医療は発展し続けるべきなのか? [雑感]
医療崩壊が叫ばれる昨今、国家はその対策を迫られている。
医療費抑制の問題、医師不足の問題、医療訴訟の問題、医師・患者双方にいえるであろう人としてのモラルの問題、メディアの問題などなど・・・
多くの人が、それぞれの立場で、この医療崩壊問題と向き合っていることであろう。 しかしながら、日ごろ医療とは無縁であるがために無関心なのであろう「無関心層」の人間が、実数としては最も多いのだろうとは思う。
私は、純粋に疑問に思う。
果たして、医療は発展し続けるべきものなのであろうか?
と。
昨年末のエントリーでも、こんなことを述べていた。病気・死は悪か? というエントリーである。
日本社会の中での、隠れた前提 「病気は死は悪である」=「回避すべきである」
この社会前提を、
「病気・死は、受け入れて付き合うもの」 という
新たな社会前提に改変すべく事業を立ち上げ、そこに技術開発を中止することで浮いた金、人、ものを投入したらどうですか?
もし、国民皆が、こんな心性になってくれたら、ずいぶんと医療もやりやすくなるだろうなあと私は個人的に思います。
要するに、もう医療を発展させないという視点で、思い切って社会構造を変化させれば、また違った動きにはならないかということである。
例えば、製薬会社が、新薬の開発を止めてしまい、その余った財力や人力を使い、よりよく死を迎えるということを目標とした高齢者福祉の充実などに向けることができやしないだろうか?
また、少し違う言い方をすれば、医療がここまで「発展」したからこそ、今の医療崩壊という現象が、その「必然」として存在しているのかもしれないということである。 例えば、今、産科医療が崩壊の危機の先陣を走っているという現実を「必然」とすれば、その背景に、すばらしい産科医療の「発展」が存在しているはずである。
僻地の産科医先生のブログからその産科医療の発展ぶりを示すデータをお借りしてそれを示してみる。
以下の図は、妊産婦死亡の歴史的推移から引用した妊産婦死亡率の歴史的推移である。
驚くべき、死亡率の減少である。まさに、産科医療の努力の結晶である。にも、かかわらず、産科医療は今の惨状である。
どうして、この発展をもって、産科崩壊が必然となるのか?
私なりの考察である。
それは、人は、良いものを享受すると、いつしかそれが当たり前(=標準)となり、そうならなったときの結果を受け容れることができなくなったしまうという心理が、元々備わっているからだと思われる。受け容れることができなければ、その矛先が、医療関係者に向けられてしまうことになる。それは、紛争へとつながり、その情報がメディアを介して増幅され、さらに、日本の司法は、患者救済の視点で、判断を下してきた。これらはすべて文化の発展があってこその諸事情である。そして、この産科医療および周辺の文化的発展が、結果として(=必然として)、今の産科崩壊とつながっていると考えるわけである。
わたしは、昨年から、漠然とこんなことを思い続けてきたわけである。ただ昨年暮れ、私が病気・死は悪か? を書いたときは、まだ、老荘思想と出会う前だった。
私は、今年になって、老荘思想を勉強し始めたわけであるが、それでわかったことは、なんと老子は、紀元前何百年の時代において、すでに社会における文明の発展への危惧をとうに指摘していたのだ。
老子 第57章 より
天下多忌諱、
てんかにききおおくして、
而民弥貧。
たみいよいよまずし。
民多利器、
たみにりきおおくして、
而国家滋昏。
こっかますますくらし。
人多智慧、
ひとにちえおおくして、
而奇物滋起。
きぶつますますおこる。
法令滋章、
ほうれいますますあきらかにして、
而盗賊多有。
とうぞくおおくあり。
老子・荘子 守屋洋 著 東洋経済新報社 P128 よりこの文章の解説部分を引用する。
自然の素朴さをよしとする老子は、文明のもたらす負の面を批判してやまない。このことばはその代表的なものの一つだ。「禁令がふえればふえるほど人民は貧しくなり、技術が進めば進むほど社会は乱れていく。人間の知恵が増せば増すほど不幸な事件が絶えず、法令が整えば整うほど犯罪者が増えていく。」というのである。
文明の進歩は、人類に大きな利便をもたらした。この事実は、率直に認められなければならない。だが、それに伴って、心の安らぎとかゆとりとか、人間にとってなにか大切なものが見失われてきたことも事実である。それは、私どもが戦後の経済成長のなかで、つぶさに実感させられたことでもある。
老子は、自然に帰れ、無欲に帰れ、と説く。この主張が現代において、どの程度の実効性を持ちうるかはわからない。しかし、問題の核心を鋭くついていることは認めざるをえない。老子の功績の1つは、早くから文明の負の面に目を向けたことである。
老子のいう文明の発展を、医療の発展に置き換えて考えてみれば、私の漠然と思っていたことそのものになってしまうのだ。自分の考えが、老子と一緒だったなんて、なんとなく素直に嬉しいような気もする。また、事故調なんかが今の原案のまま、通ってしまおうものならば、医療犯罪者が増えて何一ついいことはないだろうなという考えが、この老子の文章から導き出せそうな気もする。(蛇足だが・・・)
今、医療界は、相変わらず、それぞれの細分化した世界で、夢をおっかけ、医療の発展を望みながら、多くの人が動いている。
本当にそれでいいのでしょうか?
少し視点を変えれば、こうは言えないだろうか?
医療の発展を断念するという政治的決断が、一見逆説的でありながらも、未来の医療、ひいては未来に日本を救う鍵とならないだろうか?
賛同してくださる政治家の先生はいらっしゃいませんか?
賛同してくださるメディアの関係者はいらっしゃいませんか?
賛同してくださる一般の方々はいらっしゃいませんか?
まあ、賛同してくれる方がいようがいまいが、私個人は、静かに今の世の動きを眺め、自らの生き方を考えるのみである。
私、大いに賛同します。医療従事者ですが・・・
技術で解決できる夢の部分はかなり実現されてきましたが、それが現実にフィットするのに時間を必要とするはずが、それを待てずにどんどん転がるように進んでいるといいましょうか。
対策をしているにも関わらず、癌で亡くなる人間が増えているのも、高齢化が実現できたおかげで、50代で概ねの人間が亡くなる時代に戻れば一気に癌患者さんは減少する。どちらがいいですか?負の側面も含めてどちらを受け入れますか?
by ハッスル (2008-07-24 00:20)
賛同します。でも、そういうことをある程度診てきた人の家族に言って反対されたり、人の命を見捨てるのかなんて罵倒されてきた記憶があるので、マスコミのお得意のキャンペーンがないと無理でしょうね。
ほとんどの人はもう年ですからと言ってくれるのですけどね。一人でもいたら、気持ちの折れようは無限大です。そういう提案をする医師の気持ちになることはないのでしょうね。将棋や囲碁で負けを認めて投了するのに近いと言えば少しわかってくれるでしょうか。
by ミヤテツ (2008-07-24 06:53)
ご存じの通り、私も以前から全く同じ考えです。
あえて言うなら、「大金をかけて医療を発展させなくても良いんじゃないか?」というレベルですね。ローコストで工夫して発展させることについては良いと思ってます(労働力も立派なコストですので念のため)。
少なくとも移植医療、人工臓器、遺伝子治療を今以上に発展させる必要はないと思っています(さすがに今ある上の3治療をやめろとまでは言いませんが・・・)。
by 僻地外科医 (2008-07-24 08:54)
先生のお考えに賛同いたします。
確かに、人は便利なものや都合のよいものを受け入れると、それが標準になってしまいますね。新幹線や家電、PCなど技術の進歩と生活の変化を見れば明らかですよね。
医療にもそういう面があると思います。上記の妊産婦死亡率の変化以外にも、20世紀は医療の勝利が続いてきました。しかし、それが標準になった意味の重さを忘れているのだと。
一方で、実のところ疾病への罹患や訪れる死へのリスクは相変わらずに存在していることも忘れています。
立ち向かう努力を否定するのではありません。努力を続けてもなお回避できないことがあるということ、そういう状況でもなお努力している人には感謝と尊敬が必要であることも忘れているような気がします。
目前の「真如」を受け入れつつ、前向きな努力を続けたいと思っています。
by 竹 (2008-07-24 09:55)
私もこれ以上高度な医療は必要ないと思います。私自身には今でも高度に過ぎると思っていますので、終末期には自然のままで死ねるよう、「尊厳死」の要望書を書きました。無理矢理生かされるのはイヤですから。
by bamboo (2008-07-24 14:50)
僕も先生の考え方に賛同します。
でも、今の日本人全般にこの考え方を理解してもらうのは難しいなと感じています。
同じようなことを考えている人がいることを知って、ちょっと嬉しいです。
by まーしー (2008-07-24 14:55)
ほどほどのレベルの医療が1番ですね
最高を目指すよりも、取りこぼしの少ない医療が、私は好きです
「医療の発展を断念する」という意見が
一般の方から出てくるようになれば、
日本も捨てたものではない、と思います
とはいえ、私自身は最新医学のお蔭で2度も命拾いしたので、
あまり偉そうなことはいえませんが
by 石部金吉 (2008-07-24 19:59)
国が経済的負担をしないと態度で示しているのですから、この国では医療は発展しないでしょう。産業として斜陽産業なのです。
ただ、医学(の端くれ)を囓ったものとして、科学の粋である(と自分は信じています)医学が発展しないのは寂しい気がします。
たとえ臨床応用されなくても、
思い通りに動く義足、義手。
人工臓器。
オーダーメード医療。
等々を見てみたい。
臨床医療に応用されなくて、何のための医学か?
という突っ込みは必須ですけど。
by こんた (2008-07-24 23:22)
安全とコストとバランスがとれるところでいいと思っています。移植医療や先進的な遺伝子治療などは無駄とは言いませんが自由診療で市場原理に基づいてやってもいいんじゃないかと思います。医療の発展ありきという大学や学会の発想が全てではありませんね。
コンベンショナルな医療をリーズナブルなコストで安全に提供することも大切です。
by 元外科医 (2008-07-25 14:35)
昨日の夕方、肺癌の父親を看取りました。
父親は耐えきれなくなるまで、頑なに麻薬の痛み止めを使うのを拒んでいました。痛み止めの注射は2日前からでした。それまで飲み薬を飲んで、背中さすって貰ってしのいでいました。
とても哲学のある頑固な人でしたので、先生も大変だったと思いますが、よく話し合ってくれて、父親の意に出来るだけそうように処置してくれました。
ある看護師さんは家族がつらいからと早くから痛み止めを勧めていましたが、自分の意識がもうろうとするのを何よりも嫌がっていたので、寝られなくても睡眠薬さえ一週間前まで口にしませんでした。
息も苦しがってましたが、一生懸命最後まで呼吸してました。
この死に様が酷いと思われる方は多いかもしれません。楽に死んだほうがいいと。
けど、父親はそれを選択しませんでした。めいいっぱい苦しんだ。それを受け続けてました。最後まで。
僕や先生にそれを邪魔することは、出来ませんでした。
父親が入院した時にこのサイトに出会って、色々考えさせられました。
良いか悪いかで判断することの限界を思い知らされました。
これからも色んな事について発信して下さる事を願っております。
by たかぷ (2008-07-26 04:23)
賛同します。一般人です。
出生前診断を考えると、開発に尽力された先生方に申し訳ないのですが、ないほうがよかったのではないかと感じます。
さまざまな医療技術について、一般の人たちの倫理がついていけるペースで開発されたらいいのになぁ~と、夢みたいなことを考えています。
by 忍冬 (2008-07-26 04:25)
>ハッスル様
賛同ありがとうございます。フィットするのに時間を要する・・・ほんとそうですね。断念することができれば、その時間を他に使えるのに・・と思ってしまいます。
>ミヤテツ様
賛同ありがとうございます。マスコミキャンペーンがあれば動かされる人はでてくれるでしょうね、確かに。
>僻地外科医先生
そうですね。存じております。私も先生のお考えに賛同です。
>竹様
賛同ありがとうございます。「真如」良い言葉ですね。
>bamboo様
賛同ありがとうございます。尊厳死の要望書は国民の必須とするべき時代なのかもしれません。
>まーしー様
賛同ありがとうございます。医師の間では、意外と同じ考えの方が多いのかもしれませんね。
>石部金吉様
たしかにそう思います。「断念」が国を救うキーワードだと私は思います。
>こんた様
さびしい気持ちはそうかもしれませんね。少なくとも15年前の私なら、さびいぢと感じただろうと思います。
>元外科医様
たしかに、先生のご指摘するバランス感覚も重要ですよね。
>たかぶ様
ご自身の体験をありがとうございます。お父様のお悔やみ申し上げます。
「良いか悪いかで判断することの限界」
たかぶ様のこれからの人生にとってとても重要な気づきをお父様の死が伝えてくださったのだと思います。
>忍冬様
賛同ありがとうございます。技術と倫理の解離は、大きな社会問題だと私も思います。
by なんちゃって救急医 (2008-07-26 12:46)
震災後の原発事故の影響が続く中、老子のそして先生のご指摘は一層の普遍性をもって心に響きます。私は薬学部の教員ですが、新たな薬の研究開発という名目で研究資金の獲得競争が行われ、しかしその成果が薬として世に出る確率が極めて低く、研究資金の回収と次なる投資のために高額な薬価が付けられる仕組みにも疑問を持っています。とはいえ、その流れから足を洗ってしまうことは、薬学研究者としてはドロップアウトになってしまうというおそれも感じています。レトロスペクティブにみると、基礎的な学術研究の研究資金にも実学的な方向付けが要求され、競争原理が導入されるようになったころから、様々な問題が増悪してきたように感じています。
by mitzu_mjp (2011-04-16 13:35)