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医師-患者関係を考える<後半> [雑感]

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医師-患者関係を考える<前半>では、主に患者側の側面からのべてみました。
<後半>は医師側です。

では<後半>です。
良好な「医師-患者関係」構築のために、医師が考えることについて述べてみたいとおもいます。内容は、医療現場のコミュニケーション 医学書院  箕輪良行 佐藤純一 著 を参考にしています。

医師患者関係の在り様を日常診療の中でざっと俯瞰するのに便利な記憶法を紹介するのが<後半>のエントリーの主旨です。この記憶法は、医師患者関係の構築において、医師側がなすべきことをコンパクトに俯瞰してあります。

この本のP75から引用します。ネクタイをチェックするイメージを持ちましょう。CHEC-TIEと覚えます。checkではなくchecとなっていますことにご注意を。

  • C=communication(言語的、非言語的コミュニケーション)
    言葉づかい、傾聴、視線、姿勢、表情など
  • H=humanistic attitude (ヒューマニスティックな態度)
    自律性、正義、信頼、人間への興味、地域参加、費用便益など
  • E= empathy (共感)
    患者への共感、気持ちの反映
  • C=counter-transferance (逆転移)
    患者に対して無意識のうちに抱く怒り、親愛感など
  • T= techinical context (技術的水準)
    病気の診断、治療、予後、合併症など
  • I=insight (自己洞察)
    自分の性格、使命感、責任、動機など
  • E=enviromental factor (環境要件)
    診察場所、同室者、いす・机の配置、服装、受診回数・期間など


P75には次のような解説が書かれています。

7つのいずれが重要かは各々の症例によります。共感(E)、逆転移(C)、自己洞察(I)は意識しないうちに大きく作用します。一方のコミュニケーション(C)やヒューマニスティックな態度(H)、技術的水準(T)や環境要因(E)は、意識して対応することが比較的やさしい部分です。

いかがでしょうか? 私がこれを気に入ったのは、自分を見つめる部分がきちんと含まれているからです。良好なコミュニケーションを構築しようと思ったら、相手にだけそれを求めていてはいけないというのは、皆様方にも同意していただけるのではないかと思います。

コミュニケーション(C)やヒューマニスティックな態度(H)などは、ある意味ありきたりですよね。しいていうと、非言語的なC(表情、目線、腕組みなど・・・)に注意を払いましょうとはいえるかもしれません。
技術的水準(T)というのは、医療の核心そのもので、これをきちんとやることが我々に求められるのは言うまでもありません。Tをさし置いて、他のことばかりを一生懸命やるのは、本末転倒だということを言おうとしているのだと思います。環境要因(E)は、意外と医療者側が気を使っていないかもしれません。まあハード面において、改善不可能な側面もありますが・・・。プライベートな質問には、少し患者と距離をつめて声を小さくして尋ねることで、壁が薄く隔てられた隣のブースに声が筒抜けにならないように配慮することなんて、Eを意識した具体的な配慮の一つかもしれません。

ふだんあまり意識しない部分共感(E)、逆転移(C)、自己洞察(I)-については、もう少し話を進めてみたいと思います。

共感(E)とはなんでしょうか? 

よく聞く表現ですよね。少なくとも同情とは違います。ネット検索では、こんな説明もあります。同情との違いを書いてありますが、難しいですね。 共感は二心異体、同情は一心同体という違いでしょうか? 共感は、自分の境界をしっかりもっているが、同情には、それがないというニュアンスと私は解しています。 平たく言ってしまえば、共感の気持ちをもって発せられる言葉や態度は、それが自然と相手の立場にたった心のこもったものになるということでしょうか。少なくとも、「大変でしたね」と「つらいですね」と単にマニュアル的に発せられても、そこに共感はないだろうと私は思います。背伸びせずとも自然に患者さんに共感できるようになれること自体が、医師としての自分自身の成長の証かもしれないとも思います。

逆転移(C)とはなんでしょうか? 

そもそも、「転移」「逆転移」が、聞きなれない表現ですよね。私も専門的なことにまで立ち入って説明するのは、自分の能力を超えるかなと思います。 そんな私ですが、あえて言いますと、「医師-患者関係」という治療構造の中で、患者が医師に対して抱く感情を「転移」、その逆に、医師が患者に対して抱く感情を「逆転移」と簡単に考えてしまえばわかりやすいのかもしれせん。(専門家から見れば、誤解がある表現かもしれません。) とにかく大切なことは次のことです。

自分(医師)が患者に対して抱く感情(=逆転移)を意識しましょう。 

無意識下におこってしまうことを、あえて意識下におきます。そうすることによってはじめて、医師は対策を考えることが可能になるからです。つまり、逆転移を意識しようという姿勢そのものが重要なわけです。だから、逆転移があえてこの記憶法のなかに挙げられているんだろうなと私は解しています。

逆転移の一例を挙げましょう。
夜間を狙っていつもインスリンをもらいにくる糖尿病の患者さんがいます。Aさんとしましょう。一方、今日の時間外の医師は、ルールを守ることを大変重視するW医師でした。 そんなW医師とは対照的に、W医師の父親は、いいかげんでルールを破ってばかりいました。W医師は、小さいときからそれを見続け大人になりました。W医師は、その反動を糧に、ルールを守ることを自分自身にずっと強く課してきました。そんな自分だからこそ、今の自分があるという強い自負があるわけです。

W医師は、Aさんを診察しました。そのうちに、猛烈に腹が立ってきました。
なんてやつだ! ゆるせない、こいつ! きちんと時間内に来いよ!
こんな気持ちでした。こんな陰性の感情でした。

これがいわゆる逆転移です。

もし、W医師が、この逆転移を意識しないまま、患者の診察を続けるとどうでしょう。W医師のAさんに対する悪い感情(陰性感情)が、Aさんにも何かの形で伝わってしまい、よけいなクレーム事例にまで拡大してしまうかもしれません。また、W医師自身の内面にも、確実にストレスが蓄積されていくでしょう。時には、冷静な医療判断ができなったゆえの地雷疾患の見落としにもつながるかもしれません。

では、W医師が、自分の逆転移に気がつき、少し診察の間をおき、深呼吸の一つや二つでもして、仕切りなおしすることができれば、患者との無用のトラブルの予防にもなるかもしれませんし、自分のストレス蓄積予防にもなるかもしれません。冷静な医療判断ができる状況に立ち戻ることができるかもしれません。

今回紹介した本P41には次のように書いてあります。

逆転移を自覚することは、長期にわたって患者と関係を築いていく医師にとっては大きなメリットがあります。

自己洞察(I)は、その言葉の意味を説明するまでもないと思います。自分の性格をふだんからよく知っておくことは、臨床の現場の中で自分が求められている責任をはたす時に、今自分が何をなすべきかかが見えやすくなります。性格を意識し、責任を考え、医師としての社会的役割を適正に果たすこと、そんなことを普段から考えておくことが、ここでいう自己洞察に該当するのだと思います。

洞察にゴールはないと思います。結局は、自己洞察を続けることは、自分の人生をどう過ごすのかというところまで到達してしまいそうな気がします。 そういう意味では、医師の自己洞察力が高ければ高いほど、患者もそれに影響を受けて、よりよい患者に成長できそうな気がします。 

そういう意味においても、記憶法の中に自己洞察(I)が入っているのは、すばらしいなと感じた次第です。

私は、CHEC-TIEを思い描きながらいつも診療しています。それでも、関係が上手くいかないこともあります。でも時に、上手く関係ができる場合は、本当に診療行為はおもしろいものだと感じます。


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コメント 9

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moto

今日のエントリーはよくまとまっていらっしゃいますね。
なるほどなるほどと引っかかりなく読めました。

E,Cへの対処として、わたしが取っている手法(というより、私自身の性向なんでしょうが)は、患者さんを人間として興味をいだく、ということです。
「病気だけではなく全人的に見よ」とか、そんな偉そうな照れくさい意味ではありません。
たとえば、患者さんが、何の仕事をしているか、その業界はどんな世界なのか、そういったことに自分の個人的興味を向けることです。仕事のことでなくても、家族のことですとか、子供を通わせている幼稚園のことでもいいです。人間対人間の、医学から離れた雑談を意識的に挟む、ということですね。

「愛情の対義語は、憎しみではなく、無関心である」という言葉聞いたことございますでしょうか?
医者として関心のある病気だけに意識を集中していると、そのひとの人間に対して無関心となる、ということが起こりがちだと思います。
目の前にいるひとに、人間として関心をいだくこと、これが意識すると、ちょっとだけ臨床も面白くなるかも。
もっとも救急だと、普通の外来や入院と違って時間的余裕無いから、たいへんかもしれないですが。
それでも合間の手が空いた時間に、病室の片隅に置き忘れられたような、ADLの自立してないおばあちゃんのところに行って、昔若い娘だったころの恋愛話なんか聞きだしてみると、意外と楽しいものですよ。

人生の教科書は、美しい文章としてではなく、生身の人間として存在するのだとわたしは思っています。
by moto (2008-02-07 08:21) 

某P医

>「大変でしたね」と「つらいですね」と単にマニュアル的に発せられても、そこに共感はないだろうと私は思います。
とは言うものの、大事なのは共感することではなく、「医者が共感をしていることを患者が感じ取る」ということなのです。
そのためにはやはりマニュアル的にでも共感を表明する習慣をつける必要があるんだと思います。
これは本当に意識的に練習しなければできるようにはならないんですよ。
特に初診時、医者の関心はどんな症状がどのように現れたか、に集中しますので、つい矢継ぎ早の質問になってしまうんですね。
「頭が痛いんです」→「それはいつからあって、どのような痛みですか」
精神科では(まあ時間的余裕があるからでもありますが)、
この間に意識的に「お辛いですね」を入れるように練習します。
「それは大変ですね」でも「そうですか、頭痛は嫌ですね」でもいいんですが、とにかく必ず一言入れる。それこそマニュアル的に。
最初は気恥ずかしいかもしれませんが、終いにはごく自然にでるようになります。
by 某P医 (2008-02-07 14:32) 

アルファ159SW

いつもここで勉強させてもらってます。

今回、「共感」と「逆転移」ということが挙げられていますが、
思ったことを少し書きます。

「共感」:言うは易く行うは難し
「逆転移」:鶏を割くに焉んぞ牛刀を用いん

というようなことかと思います。

上で、某P医さんが書かれている様なことを、顔を見て、
感情を少し込めて言う事が出来れば最上というものだと思います。

逆転移などというものは、精神科に於いてもそれを扱うことが
治療的意味があるという時以外は無用の長物だと思います。

だって、普通に自己批判ぐらいはするでしょう?それで、直そうと
考えますよね。それが自己研鑽でしょう?それだけで良いと思います。
by アルファ159SW (2008-02-07 16:21) 

元なんちゃって救急医

>moto先生

患者さんを人間として興味をいだく

これ、私が昔指導医に言われたことと全く同じです。

「おい、○○よお、患者さんの職業とか暮らしとか気にならないかい?」
「興味持ったら、おもしろいよ~。症状だけ聞いてもつまんないだろ」

って、言われました。 はっきりと覚えています。
by 元なんちゃって救急医 (2008-02-07 21:00) 

元なんちゃって救急医

>某P医先生

事なのは共感することではなく、「医者が共感をしていることを患者が感じ取る」ということなのです。


なるほど、納得です。
今回のエントリーは、書きながら自分に向けていた面も多々あるので、気がつきませんでした。ご指摘ありがとうございました。勉強になりました。
by 元なんちゃって救急医 (2008-02-07 21:02) 

元なんちゃって救急医

>アルファ159SW 先生

コメントありがとうございました。

たしかに、わざわざ難しくしている気もします。今回のエントリー。
こういう概念化を好む方に、何かの気づきになってもらえればとは思っています。
by 元なんちゃって救急医 (2008-02-07 21:05) 

沼地

To cure sometimes,

To relieve often,

To give comfort always.

学生の頃教わったこの言葉を思い出しました。
give comfort はalwaysじゃなくちゃいけないわけで。
でも救急のような修羅場で先生のような心がけ!!
尊敬!!
by 沼地 (2008-02-08 05:42) 

moto

>沼地様
どうせなら、フランス語の原文で覚えておくとかっこいいかも。
"Guérir quelquefois, soulager souvent, consoler toujours"
発音は、「ゲリ・ケルクフォア、スラジェ・スボン、コンソレ・トゥージュール」でいいのかな?違ってたらだれか教えてください。
http://en.wikipedia.org/wiki/Ambroise_Par%C3%A9

これもいいですね。
"Je le pansai, Dieu le guérit"(私が包帯し、神が治す)「ジュ・ル・パンセ、デュー・ル・ゲリ」
現代日本風に解釈して、
「わたしはなすべき治療をした。結果的にうまくいかなかったがそれは神様の思し召しだ」
て風にも使えるし。
by moto (2008-02-08 07:26) 

沼地

おお、ありがとうございます。
フランス語、かっこいい!
まったく読み方わからないですけど。(笑

私が包帯し、神が治す
これも学生時代に外科の先生から教えられたことに似てます。
「なぜ、外科医が患者の体を切ることができるかわかりますか?」
「それは切ってもまたくっつくことを知ってるからです。」
そうです。
縫うのは仮止め。
傷はふさぐんじゃなくて、ふさがるもの。
状態が悪すぎる人を切ったら、どんなに丁寧に縫っても縫合不全。
治すのは患者さん自身の体と神様。
医者ができるのはそのお手伝い。
by 沼地 (2008-02-08 10:05) 

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