ?
医療者も同じですよ。この報道は、きわめて不愉快です。
そういう医療者の気持ちを感じ取ってほしいので、あえてエントリーのタイトルを誤報道としてみました。

結核という病気は、比較的長い時間軸の中で、他の急性疾患から除外しながら、ようやく診断にたどり着ける場合もあるのです。肺外結核というのもあります。これなら、なおさら、診断は困難です。

この記事の流れからは、結核単独というより、結核+急性感染症の複合病態も十分に考えられると私は思います。ですので、「結核」を「アレルギー性鼻炎」「風邪」と誤診したという書き方は、非常に短絡的だと思います。医療記事を書く際には、複数の医師に文章チェックを受けてほしいと思います。

アレルギー性鼻炎は、それはそれとして、この患者さんに結核とは別に併存していたと考えることはできないですか?ベースに結核をもっていても合わせて風邪も引きますよ。そう考えれば、誤診という表現は明らかにおかしいですよね。結核という「結論」を基点として、時間軸を遡り、過去の出来事と、結核とをつい無意識のうちに、因果関係をもって考えてしまう。 それが人間の認知のバイアスなのです。これを後知恵バイアスといっているのです。(参考エントリー:本当に腸炎でいいですか

メディアの方々は、自分たちが発する情報の重さに責任をもってほしいのです。 ですから、その責務の重さからすれば、後知恵バイアスの知識を十分に持って、世間に無用の誤解を与えないように、公平かつ正確な報道を強く望ます。

以下、後知恵バイアスを取り除いた配慮をおこなった上、記事を添削してみました。

結核集団発生 感染拡大の恐れなし 大阪

大阪市は20日、西成区の高校で結核の集団感染が発生し、生徒10人と家族6人の計16人が感染したと発表した。最初に感染した男子生徒は昨年12月にから今年3月にかけて、アレルギー性鼻炎、上気道炎として医療機関の受診歴があったという。今年3月に、39度の高熱を出して救急車で別の病院に搬送された際に、初めて結核と診断された。約2カ月間の入院を余儀されたが、現在は快方に向かっているという。市は男子生徒の入院後、学校などで健康診断を実施し、感染者の特定を進めていた。男子生徒以外にも生徒1人が発病したが、こちらも快方に向かっている。感染拡大の恐れはないという。

いかがでしょうか? 世間に伝えるべき内容は、これ以上でもこれ以下でもないと私は思います。

新聞社側の真意が結核感染ではなく、医師を叩きたいということであったならば、これじゃ記事になりませんけどね。

コメント一覧
昔々、肺外結核を体験しました。

不妊症を訴えて受診し、超音波で卵巣嚢腫があると診断して開腹。ものすごい癒着があって、嚢腫と思ったところからは白っぽい膿。「こんなひどい感染があったんじゃあ、不妊症も無理ないね」といいながらおなかを閉じ、病理検査の結果を見てびっくり。付属器結核だったのです。

泡を食ってほかに病巣がないか探したけれど、どこにもなし。どこから感染したのかわからない一例でした。写真に撮っておけば、症例報告ができたのにと悔やんだものです。

written by 山口(産婦人科) / 2007.06.22 19:03

**************
貴重なご経験ありがとうございます。
うちは、腸結核で、大騒ぎになったことがあります。

by なんちゃって救急医

****************************************


この記事も非常に悪意を感じます。悪意がなければ、こんなに無知でも新聞記者になれるのかと驚きます。しかし、新聞記者の医学知識は一般人以下と思った方がよいようです。

>医療記事を書く際には、複数の医師に文章チェックを受けてほしいと思います。

私もこの意見に賛成です。
以前、私が自費出版した本に関して地元新聞社のインタビューを受けたとき、記事を事前に見せて欲しいと言ったのですが、記者から「それはできません」と言われました。案の定、私が「尊厳死」と言った言葉は「安楽死」にすり替えられていました。悪意があったとは思えず、この全く意味の違う二つの言葉を記者さんは混同していたようです。地方新聞記者のレベルはその程度のものです。それ以来、新聞のインタビュー記事も信用できなくなりました。

written by 春野ことり / 2007.06.22 20:01

***************:
コメントありがとうございました。事前に原稿を見せてもらえないってのはなぜなんでしょうね。
私は、新聞を信用していません。

by なんちゃって救急医

************************************


 私も地方紙の取材を受けたことが何回かありますが、必ず事前に原稿を見せてもらうよう求めます。見せてくれない場合は取材自体をお断りします。

 それは困ると言われましたが、「意図と違うことを勝手に報道されて困るのはこちらです。まして医学的な記事の場合には重大な問題を起こすことがある。」と言ったら納得してくれました。
 その代わり、記事を送ってきたら速攻添削、速攻返信は守りましたが。

written by 僻地外科医 / 2007.06.22 21:20

***********
コメントありがとうございます。

見せるのが当たり前じゃないんですかね?
なんで、いちいちこちらがお願いしなんといけないでしょうか?
すむ世界の違いなのでしょうか?不思議でなりません。


by なんちゃって救急医

************************************


それは、報道倫理として
http://www.tv-tokyo.co.jp/main/yoriyoi/rinri.html
のように、
「取材対象者から報道内容の事前チェックを受けるなどの行為は禁止する(<言論・表現の自由を守る>の項)」という概念があるからですよ。オウムの取材報道のときに教団から事前チェック要求があってこれを認めたことがあとでわかって非難されましたね。
取材対象者でない医師による文章チェック依頼はいいと思います。

written by moto / 2007.06.22 23:26

***********
コメントありがとうございます。全く知らない話でした。どうしてこんなに報道陣は守られるのでしょうか? これまた不思議でなりません。

by なんちゃって救急医

***********************************


>「取材対象者から報道内容の事前チェックを受けるなどの行為は禁止する(<言論・表現の自由を守る>の項)」という概念があるからですよ。

 これですが、「当方の話した内容についてのみ、チェックさせてもらえばけっこうです」で良いでしょう。それをどう改編するかは彼らの意図でやってることになりますから。
 言ってもいないことを言ったと書かれなければ、あるいは言ったことで重要なことを無視して書かれなければ取材を受けた側の権利として十分だと思います。
 その上で総合的な内容として、こちらを否定するように書くのは、それこそ報道の自由としてやむを得ないですが、その程度のことを出来ないなら単なる怠慢でしょう。

written by 僻地外科医 / 2007.06.24 09:24

*******************
なるほどですねえ・・・・・
ものは聞きようですねえ・・・・

ありがとうございました。
勉強になりました。

by なんちゃって救急医

 


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メディア・リテラシーと「死」の受容 [医療記事]

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私がこのブログを通して、発信し続けているメッセージは、マスコミをうのみにするな、ということである。まずは、ある書物の引用で、同じ主旨のことを述べておく。キーワードは、メディア・リテラシーだ。

リスクとつきあう 有斐閣選書 P102-103を引用

マスメディアの伝える情報が、正確で公正なものであるかどうかを見分ける能力を一般の人々が持つべきであるという考え方が、近年広まりつつある。このような、マスメディアを社会的文脈で批判的に読み解き主体的に使いこなすことのできる力は「メディア・リテラシー」といわれる。直訳すれば、マスメディアに対する読み書き能力ということになる。このようなメディア・リテラシーは、リスク・コミュニケーションにおいても注目すべき考え方だと思われる。それは、リスク・コミュニケーションの伝え手の一つであるマスメディアの発信する情報を、より批判的に読み解くことができるようになることが、情報の受け手にとって、今後一層重要になってくると考えられるからである。
 現代の多くのリスクは、われわれが直接体験できないものが多い。こうした多くの直接体験できないリスクについて、我々は、マスメディアを通して知識を得ることができるようになった。しかし、多くの場合、マスメディアが伝えられる情報は、一般の人が理解しやすい形に加工されている。そこには、
マスコミの主観的な解釈が入る余地がある。また、人々が興味を引くように、必要以上にドラマティックに伝えられるような場合もある。これらのことが、すべて悪意で行われているとは限らないが、少なくとも、マスメディアが伝える情報がすべて正しいものではないことを、われわれは知っておく必要があるだろう。

さて、この引用をふまえて、みなさんは、次の記事をどのように読みますか?

エホバの証人:手術中に大量出血、輸血受けず死亡 大阪
毎日新聞 2007年6月19日
http://www.mainichi-msn.co.jp/science/medical/news/20070620k0000m040060000c.html
 信仰上の理由で輸血を拒否している宗教団体「エホバの証人」信者の妊婦が5月、大阪医科大病院(大阪府高槻市)で帝王切開の手術中に大量出血し、輸血を受けなかったため死亡したことが19日、分かった。病院は、死亡の可能性も説明したうえ、本人と同意書を交わしていた。エホバの証人信者への輸血を巡っては、緊急時に無断で輸血して救命した医師と病院が患者に訴えられ、意思決定権を侵害したとして最高裁で敗訴が確定している。
一方、同病院の医師や看護師からは「瀕死(ひんし)の患者を見殺しにしてよかったのか」と疑問の声も上がっている

 同病院によると、女性は5月初旬、予定日を約1週間過ぎた妊娠41週で他の病院から移ってきた。42週で帝王切開手術が行われ、子供は無事に取り上げられたが、分娩(ぶんべん)後に子宮の収縮が十分でないため起こる弛緩(しかん)性出血などで大量出血。止血できたが輸血はせず、数日後に死亡した。

 同病院は、信仰上の理由で輸血を拒否する患者に対するマニュアルを策定済みで、女性本人から「輸血しない場合に起きた事態については免責する」との同意書を得ていたという。容体が急変し家族にも輸血の許可を求めたが、家族も女性の意思を尊重したらしい。

 病院は事故後、院内に事故調査委員会を設置。関係者らから聞き取り調査し、5月末に「医療行為に問題はなかった」と判断した。病院は、警察に届け出る義務がある異状死とは判断しておらず、家族の希望で警察には届けていない。

 エホバの証人の患者の輸血については、東京大医科学研究所付属病院で92年、他に救命手段がない場合には輸血するとの方針を女性信者に説明せずに手術が行われ、無断で輸血した病院と医師に損害賠償の支払いを命じる最高裁判決が00年に出ている。最高裁は「説明を怠り、輸血を伴う可能性のあった手術を受けるか否かについて意思決定する権利を奪った」としていた

私は、本日、自分の職場で周りの看護師さんたちに、この記事を読んでもらい、自由に感想を言ってもらいました。(メディア・リテラシーの話はこちらから一切していません。) その中で、いくつか抜粋してみます。

・結局、何がいいたいのかわからない。
・十分な説明と同意がなされており病院側に問題はないと思う。
・「見殺し」という表現で、まるで病院に責任があるかのような書き方が気になる。
・見出し文に悪意を感じる。
・そもそも、記事にする必要があった出来事なのか?
・本人や家族の意思を尊重することは良いことだ。
・エホバの証人の患者と接することに強いストレスを感じる。

看護師さんたちの感想は、総じて言ってしまえば 「これって何が問題なの?」となりそうです。

いったい、この記事の真意は何なのでしょうか?エホバの証人という話題性でしょうか?
生命倫理に関する社会への問題提起なのでしょうか? 
エホバの証人の方々にとっても、マスコミに騒がれるより、そっとしておいてほしいと思われているのではないのでしょうか?
私には、余計なお世話だ としか思えません。

事前にマニュアルを作り、予側範囲内での事態が起こり、マニュアル通りに適切に対応しているだけだと思います。そこに、「死」という結果が付随しているだけ。 日常医療のひとつに過ぎないのはないでしょうか? 新聞社は、記事にしている以上、そうは思ってはいないのでしょうが。

彼らには、妊婦が死ぬなんてとんでもないことで、その理由を問わず決してあってはならないことという潜在意識があるのかもしれません。だから、死をもってすら貫き通そうとする強い個人の信念に逆らってでも、医療者はなんとか救命すべきではなかったのかという暗に今回の病院の対応を批判するメッセージを社会に投げかけようとしているのではないかと思いました。

それは、伝聞の形をたくみに取りながら
「瀕死(ひんし)の患者を見殺しにしてよかったのか」と疑問の声も上がっている
の一文に最もこめられているように思います。

「見殺し」という言葉を使うところに、新聞社の医療者側への悪意を強く感じます。
なぜ、わざわざこういう言葉を選ぶのでしょう。記者とデスクの見識を疑います。担当した医師たちは、本当は救命したかったのではないのでしょうか?その医師の苦悩の気持ちに少しでも気遣いがあれば、こんな文章は決して出てこないと思います。記者達の人間性さえも疑ってしまいます。
さらにいえば、このような不確かなで伝聞様式であれば、それ相当の情報源には信頼性があると思われたという建前のもとに、いかようにでも報道者側の意図に合わせて、文章は捏造できます。(関連エントリー 奈良妊婦死亡事件をみて思うこと

よって、この一文だけで、この記事は正確かつ公平でないと、多くの人にそう読んでほしいものです。これが、メディア・リテラシーをもった新聞記事の読み方だと思います。

大淀病院の事件の際は、家族の意見をあれほど偏向的に大きく取り上げ、病院の主張はほとんど書きませんでした。ところが、この記事は、家族の気持ちがまったく書かれていません。意図的に取材しなかったか、情報としては持っているがあえて記事にはしなかったのでしょうか?

そうだとすると、これも公平さを欠いているといえないでしょうか。

おそらく、家族が何か病院に対し不満に思っていることがあれば、それはそれはきっと大々的に報道したことでしょう。そう、大淀病院のように。

このように、マスコミ情報を批判的に読み解く能力(=メディア・リテラシー)をもつことは、今一人一人の国民に求められていることではないかと思います。個人的には、国民ひとりひとりのメディア・リテラシーの向上が、たとえ間接的であるにしても医療環境の改善につながってくれることを望んでいます。

以下、この記事を踏み台にして少し脱線します。
ここからは、まったく私の個人的な考えで、マスコミ批判はありません。

新聞記者は、この事例をわざわざ記事として取り上げ、一方、医療者はなんでこれが記事になるの?と思っている。この両者の温度差の違いは何なのでしょうか?
私は、「死」に対する受容性の違いでないかと考えました。

医療者は、業務の中で第3者の死に頻繁に遭遇するので、社会がもっと「死」を受容すべきだという感覚が強いのかもしれません。

私は、社会の中での「死」の受容は、重大なテーマだと捕らえています。この記事も、「死」の受容の大切さを社会的に意識させるという意図を組み込めば、
「残念ながら娘(妻)は亡くなった。子どもを残して自分だけ先に逝ってさぞ無念だったとは思う。しかし、彼女の生き方は、私たちが子どもにしっかりと伝えていこうと思う」と患者の両親(夫)は、その死の無念さをかみしめながらも、懸命に娘(妻)の死を受け入れようとしているようであった。
という書き方もできるのではないかと思います。(もちろん、家族がそういうニュアンスのことを述べたという裏が取れていた場合にですが)

小松先生の最新著作「医療の限界」の第一章は、日本人の死生観について触れてあります。「死」を受容できない日本社会を、小松先生はしっかりと指摘しています。それが今の医事紛争と密接に関与していると述べています。私が気に入った一文を引用します。この引用をもって本日のまとめとさせていただきたいと思います。

「医師はみなヤブ医師である。なぜなら、いくら医師が努力しても必ず失敗して、人間はいずれ死ぬから」


今後も日本人の死生観のあり方について個人的な考えは書き続けていこうかと思っています。
関連エントリー 思い通りになかなか死ねない日本社会
          ある老人の突然死
コメント一覧
だいたい、これ、医療事故じゃないし。
なんで新聞記事になったのか、わかりません。
やはり「毎日新聞」的には、妊婦が死んだらもうそれは医者が悪い、医療事故って事なんでしょうかねー。

written by Dr. I / 2007.06.20 23:07

*********************
コメントありがとうございます。
同じような感想が私の周りでも多数でした。

mixiでこのニュースをネタに感想を書いている人を見ていると医療者と似たような感想は少数派です。やはり、医療者独特の視点なのかもしれません。非医療者の感想として、医療者に同情の気持ちを表明している人はけっこういましたね。

by なんちゃって救急医

************************************


職場の人達とは、かなり違う感想ですが、「エホバの証人の「輸血をしない」って教えのおかげで、救えるはずの命を救えなかった医師や看護士達が
>「瀕死(ひんし)の患者を見殺しにしてよかったのか」
と言う後味の悪い思いをさせられてしまっている。
エホバの証人を信仰すると助かる命も助からなくなっちゃうよ! とこの記事を深読みしてしまいましたが・・・」

この患者さんの場合はお子さんは助かったみたいですが、母子共にだったら、もっと後味悪くなりますよね!!

家族のオペ前に自己血輸血は出来ないかと、何度か聞いたら、「何か宗教やってます?」って疑われてしまいました。
「昔、叔母が輸血した時に免疫反応出ちゃって、そっちで危なくなった事が有ったので!」で疑惑は晴れましたが・・・

written by 患者家族で~す。 / 2007.06.21 02:42

***************
コメントありがとうございます。
命と宗教観を天秤にかけた結果、それをどう判断するかは、人それぞれでよろしいかと私は思っています。
個人の価値観、社会一般の平均的な価値観を、強制する必要はないとも言えるかな。

by なんちゃって救急医

************************************


「瀕死(ひんし)の患者を見殺しにしてよかったのか」と疑問の声も上がっている
     ↑
この1文は私もひっかかりました。
とにかく毎日新聞は医療者を叩くのが大好きなので、こうやって心象操作をしているのでしょう。


と同時に、毎日新聞はエホバの証人の戒律?(宗教観になるのかな?)自体も批判したいのだと思います。
エホバの証人や創価学会のような排他的宗教は、個人的には嫌いですが・・・。これを読む限りこの記事を書いた人は、確実にエホバの証人に対して悪意を持っていますよね。政治がからむのではなく、個人の生死に関わる問題なので、こういう報道は問題ですねぇ。
きっと今頃エホバの証人から毎日新聞に抗議が行われてるでしょう、決して報道されないと思いますけど。

written by 偽精神科医 / 2007.06.22 00:07

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コメントありがとうございます。
みなさん、思っていることは同じですね。

by なんちゃって救急医

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エホバの証人 (「やぶ医師のつぶやき」?健康、病気なし、医者いらずを目指して)
http://blog.m3.com/yabuishitubuyaki/20070620/1

医療報道を変えるヒント (五里夢中於札幌菊水 )
http://blog.goo.ne.jp/peak1839/e/c2b4f02347b641af14560077669bea09

エホバの証人と尊厳死 (天国へのビザ)
http://blog.m3.com/Visa/20070622/1

 


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ネットからリアルワールドへ オフ会報告 [医療記事]

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医療訴訟・・・・・・・。 一生懸命、誠実に医療を施しても、結果悪けりゃ、訴えられて敗訴する。おまけに報道被害も加わり、再起不能のダメージをうけてしまう。 そんなイメージを抱いて逃散を考えている医療従事者は、きっと多いと思う。福島大野病院事件しかり、奈良大淀病院事件しかりである。

一部、医師専用掲示板m3のように、医療崩壊は司法のせいだという悲鳴に近い、ある意味切羽詰った感情を吐露している場があるのも事実だ。

しかし、「司法のせい」とは本当だろうか? 私はそうは思いません。いや、思えないように変わってきました

そんな中で、司法の立場から、粘り強く、寛大に、医療者側の叫びに対して、誠実に、解説してくださる我々医療者にとって大変ありがたいブログがあるのをご存知の方も多いであろう。 ここであえて言うまでもないかもしれないが、元検事で今は弁護士であるモトケン先生が主催するブログ:元検弁護士のつぶやきである。

そんなモトケン先生が、3月より、医師と法曹を中心とするSNS:L・Mnetも立ち上げられていることは、ご存知であろうか? 私は、立ちあがると同時に加入させていただいた一人であるが、本日、東京で、L・Mnetのメンバーによるオフ会が開催された。

参加人数は、19名。北は北海道から、南は鹿児島まで、日本全国から有名なハンドルネームを持つ錚々たる方々が始めてリアルに一同に会したしたわけである。その内訳は、医師側14名、法曹側および医療関係者以外5名であった。

感想は、やっぱりリアルワールドは、ネットワールドに比べ、何百倍も心に響くものがあるということにつきます。

「医療崩壊」という問題に対しては、どうしてもお互いを十分に知りえない医療者側と法曹側である。この最近のモトケンブログでのモトケン先生の心労にも現れていたように、ネットワールドのみでは、どうしても、不毛な文字面のみの論争というか、バトルというか・・・、対立というか・・・・ そういうことが起きてしまう。それがネットの特性だと割り切ってしまえばそれまでだが。

ところが、リアルにお話してみると、お互いの立場を尊重した信頼感というのを強く感じることが出来るのである。
この信頼感があってこそ、これからの議論がますます有意義になるのではないかと私は思う。

私は、このブログ上で、医療を受ける立場にある方々に対し、マスコミ報道に振り回されるなと何度も言ってきた。そうはいうものの、我々医療者自身も、訴訟リスク、訴訟恐怖という認識を、マスコミ報道を通して感じ取っていることも、事実である。だとすれば、医療者自身もマスコミ報道に振り回されているといえないだろうか?

直接、法曹の先生方からリアルにお話を聞けたとことによって、自分の中では、訴訟リスクの恐怖感がずいぶんと軽減できたような気がする。それは、自分にとっての本日の最大の収穫でした。 残念ながら、その具体的な内容は、ここで公表できませんが・・・・・。

法曹の方々を敵対視されておられる医療者の方々には、ぜひとも、直接リアルに法曹の方々に会って話をしてみることを強くお勧めする。きっと、大きな心の収穫が得られることだと思う。

医療者と法曹の先生方との接点をもつ本日のような貴重な場を設定してくださったモトケン先生および幹事の先生方に深く御礼申し上げます。

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遅ればせながら私も昨日からLMネット参加しました。私もリアルワールドで法曹界の方と会えて討論できるというのは素晴らしいと思います。
M3.COMはしないんですかね?ネット上では限界を感じます。

written by Tai-chan / 2007.06.17 09:27

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コメントありがとうございます。
たのしかったですよ。

by なんちゃって救急医

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こんにちは。

リアルで知っていれば
ネットワールドはリアルワールドのための
有効なツールになりますよね。

心に響く御報告ありがとうございました。
いつか法曹の方々から直接お話が
聞けたらいいな~と思っています。

written by 脳外科見習い / 2007.06.17 10:27

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コメントありがとうございます。
次回を期待しましょう

by なんちゃって救急医

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こんばんは
一度、モトケンさんとお会いしたいと考えているのですが...なかなか難しいですネ。先生の、法曹との邂逅のエントリー、私の考えに通じる所があります。トラックバックさせていただきました。

written by いなか小児科医 / 2007.06.17 20:56

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TBありがとうございます。先生のエントリーも拝見させていただきました。ずいぶんと共通しているところがあるなと私も感じました。

by なんちゃって救急医

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 法曹との対話 (いなか小児科医)
http://swedenhouse-oita.cocolog-nifty.com/pediatrics/2007/06/post_f323.html

give and give and give and take (五里夢中於札幌菊水 )
http://blog.goo.ne.jp/peak1839/e/aee95e35a33618f46c919aa021e76436

医師ブロガーと会いました! (「やぶ医師のつぶやき」?健康、病気なし、医者いらずを目指して)
http://blog.m3.com/yabuishitubuyaki/20070617/1

 


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嫌悪感を覚える毎日の記事 [医療記事]

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「母になるあなたへ」 義父、奈良女大で講演 奈良・妊婦転送死亡
07/05/30 記事:毎日新聞社

奈良・妊婦転送死亡:「母になるあなたへ」 義父、奈良女大で講演
奈良県大淀町立大淀病院で昨年8月、同県五條市の高崎実香さん(当時32歳)が分娩(ぶんべん)中に意識不明となり、転送先探しが難航した上、搬送先で死亡した問題で、義父の憲治さん(53)が30日、奈良女子大学文学部(奈良市)の「社会学概論」講義で、事故の体験や再発防止への思いについて語った。

 薬害や医療事故の研究実績がある、「陣痛促進剤による被害を考える会」メンバーの栗岡幹英教授(社会学)が依頼。陣痛促進剤は実香さんにも投与された薬で、憲治さんは「いつか出産する女子学生に、被害者にならないための知識を身につけてほしい」と講演を快諾した。

 講義には約30人の学生が出席。憲治さんは、陣痛促進剤の副作用で、母親や赤ちゃんが死亡するケースが相次いでいる現実にショックを受けたといい、実香さんが亡くなった経緯を説明しながら、「いつか病院と遺族が手を携えて、地域医療を再生したい」と強く訴えた。【高瀬浩平、中村敦茂】

m3掲示板が、復活しました。その掲示板で見つけた記事です。m3で書くとまたいろいろと言われなき批判を浴びそうなので、こちらに書くことにしました。

それにしても、「陣痛促進剤による被害を考える会」の会は、いったい何を考えているのでしょうか?ただただ恐ろしい限りです。

あのシンポジウムの勢いで、あの論点が、なにも知らない女子学生たちに一方的に吹きこれてしまうことを想像すると、ある意味、女子学生たちが、医療を過度に不安に感じてしまう被害者になりかねないかと懸念します。

>いつか出産する女子学生に、被害者にならないための知識

そもそも、被害者なのでしょうか? ご遺族がそのような感情をお持ちになるのは、私も理解できないことはありませんが、マスコミが一緒になって、いまだに被害者と書き綴ることに嫌悪感を覚えます。 

>母親や赤ちゃんが死亡するケースが相次いでいる現実

本当ですか???????
これこそ、新聞社は冷静に中立的な立場で、検証し、記事にすべきではないでしょうか?

いずれにしろ、家族の伝聞の形をとることによって、記者の責任を回避できるようにしながら、一面的な内容を垂れ流しているだけのレベルの低い記事だと思います。

「陣痛促進剤による被害を考える会」は、ほんとうに恐ろしい会だと私は思います。当ブログで報告しているシンポジウム聴講記をご参考ください。

多くの善良な女性の方々へ言いたいこと
「陣痛促進剤による被害を考える会」の発言を盲目的に信じるのはなく、どうかご自身で、いろんな立場からの意見にも十分に耳を傾け、今の医療の問題点をお考え下さい。お願いします。

コメント一覧
読みながら空いた口が塞がりませんでした。祖国日本はこの先どこへ向かっていくのでしょう?こういった会の存在さえ知りませんでしたが、彼等は彼等の活動が将来自分達の首、子孫の首を絞めることに早く気付いて欲しいですね。
医師に対して敵対視する姿勢が最近の医療不信の報道に見受けられるのは残念です。

アメリカも10年以上前に起こった医療事故多発の教訓から現在は日本より成熟した医療裁判の判決、マスコミの対応が見られます。日本の場合、もう少し時間が掛かると思いますが、重症なのは日本の大学教授がとんでもない被害者の会に所属して学生達に家族を呼んで講演させている点です。
こういう教授陣に教わる学生さんは不幸です。

written by Tai-chan / 2007.05.31 08:18

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コメントありがとうございます。
まったく同感です。
おかしな日本になりました。

by なんちゃって救急医
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産後に亡くなった妻の義父と亭主が大学で講演、しかも女子大生相手に。この男性はこれまでいくつの出産を見てきたか、逆に問いたいです。

私は医療関係者でも、出産経験者でもありませんので「陣痛促進剤」がどういうものかは存じませんが、投薬も否定、医者も小馬鹿にするのなら、1世紀前に戻るつもりなのでしょうかね。
個人的な趣味で家系図を作っていますが、祖母の兄弟は全員自宅出産、生後3ヶ月程度で死亡する子も多く、予防接種のない時代、はしか等の感染で失明したり難聴になったりと医療が身近にない状態でのマイナス面を知りました。ほんの半世紀と少し前ですよね。
+もあれば-もあるんですが、それを教えないのは問題が多すぎです。

陣痛が始まって、唸りながら慌てて病院に駆け込むのが望みでしょうか?年間、産科医の10分の1程度しか出産立会いしない助産師につきっきりで対応されるのを望んでいるのでしょうか?

母親や女達が出産を共感しなくなってから、病院でぽこんと生れる感覚を持ち始めてから、何かが無くなったのでしょうか。
団塊あたりの権利万歳世代、医療が「患者様」が「希望を言える」サービスに成り下がってしまった結果のような気がします。

written by purin / 2007.05.31 16:23

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コメントありがとうございます。
社会全体に広まりつつ死生観の変容が大きいのでしょう。
皮肉なことに、医療が進歩すればするほど、死ぬこと、生まれることが、病院の責任に置き換わり、不毛な争いが増加しているといわざるを得ません。
自然を崇拝するアメリカインディアンの古老の教えを日本人も学ばないといけないのかもしれませんね。

by なんちゃって救急医

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家族の不幸を機に、それを社会の教訓とする使命を背負ったのでしょう・・・。

悲しみを怒りに変え、社会に働きかける運動家として生きるとしても、方向性をは見誤らない事を望みます。

written by doctor-d / 2007.06.01 13:16

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コメントありがとうございます。
背負ったというよりも○○○の会に背負わされたような気がします。すでに見誤っている方向性・・・・
マスコミが付いているだけに事が厄介ですね。

by なんちゃって救急医

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>憲治さんは、陣痛促進剤の副作用で、母親や赤ちゃんが死亡するケースが相次いでいる現実にショックを受けたといい、実香さんが亡くなった経緯を説明しながら、「いつか病院と遺族が手を携えて、地域医療を再生したい」と強く訴えた。

これを事件の予備知識のない人が読むと、高崎美香さんが陣痛促進剤の副作用で亡くなったような誤解を受ける記事ですね。
非常に悪意を感じます。

written by 春野ことり / 2007.06.01 20:20

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ことり先生 コメントありがとうございます。

ご遺族はつらかろうと思います。そんな気持ちを利用したマスコミや○○の会に対して、私は怒りの気持ちを感じるのです。

最近、「論より詭弁」(光文社新書)を読んで、言葉・文章の前に、必ず発信者の意図ありきということを学びました。

日本の国旗を見て、「赤い」といっても「白い」といっても「赤と白がある」といっても、「丸い」といっても
どんな言い方でも発信者が選ぶことができます。

そういみでは、マスコミの報道もどうしようもないことだなと思うようになりました。マスコミ自信が、「医者たたきをしないほうがいい」と自分たちが心から思わない限り、今の報道姿勢は変わらないということです。

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同感です。ある教授が 医学は科学では無い と言う本を 書かれています。 私も今はそう思います。でも 医学校に行くまでは 医学のことを知らなかったので 何か医学は科学的な部門で 医師は何でもできると誤解していました。でもいざ医師になると 医学で分かり治療法が確立しているのは 数パーセントに過ぎないし 我々医師は SUPERMAN または SUPERWOMAN でもありません。十万回成功しても ただ一回のMISTAKEがあると袋叩きに遭います。実際に ある一部のわがままな医師のせいで 陣痛促進剤被害は有ったと思います。陣痛促進剤は 両刃の剣で 帝王切開や VACUM SUCTION や FORCEP使用の必要が無くす事もできますが 量が多すぎると子宮痙攣を起し 胎児に胎盤をとうしての血流が 止まり死産または重度の脳性麻痺になる事が有ります。私の妻は陣痛促進剤で 三度助けられ皆自然分娩で生まれ 私の子供たちは三人とも元気に育っています。悪い例では 子宮口がそれなりに陣痛に良い状態に成っていないのに 金曜日に朝から来てもらい 胎児モニター無しで長時間の陣痛促進剤を使用した場合です。 ただ週末をのんびりすごしたくて。でも そのようなケースは ごく一部だと思います。医学は実際に進歩していて 以前は治療困難な病気が完治すようには 成ってきました。でもまだまだです。

written by DAICHAN / 2007.06.10 04:48

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コメントありがとうございます。おっしゃるとおりだと思います。

by なんちゃって救急医

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奈良妊婦死亡事件の提訴記事をみて思うこと [医療記事]

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例の奈良大淀病院の妊婦死亡事例が、民事の訴訟を提起したようだ。この事例の特徴は、医師の殆んどは、医学的な過失なしと検証済みに関わらず、マスコミ(特に毎日新聞)が世論扇動の陣頭をとり、家族VS医師(ひいては医学会)の対立を際立たせているというのが大きな特徴だろう。この訴訟の中心である石川弁護士は、上手にマスコミを利用して医師掲示板m3.comを徹底的に叩き、医師側の声を封殺しようとするあたり、かなりの切れ者の印象をうける。 時期を見計らって、いよいよ訴訟ということころでしょうか。

私は言いたい。

声なき善良な方々へ

 「マスコミを盲目的に信じてはいけない」 

彼らは、医師を悪者にしようという意図に基づいて記事を書いているから。彼らは、事実といいながら、巧みな表現で、医師悪者の印象操作を行っている


座位先生のブログもマスコミをどう見るかという視点において大変参考になりました。ありがとうございました。

次の記事で、その印象操作について、私見を述べてみたい。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070524-00000006-mai-soci

<妊婦死亡>病院と医師の過失主張 遺族が提訴 奈良

奈良県大淀町立大淀病院で昨年8月、同県五條市の高崎実香さん(当時32歳)が分娩(ぶんべん)中に意識不明となり、転送先で脳内出血で死亡した問題で、遺族は23日、病院を経営する大淀町と担当産科医を相手取り、慰謝料など損害賠償を求める訴訟を大阪地裁に起こした。「大淀病院の担当医が脳の異常を見過ごしたことが死亡につながった」と過失責任を主張している。
 提訴したのは夫晋輔さん(25)と、転送先で生まれた9カ月の長男奏太(そうた)ちゃん。訴状によると、実香さんは昨年8月7日、出産のため大淀病院に入院。翌8日午前0時ごろ頭痛を訴えた後、突然意識を失った。産科医は頭痛と陣痛から来る失神と説明し、仮眠のため退室。同1時40分ごろ、両腕が硬直するなど脳内出血をうかがわせる症状が表れたが、来室した産科医は子癇(しかん)発作(妊婦が分娩中に起こすけいれん)と誤診して処置をせずに病室を離れ、同4時半ごろまで病室に来なかった。
 病院は同2時ごろまでに転送先探しを始め、実香さんは19病院で転送を断られた後、大阪府吹田市の国立循環器病センターに同6時ごろ到着。CT(コンピューター断層撮影)で右脳に大血腫が見つかった。奏太ちゃんは帝王切開で生まれたが、実香さんは8日後に死亡した。
 死亡診断書では同センター受診時、実香さんの意識が刺激にまったく反応しないレベルに達していたなどとする記載があり、遺族は「脳内出血の発症は午前0時ごろ」と主張。「これ以降、家族らが再三脳の異常を訴えたのに産科医はCTなどの検査をせず、手術でも回復しないほど脳内出血を進行させた」としている。
 大淀病院の原育史(やすひと)院長は「今後、司法の場において(立場を)明らかにしてまいりたいと考えております」とのコメントを出した。【中村敦茂】

論より詭弁という本がある。この本の中から、ある一説を紹介する。

家庭裁判所の厄介になった少年について、調査官は次のような所見を記した。

「頑固で柔軟性に欠け、融通がきかない。自分の思い通りにしていたいとの気持ちが強く、他人から干渉されることを嫌う。目下のものに対しては、ボス的で強圧的な態度に出るが、目下の者に対しては卑屈に振舞う。」

私(本の著者)が、少年を弁護したいという意図から、この所見を次のように書き換えたらどうだろう。

「意志が強く、一途な性格で、曲がったことが嫌い。自立心旺盛で、自分のポリシーをもっており、周囲の意見に流されない。年下の者に対しては、親分肌なところを見せるが、年長者に対しては礼儀を守り、謙虚である。」

私が、こちらこそが少年の真の性格だと主張するとき、私は詭弁を弄していると見なされるのか。私は少年の性格について何か明らかな嘘を書いたのか。

いかがでしょうか? 何が真実かというよりも、書き手の意図ありきで、こうも論調が変わるのです。言葉・文章を職業としているマスコミ人は、なおさら、一つ一つの表現に十分に自分達の意図を組み込んでいると思います。そう、「真実」「事実」という大義名分のもとに隠れて。

上記記事を検証します。

>訴状によると
訴状は、大変長いものであり、かならずここに要約というステップが入ります。この段階で、記者側の意図が必ず入ります。そして、どう書こうと、「訴状により」ということで、書き手自身の責任を回避できるようになっています。

>仮眠のため退室
医師の当直は、患者一人のためだけではありません。管理する病棟全体の患者さんのためです。医師が最初の診察で、様子観察可能と判断して、仮眠をとるのは、次に起るかもしれない新たな事態に備えて、自分がベストをつくすために、まさに的確な行動なのです。一人の患者だけはなく全体を考えた行動とはそういうものです。ここにこの文章をわざわざ入れた記者の意図として、仮眠というとんでもない怠慢をしているひどい医師のような印象を読者に与えようとしていることを垣間見ることができます。

>誤診して処置をせずに
誤診、処置をせずという表現は何事ですか! 悪意以外のなにものでもありません。
「臨床状況は大変難しい判断ではあったが、バイタルサインなどの経過観察は怠らず、経過を慎重に見ていた」 とも書けますよ。毎日さん。

>同4時半ごろまで病室に来なかった
これは、懸命に仮眠も取らずに、患者のためを思って受け入れ先を探していたのではないのですか? 毎日さん、患者に寄り添いたい気持ちも商売上わからないでもないですが、あなた方の記事がどれほど医師の心を傷つけているか、考えてみてください。

>死亡診断書では同センター受診時、実香さんの意識が刺激にまったく反応しないレベルに達していたなどとする記載があり、遺族は「脳内出血の発症は午前0時ごろ」と主張
これは、まったく医学的整合性がありませんよ。家族の主張と死亡診断の話を、さも意味ありげに無理やり結び付けていませんか? それは、医者が悪かったという印象を読者に与えようとする印象操作以外のなにものでもありません。

大淀病院に関連する報道は、このような背後にあるマスコミ側の意図を考えながら、読み取っていただければ幸いです。

国民の一人ひとりが、浅薄な情報に流されないという意識をもつことが必要だと思います。

どうか目の前の医師を信じて、

医療を受けてください。 


マスコミ報道に振り回されないでください。


お願いします。

コメント一覧
激しく同意。なんという悪意に満ちた報道か!
えぶりでい新聞は形だけ反省しているように見せかけて、中身は全く変わっていないことを見事に証明していますね。
written by 山口(産婦人科) / 2007.05.24 17:56
私も全くもって同意です。私も座位先生の指摘するNHKのニュースを見て、同じ感想を持ちました。あまりに一方的過ぎて、もう何とも言えず悔しい想いがしました。
written by 春野ことり / 2007.05.24 20:12
素晴らしい、御指摘です。
NHKNEWS9のビデオをみて、ああ、もうマスコミはだめだなと思いました。
患者様のご不幸には痛み入りますが……。
ご主人の主張は、主張。現時点では真実だとはいいがたいのに。
裁判となった以上、原告の主張のみを肯定的にとりあげ、被告を攻撃するのは反則でしょう。

written by akagama / 2007.05.25 00:11
初めまして。某掲示板の奈良大淀報道のスレから飛んできました。NHKのあの報道には、目が点でした。
wiki「テレビ離れ」「情報・メディアリテラシー」の項目あたり、面白くて良いです。マスコミ報道、詭弁と自己愛の固まりになってしまいましたね。
written by purin / 2007.05.25 00:18
還暦過ぎの両親は夕食時にこのニュース映像を見ながら
「これは騙されとるな」
「かわいそうに、何も耳に入らんのやろうね」
と、直感で何かを感じたみたいです。
意外とたくさんの人が違和感を感じているのではないかと、サイレントマジョリティに対しては楽観的ですが、果たしてノイジーな一部がどうかというと非常に不安です。

非医療者の私にとっても気分の悪いニュース映像でした。

written by 一般人です / 2007.05.25 01:19
論より詭弁からの紹介、なるほどと読ませて頂きました。
written by Tai-chan / 2007.05.25 05:27
今日のm3医療ニュースは正に燃料満載といったところですね。

>真実をはっきりさせ、謝罪してもらいたい。

と既に医療サイドに非があるとの結果ありきのコメントや、

>医師の中には「100%の安全はあり得ない。患者側は出産の危険を理解していない」などと、訴えを起こす患者や家族を批判する声もある。だが、今回はこうした批判は当てはまらない。

と断言する記者。
こんな仕打ちを受けてなお、

>もうすぐ出産する人がいる。遠くに行かないといけない不満もある。大淀病院は悪い部分を改善して、産科をもう一度やってほしい。

なんて言われても無理です。
written by ヤバクリ / 2007.05.25 09:27
皆様、たくさんのコメントをありがとうございます。

医師の方は、報道がおかしいことで意見の一致を見ることは言うまでもないのですが、一般の方からも違和感を感じているとお聞きすると、なんだかほっとします。

マスコミさんは、どこのブログでも出てこないですねえ。
これだけいろんなところで言われても・・・
だんまりなんですかね。
written by なんちゃって救急医 / 2007.05.25 21:55

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テレビのつくる罪ー大淀事件提訴に絡めてー (天国へのビザ)
http://blog.m3.com/Visa/20070525

メディア リテラシーとクリティカルシンキング (臨床医学に環境・労働の観点を)
http://blog.m3.com/OEM/20070525/3

正鵠を得る (kameの いい味出してね)
http://drkame.at.webry.info/200705/article_30.html

 


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シンポジウム聴講記 [医療記事]

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4月28日午後一時半より、「産科医療」の事故・裁判・質・システムを考えるシンポジウム(URLはこちら)を、聴講してきました。
この会の主催は、「医療情報の公開・開示を求める市民の会」(URLはこちら
           「陣痛促進剤による被害を考える会」(URLはこちら

このブログでは、医師の立場で感じたことを素直に書いてみたいと思います。このブログを読んでくださる方に最初に言っておきたいことあります。

1)彼らは、自分らの信念のもと、一生懸命活動していることは認めます。私は、彼らを批判しても誹謗・中傷する気はありません
2)ネット上の情報であれ、シンポジウムの情報であれ、情報発信側の意図が入り、事実と意見がわかりにくくなることがあります。ですので、私が発信する情報であれ、彼らが発信する情報であれ、、マスコミ情報であれ、情報の受け手側は、慎重であってほしい。特に、非医療者の方々が、彼らの意見のみをうのみにして、医療不信に陥ってしまうことを最も懸念します。

前半は、シンポジウムの進行に添って、できるだけ自分の意見を排除して、彼らが語った内容を記載してみます。(多少の聞き違い、記憶のあいまいさに基づく不備はご容赦ください)、後半は、彼らが語った内容を元に、自分の考えを展開してみたいと思います。

【前半】
会場費1000円を払い、茶封筒を手渡された。その中には、レジメと自分達が出版した本の宣伝そしてアンケート用の紙切れ、質問用の紙切れが入っていた。会場に入ると、かなりの聴衆であった。周りにマスコミクルーが多数いた。シンポジウムは2部構成。第1部はシンポジストの講演。聴衆からの質問はいっさいなし。質問を会場に投げかけられることはなかった。質問のある人は同封の紙を利用して、第1部終了後に渡してくださいとの案内があったのみであった。

最初に、司会者の勝村氏より、病院でのお産は病院の都合で自然分娩に逆らったもので容認できない。一方、助産所によるお産(全体の2%)は、自然分娩だからよい。そういった主張を曜日別出産のデータを示しながら論を展開していた。(この論に対しては、この方(非医療者)の意見を私も支持します。)

●出元明美氏の講演
タイトルはリピーター医師となっているが、ここでは、同じ事故が違う医療機関によって繰り返されることの問題も言いたいと初めに言っていた。事故事例の講演報告が主体であった。この薬の恩恵にあずかった人と事故との対比という視点からの言及は一切なかった。最後に、「事故は防げる」と力強く宣言していた。

●吉野克則氏の講演
横浜堀病院の母体死亡事故の家族の立場でありながら、自分がマスコミ人の立場であることを告白して講演が始まった。刑事事件の端緒は、自分が直接県警に行ったことだと言っていた。分娩監視中の内診は準看護師のみで、助産師や医師は一度も診に来なかったことを力強く講演していた。起訴猶予に終わったことに対する不満が強く述べられ、その中で、堀院長が医籍を返上しなかったので、そのことを追求してやっと先月返上したことを言っていた。産婦人科不足問題についても自論を展開した。「一部に訴訟が多いので産婦人科医が辞めているという話がある。」「一つ一つの事故は別だ。」「被害者と産婦人科医が減っていることは少なくとも関係ない。ろくに調べもせずに妊産婦を人質にとるような言い方は止めていただきたい。」とこのあたりでかなりヒートアップしていた。最後に、こんなこともいっていた。「(医療者側は)事故があったら、どうしてそこに何かあると思えないんですかね」

●高崎氏(夫、義父)
彼らが壇上にあがるといっせいにマスコミが動いた。一番の注目であったようだ。先ずは、夫からの話。大淀病院での対応に疑問を感じていると明言。病院に話を聞きにいったとき、一回目は関係者全員がそろっていなかった。二回目は、弁護士さんだけだった。「なぜ?」と思ったと語っていた。待たされている間が不安で不安でしょうがなかった。(ここで涙)。自責の念にかられること。自分も死にたいと思ったことを告白された。次に、義父からの話。大淀病院は面子にこだわっておられるように見えたこと。面子のあまり転送にこだわったのかと思ったこと。家族の心配に対して平然としていたこと、患者を助ける気持ちが感じられなかったことを述べていた。(途中涙。会場も見渡すと女性の眼に涙もちらほら) 実母の手紙も公表された。大淀病院への不信。国循への感謝の気持ちが述べられた。(このシンポジウムを通して医療への感謝の念が表明されたのはここだけであった) 手紙は、医師である前に一人の人間として気持ちをもっていてほしいという言葉で終わった。

●鳥集氏(とりだまり:本名)
「医師を罰するべきではないのか?」というタイトルで福島大野病院事件の件が述べられた。当時者のK医師の評価は、直接会って取材をしたがまじめな医師であると評していた。彼は、講演の中で、医療者側が発する「不可抗力」という言葉に嫌悪感を示しながら、論を展開した。一部彼のスライド内容を引用する。結語としては、中立校正の組織による事故を再検証する必要性を訴えた。

解消されていない疑問点がたくさんある。裁判で初めて判明した事実もある。さらに、ご遺族は、経験した詳細な事実を、まだ公に語っていない。→「事故は不可避」と言われても到底納得できない。

不確実で部分的な情報しかなかったにもかかわらず、医師限定の閉鎖的なコミュニティーで、「事故は不可避」という前提で議論が進んだのではないかという疑問を払拭できない。医師団体は、「事故は不可避」という結論に至った議論の全てを、公開すべきではないか。

●打出氏
シンポジウムとして唯一の医師。自分が疲れたため、この方の話を聞いていません。従ってここでは書けません。

ここで休憩が入り、質問のある方は、この時間で司会まで紙を提出するようにとアナウンスあり。予定外の報告が一件ここで入った。高松赤十字病院 妊婦死亡事件の被害者である夫が登壇した。資料としてはカルテのコピーが手渡されていた。カルテを前置胎盤を低値胎盤と改ざんしたことと羊水塞栓で死亡したことが述べられた。改ざんと死亡の因果関係については、なんら論理的な説明はなかった。

次は、司会の勝村氏の進行方式は、会場とシンポジストの対話ではなく、各シンポジストが言いたいことを一方的にしゃべるだけの方式であった。ここで、医師掲示板の存在とそこで大淀町病院の詳細な経過がなされたことに対して、シンポジストの批判が集中した。特に石川弁護士が法的な立場からその問題を言及し、ここでは公表できないとは言いながらも、大淀町事件が訴訟準備中(民事?刑事?私はよくわかりませんでした)であることを示唆する発言を行った。また、ウィキペディアの話に出元氏が言及し、医療崩壊のページを私が書き換えようとしたらブロックが掛かっていて出来なったといっていた。そして、その対策を法的に講じている最中であると述べた。また、勝村氏は、医師としての立場から医師掲示板の問題をどう思うかを打出氏に問いかけた。打出氏は、批判的なコメントを行った。(記憶不確かなため具体的に書けない)

勝村氏が、会場からの質問を3つだけとりあげた。全部でいくつの質問が出されたのかは言及せずであった。
1つ目:開業医より「あなた方は、安全な医療についてどう考えているのか?医師にどうしてほしいのか?」
2つ目:医学生より「医学生がこれから訴訟の多い産科医をめざすとしたら、どんなメッセージを送りますか?」
3つ目:助産婦より (すみません、覚えていません)

1に対しての回答
著書に書いてあるというスタンスで会場では深くは言及せず。この回答をきっかけに、クレーマー患者という話題も触れられた。我々は、お金がほしくて訴訟するんじゃない。訴訟でしか真実が明らかにできないから仕方なくやっているいるんだ。そんな我々をクレーマーという枠組みでひとくくりにしてほしくない。金がほしいクレーマーは裁判なんかしませんと言い切っていました。(勝村氏の発言)
2に対しての回答
出元氏が回答した。裁判で訴えられる事例は、(医師側が(私の推測に基づいて補ったもの))そうとうひどいものだけです。自分達はそんなことはしないという気持ちであれば、決して訴えられることはありません。このように回答した。出元氏は、医療崩壊の問題にも触れ、次のように断定的な発言を行った。
「医療崩壊は、医師のレベルの低さのせいでおきた。レベルが低いのは自分達のせいだ!」
(さすがに、これを聞いたとき、自分の手が震え、内因性カテコラミンが急上昇し、自分を抑えるのに私は大変でした。)

以上がシンポジウムの私から見えた概要です。記憶違いはあるでしょう。当人達からすれば、「私はそんなことは言っていない。そんなつもりではない。」。そんなご指摘もあるでしょう。なにせ、私の記憶とメモのみがソースですから。ボイスレコーダーは使ってません。的確なご指摘に基づく訂正意見は受け付けますが、攻撃的と侮辱的と私が感じたコメントはいっさい公表しません。それは、あらかじめお断りしておきます。

【後半】 私の感想および意見

私は、この会に出て思ったことは、「医療事故は、医師が悪い」という結論ありきで、聞く耳をまったくもたない人たちが運営している会だなということです。「会場にどうしてマイクを向けないのですか?」「医療を良くするために、あなた達は活動しているのではないですか?」 まあ、こんなことを思いました。でも、会の方針を決めるのは、運営者の裁量だから、たとえ一方的でも、文句は言えないと思います。せめて、マイクを会場に向けてほしかった。私からの提案と受け取ってくれればと思います。

私は、彼らと論を戦わす気力はありません。疲れるだけだと思いました。しかし、私が伝えたいメッセージがあります。それは、彼らに対してではありません。数多くの静観している一般の方々に対してです。どうか彼らの発する情報をうのみにしないでください。それは、あなた自身が医療不信の心を植えつけられ、ひいては、あなたが医療を必要としたとき、その不信感がかえってあなたにつらい思いをさせてしまうことになるかもしれないからです。適正な医療行為には、患者と医師の信頼関係が前提になります。もし、それをあなた自身のほうから崩してしまったら、逆によい医療を受けるチャンスが少なくなるかもしれないと思えませんか?情報の受け取り手の方は、冒頭に書きましたように、情報の解釈に対して慎重であってほしいのです。 Aという事柄に、yesという意見があれば、どこかでnoという意見もあるのが世の常です。同様に、医療問題に関しても、彼らの主張があればその反対の主張もあるのです。自分がどの意見を支持するかは、自分の責任で選んでください。自分で責任をもつためには、賛成と反対の両方の意見に耳を傾けることからはじめてください。少なくも、彼らがそういう責任をもって自分の意見を述べているとは私にはとうてい思えませんでした。

さて、彼らの論法で私なりにおかしいなと思ったことをいくつかあげておきます。

※ 自分らの一経験(自分が関わった医療事故のこと)から、医師すべて・・・、医療すべて・・・ という安易な普遍化がいたるところで行われている。安易な普遍化の例) 私の知り合いのイタリア人は陽気だ。ゆえに、イタリア人はすべて陽気である


※ 医療者は真実を明らかにしていないだから信用できないと主張するが、不信感をいただいた相手に真実を明らかにしたと納得してもらうことは論理的に可能なのか?疑い出せば、永遠にいくらでも疑い続けることができるのではないか?真実を明らかにするとは、うそがないことを証明することであり、悪魔の証明のようなものだ。したがって、真実を明らかにしろと医療者側にいくら迫っても、確実な証明は不可能だと思う。つまり、相手を信頼しない以上、決して解決し得ない命題である。そんなことに当事者達は気がついていない。


※ 医師はネットで議論をするのが閉鎖的でけしからんという。これは、医師に限ったことではなく今の社会全体の風潮ではないのか?


※ 真実は追求すれば、どこかで可能性の場合分けにしか終わらないことがある。つまり、事実経過はわかっても医学的な判断が関与する部分については真実なんてだれにもわからないことがあるということの認識が欠落しているのでないか?真実、真実と騒いでいるだけで、思考が浅いように私には思えた。


※ 医療をよくしたいと思うなのなら、どうして、医師攻撃ではなく対話姿勢が打ち出せないのか、私には理解しかねる会だった。

彼らの意見に対して批判ばかりでは不公平ですから、確かに・・・と感じた点にも触れておきます。


※ 彼らの意見を聞いていて私が確かにと思ったこと。


自分の家族や自分自身に医療の中で予期せぬ悪い結果が起きてしまったのだから、「どうして」「なぜ」という気持ちが強くなるのは理解できる。そして、医療者のその家族側の気持ちに配慮するという視点が欠けていたがために、被害者としての苦しみを余計に与えてしまったのかもしれない。そうならば、それは医療者側が改善に努力を要することであると私は思う。

出元氏の発言は、医師全般を侮辱する発言ではないのかと私が感じたことをここで挙げておきます。
出元氏は、医療崩壊の原因を医師の低レベルのせいだと断言的に言いました
たとえ一部がそうであったとしても、ひとくくりにしてそう述べた以上、これは、医師に対する侮辱発言ではないでしょうか?私は問題だと思います。
もし、逆に、医療崩壊の原因は訴訟を起こす患者家族のせいだと断言的に言われたらどう感じますか?

医師も断罪されたら、つらい気持ち、やる気をなくす気持ちになるのです。医師に患者への共感を求めるのなら、同じことです。患者側も医師に共感の気持ちを示してほしいものです。

出元氏の発言が、真意からきてるものとすれば、永遠に医療者側との対話は無理でしょう。私はそう感じます。

コメント一覧
 長時間のご出席、本当にお疲れ様です。
 もはや、出元・勝村・石川・打出達には「(ブログ主削除しました)」としての表現しかおもいつきません。
 私たちは、もう逃げるしかないのでしょうか?
 闘う術はないのでしょうか?
 哀しいです。

written by akagama / 2007.04.29 18:28
小児科医です。出元氏は日本の医療がWHOにより世界1位であると認定されているのを知らないんでしょうか?
まあ統計データの検討もしっかりできてないようですから無理もないんでしょうけど
written by mao / 2007.04.29 20:06
某県立病院に長く勤めていたものです。先生の感情を抑制された文章から、主催者たちのヒステリックな様子がよくわかりました。明日につながるものが何も無いシンポジウムであったこともよく理解できました。お疲れ様、そしてありがとうございました。
written by 病院勤無為 / 2007.04.29 20:47
akagama様、mao様、病院勤無為様

コメントありがとうございます。皆様方に少しでも客観的な状況が伝われば幸いです。

written by なんちゃって救急医 / 2007.04.29 23:40
よくぞ先生我慢して出席されましたね。本当にお疲れ様でした。怒りでわなわなしてきます。
医療崩壊の原因は医師が低レベルなせいだと断言することは、医師にたいする侮蔑以外の何でもありません。私のブログにも一般人の方から同様のコメントが届いたことがありますが、反論する気にもならず無視しました。こういう人は何を言っても聞く耳を持たないと思います。たとえこちらが誠意を尽くしても通じない人たちです。

>適正な医療行為には、患者と医師の信頼関係が前提になります
その通りで、始めから医師に対して敵意むき出しにしてくる患者さんとは、よい関係は作れません。
つまり、よい医療が受けられなくなる、そのことを一般の方たちに気付いて欲しいです。

「医療者に誠意を求めるなら患者も医療者に対し誠意を見せよ」という主旨のエントリをトラックバックしました。


written by 春野ことり / 2007.04.30 00:28
ことり先生

コメントとトラックバックありがとうございます。
おっしゃるとおり、多くの方々に気づいてほしくて私はこのエントリーを書いたのです。

written by なんちゃって救急医 / 2007.04.30 00:48
はじめまして。↑で取り上げていただいたブログの管理人です。
うちのブログでコメントを戴いた方からの紹介でやってきました。

聴講記、読ませていただきました。
そして全くまとまりのない私の感想文を取り上げていただきましてありがとうございます。


私の中で何かもやもやしたままだったものがある程度すっきり整理されたように思います。
会場からの意見無しに進むことや安易な普遍化についてはシンポジウム途中で私も感じた疑問です。書いていて文章が散漫になったためこの下りは削除したのですが、やはり文章力の差かな、きちんとまとめられていて(こう言っては失礼かもしれませんが)感動しました。

トラックバックを打たせてもらって、構わないでしょうか?(うちのブログにお越しになったのであればご存じかと思いますが、ご覧のようなアニオタブログですけど……)

それと、最後に。一つ訂正を。
職種をばらすと一発で正体がばれてしまいますのでいえませんが、私、「病院勤務」程度には医療関係者です。
ただし、決して患者さんの前に立つことはない立場ですが。

written by 三上藤花 / 2007.04.30 01:52
三上藤花様

丁寧なコメントありがとうございます。トラックバック歓迎いたします。

written by なんちゃって救急医 / 2007.04.30 01:55
 トラックバックありがとうございます。大阪まで足を運ぶことができませんでしたが、先生の報告を読ませていただき、よくまとまっていると思うとともに、現場と患者さんサイドの認識の差を感じました。もちろん、「事故防止」のために、患者さんサイドの意見も拾うべき視点もあるかと思いますが、過去に医療サイドが開示してこなかったツケを今の現場の医師が、非難をいっぱい受けるのは理不尽に思います(少なくともインフォームドコンセントなしで手術をしていた時代の医師とはまた違う努力をしているのを評価して欲しいですけどね)。
 いずれにせよ、両者のいがみ合いは利益相反です。相互理解のためには、患者さんサイドも医師サイドも「悪いのはあっち」みたいな言い方はよした方がいいかなぁって思いました。医療訴訟が、ネガティブな「医師叩き」を招き、今後の事故防止にならないのと思う次第です。
written by SkyTeam / 2007.04.30 21:13
SkyTeam先生

コメントありがとうございます。先生のブログいつも楽しみに拝見させていただいています。

>相互理解のためには、患者さんサイドも医師サイドも「悪いのはあっち」みたいな言い方はよした方がいいかなぁ

全く同感です。同じ思いのマスコミ人と手を組むことが大事なのかなあとも思います。
written by なんちゃって救急医 / 2007.04.30 21:30
出席おつかれさまでした。
堂々と医師つるし上げの糾弾会が行われているのですね。
恐ろしき限りです。
トラバさせていただきます。
written by doctor-d / 2007.05.01 13:27
doctor-d先生

トラックバックありがとうございました。精神衛生上あまりよろしくなかったが、自分の意思で行った以上、自業自得だと思っております。
written by なんちゃって救急医 / 2007.05.01 19:58
貴重な報告となると思います。お疲れでしたネ。私なら到底最後までは・・・。
written by 雪の夜道 / 2007.05.03 04:16
雪の夜道様

コメントありがとうございます。まさかこれほどのアクセスになるとは思ってもみませんでした。報告したかいがありました。
written by なんちゃって救急医 / 2007.05.03 14:49
「自分の意見が正しいんだ!」こうやって盲信し、聞く耳を持たない人たちの意見は、一見強く、まともに聞こえてしまうんですよね。
冷静に、聞く耳を持つ人たちに節度を持って呼びかける姿勢がいいなと思いました。お疲れさまでした。
トラックバックさせていただきます。
written by 雑草研修医 / 2007.05.05 23:33
雑草研修医様

>冷静に、聞く耳を持つ人たちに節度を持って呼びかける姿勢がいいなと思いました

コメントありがとうございます。上記ご指摘も嬉しく思います。
written by なんちゃって救急医 / 2007.05.06 09:02
アメリカも10年前は今の日本と似た状況だったようですが、最近の医療訴訟は日本より成熟しているように感じています。
アメリカは訴訟社会と固定観念でみている方が多いのですが、彼等パネリストにメッセージを送りたい気分です。
written by Tai-chan / 2007.05.06 16:43
Tai-chan様

コメントありがとうございます。アメリカでも同じような時期があったとは驚きです。

written by なんちゃって救急医 / 2007.05.06 20:23
私も以前、もう10年近くなりますか、出元氏、小笠弁護士主催の会に出たことがあります。医療被害者の集まりだったようでした。
シンポジウムは先生が聞かれたようなことと同じでしたが、その後、フロアから、肺癌患者さんが手を挙げ「小笠先生、私の裁判が進まないけど、どうなってるんでしょうか」と質問(?)小笠弁護士「その話はまた今度にしましょう」と、困っておられ、会場は失笑、ちょっとしらけました。弁護士とクライアント間のIC不足。
私も手を挙げ、出元さんに「私たち産婦人科医は時間関係なく、がんばっている。それでも事故はおきることがあります。、、、」と言いましたが、何も反論なし。小笠弁護士も、困ったような感じ(これは私の主観です)でした。
なんか分からない会でした。
攻撃ばかりで、攻撃されると弱い。変な団体という印象でした。あれから進化しているのでしょうか。
written by springnana / 2007.05.11 12:18
springnana様

そうでしたか。反論なしでしたか。
それで、少しわかりました。
明らかに会の進行方針は、フロアからしゃべらせないということでした。反論に自分達は耐えられないとわかっているんでしょうね。しかし、たいしたものです。マスコミを立派に見方につけてます。
written by なんちゃって救急医 / 2007.05.11 20:51
大変貴重な報告をありがとうございました。
 医者として患者と向き合うとき、このような講演会の情報が非常に役立つ?世の中、というのが残念に思えてなりません。
 かつて勤務医として、病院の都合とは言え、内科急性期病棟、医療型療養病棟、介護型療養病棟、精神科病棟の4つの病棟に40人近い担当患者を抱えて、広い病棟を走り回ったことを思い出します。患者の家族と満足に話す時間もなく、このままではきっと事故が起こる...そんな不安に追いまくられ、犯罪者?、にされる前に病院を辞めました。
 これは極端な例かもしれませんが、患者さんやご家族とのお付き合いがきちんとできない医療情勢、患者さんの望む治療を必ずしもしてあげられない状況を患者側も理解してほしいと感じています(世界一の日本医療にも限界はありますから)。
 大切な人を亡くした悲しみ、それは医者も十分に理解しています。同じ人間ですから。仕方がない、と諦めきれない気持ちも理解できます。それでもなお、現実の医療の中で生きる人間と、あまりに大きい思考の落差には唖然とさせられます。
 それでも、大野病院の件、加藤先生は無罪だと、私の30余年の医者人生賭けて断言します。

written by Doctor Takechan / 2007.05.11 23:01
Doctor Tackechan様

コメントありがとうございます。
「あまりに大きい思考の落差」
まったくそのとおりだと思いました。

悲しみの気持ちを思いっきり向ける場所を変な方向に間違ってしまったのが、大淀病院の例だと思います。
毎日新聞の罪、この会の罪は大きいと思います。

written by なんちゃって救急医 / 2007.05.13 06:36
■高松赤十字病院のカルテ

先日のシンポジウムでは高松赤十字病院の事件も取り上げられていたな。「妊婦死亡後にカルテが書き換えられた。」と、高松赤十字病院の先生が刑事告訴された事件だが、産婦人科医会は警察に抗議しているのかな。奈良のときは、地元ですぐに大淀病院の先生を支持する声明が出ていたけれど。シンポジウム会場で配られたチラシを見ると、書き換え前後のカルテが上下に対比されていて、妊娠37週3日の診察日のカルテ記載が「Placenta やはり P か」 → 「Placenta やはり 低置か」に換わっているな。この記載の横には内子宮口を胎盤がすっぽり覆うような、エコーの所見の図示もあって、書き換え後は、内子宮口の位置がわかりにくくされた上、読み取れない文字が追記されている。このチラシに載っていた新聞記事と、会場に来ていた原告の説明によれば、経過をずっとみていて、37週3日の段階で「やはり前置胎盤か」と診断していたのに帝王切開せずに満期まで放置された結果妊婦が死亡した。また、前置胎盤の妊婦を漫然と満期まで放置したという医療ミスを隠蔽するために医師がカルテを改ざんしたということだ。一連のエコー写真まで掲載されているけれど、このカルテやエコー写真を実際に見た先生はいますか?

written by 参加者 / 2007.06.08 23:16

トラックバック一覧

裏切り (天国へのビザ)
http://blog.m3.com/Visa/20070426/2

とあるシンポジウムレポート (日々のたわごと)
http://diary.b-r.under.jp/?eid=361073

心の伝わらない患者・話の通じない患者 (天国へのビザ)
http://blog.m3.com/Visa/20070430/2

医療論争 (医者の常識、世間の非常識 ~Herr doktor~)
http://ameblo.jp/doctor-d-2007/entry-10032304544.html

[医療]まだありました。 (S.Y.’s Blog)
http://d.hatena.ne.jp/shy1221/20070430/p3

「考える」という名の押しつけ。 (雑草研修医の、脳からの落とし物。)
http://ameblo.jp/zassoblog/entry-10032747037.html

診療情報のネット流出 (kameの いい味出してね)
http://drkame.at.webry.info/200705/article_7.html

産科医は、平日の昼間に無理に産まそうとしている!? (kameの いい味出してね)
http://drkame.at.webry.info/200705/article_23.html


奈良 大淀病院妊婦死亡訴訟のマスコミ操作疑惑 (医者の常識、世間の非常識 ~Herr doktor~)
http://ameblo.jp/doctor-d-2007/entry-10037997184.html

 


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共通テーマ:日記・雑感

90%の生存率って? [医療記事]

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医師の某掲示板からのネタを拾ってきました。下記のような報道記事です。

http://www.kobe-np.co.jp/kobenews/sg/0000298041.shtml

加古川市に賠償命令 市民病院で転送遅れ死亡 神戸地裁

加古川市民病院で心筋梗塞(こうそく)の男性=当時(64)=が死亡したのは、医師が適切な対応を怠ったのが原因として、遺族が加古川市に約三千九百万円の損害賠償を求め た訴訟の判決が十日、神戸地裁であり、橋詰均裁判長は市に請求通り全額支払うよう命じた。判決によると、男性は二〇〇三年三月三十日午前十一時半ごろ、息苦しくなり同病院で心筋梗塞と診断された。医師は、転送の措置を取らずに血管を拡張するための点滴をした。 午後一時五十分ごろ、医師は専門的な治療ができる高砂市民病院に転送を要請したが、午後二時半ごろに容体が悪化。約一時間後に心室細動で死亡した。 判決理由で、橋詰裁判長は「医師は早期に転送する注意義務があったが、措置が遅れた。義務が果たされていれば、約90%の確率で生存していた」と指摘した。 加古川市は「厳しい判決で、内容を検討し対応を考えたい」としている。


医師側、完全敗訴ですね。ざっと目を通して、私は、納得のいかない記事だと思いました。

2003年3月30日(日)

11:30am   心筋梗塞と診断 (0時間)
13:50pm    転送を要請(2時間20分後)
14:30pm   急変(3時間後)
15:30pm頃 死亡(4時間後)

 

別ソースを追記しました(4/13)

http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200704100041.html

時間的経過が少し異なるようです。このソースによると

12:15pm    来院(徒歩?) 発症まもない時点
12:40pm   心筋梗塞と診断
13:50pm頃 転送を要請
15:35pm  死亡(結局転送は行われていない)
裁判官のコメント
 判決は「約70分も転送措置が遅れており、医師に過失があると言わざるを得ない」

いったいどのような心筋梗塞であったのでしょうか? 保存的にいくかカテをすべきかすぐには決めかねる状況もあるのです。この記事からでは、その辺りのことがわかりません。転送の際には、転送元のマナーとして、転送先が困らないように、キーパーソンを特定し、キーパーソンへの連絡の段取りなども必要です。そういうことに時間を取られ、要請までに結果として2時間程度かかってしまうこともありえます。そのあたりの事情も記事からはわかりません。まして、追記したソースのほうを信じて話を進めると、転送までの70分くらいあっという間です。これを過失と断罪されると転送の可能性のある患者はもう最初から診れないということになります

新聞記事ですから、所詮、ことの真偽なんて怪しいものです。よって、医学的な妥当性をこれらの記事だけから深く論じることはできません。詳細な判決文を見てみたい気はしますが。

もうひとついえば、これらの記事からでは、医師側がベストをつくしたかどうかはまったくわからないのです。つまり、ベストをつくしていたにもかかわらず、残念な結果になっただけかもしれないのです。もちろん、その逆の可能性もありますが・・・・。個人個人がその両者の可能性に気がついたうえで、記事を冷静に判断してほしいのです。

ぜひ、多くの方々に、マスコミに振り回されないニュートラルな目で新聞記事を解釈する心をもっていただきたいと思います。私は、マスコミの記事による医療不信の弊害を懸念しているのです。

さて、裁判官は、

約90%の確率で生存していた 

と言い切っています。

 

これは、私個人の医師の感覚からすると、奇異としか感じえません。どうしてここまで、公の場で人の生死を厳密に数字で言えるのでしょうか?不思議でなりません。

この裁判官の判決は、見方を変えると

10%の確率で死ぬひとが、医療の中で死んだ場合には、
100%医療者側に責任がある

となりませんか。

どこかおかしくないですか?人の死は100%訪れるものだという絶対的真理をどこか忘れていませんか?

医師が、こんなことをいってはいけない。医師たるもの救命に全力をそそぐべきだろ!という批判もあるでしょう。批判をなさるのはかまいませんが、その批判が大きくなればなるほど、多くの医師の心が折れていくであろうということは、ここであらかじめお伝えしておきたいと思います。

ぜひ、今の訴訟社会が、どれほど医療者の心に影響しているか、多くの人たちが少しでも気がついてくれれば幸いです。

私は、自分の医学的知識を総動員し、自分の知力と体力をつくして、救命できる人には、適切な医療を提供し、救命が不可能な人とその家族にも、適切な医療を提供したいと思っています。

私の医療感は、救命するのも医療、死を受け入れてもらうのも医療という感覚です。そういうわけで、上記のような文面となるわけです。

そして、ネット社会を通じて、少しでも私のつたない経験が、多くの医療者とシェアできたらという思いで、このブログを始めました。しかし、私の気持ちが、こういう報道を通して、ひとつひとつ削られていくことも、事実です。

報道される医療訴訟記事について、裁判官自体の判断の問題、記事を作成するマスコミの問題など複雑な点があるでしょうが、せめて、医師側にもこれならば仕方がないなという納得のできる医療訴訟記事だけが報道されてほしいものです。

(4月25日追記)
Dr.I先生のブログで事情の詳細がアップされました。 こちらから

このブログの内容から、わかることは、医師はベストをつくしていた
ということです。

にも関わらず、どうして訴訟になるのでしょう?
そして、どうして敗訴になるのでしょう?

救命のために全力をつくそうという気持ちが萎えてしまいます
多くの医師たちをこんな気持ちにする訴訟です。判決です。

医療崩壊に大きな貢献をする判決ともいえると思います。

悲しい世の中になりました・・・・・・

コメント一覧
判決理由で、橋詰裁判長は「医師は早期に転送する注意義務があったが、措置が遅れた。義務が果たされていれば、約90%の確率で生存していた」と指摘した。 加古川市は「厳しい判決で、内容を検討し対応を考えたい」としている。

2003年3月30日(日)
11:30am  心筋梗塞と診断 (0時間)
13:50pm 転送を要請(2時間20分後)
14:30pm  急変(3時間後)
15:30pm頃 死亡(4時間後)

裁判官、原告代理人弁護士、被告代理人弁護士ともども、医療には全くズブの素人たちが机上の空論を戦わしたのが、この裁判ですね。

橋詰裁判長は「医師は早期に転送する注意義務があったが、措置が遅れた。義務が果たされていれば、約90%の確率で生存していた」と指摘した。

「転送の遅れ」というのは、「転送したら、転院先で死亡したので、もう少し早く転送したらということであり」、本件は、転送を要請したが転送できなかったのである。転送もしないで、90%の確立での生存の判決は、こんなもの判決ではない。これはあくまでも心筋梗塞の診断から、治療、死亡までの医療裁判を行うべきであり、これは問題なかったのか。

医療過誤というのは、過失があること、損害があること、その因果関係の3点セットである。本件は医療過誤ではない。
このような裁判と裁判官がこの日本には満ち溢れている。例えば、転送の義務違反だけであれば、生存の可能性など有るわけない、100万円でもでき過ぎである。
加古川さん、弁護士を変えなさい。

 


written by やま / 2007.04.12 12:44
やま様も納得のいかない判決ということですね。
ぜひ、控訴の上、勝訴を勝ち取ってほしいものです。
written by なんちゃって救急医 / 2007.04.12 13:03
こんばんは
トラックバック及びコメントをありがとうございました。
こちらからもトラックバックさせていただきます。
written by いなか小児科医 / 2007.04.12 21:48
いなか小児科医様

コメント、トラックバックありがとうございます。
ほんと、この判決、納得いかないですよね。
written by なんちゃって救急医 / 2007.04.12 22:03
救急車を良く使う我々としては、1時間はすぐですよね。オペ室準備に30分、全麻導入に15分かかるし・・。ありえないっす!
会議中に急にしゃべられなくなった→脳梗塞疑いで救急車要請で来るまでに20分、受け入れ先決定まで15分、病院搬送まで搬送15分でしょうか?(患者移動が時間かかりますよね)
搬送後、脳出血か脳梗塞か確認するために頭部CT20分なり・・・の前に、ルート確保、全麻のための採血・心電図とってたら20分!
ここまでですでに90分かかってますが。麻痺が残ったら訴訟ですかねぇ?tPA使うにしても、NIHSSとって適応見なきゃいけないし。そして、tPA使用時に脳出血の合併で死亡するかもって話す(IC30分以上、配偶者と親戚がけんかしてプラス20分)。もうだめだっ功労省の「3時間以内」を過ぎちまった。
親戚「さっきまで仕事していたのにどうしてくれるんだ?」
こういうヒトに限って数日後に出血性梗塞になっちゃう・・。
written by 脳外科見習い / 2007.04.13 15:21
脳外科見習い様

先生のコメントは、AMIにしろ、Strokeにしろ、いわゆる血管緊急の治療に対する社会的要求が医師にとって酷すぎるという意味に感じられました。

がんばりたいという使命感も訴訟が一つ出るたびにほんと削られていきますよね。
written by なんちゃって救急医 / 2007.04.13 16:43
判決理由で、橋詰裁判長は「医師は早期に転送する注意義務があったが、措置が遅れた。義務が果たされていれば、約90%の確率で生存していた」と指摘した。 加古川市は「厳しい判決で、内容を検討し対応を考えたい」としている.

もう一度、書かせてください。
「医師は早期に患者を転送する義務があるか?」、医師に転送義務はありません、裁判長のデタラメ、捏造判決です。

じゃ何があるか?医師には転送勧告義務があります。転送勧告義務して、行く、行かないは自由です。元々医療過誤裁判は、「過失、損害、その因果関係」があるかないかを裁判をするものです。医療過誤の要件なくして、転送義務違反は法律にありません。

このような裁判長は法曹から、削除するべきです。

written by やま / 2007.04.17 08:35
やま様

ご批判のお気持ちには共感できます。
裁判官そのものを批判しても、我々の気持ちの不全感は解消されないと思います。同業者で、批判的な鑑定なりをした人もいるかもしれないと思うと、やりきれないものがありますね。また、後だしじゃんけん的な批判というものは、悪意がなくても、「認知のバイアス」というメカニズムである程度発生します。
ただ、各裁判官は、自らの出す判決の社会的影響にどれほど敏感なのかは疑問です。

このあたり問題は、先の見えない真っ暗闇ですね。

だからこそ、撤退を決める医療者も多いのでしょう
written by なんちゃって救急医 / 2007.04.17 10:07
先生のご意見に全く同感です。
一つお願いがありますが、壁紙の桜がじゃまになって非常に読みづらいので無地の壁紙にされた方が読みやすくなると思いますのでご配慮下さい。
written by Dr.藤井 / 2007.04.30 20:56
Dr藤井様

ありがとうございます。ご指摘を受けてデザインを変えてみました。
written by なんちゃって救急医 / 2007.04.30 21:04

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後方視的議論 (いなか小児科医)
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20日厚生労働委員会:柳沢発言 [医療記事]

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20日の厚生労働委員会での、櫻井充議員(民主党)と柳沢大臣とのやりとりは一見の価値ありでしょうか。元医師の発言だけに、自分達の代弁者のような感じがして、つい応援したくなりました。 

 

時間外診療もお得意のネットワーク化ですか? 大臣

 

それにしても、この答弁で、今すぐどうのということはないでしょうから、自分の身は、自分で守るというスタンスで、わが身の処し方を慎重に考えて生きたい今日この頃です。 


http://db.kosonippon.org/statesman/statesman_info.php?id=1287  民主党 櫻井議員(前職 医師)

実際の動画はこちらから↓
http://www.webtv.sangiin.go.jp/webtv/library/reference.php?page=1&cd=1855&tx_mode=consider&sel_kaigi_code=0&dt_singi_date_s=2007-01-25&dt_singi_date_e=2007-03-23&tx_speaker=&sel_speaker_join=AND&tx_anken=&sel_anken

 

ほんの一部だけ文字起こしやってみました。 


17:54 櫻井議員
「なに、いってんでしょうねえ よくわかりません ペーパーにまとめて出してください。今の考え方が もうひとつもうしあげておきたいのが、 現状にあっているかどうかということです。たとえばね、われわれは、受けいれられるかどうか電話かかってきますよ。一般的に言うと。じゃあ、電話がかかってきて、この間、一時間くらい間があったとすると、これは労働時間じゃなくなるんですか?つまり、そういう電話を受けて準備しそれから、もうひとつ申し上げておきますが、患者さんを見たから、さあ寝ようかなんて、寝れませんよ。一般的に言うと。言っておきますけどね。二時間おきに患者さんが来られたら、ぼくらほとんど寝れませんよ。こんなもん。だからそう実態ちゃんとわかったうえでやってもらわないと、大臣ね、なんでこんなこというと

こんなことやったら、ほんと勤務医いなくなりますよ。これでいいんですか?このことを解決しないと、勤務医はまたどんどん減っていきますよ。それでいいんですか?

ちょっと大臣、ここは大事なことなので、大臣から御答弁していただきたいけれど。ここの整理は、いつになったらやってくれんですか?柳沢大臣が大臣の間にきちんとやってくださいよ。そのことをお約束いただけないですか。」

19:05 柳沢大臣
「まあ、あの~~、医師の当直は勤務時間に該当するか、しないのかというこれをまあ~、あの決めろと、こういことでございますけれども、櫻井委員があのいみじくも、ご自身のですねあるときとあるときまたちがうときの当直があのずいぶんちがうものになったといういうことに、まあ、おっしゃられておりまたけれども、やはり当直という言葉で、ええまあどちらかにするということが、まあ、可能かどうかほとんど、このまあ、労働基準局の書いてるものによるとですえね、これは、もう最高裁の判例から来てるわけですけれども、やはり、個別の判断によらざるを得ないとこういうふうになっているわけでございます。そこで、問題はですね、

ですから現在の当直あるいは救急医療をしている箇所の当直というものを、こうひとつ特定してですね、

ええこれはあの~、どうかと、あるいは、というようなことは場合によって可能かと思いますけれども、とにかく、今のこの判例から来たあの労働基準局の解釈ではですね、あの今言ったように、個別の状況によって、あの~、判断をするということになっております。ええ、少しは、しかしながら、現実のお医者さんの、まああの~、状況というものを私どもも、あのこれは、たまたま、厚生系統と労働系統が一緒になった役所にもなりましたので、あの研究をさせていただきます。いや検討させていただきます。」

21:02 櫻井議員
「まあ、よろしくお願いしますというしかなんでしょうね。でも、早急にやってください。これは、あの勤務医が不足していることそのもの自体、それからここのところはなんとかしなきゃいけないというのは、これ厚生労働省としてですね、認識はお持ちなんでしょうね? そこだけ確認しときたいですが、厚生労働省として、勤務医不足はなんとかしなきゃいけないとそう思われてんですか?」

21:29 柳沢大臣
「もう言うまでもなく、それは厳しく認識しております」

21:37 櫻井議員
「もう一点、その勤務医が辞めていってる原因が、何であるかは、これはもう、ちゃんと検討されてるんですね。そこの中に、

労働条件があまりにきびしすぎるからということが挙げられているということこと

も、これは厚生労働省は認識してるんですね。」

21:53 柳沢大臣
「それは、十分認識しているといわせていただいて、え~、あの~、いわせていただけるかと、いっいただけると思います。私ども、現実にあの労働時間も、労働時間というか、あ~このことについては、まあ、小池委員などから厳しく批判されたこともありますけれども、しかし、え~そういう批判は、ありつつもですねえ、やはりあの明らかにあの現在の労働時間は長いし、それからあの、なんていうか診療所のお医者さんに比べて、明らかにもう、長くなっている、え~、ということでございます。いずれにしても、勤務医の先生方の勤務条件というのが非常に厳しいという認識は十分持ってます。」

22:40 櫻井議員
「そうそるとそれに対する対策を次々うっていかないと改善しないってことですよね。だけど、ここ何年かみたときにですね、少なくとも私が国会議員になってからずっとみていてですね、良くなったとはひとつも思えませんよ。悪くなる一方ですよ。つまり、それだけのことを認識されていたとすれば、そして正しい対策が取られればですね、もっと改善してしかるべきであるのに、それが改善してこなくって、さらにどんどん勤務医が辞めていってるということは、厚生労働省としての分析が不十分かもしくは対応がきちんと取られていないってことなんだろうとそう思います。あの何を申し上げたいかというと、別に医者だから、医者の条件をよくしてくれといってるわけではなくて、地域医療が崩壊してしまうという、その危機感をもってるからこそですね、もうしあげてるだけの話です。そして、この激務によってですね、あまり、こういうことを申し上げたくはありませんが、医療事故につながっていくこともありうる。ですから、そういことを考えてくると、もう少しその労働者のですね、医者を労働者としてちゃんと見ていただいて、その労働条件が変わってこないとなんともならないと思っています。」

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文字起こし大変お疲れ様でした!
桜井議員、素敵ですね。こういう方にぜひ頑張って欲しいです。
written by 春野ことり / 2007.03.25 21:38
ことり先生

コメント、トラックバックありがとうございました。
医師議員がもっともっと必要なのかもしれませんね。
written by なんちゃって救急医 / 2007.03.25 21:59

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怒ったゾ~ (天国へのビザ)
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