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吐血という触れ込み [救急医療]

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多くのブログですでに取り上げられている次の事例ですが、ここでは少し違った視点から話題提供してみたいと思います。ただ、その前に個人的な思いは述べておきます。

16病院が受け入れ拒否 66歳男性死亡 兵庫・姫路   魚拓

兵庫県姫路市で6日未明、肝臓に持病がある男性(66)が吐血し、救急車が搬送先の病院を探したところ、近隣の16病院が「専門の当直医がいない」「処置中」などを理由に、受け入れを拒否していたことがわかった。男性は約2時間後、約30キロ離れた同県赤穂市の病院に搬送されたが、死亡が確認された。

 姫路市消防局などによると、6日午前0時7分、同市内に住む男性の家族から
「意識がぼんやりしていて、吐血もした」と119番通報があった。救急車は3分後に男性宅に到着し、救急隊員が車内から姫路市、兵庫県高砂市、同県太子町の16病院に受け入れを要請したが、拒否が続き、午前1時20分、17病院目の赤穂市民病院が応じたという。このほか、2病院では電話がつながらなかった。

 男性は搬送中の同40分、
容体が急変。心肺停止状態に陥り、午前2時17分に同市民病院で死亡が確認された。同病院は死因を明らかにしていないが、男性は肝臓が悪く、3年前までほかの病院に通院していたという。

 病院側が断った理由は、「専門の当直医がいない」が5カ所、「ベッドが満床」が4カ所、「処置中」が4カ所、「処置困難」が3カ所だった。国立病院機構姫路医療センターは「症状が重篤と判断したため、内科の救急対応ができる病院へ搬送してほしい、と要請した」としている。

 姫路赤十字病院は脳外科医が当直で、「専門医がいる病院を」と回答。姫路聖マリア病院は夜間救急搬送先の輪番制で「内科・外科」の当番に当たっていたが、午前0時ごろから相次いで別の救急患者が搬送されるなど、医師7人全員が手術や救命措置にかかりきりになり、受け入れを断ったという。

 市消防局の浅見正・消防課長補佐は「救急隊員はみんな助けたいと思っていたので悔しい。全国的に医師不足が問題となる中、専門の当直医が減って受け入れを断られるケースが増えている。今回の事案を精査し、同様の事態を繰り返さないよう病院と協力する態勢を作りたい」と話した。

ここでは、この事例における社会構造的な問題は、いろいろとあるでしょうが、一点、私が感じていることは、日本社会そのものが、「病死という自然現象に直面化できていない」のではないかということです。だから、「社会として病死を受容できていない」と考えることができます。 「病死は避けるべきもので、あってはならないもの」というおそらく社会的な無意識の大前提を、本当にそれでいいのかと問い直す必要があるのかもしれません。現社会基準よりももっと病死が当たり前の社会ならば、この事例そのものに、ニュースバリューがなくなるわけで、ところが、現実は、毎度毎度大騒ぎです。特に大淀病院以降、マスコミの騒ぎ方はヒステリックなまでに顕著です。だからこそ、私は、「病死を今一度自然なものとして粛々と受け入れる社会」というのを、次世代にめざすべき社会像として個人的に提唱してみたいと思います。

救急隊からの第一報は、極めて不確実性に富みます。これを医師は救急隊の能力のせいにしてはいけません。 それは、現場の限界性から仕方がないことなのです。 だから、救急システムの理想を言えば、ER型救急システムなのかもしれません。 ER型救急システムの詳細については、こちらをご覧下さい。 理想を言うのは、簡単ですが、現状の医療資源とマンパワーでは、日本全国にこのシステムを張るだけの余力はありません。

私のブログ上では、この受け入れ不能の社会問題に対しては、これ以上、自分はコメントしないということをあらかじめ明示しておきます。私の気持ちとしては、ネット上の文字媒体だけで、不毛な議論をやりたくないからです。

さて、ここからが本日の本題です。多くの人は、この事例は、消化器の緊急と考えるでしょう。だから、受け入れは、消化器科専門医がいるのがベストだと考えるでしょう。 それは、それで、正論です。私も賛成です。ですが・・・・、時に意外なことが起きてしまうのも救急の現場の現実です。
そういう意外性をどれくらい考慮して、現場で立ち振る舞うか??難しいです。正解はありません。ただ、そういう気持ちが、診療上での地雷回避につながるものであろうと私は信じています。

私の自験例を紹介します。

56歳 女性  「吐血です!」と救急隊より受け入れ要請。

慢性C型肝炎、肝硬変で当院消化器科かかりつけ。 朝、朝食時に、気分不良で吐血した。当院がかかりつけであるため、救急隊は、当院を搬送先の第一選択として決定し、要請した。救急隊からの電話は、当院の看護師が受け取り、上記のような簡単なやり取りがなされた。かかりつけだったので、こちらとしてもあまり細々と聞かずに受け入れOKの返事をした。10分後に到着予定という。 初期対応するのは、私と一年次研修医Sの二人であった。

受け入れ決定から、患者到着までの待ち時間は、頭の準備体操の時間として有用だ。しばし、私は、この時間を利用して、研修医に頭の準備体操をしてもらっている。以下は、そんな準備運動の一こまである。

私 「おいS君よお、肝硬変の患者で吐血だってよ?何考える?」
S 「はい、そりゃ、食道静脈瘤の破裂に決まってますよ!
   簡単すぎますよ!」
私 「そうだなあ。正解だなあ。レベルがちょっとぼんやりって言ってたね。」
   「何、考える?」
S 「はい、そりゃ、高アンモニア血症ですね。簡単すぎますよ!」
私 「そうだなあ、正解だなあ。速攻で血糖に加えてアンモニアも出そうな」
   「で、患者がもし吐いてたら・・・・・・」
S 「 嘔吐ですか? もしかしたら、あれ・・・・」
私 「そう、あれあれ・・・・」
S 「 でも、静脈瘤でもあれでも内視鏡緊急で消化器コンサルトですよね。」
私 「最悪のエピソード考えてみようよ。」
S 「え?? ・・・・・・」

私の問いに、元気だったSからの解答が止まった。

待ち時間に、こんなやりとりをしていたのだが、なんと、患者は本当にその最悪のエピソードであった。
なかば、冗談半分で言っていたワーストシナリオが現実のものになろうとは思いもよらなかっただけに、私にとっても大変印象に残っている症例である。

私は、彼にどんなWorst scenarioに気がついてもらおうとしていたのでしょうか?

(12月7日 記 続きは後日)

(12月8日 追記)
皆様、コメントありがとうございます。最悪といえば、確かにAorto-enteric fistula(AEF)は最悪ですね。当時は、想定していませんでした。 私が考えていた最悪のエピソードとは、ずばり皆様のご指摘の通りです。

では、続けます。

10分後患者が到着した。救急車まで、私は患者を出迎えに行った。
救急隊が降りて来るや否や、私は救急隊に質問をかました。

私 「バイタルは? 意識は?」 
救急隊 「血圧は、230/110 です。 意識レベルはJCSの1群です。」

私 「吐血の量は?嘔吐は?」
救急隊 「はい、吐血の量は少量だったようです。嘔吐をしていたそうです。」

この時点で、やはり、これは頭のトラブルだ!と直感した。

患者が、救急隊のストレッチャーから、処置室のベッドに移された。
それと、ほぼ同時の出来事だった・・・・・

患者 「あ~あたまが~~、いた~~い」 とか細い声を上げた後
    「・・・・・・・・」

患者の反応が亡くなった。同時に失調性の呼吸になった。

私 「 おい! これは、頭だ! CTをとるぞ。S、段取りを頼む」
S 「あ、はい!!」

私 「いかん、CT室まで呼吸が持つか?、 バイタルは?」
看護師 「はい、血圧240です!」

私 「ペルジピン2mg 用意して。それと挿管する 」

一刻の猶予もない状況と判断して、ペルジピンをショットしつつ、私は気道確保を選択した。
その後、CTをとった。

予想通り、くも膜下出血(SAH)だった。 おそらく、私達の目の前で再出血を起こしたのだろう。
脳神経外科対応が可能な近隣の病院へ大至急転送の運びとなった。

この症例のまとめとして、次のパターンは抑えておきたい。地雷対策の公式のようなものである。

頭部緊急疾患の発症(SAH、小脳梗塞や出血) 
⇒ 頻回の嘔吐が出現
⇒ マロリーワイス症候群による吐血 
⇒ 主訴や触れ込みが「吐血」として来院

∴消化器疾患で思考停止すると地雷にはまるかも

このように、救急要請のレベルで、第一報が、吐血であったとしても、必ずしも消化器の専門医が対応するのがベストとは限らないのである。これが、救急の現場における医療の不確実性なのである。 この不確実性は、残念ながら、多くの人に理解されていない。 多くの人たちは、現場を体験しないので、ある意味当たり前なのかもしれない。しかし、世の中は、この不確実性を理解しようとしているだろうか? メディアは、世間に理解させようとしているだろうか?

答えは、Noである。 むしろ、その逆である。 この数年間を通して、メディアは、医療の現場を報道を通して叩き続けてきた。 裁判は、被害者救済の論理および法の論理に基づいていわゆる「トンデモ判決」なるものを出すようになってきた。それによって、我々は、現場を知ってる者のみしか身をもって感じることのできないであろう途方もない絶望感を味わってきた。

救急の現場から、医師がいなくなる・・・それは、ここ数年の社会情勢からすれば当然の帰結である

と救急の現場のど真ん中にいる私は、言わざるを得ない。

現場から医師がいなくなる。医療が、受けられて当たり前のものでなくなっていく。

この現実の流れに、私達は逆らうのではなく、この流れを仕方がないものとして受け入れていく心積もりをしていく必要があるであろう。もちろん、問題解決に対して精力的にがんばる人たちを、私は否定するつもりはさらさらない。ただ、仕方がないと考えたほうが、あなたの心が楽になりませんか?という問いかけだと思ってもらえればいい。

財政破綻や医療崩壊の社会問題を収束させる鍵は、 国の役人でもなく、国会議員でもなく、医師でなく、法曹でもなく、マスコミでなく・・・・・
国民ひとりひとりの心の中にある「あきらめと受容の心」を育むことなのかもしれない。これからは、生き方の価値観を変容させていく必要があるのではないだろうか?

私が好きな詩をここにもう一度引用する。

こちらを参照    今日は死ぬのにもってこいの日 ナンシー・ウッド(著)

元気なうちから死に時を考えるという気持ち・・・・日ごろの我々に欠けている視点ではないだろうか? 

(当エントリー No23 ある老人の突然死 からの再掲です )


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コメント 15

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僻地外科医

まず上げるのはSAHなど頭蓋内緊急ですなw
BPチェック、瞳孔チェックがポイントでしょう。BP高ければSAHを疑ってみるのは重要かと。

で、さらに最悪のシナリオとしては急性A型解離で意識障害+AEF
うわ~、いやだ、いやすぎる・・・・。そんなの見たことないですけどね。
by 僻地外科医 (2007-12-07 13:33) 

koba

SAHに同意です。クッシング潰瘍による吐血でも結構な量でていたことがありますし。肝硬変なら尚更かもしれないですね。
by koba (2007-12-07 14:34) 

HDsurgery

>さらに最悪のシナリオとしては急性A型解離で意識障害+AEF

本当にこれ最悪すぎます・・・
by HDsurgery (2007-12-07 16:15) 

moto

SAHで嘔吐でマロリーワイズ症候群ってのはどうですかね?
AEFだと、速攻死んじゃうって気がしますがどうでしょう?それから、まあ、例によって変な根拠ですが、http://blog.so-net.ne.jp/case-report-by-ERP/20070602で、なんちゃって救急医先生ご自身が、「AEFにはまだ遭遇したことがない」って書いてらっしゃるし(^^;。・・おっと、この半年以内の症例なら、そうも言えないかあ。

明日から二日間、ACLS再受講してきます。7月に受講したのですが、年も年だし、皆さんと違って救急の場数踏んでないので、とにかく体動かして、慣れておかなければ。
来年は、月に一日くらい、東京の救急救命センターに見学に行こうと思っています。
自分のように、美容で開業している者でも、医師免許頂いている端くれですから、ここで勉強させていただいていることと併せて、いつか役立てたいと、ばくぜんと思っています。
なんて言うか、武道でいうなら、型の練習みたいなものでしょうかね?
by moto (2007-12-07 17:43) 

僻地外科医

moto先生のおっしゃるように
「嘔吐ですか? もしかしたらあれ」のあれがマロリーワイスでしょうね。

で、なんちゃって救急医先生が示唆しようとしたのがSAH(頭蓋内緊急)->クッシング潰瘍なんだと思いますよ。

AEFは即死しそうな気もしますが、以前にここのコメント覧にあったようにpinholeであれば即死しないケースもけっこうあるそうです。
by 僻地外科医 (2007-12-07 19:17) 

偽精神科医

このSは私であります、このやり取りもよく覚えております。
「簡単ですよ!!」とまで言った記憶はないのですが・・・。しかし、どうせ「静脈瘤破裂 → 高アンモニア血症」のパターンだろう、先生は僕を教育するために最悪状況を想定するトレーニングをして下さってるんだろう、な程度にしか思ってませんでした。

>>なかば、冗談半分で言っていたワーストシナリオが現実のものに
>>なろうとは思いもよらなかっただけに、私にとっても大変印象に残
>>っている症例である。

患者さんが到着するや否や、状況は一変。事前に先生と会話していた通りのことが目の前で起き、「先入観の恐ろしさ」を思い知らされたのと同時に、「この先生、やっぱすげぇわ・・・」と尊敬の念が増した症例でした。
by 偽精神科医 (2007-12-07 23:11) 

はしくれアメリカER医

バイタルが知りたいところですね。

しかし、比較的頻繁に見るものとしては皆さんが指摘されているSAH→嘔吐・吐血。

AEFはまれですけど、恐ろしいですね。先日AEFを診ました。腰が痛くてフラフラするという顔面蒼白の男性で、聞いたら吐下血もあるとのこと。もしやと思い、CT撮ったらAEFでした。最悪なことにこの男性は出血性+敗血症性ショックを合併していましたが、血管外科の素早いオペ搬送によって助かりました。

ERでの鑑別の挙げ方は特殊ですよね。まず致死的なものの除外というのが大前提です。ゴミ箱診断(急性胃腸炎、上気道炎、肋間神経痛)は要注意診断名であること、何か一つ病気が見つかったから思考が停止するという人間誰にでもある危険を認識しながら診療に当たりたいものです。しかし、これが夜中の3時とかだと辛いですよね-。
by はしくれアメリカER医 (2007-12-08 02:38) 

腎臓内科医

最悪のシナリオはAEFに同意ですが、AEFは以前にも取り上げておられましたから…。食道破裂も以前ありましたかねー。

私の経験した肝硬変+吐血の最悪は、血液誤嚥による呼吸不全で意識レベル低下。喉頭展開しようにも血の海、というものでしたが。
by 腎臓内科医 (2007-12-08 11:20) 

組長

S先生のおっしゃられている「あれ」はマロリ−ワイスだろうと思います.

私は1年目の時に救急当番をしていた時に,同様の(?)症例を経験した事があり,それを思い出しました.

吐血の触れ込みで救急搬送された60代男性の患者さんで既往歴は不明.救急車内でも吐血があったとの事で見せられた吐物は確かにコ−ヒ−残渣様.
「こりゃぁ,とりあえず緊急で内視鏡かな」と内視鏡室にとりあえずの連絡を入れた後,診察に.
バイタルは詳細は記憶に無いのですが,とにかくショックバイタルでは無かったです.
患者に一通りの病歴を聞くと,「昨日の夜から急に嘔吐が出て止まらなくなった.一人暮らしでどうにもできずに朝に妹が来てくれて救急車を呼んでくれた」とのこと.
ところが,若干呂律の悪さを感じた組長は.「しゃべり方はいつもこんなもん?しゃべりにくくない?」と聞きました.
すると「いや,別に.いつもこんなもんや」と.

若干の違和感を感じつつも内視鏡室まで運んで検査を待っているところに,妹さん登場.

「しゃべり方はいつもあんな感じですか?」と聞くと
「いえ,昨日まではあんな感じではなかったです」と返事が!!

内心「ぎゃぁ!!」と叫びながらCT室へ.
そこには大きな小脳出血が映し出されていました‥‥

後から考えてみれば,神経学的所見を取る際にnose-finger-nose testなんかは飛ばしていたような‥‥

なので,個人的にはこの症例は「(SAHだけでは無く)頭蓋内病変によるマロリ−ワイス」も選択肢に加えたいです.

でも,まだ2年目な組長は自験例のない症例に対して最悪のシナリオを考える訓練は十分にできていない自覚がかなりあるので,これからも色々参考にさせて頂いて修業していきたいと考えております.
by 組長 (2007-12-08 11:58) 

moto

いま、半年ぶり、2回目のACLS受講に、博多に来ています。
前回、名古屋で受けたんですが、わけ判らないうちに終わってしまったんで(^^;、今回ようやく人並みに考えながら、体動かすことが出来つつあるようです。
「多相性のVTは不安定な頻拍でも同期カルディオバージョンではなく非同期の除細動だ」とか、アルゴリズムには書いてなくて本文にちょっとだけ書かれてることとか、前回読み込みが足らなくて混乱してたことが、ときどき氷解するんで気持ちいいです。
それから、同じtext使ってはいても、きっと各地のトレーニングサイトなりの特色があるだろう、と期待してたんですが、当たりました。名古屋は、大学が主体で、インストラクターも多く、アカデミックな雰囲気だったんですが、博多は、開催回数が日本一だそうで、かなりこなれていて、なおかつ、センター長の個性が強く出ている感じです。
少し前に気がついたんですが、この種のトレーニング運営は、よい意味でのビジネス性ありますね。なんちゃって救急医先生も、サイト長で起業すればいいのに。産業医やりながらでも出来るんじゃないかな。
ふつうは、プロバイダーの次はインストラクター目指すんでしょうが、わたしは、そんな技量はないし、各地のサイト受講めぐりして、それでもってブログでも始めようかしらん(笑。
次は茨城にしようかと思います。あそこは、かわいいサイトオリジナルグッズが多いんだって(博多サイトのインストの人に聞きました)。
by moto (2007-12-08 21:44) 

元なんちゃって救急医

>moto先生

私は、救命の型が広がるのは、有用であると思う反面、医療者が医事紛争の火種をわざわざつくっているような気もしないこともありません。

要するに、救命にこだわる姿勢は、一見すると医療の王道に見えるようですが、医療者自身の内面に潜む「死」の直面化を避ける逃避行動の裏返しに過ぎないと思うようになってきています。

だから、今の私は「型」を普及させることに個人的な魅力を感じていません。
by 元なんちゃって救急医 (2007-12-08 22:03) 

moto

う~ん、正確に理解できているか自信がないのですが、なんちゃって救急医先生が繰り返し書かれていらっしゃる、「医者にも誰にもどうすることも出来ない死というものがあって、むしろそれを受け入れる意識を社会に広める(元に戻す)ことこそが重要だ」っていう考えに通じるものでしょうか?

少しおちゃらけて書いてしまいましたが、私がこの手のトレーニングを受講する真の理由は、もちろん、自院での不幸なトラブルが万が一あったら大変、という内心悲壮な危機感にあります。わたしのような者にとっては、本当にこの手のトレーニングは有難いんですよ。
仮に不幸なことがあっても、自分は手を尽くしたんだ、と、少しは自責の念に駆られずにすむかもしれませんから。。
by moto (2007-12-08 22:24) 

はしくれアメリカER医

なんちゃって救急医先生が言われた「元気なうちから死に時を考えるという気持ち・・・・日ごろの我々に欠けている視点ではないだろうか?」の文に大賛成です。

死を間近にむかえた人間との対話を書き綴った本でとても印象に残っているのが「モリー先生との火曜日」という本です。死とは避けられないものなのにそれを現実逃避して日々の生活に没頭する人間が少しずつ変わっていく様を恩師と記者であるもと学生を通じて書かれています。

死に関してもイメージトレーニングは必要なんでしょうね。安い言葉での表現お許しください。 
by はしくれアメリカER医 (2007-12-09 02:07) 

当直明けの研修医

こんにちは。風邪気味、当直明けのぼんやりした頭が一気に覚めることがあったので、いささか場違いかもしれませんが、ここで書き込ませていただきます。

テレビ大阪で、毎週日曜日、午前11時半から0時54分まで放送されている、「GA-tuuun!!」と言うテレビ番組があります。本日、12月9日のテレビ欄に、「現役医師の本音暴露にスタジオ騒然」とあったので、早速見てみたのですが、昨今の報道姿勢と照らし合わせてもかなりひどい番組でした。

スタジオに31歳の現役医師と24歳の看護師を一人ずつ呼び、「医師、看護師、病院にまつわる怒りをぶちまける」、という触れ込みのコーナーでした。
冒頭から司会の芸人が「近頃『たらいまわし』のこととかで世間を騒がせることが多いですが・・・。」などとふざけたコメント。

「医師、患者の間には信頼関係が必要ですが・・・」と言っておきながら、申し訳程度に、「中にはすごい患者もいたわけですか?」という問いがコメンテーターから向けられた程度で、後はネガティブキャンペーンのオンパレードでした。

「ウチ、前に事故にあったときに救急車で病院に運ばれたときに1時間も待たされてんでえ!!」とおばちゃんが大声でまくし立てる。無論、スタジオの医師は「それは症状が救急ではなかったからで、他の緊急患者に対応してたんだと思うんですが。」と答えても、「他に患者なんかいてませんでした!ウチが救急やって言ったら救急やねん!!鞭打ちなんやで!」と全く聞く耳も持たず。このおばちゃん、他にも、「医者ってお金もろたら対応変わるんやろ?ウチが菓子折りもって行っても受けとらへんかったけど、他の患者がお金持っていったら受け取っててんで!!」。

他にも、やれ創内異物と骨折を見逃されただの。やれ医者は失敗しても謝れないものなんでしょ?だの。前後にどういうやり取りがあったのかは一切すっ飛ばして悪口の言いたい放題でした。

また、スタジオに出演していた医師と看護師も、実情を答えるのはいいとしても、口の利き方がなっておらず、ネガティブキャンペーンに完全に力を貸す形になっており、「これは番組制作側に完全にしてやられた」と感じざるを得ない内容でした。

大阪と言う大都市で、救急対応が出来る医師、病院がどんどん減っていく中で、この危機的状況にさらに拍車をかけるような番組内容にあきれ果てました。

本来、自分の持つ場でこういったことは表明すべきと思ったのですが、救急医を志す駆け出しの一人として、諸先輩方のご意見もお聞きしたいと思い、あえて書き込ませていただきました。申し訳ありません。
by 当直明けの研修医 (2007-12-09 14:26) 

元なんちゃって救急医

>当直明けの研修医様

メディア情報が個人の感情を垂れ流す時代です。これは、どうしもない世の流れです。 

どうややら、私は怒りのステップは通り越したようです。 

もう、救急は終わると思います。

誰が悪いというわけではありません。人間という種は、ただ滅亡の道へ突き進んでいる最中です。種あるものはいつかは滅びる。長い歴史の真実です。医療崩壊は、その大きなうねりの中での小さな出来事にすぎないのかもしれません。

私は、世の流れに抵抗するのではなく、どう自分がこの流れの中で上手に泳いでいこうかを真剣に考えているところです。

医師は、個人個人で、この世の現実を受け止めて、自分の道をお探しになることをお勧めします。
by 元なんちゃって救急医 (2007-12-09 15:09) 

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