自分の「あるべきやうわ」を考える [雑感]
久しぶりの更新です。今後は、更新の頻度を落としてのんびりとやっていこうと思っています。
皆さんは、鎌倉時代の僧、「明恵上人」をご存知でしょうか?
様々な新仏教が台頭してきた平安末期から鎌倉時代。 明恵上人は、その派手な歴史舞台にはあまり出てきません。 しかしながら、その生き様を支持する現代人はけっこう多いようです。
実際、明恵でぐぐってみれば、いろいろとヒットします。
ここでは、これをリンクしておきます。絵本形式なのでわかりやすいかも。
明恵上人が残した有名な言葉に「阿留辺幾夜宇和(あるべきやうわ)」があります。
どんな意味なのでしょうか? 明恵夢を生きる 河合隼雄著 より引用します。P251~P253
明恵が提言している「あるべきやうわ(あるべきようは)」ということは、簡単にわかる気もするが、それほど簡単でないようにも思われる。(中略)日本人としては、すぐに「あるがまま」という言葉に結び付けたくなるが、わざわざ「あるべき」と、「べし」という語が付されているところに、意味があると感じられる。(中略)日々の「もの」とのかかわりは、すなわち「こころ」のありようにつながるのであり、それらをおろそかにせずになし切ることに、「あるべきやうわ」の生き方があると思われる。そこには、強い意志の力が必要であり、単純に「あるがままに」というのとは異なるものがあることを知るべきである。(中略)明恵が「あるべきやうに」とはせずに「あるべきやうは」としていることは、「あるべきやうに」生きるのではなく、時により事により、その時その場において「あるべきやうは何か」という問いかけを行い、その答えを生きようとする、きわめて実存的な生き方を提唱しているように、筆者には思われる。戒を守ろうとして戒にこだわりすぎると、その本質が忘れられてしまう。さりとて、本質が大切で戒などは副次的だと思うと、知らぬ間に堕落が生じてくる。これらのパラドックスをよくよく承知の上で、「あるべきやうわ何か」という厳しい問いかけを、常に己の上に課する生き方を明恵はよしとしたのだろう。
もうひとつ引用します。 恋い明恵 光岡明著 P193より。
いま「あるべきようは」は「人それぞれの境遇、能力、職業などに即して、心身共に今現在まさに行うべきことを行うのがよいとの思想、精神をあわわす語」(岩波「仏教辞典」) と定義されています。
私は、それらの心境に、少しでも近づきたくて、先日休みを取って、京都の高山寺まで足を運びました。
JR京都駅からバスに揺られること1時間弱。終点の栂ノ尾についた時には乗客は私一人でした。
ずいぶんと遠いなあと思いました。静寂な木々の深い緑とその隙間から差し込む初夏の光の調和がすばらしい所でした。きっと瞑想にふけるにはうってつけの森だったのだろうなあと感じた次第です。
そして、高山寺 石水院という建築物の中に入ると、掛けられた一枚の掛け板がありました。その解説には、「阿留辺幾夜宇和(あるべきようわ) 明恵上人が上人自身の日常規制を棒板に白墨にて自筆したもの 」と書かれていまいした。ただ、現物を見ても、字がかすれてよくわかりませんでしたが・・・・。あとは、複製ではありますが、鳥獣戯画の絵巻や明恵上人樹上座禅像などを拝観することができました。
医療崩壊の昨今、 大きな社会の流れの中で、変わるもの、変わらないもの、変えられるもの、変えられないものがある。自分が自分としてのそれらにどう付き合っていくのか?
医療者は医療者としての、患者は患者としての、為政者は為政者としての・・・
それぞれの立場で、それぞれの「あるべきやうわ」があるのだと思います。
私自身の、「あるべきやうわ」・・・・・・
すぐには、見えません。今ゆっくりと考えています。
先人達の知恵は、私たちにいろんなことを教えてくれます。 それを自分の中で自分なりに咀嚼して、自分の生き方にプラスになればよいなあと思います。
皆様も、皆様自身の「あるべきやうわ」を考えてみるのはどうでしょう? 皆様自身の生き方をより有意義にするために。
栂尾の上人の名を医療系サイトで拝見出来るとは。
びっくりしました。
「摧邪輪」をいつか読んでみたいと思ってたもので。
by たかぷ (2008-06-15 03:35)
京都、いいですね。
私もいこうかな。悩み多き人生です。
by 僻地の産科医 (2008-06-15 13:34)
>たかぶ様
「摧邪輪」・・法然を激しく批判した書物ですね・・・
私個人的には、法然も明恵もそれぞれの功績はどちらも大きいと思っています。
>僻地の産科医様
悩み多き人生。そんな時、自然と歴史に接するのも新たな気づきとめぐり合えるかもしれませんね。
by なんちゃって救急医 (2008-06-16 08:04)
これを読んで先生は仙人にでもなってしまうのか?と思いました。
「あるがまま」と言うのは私はとても好きな言葉です。「あるべきやうは」となると?。とにかく一生懸命かな。私にとって生きるは、とにかく(自分なりに)毎日一生懸命やる、と言うことです。私が死んでも何の影響もありません。皆そうでしょ?誰かが死んで世の中がひっくり返ったことなんか無いです。私なりに一生懸命やって、途中で終わっても、毎日やっていたことだけが意味があったことだから、成し遂げれらなくても、何も残せなくても、それでいいんです。私は犬と暮らしています、大体15歳ほどで死んでしまいます。今14歳です。あと1年ぐらいでさよならだと思うと、毎日しっしょにいられる今がとても幸せです。
by うなぎ (2008-06-16 14:37)
2005年のJR東海の「そうだ京都にいこう」のポスターになっていますね。新緑がきれいですが、杉だらけなので、アレルギーがある人は近づけない地です。
by 麻酔科医 (2008-06-16 19:41)
>うなぎ 様
毎日が、今が 幸せ
この感覚がとても大切なんだろうなあと思います。
あるべきやうは なかなか奥が深そうです。これは、あるがままも認めつつ、自分の主体性も大切にする その絶妙な折り合いをもとめていくところに私は大変魅かれたわけです。
>麻酔科医先生
このポスターとてもきれいですね。ありがとうございます。
by なんちゃって救急医 (2008-06-17 22:08)
http://recommend.jr-central.co.jp/others/museum/kyoto/summer_2004_02.html
ネットにありますね。このポスターが欲しくて撮って帰りました。
http://wadaphoto.jp/japan/nan3.htm
(注意!音が出ます。)善財童子というようです。
「あるべきようは」、なかなか考えさせられる言葉です。
ありがとうございます。
by 麻酔科医 (2008-06-19 00:48)