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謝罪マニュアル中の「責任」とは [医療記事]

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さて、今朝の新聞紙面では、ハーバードの有名な謝罪マニュアルをマスコミがネタにしています。

興味のある方は、原文を直接ご参考になさるのがよいでしょう。 (私は見ていません)

翻訳版もありますが、翻訳上の問題点を指摘されている人もいます。 ↓ 翻訳はこれです。

(ハーバード大学病院使用)医療事故:真実説明・謝罪マニュアル「本当のことを話して、謝りましょう」 翻訳:東京大学 医療政策人材養成講座有志「真実説明・謝罪普及プロジェクト」メンバー

本日の読売から。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070814-00000001-yom-soci

医療事故「謝罪マニュアル」、社会保険連系列病院に導入へ
8月14日3時7分配信 読売新聞

 全国で52の社会保険病院を運営する「全国社会保険協会連合会」(全社連、伊藤雅治理事長)は、医療事故が起きた際、患者本位の姿勢で対応する方法を示した米国の「医療事故・真実説明・謝罪マニュアル」をグループ病院で実施することを決めた。医療事故の際、患者側に十分な説明をしない病院が少なくない中、大手病院グループが謝罪マニュアルの実施に踏み切るのは初めて。「謝罪マニュアル」は米国のハーバード大医学部の関連16施設で用いられており、昨年3月に発刊された。日本では同11月に翻訳されている。

 同マニュアルは、医療事故が発生した際は、隠さない、ごまかさない、逃げない姿勢が正しいと強調。
〈1〉過失の有無が不明な段階でも、分かる範囲で状況を説明し、
責任があることを表明する
〈2〉遺憾の意を表す
〈3〉過誤が判明した時は謝罪する
〈4〉再発防止策を示す
――などの対応方法を具体的に示している。

さて、これは、とうぜん要約ですので、読み手が誤解することも十分にあり得ると思います。

ブログ主が危惧していることに、「今の現代社会は、どこか自己責任というものを忘れてはいないか?」ということがあります。 ですので、こういう記事が、新聞という形で、世間に公にされるとき、自己責任感を持たない人が、ますます医療に対して、その責任を理不尽なまでに押し付けはしないかと不安になります。

つまり、「責任」という言葉の独り歩きが、最も懸念されます。

一般に、医療事故で、「責任」という言葉を使う場合は、それは、「過失を認めて賠償を行い、謝罪をする」という意味に解釈されるのが、一般社会の中での平均的な解釈だと私は思っています。

つまり、この平均的解釈の中で、〈1〉を読んだ場合は、
「医療の中で起きた悪しき結果は、すべて、医療者側が賠償をおこうなうべきだ」と解釈する人も出てくると思われます。 それは、由々しきことなので、本エントリーでは〈1〉について原文をもとに補足解説をしておきたいと思います。 以下は、原文の該当箇所の引用です

少し考えてみると、医師が有害事象に関してまったくなすすべがないような状況において、その事故に責任を負わなければならないというのは変なことに思われるかもしれません。このような場合、責任をとるということは単に罪過を負うということを意味しているわけではありません。おそらく多くの要因が医療事故に関わっており、その要因の多くはだれにも統制できないものです。しかしながら、医療チームのリーダーとして、医師は当該の患者さんに医療を提供する医療システムになくてはならない部分です。患者さんやご家族が、医師が医療行為に責任がある人物であると考えることは理解できます。患者さんは、主治医に気遣いや慰めを当てにしており、物事を自分たちのためにうまく動かしてくれると期待しています。患者さんは、だれかが責任を持って状況を統制していることを知りたいと考えているのです。
 医師や病院幹部が医療事故の責任を負うときには、将来の行動に対する責任を受け入れているのです。すなわち、
医療事故の原因を見つけ出そうと試みたり、患者さんやご家族に情報を伝えたり更新したり、そして有害事象の合併症を監視したり管理したりします。彼らは、将来に同様な医療事故が他の患者さんに起きるのを予防するために、可能なことは何でも行なうという病院の責任について知らせます。
 もし医師が有害事象に直接関わっていたならば、その医師は自分自身の役割に対して責任をとらなければなりません。しかし、また、有害事象が起きるのを助長したシステム上の要因についても説明するでしょう。しかしながら、「システム」を非難すべきではありませんし、「システム思考」のような専門用語を責任の回避をするための言い訳に用いてはなりません。

いかがでしょうか?このマニュアルの中で述べられている病院の「責任」とは、一般社会の中で普通に使われている「責任」とは、ちょっと違うと思えませんか?私には、「患者や家族から逃げずに、病院として真摯に話し合っていきますよ」という意思表示のことを「責任」と表現しているように思えます

病院で、患者が死ねば、病院のせい(=病院の責任)と言われかねない今の世の風潮を憂えているブログ主の感想でした。


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コメント 5

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あつかふぇ

というか、何故ベイジンの謝罪マニュアルを記事として報道するのでしょうか?この謝罪マニュアルを使う意思表明をする病院も意味が分りません。
by あつかふぇ (2007-08-14 18:15) 

Dr. I

事後承諾になっちゃいましたけど。
すごく良い記事だと思ったので、自ブログで引用させていただきました。

ポイントになるのは、
過失の有無に関わらず、ってところだと思うんですけど。
なんか、この新聞記事からは、それが重要というようには見えませんね。
by Dr. I (2007-08-15 22:49) 

元なんちゃって救急医

>あつかふぇ様
確かにアメリカのものをそのまま日本に適用するのもなんだかなあと思います。

>Dr.I様
引用ありがとうございます。
by 元なんちゃって救急医 (2007-08-16 17:23) 

Taichan

”I am sorry."と決して言うなという教授も居ます。どちらが良いのか?
日本人は”I am sorry."とよく言う民族性ですから受け入れ易いでしょうか?
by Taichan (2007-08-16 20:43) 

元なんちゃって救急医

>Taichan様

日本人が受け入れやすいかどうかは、私には疑問があります。
by 元なんちゃって救急医 (2007-08-17 08:59) 

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