SSブログ

ある老人の突然死 [救急医療]

↓ポチッとランキングにご協力を m(_ _)m

今回は、地雷というテーマから少し離れてみる。救急の現場を仕事場、つまり、突然の死を比較的よく経験する立場の目線から、日ごろ感じていることを綴ってみたいと思う。

私が大変気に入ってるブログがある。春野ことり先生のブログである。そこにこんなエントリーがあった。不幸せをつくる心。私の感想は、「悲しいな」の一言である。心筋梗塞という急変を前にした医師は、きっと救命のために全力をつくしたことだろう。その結果として、患者さんの命は救われた。しかし、「救命」というベストをつくしたこの行為は果たしてこのご家族のためになったのであろうか? 

蘇生後脳症の奥様に対して、ご主人は医療者に次のような要求をされています。

「急変したときに最高の治療をして欲しい」

この台詞から、私が感じたこと:「死」を受容することができないゆえの悲しい物語

そう感じてしまう私は、「医師」という職業病なのでしょうか???

助かる心筋梗塞と助からない心筋梗塞・・・・・・
どちらがいいのかは、誰にもわからない。ことり先生のお話と、以下の私の自検例を通して、ひとりひとりが、医療とは?、人間の生死とは?、についてお考えになってみてはいかがでしょうか?

ある日、突然、大きな苦しみもなく逝ける。これは、多くの人にとってひとつの幸せな逝き方かもしれない。つい先だっての自検例を通して、私はこう感じるしだいである。

 

75歳男性 CPAOA(cardiopulmonary arrest on arrival : 病院到着時心肺停止状態)

ADLは自立。妻とともに娘夫婦と同居。高血圧、腹部大動脈瘤で○○大学循環器科で外来フォローをしていた。ある朝、台所で胸痛を訴え始め、そのままその場に座り込んだ。そして、意識消失。直ちに119がコールされた。当院へ救急搬入。当院は初診。搬入までの時間経過は下記のとおり。

11:46(0分) 119覚知
11:53(7分) 現着。CPAを救急隊が確認。蘇生処置開始。それまで家族による蘇生処置はなし。
12:13(27分) 現場出発、それまでにVf(心室細動)に除細動、気管挿管、ルート確保など施行済み。
12:19(33分) 病院着。Vf継続。 ここまでで、合計3回除細動施行されていた。

直ちに当院で、二次救命処置を開始した。

12:19(0分) 患者処置室へ。モニタ装着。Vf確認→360Jで除細動
          直ちに、気管挿管の確認作業 (ガイドライン2005に沿った確認すべてOK)
          血糖チェックで低血糖否定。 胸骨圧迫の質、換気(8秒に1回)などマネージ。
          アドレナリン1A 静注
12:22(3分) リズムチェック Vf継続→360Jで除細動
          アドレナリン1A 静注+キシロカイン1/2A静注
12:25(5分) リズムチェック PEA(無脈性電気活動)へ変化。
          
          胸骨圧迫の質の管理の合間に、原因検索も同時に進める。
          12個の原因(青字で示した)をいつでも思い出せることが重要なのだ
          エコー → あきらな出血なし・・・大動脈瘤破裂による出血はなさそう
                 心のう液貯留なし・・・心タンポナーデなし
                 右室拡大なし・・・・重症肺塞栓はすぐには考えにくい
          胸郭の動き → 左右良好。エア入り良好→緊張性気胸はない
          酸素接続確認 → 今は酸素はいってる。 低酸素状態ではない。
          トロポニンT  → 心筋梗塞は病歴から十分ありえるので絶対必要。
          血液チェック → 高カリウム血症アシドーシスの評価必要
          外的要因  → 低体温、薬物中毒、外傷を想起するもどれもなさそう。

12:27(7分) リズムチェック 再度Vfを確認。振幅はどんどん小さくなっていく。除細動施行。
12:29(9分) リズムチェック asystole(心静止)となる

          以降、応援Drをもう一人呼び、家族対応を行ってもらう。
             現状の家族の気持ちは?  状況理解度は?状況の受け入れは?
             さらなる家族はいるのか? 

          そういった情報をゲットしてきてもらう・・・そんな役割も重要だ
          心肺停止患者のマネージとは、その患者自身だけではなく、
          家族も患者と思って対応するセンスが必要だと私は常々思っている。

12:36(17分) トロポニンT陽性を確認。心筋梗塞を確信。

         上記ドクターより家族状況の報告をうけ、この死を家族も受け入れ可能と判断
         私自ら、家族へ説明
             「努力をつくしましたが、救命はきびしいです。」
             「残念ですが・・・・、よろしいですか・・・・・」
             涙目でだまってうなづく家族
             「蘇生の様子をごらんになりますか?」
             「はい・・・・」

12:50(31分)  家族立ち会いで、蘇生の状況説明。
12:54(35分)  死亡確認

私としては、自分の持てる力を出し切った蘇生であった。それでも患者は助からなかった。
患者のご家族は、私たちに深々と頭を下げてくれた。「ありがとうございました」と。

私は、この老人の逝き方をうらやましいと思った。十分に75年の人生を生きてきて、ある日突然と苦しむまもなく一瞬で逝ってしまった。ご家族も悲しんでいるが、どこか受容もできている。医療者も全力を出し切ったという思いもある。そんな医療を受けながら、ある老人がひとり静かに逝ったのである。現代医療といえば、胃ろう、気管切開、高カロリー輸液、人工呼吸管理などなど・・・・・長く生きすぎること、言い換えると、すぐに死ねなくなった今の現代医療・・・・私にとって何か違和感を感じてしまう。「これでいいのか?」と。もし、自分が逝くとしたら、この老人のようにありたいと正直私は思った。

もし、同じことが自宅の庭先でなく、医療施設で起きてしまったら・・・・とも思う。
家族は、医療機関に何か手落ちがあってのではないかと勘ぐるかもしれない・・・・
両者の信頼関係が十分でなかったらなおさらだ・・・・

こういう急病は、家であれ、病院であれ、介護施設であれ、どこでも同じ確率で発症するものなのだ。医療機関で発生したので医療者のせいということは決してないのだ。一般の方々には、ぜひそういう認識をお持ちの上で医療機関を利用してもらいたいものだと思う。

救命という仕事は、どこかで、「助ける」「あきらめる」のギアチェンジを行わないといけない。なぜならば、生命は決して無限なものではなく有限なものだからだ。ただ、その的確なギアチェンジを行うためには、医学的論理だけでなく、本人家族の社会的・心情的背景も考え合わせて結論をださないといけないのだと思う。 たとえ、熟慮の上、死なせてあげたいと思っても、今の社会では、我々はどうすることもできない。そもそも、「どうにかしてあげる」という医師の考え自体が、医師の傲慢なのかもしれない。なぜならば、患者の真の気持ち、家族の真の気持ちなんて、救命に携わる医師が、すぐにかつ正確に、それらをつかめる保障なんてないからだ。だから、我々は、時に、自分たちの心の思いとは裏腹に、救命に全力を尽くさざるを得ないことがあるのだ。それが、救命医としての仕事だからと自分に言い聞かせながら・・・・・・。

一人ひとりが、いつの日か必ず訪れる自分や家族の死に受容する心をもつこと
といはいものの、「今すぐ受容なんてできない!」そうお考えになる方のお気持ちも当然だと思う。
だからこそ、普段の生活の中で、日ごろから「死に時」を意識しておくことは重要だと私は思うのだ。

あるアメリカ先住民の言葉を紹介する。
「今日は死ぬのにもってこいの日だ。」  今日は死ぬのにもってこいの日 ナンシー・ウッド(著)

こちらも参照


元気なうちから死に時を考えるという気持ち・・・・日ごろの我々に欠けている視点ではないだろうか?

我々が、理不尽と感じる医療訴訟の記事を目にすることが多くなった。
報道のバイアスは考えないといけないことは重々承知の上だが、やはり、「死」を受容できない人たちが増えたのではないかと私は感じている。そして、受容できない人たちの一部が、その気持ちを医療者への怨念に変換し、紛争を起こしているのではないかと思う。もちろん、それらの紛争の背後に、医療者側の非もあるだろうことも承知している。それらのバランスを自分なりに熟慮したうえで、「死」を受容できない人が増えたのではないかと私は考えている。
もっと「死」というものがオープンになり、「死」の受容という世論が構築され、医師と患者と不毛な摩擦が起きない世の中が来ることを願う。

コメント一覧
拙ブログの過分なるご紹介、ありがとうございました。
このエントリーに関して、私も記事をアップしましたので、トラックバックいたします。
先生とは共通の死生観を持っていると感じます。
今後ともよろしくお願い致します。
written by 春野ことり / 2007.04.24 23:46
日本では、「武士道とは、死ぬ事と見つけたり。」でしょうか。

しかし、「死ぬのにもってこいの日」というのは度肝を抜く発想ですね(^^;

私も「死を享受できない人が増えている」という事を記事にしましたが、核家族化が原因の一端ではないかと考えています。

written by doctor-d / 2007.04.25 12:59

実はいま、ACLSの勉強をしているのですが、6H5Tというのが、なかなか覚わりません。(英語だし・・)
日本語で、なにか、語呂合わせみたいな良いのないですかね?
written by moto / 2007.04.25 16:11
ことり先生

こちらこそよろしくお願いします。
written by なんちゃって救急医 / 2007.04.25 18:33
doctor-d先生

コメントありがとうございます。
ご指摘の点、ごもっともだと思います。
核家族になればなるほど、身近な死を経験する度数が下がるからでしょうね。
written by なんちゃって救急医 / 2007.04.25 18:34
moto先生

心停止の原因想起法については、拙ブログ上で、自前の方法をアップしてみたいと思います。ご参考になれば幸いです。
written by なんちゃって救急医 / 2007.04.25 18:37


コメント(0)  トラックバック(1) 
共通テーマ:日記・雑感

コメント 0

コメントの受付は締め切りました

トラックバック 1

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。