SSブログ

一般の皆様からのコメントに思うこと [雑感]

 ↓ポチッとランキングにご協力を m(_ _)m
   

ブログの性質上、コメントの殆どが、医師からのものです。ですが、時々は、医療を受ける立場である一般の方々からも、コメントをいただきます。

前回のエントリー:悩ましい若い女性の下腹部痛 においても、ある難病にかかり手術をうけたご経験をもつ患者の立場の方から、私たち医療者へ、とても心温まるコメントをいただきました。コメントを下さった方のご希望により、そのコメントはすでに削除させていただきましたが、この場で、改めて御礼申し上げます。

そこで、今回のエントリーは、これまでにいただいた一般の方と思われる方々のコメントを抜粋しながら紹介する形にしてみます。

木原光知子さんの訃報に関して

私も7年前にくも膜下出血で倒れて、約10ヶ月の入院を経て、少しずつ社会復帰できるようになりました。幸運にも命を助けて頂けたのは、救急医療の現場で日夜を問わずに一生懸命従事されているスタッフの方々のお蔭と感謝しております。

by ひらちゃん

ひらちゃん様、ありがとうございます。感謝の表明は、医療者の心の支えになりえるものです。

死の意味を考える

医療者を含め患者もその家族も、もっと言えば現代人の全てが、命の長短にあまりにもこだわり過ぎているのではないでしょうか?私は5年ほど前に脳幹梗塞になり現在は四肢体幹麻痺の状態ですが、この病気になったことで「病気を治す主体は患者自身」ということを実感しました。医者は、その手助けをするに過ぎません。生きるも死ぬも、治るも治らないも、良くなるも良くならないも、自分の身体なのですから本来は患者自身の問題です。けれど患者はそうしたことを忘れてしまって、「病気」と言えばその責任の全てを医者に丸投げしようとする。それに加え、患者は現在の医療技術に対して過度な期待を持ちすぎなのではないでしょうか?「治して当たり前」的な発想もどこかに存在するような気がします。当たり前ですが、医者の仕事は病気を治すことです。けれど、病気を治したからといってその人が長生きするとは限りません。長生きしたから幸せな人生であったとも限らないし、早死にしたから不幸な人とも限らない。「障害者になったから残念な人生だ」と言う人もいれば、私のように「そうでもない」と感じている人もいる。医療の世界にも哲学的要素が必要であるような気がします。

by banana

banana様、哲学的要素が必要ということに深く共感します。

日本人の「死生観」と私の思い


うちの犬が(犬の)大学病院にいったときのこと。さすがに大学病院まで来るペットたちは重 病そうでした、ある大型犬も大人3人ぐらいが付き添って、いかにもつらそうに入ってきました。その犬が診療に入って半日ほどして出てきてびっくり、足が一本なくなっていました。飼い 主さんの一人は泣いていて周りの人に励まされ一生懸命うなずいていました。私ももらい泣きしてしまいました。しかし、ふと犬を見るとうれしそうに、ひょこひょこ歩いていました。犬 の気持ちはわかりませんから、うれしいかどうか定かではありませんが。そう見えました。今まで痛かった足が無くなり痛み止めが効いていて楽になったのでしょうか。動物と暮らしているといろいろ教わります。その中でも私は「あるがままに」とか「しょうがない」ということを教わりました。

by 肉球


欲しいものは手に入らないから努力をしたり頭を使ったり出来るし、こだわりのある人はこだ わらない事が大切である事をいずれ学習できるのです。そのように考えを進めると、生きている事は素晴らしい。こうしてたくさんの人とお話出来るのだから。老いる事は素晴らしい。た くさんの経験を積んで困っている人の相談に答えられるのだから。病う事は素晴らしい。先生がブログに書いているように何かに気づく事が出来るのだから。だから、私は、喜ばしい死を 迎える事が出来るまで長生きしようと思います。私がここに居る事は全てが本当は喜びである事を私は信じています。大切な気付きを頂戴できて感謝いたします。

by のぶ


実はわたしは父が亡くなる半年前に『老子』に出会い、善も悪もないという価値観に衝撃を受 けました。そして加島祥造さんの『TAO~老子』を父に贈ったこともありました。(宗教哲学を毛嫌いする父からは、何の感想もありませんでしたが)それからはなんちゃって救急医先生と同じように老荘思想にはまりまくりました。『荘子』の 禅に通じる思想から、仏教に関してもあらゆる本を図書館で借りては読んでいました。そんなことで「死」とはなにか。生きることの意味は何か。なぜ人は病気になるのか。そういうことを父から学び、最近は精神世界にはまっております。

by ロッタ

肉球様、ペットの病気を通して、自らの気づきを得るというのもすばらしいですね。
のぶ様、「病う事は素晴らしい」と思えることは、自己の内面から湧き出てこそだと思います。
ロッタ 様、私も同感です。善も悪もないという価値観・・・今の日本社会に求められる価値観だと思います。

リスクを認め付き合うこと


>思わぬリスクに遭遇して、自分の命を失ってしまうかもしれない。大事な家族の命を失ってしまうかもしれない。それでも、いざとなればそのことを諦めることができるように、「自分の今」を「大事なもの」、「ありがたいもの」として生きておくことが大事だと思う。 自分の死や家族の死を、このような形で普段から自分の心の中にあらかじめ予見しておき、その相対として「今」を生きることともいえるのかもしれない。

仏教(浄土真宗かな)でいう「白骨の御文」ですね。(注:リンクはブログ主の手による)
生きていくとは、その通りだと思います。「べき」とか「絶対に」とかに縛られていると目の前の壁が分かりません。何が起こるか分からないから人生なのであって、リスクだらけ。

by 竹

竹様、ありがとうございます。白骨の御文(はっこつのおふみ)のリンク先から引用です。
だからこそ、「あなたはその事実を受け止め、どのように人生を歩んでいくのですか」と、
亡き人から問われているのです
。』
ここにある多くのコメントを拝見するに、皆がそれぞれの様々な形で、この問いかけに答えていこうとしているように思えます。

医師-患者関係を考える<前半>

こんばんは。初めておじゃまします。m(_ _)m
「他者に対して過度に不寛容になると、社会システムが機能不全に陥ることがある」とても、勉強になりました。

私は、「医療再生を願うネット市民の会」の会員です。この会は、次の3つのスローガンをこころがけることによって医療崩壊からの再生を願う、ネットで活動する市民の会です。
 1. コンビニ受診を控えよう
 2. かかりつけ医を持とう
 3. お医者さんに感謝の気持ちを伝えよう
ホームページはこちらです。
http://saisei.aikotoba.jp/index.htm

お時間のよろしい時に、一人でも多くの方にのぞいて頂けたらうれしく存じます。私は、長い間医療の現状に無関心であったことを反省し、今すぐに自分ができることから始めたいと思います。

by アイスゆず

アイスゆず様のような活動が、もっと広がることを願っています。

割り箸訴訟と医療の不確実性


特に小さいお子さんを亡くされるようなケースは、本当は、こういう死に対するプロセスを支 援するようなカウンセリングが必要なのかもしれませんね。マスコミや周囲が煽るのではなく、心の内側の、後悔や悲しみや、怒りや絶望などを受け止めて向き合い、癒す時間が必要な気がします。そして、それにはすごくすごく時間がかかるものです。マスコミが煽ると、その作業を遅らせてしまうのではないかと心配でもあり、また現場のドクターが極端な責任追求を受けて潰されていくのも心配です。

by ボヤキのソーシャルワーカー


一般人は人の死に関わる事はそれほど多くなく、頭でわかっていても「これは仕方のない事だ ったんだ」と諦める余裕がないと思います。というか、私がそうなのですが・・・。このブログを通して自分の考え方や物事の見方がかわり、ずいぶんと考えさせられています。とても感謝するべき事だと思います。

by キナコ


>なんちゃって救急医さま
自分が専門家として気がつける部分を、ブログとして発信している

>僻地外科医さま
地域医療を考える住民集会で講演

このようなドクターのご努力に、本当に頭が下がります。私は非医療者ですが、このブログほか医療系ブログで学ぶことしきりです。患者も家族も勉強 することで、不確実性が少しでもなくなり(先日の投薬記録もそうですね)、次世代以後の医療の発展と人々の健康を願います。

義理の母が下肢静脈瘤手術後に肺血栓で死亡しました。当時は(今でもわずかながら)他の心 疾患と誤診して、初期治療を間違ったのではないかという疑問をもっておりましたが、数年前に血栓閉塞予防ガイドラインができたというテレビを見たことがあり、死もむだではなかったと、今では思います。

by とおりすがり

ボヤキのソーシャルワーカー様、ご遺族の内面を癒すプロセスの充実化、大切だと思います。
キナコ様、こういうコメントをいただけることは、私自身への励みになります。ありがとうございます。
とおりすがり様、ブログを通して学んでいただけ、それがご自身への受容とつながれば、私も嬉しいです。

遺族の納得はどうしたら得られるのか?


幼いころに病気で母を亡くした通りすがりの意見で、稚拙かも知れません。ちなみに、私は受け入れるまでに2年かかりました。最初は信じられない夢なんじゃないかという思いで「ショック」「否認」、次になんでそうなってしまったのか病気や関わる医療者や私を慰めようとするひとにまで「怒り」を持ちました。周囲の大人や友人に、仕方がないと納得させようとされることに激しい怒りを感じたのです。気づくと無意識に涙が出ていたり、生きていくことに対する意欲が減退しました「抑鬱」。そして、2年たったあるとき、夢の中で亡くした母とその死について語るという体験をしました。別に霊的な話ではありません。ただの夢です。でも、そうすることで、いつの間にか母の死を運命として受け入れ、死んでしまった母として、その存在が変わったような気がしました。強制されてできることでも、最初から意識していたわけでもありません。悩み苦しみながら、あるいは周囲に迷惑もかけながらも、受容できたのです。今は怒りや恨みはありません。救命という名のもとに、怒りを一身に身に受ける機会の多いお医者さんは、大変なエネルギーが必要になりますよね。愛するものの死に対する受容とは、ライフワークにもなりうるくらい誰にとっても膨大なエネルギーが必要なものだと思いました。長文で失礼しました。なんちゃって救急医先生のブログを読ませていただいて、お医者さんがどういう視点でものを考えているのか、勉強になっています。

by 愛する者を亡くした通りすがりです

愛する者を亡くした通りすがりです様、貴重なご体験をありがとうございます。

生と死は対立ではない


”死を”考えることは ”生”を考えることでもあるので先生のような問いかけをしてくださる方は貴重だと思います。がんばってください。

by rira


29歳の主婦です。若い頃ひたすら死について考えたことがありました。特に病気や辛いことなどなく若さゆえ悶々と考えていたものですが、死はなんだかよくわからない怖いものでした。結局その時は「考えない」ことにしました。数年後ネット環境を手に入れました。死生観についてもなんちゃって先生のように掘り下げた意見に触れて自分の中で変化がありました。死はなんだかよくわからない怖いものではなくなりました。なんだか怖いから、わからないから蓋をしてしまう人はきっと多いのでしょう。私のように。その人たちに死は怖くないと思ってもらうのって本当に難しいですよね。個々に医療訴訟をおこしてしまう人は怖くて怖くて最後に診てもらった医療者に矛先を向けてしまう。

by こんこん

risa様、そのように考えてくださることは、私としてもとてもありがたく思います。
こんこん様、確かに「死」はわからないものかもしれません。だから、人は考え続けるのだと思います。

以上が、一般の方々から私のブログにいただいたコメントの一部です。主に、「生」と「死」をテーマとしたコメントから抜粋させていただきました。本当に皆様ありがとうございました。

近代医療は、高々一世紀程度の歴史しかありません。なのに、今、日本の医療は、閉塞感に満ちています。どうしてでしょうか?便利になりすぎた世の中が、人に自分の内面を見つめることを忘れさせてしまったためでしょうか?一方、人類は、文字を創り、自分の考えを文字に残すことができるようになって、数千年の歴史があります。その長い歴史を通して、先人達がすでに思い考えてきたことに、私たちは今触れることができます。それは、自らの内面の気づきのきっかけとなるかもしれません。そしてそれは、自分の生き方や価値観に大きな影響を与えるかもしれません。少なくとも私自身はそうだったと思います。いずれにしても、今の医療がどんな進展をしようとも、それとは関係なく、必ず、私たちは、自分の、家族の、生と死と向き合わなくてはなりません。その向き合うことに、医療者も非医療者も関係ありません。皆一緒です。

だから、生と死を巡るテーマに関しては、多くの方々と、語り合っていきたいと思っています。

最後に荘子の一節を引用します。

善夭善老 善始善終

夭(わか)きを善しとし、老いを善しとし、始めを善しとし、終わりを善しとす。

若さを善しとし、老いを善しとし、生まれたことを善しとしl、死ぬことを善しとする。(大宗師編)

この世の万物を貫く大きな真実をあるがままに肯定し、ありとあらゆるものの変化はすべてそこから生じ、再びそこへ帰っていく。そんな境地に心を遊ばせていくと、自分の人生もひいては自分の生死も、肩の力をぬいて向き合うことができないでしょうか? 今、私は医療の現場のど真ん中でそんなことを考えています。


コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

コメント 2

コメントの受付は締め切りました
義理の母のとおりすがり

なんちゃって救急医先生
「とおりすがり」のコメントまで記憶していただき、ありがとうございます。

先生のブログでだされる「地雷」、たくさんの先生も「間違えられて」いることから医療って、人間の体はわからんことだらけなんでしょうけれど、でも良心にしたがって懸命に治療される先生方は、結果が不幸な転帰になっても、本当に信頼をもってみております。同時に、引用していただいたコメントのように、先生のブログをはじめ、一般人に対して医療の限界もふくめ教えていただいております。
 肩の力をぬいて(そうでもしなけば過労死ですね)、今後とも教えてくださいませ。
by 義理の母のとおりすがり (2008-05-26 11:40) 

なんちゃって救急医

>義理の母のとおりすがり様

コメントありがとうございます。こちらも肩の力をぬいてぼちぼちやりたいと思っております。
by なんちゃって救急医 (2008-05-27 15:05) 

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。