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救急診療をうける方へ(2)-怒号が響くある日の救急外来- [救急医療]

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今日は久々に、一般の方々へ、救急診療に関して私がお伝えしたいこと第二弾です。 ちなみに第一弾は、こちらでした。⇒救急医療を受ける方へ(1)

救急診療は、社会の中における重要な公共の社会資源の一つであると私は考えている。だからこそ、利用する側である一般市民の方々自身に、救急外来とはどんなところであるのかという理解をしてもらうことは重要だ。日ごろは、どんなに医療とは無縁な人であっても、突然の外傷や突然の病気に襲われるという運命に遭遇することは十分にあり得るからだ。

公共の社会資源に関して、こんな話をご存知の方も多いと思う。

コモンズの悲劇(コモンズのひげき、The Tragedy of Commons)とは、多数者が利用できる共有資源が乱獲されることによって資源の枯渇を招いてしまうこと共有地の悲劇ともいう。たとえば、共有地(コモンズ)である牧草地に複数の農民が牛を放牧する。農民は利益の最大化を求めてより多くの牛を放牧する。自身の所有地であれば、牛が牧草を食べ尽くさないように数を調整するが、共有地では、自身が牛を増やさないと他の農民が牛を増やしてしまい、自身の取り分が減ってしまうので、牛を無尽蔵に増やし続ける結果になる。こうして農民が共有地を自由に利用する限り、資源である牧草地は荒れ果て、結果としてすべての農民が被害を受けることになる。 (ウィキペディアより引用)

まさに、救急医療は自由に誰もが利用できる共有地の牧草。そして、今、その牧草が荒れ果て、枯渇しようとしている。では、この牧草地をどうするか、それは、国民の代表である政治家の先生方が主導を取ってより良い解決を模索してくださることに期待をしたい。だから、この記事を書くこと事態、救急現場の医師の声の一つとして、議員の先生方にお届けしたいことに他ならない。

私は、断言する。

厚労省の第三次試案をそのまま通すことは、この牧草地の水源を絶つことに値する

と。 救急医学会はすでに反対声明を出している。厚生労働省(第三次試案)について

では、救急外来という場がどういうところであるか。ある日の当院救急外来の様子を紹介する。突然、現場が急に忙しくなり始めたときの様子だ。

ある日の当院の救急外来。午後を回りだしたとたん、急に患者が同時にやってきだした。

地域の開業医からの紹介でやってきた徒歩来院の患者、自力でやってきた徒歩来院の患者、内科外来から救急対応を依頼された患者および救急車来院をした患者などと、ほぼ同時にやってきて、あっという間に救急外来は大混雑になってしまった。 つまり、overcrowding(混雑)の発生だ。

救急外来という場所は、時にovercrowding(混雑)になる。 そんなときは、今診療中の患者にトリアージをかける。つまり、現時点での不確実な情報のままであるが、それで診察患者の優先順位を、ラフに決定するのだ。そんな時、診察を後回しにすると判断した患者さん達には、主に医療スタッフで、ときには医療事務員などにもお願いして、次々と患者達に「待っていてください」と声をかけていく。

待ちの患者には、スタッフで手分けして、このような案内をしていく。
「申し訳ございません。今、重症患者から優先させて診療させていただきます。しばらくお待ちいただかないといけませんが、何卒ご協力ください。」

ほとんどの方は、私達に協力的だ。紳士的に待っていてくれる。

ところが、その日は、患者から怒号を食らってしまった。

「おい!どうなってるんだ!いつまでかかるんや!・・・」と大声を上げるのは、60代の男性患者だった。

救急外来での診療は終了し、後は入院のために病棟にあがるを待つだけの患者だった。だから、この患者にスタッフがちゃんと「待ってください」の声かけができていたかは定かではない。もしかしたら、誰も声をかけなかった可能性も高い。なにせ、すでに診察は終わっている患者だったから。

とにかく、私は、すぐに患者の元へ駆け寄った。そして、こういった。

「申し訳ございません。みんな一生懸命やっているんです。どうかご協力をお願いします。」

患者の怒号の同じぐらいの響きがでるように、渾身の力を声に込め、頭を下げながら言った。
そしたら、すぐにおとなしくなった。奥さんがそばで申し訳なさそうに小さくなっていたのが印象的だった。

大きな声には大きな声で返す・・・・相手の口調に合わせた対応をする。しばしば、効果的だと思う。

さて、一人の騒ぎを収めたと思ったら、今度は、またホットラインだ。
こんなときに限って、ホットラインが鳴り続くものだ。

救急隊 :「76歳、男性、腹痛です。下腹部の痛みです。本人は便秘だといっています。受け入れお願いします。」

私が、Nsに指令を出す。「今、手一杯、無理! 他から、当たってもらって!」

Nsが救急隊にその旨を告げた。しかし、救急隊も、すぐには、引かない。

救急隊 :「だめですか? 家族をそちらを強く希望しているのですが?」

Nsが私の対応をまた求めてきた。

私:「ああ~、もう! 待てる患者なのか?」

Nsを介するよりも、直接、私が救急隊とやり取りするのが早いと思った。

私:「ごめん、今いっぱいいっぱい。どうしてもって言うのなら、その患者には待ってもらわざるを得ないよ?待てる患者?

救急隊:「 はい、腹痛は自制内です。待てると思います。血圧146/66 脈拍 72 意識は清明です。」

救急隊の返事は早かった。

私は、待ちのことを了解してもらった上で、結局、この患者を引き受けた

患者が到着した。

私達が見ると、患者は苦悶様で、しかも腹部は板状硬だったのだ・・・・。

「だ・ま・さ・れ・た」と感じる医師も多いかもしれない。それほどの認識の相違だった。

「待てるといったじゃないか!! どういうことだ!!」と、こんな言葉を救急隊にぶつけたくなる状況だ。

しかし、これを現場で、感情にまかせて言ってはいけない。
そもそも、救急患者を電話のみで適切に選別すること自体が無理なのだ。つまり、電話トリアージの限界だ。この限界性を、救急に携わる医師はよく心得ておく必要がある。だから、自分の判断で救急要請を受けた以上、救急隊に文句を言っても仕方がない。限られた資源と人材で、私達はベストをつくすしかないのだ。

私は、すぐにまた、場のトリアージをやりなおし、患者の診療順序を組みなおした。
この患者を患者を優先順位一番に格上げした。我々の場の能力では、救急患者を2列同時で診療するのが限界なのだ。三列は無理である。だから、先の優先順位2番目で診療中だった患者の診療を中止せざるを得なかった。

予想通り、この患者は、重症だった。わかる方々はこの一枚ですぐわかるでしょう。
20080317CTperfo.jpg

そう、S状結腸穿孔で当院外科で直ちに緊急手術となったのだ。

待てると踏んで、私が受け入れた患者がこれである。 
もし、この患者の診療を優先したがために、他の待ち患者に悪い結果が起きたとしたら・・・・

それは、私の判断ミスでしょうか?過失でしょうか?

この患者は、断固、受け入れを断るべきだったのでしょうか?

常に、私達には、そんな不安があります。そんな悩みがあります。

多くの方々にそんな私達の苦悩をわかってほしいと思います。

そうやってばたばたしているうちに、なんとか、超多忙の救急外来の一日が終わった・・・・。

いかがでしょうか? いつもいつもこんな日ばかりではありません。 もちろん、まったり過ごせる日もあります。忙しいときは、こんな感じということが少しでも伝われば幸いです。

最後に、救急外来を利用する方々へのお願いです。 

(1)何卒、混雑時の救急診療の待ち時間にはご協力を下さい。
(2)救急医療の多くは、専門医療ではありません。各専門医の方々の善意と応援で構成されていることが殆んであるとご理解ください。
(3)救急外来という場は、(1)(2)のために、提供できる診療の質が一定でないことをご理解ください。
(4)だからこそ、たとえ結果が悪くても、医師の責任?と考える前に、自ら考えてほしいことがあります。

それを、荘子(そうじ)から引用します。 ※ 荘子(人名)は「そうし」。荘子(書物名)は「そうじ」。

荘子 山木篇 第二十

船を並べて河を済(わた)るに、虚船の来たりて船に触るるあれば、惼心(へんしん)のあるの人と雖も怒らず。一人其の上に在るあれば、則ち呼びてこれを張歙(ちょうきゅう)せしむ。一たび呼びて聞かれず、再び呼びて聞かれず。是において三たび呼ばんか、則ち必ず悪声を以ってこれに随(したが)わん。向(さき)には怒らずして今や怒るは、向(さき)には虚にして今は実なればなり。人能(よ)く己を虚にして以って世に遊べば、其れ、孰(たれ)か能くこれを害せんと

(和訳)
船を並べて川を渡っているとき、空舟がやって来てこちらの船に接触したとしますと、どんな怒りっぽい人でもあきらめて腹を立てることはないでしょう。ところが一人でも船の上に乗っていたとなると、あちらへ向けろこちらへ向けろと声をはりあげるものです。一度呼びかけてもとどかず、二度呼びかけても届かない。そこで三度めということにもなれば、必ず罵りのことばがいっしょに飛んでいきます。前の場合には、腹をたてなかったのに、こちらで怒るのは、前の場合は空舟で虚であったのが、こちらでは人が乗っていて実であったからです。人の世渡りも同じことで、己を空しくして無心の境地でのびのびと世を過ごすなら、だれもそれを害することはできないものです。  荘子 第三冊 金谷 治 岩波文庫 P80

(和訳 2chより引用)
小船が河を横切っているときに、別の誰も乗っていない船が ぶつかりそうになる。 苛立ちやすい人でも、これにかんしゃくを起こすことはない 。ところが近づいてきた船に、人が乗っていると 船をぶつけるな!と怒鳴るだろう。 さらにぶつけられた時など、悪口雑言が口からでることは必至である 。前者の場合には怒りがなく、後者の場合には怒りがあった。 人が乗っているか、乗っていないかが、分別の有無を分けた。人間というのもこれと同じで、ただ虚として人生を過ごすならば、誰がその人を害しうるだろうか。

いかがでしょうか? そもそも、病気や外傷というのは、人生というあなたが乗っている船に、誰も乗ってない船(空舟)が偶然衝突するトラブルなのではないのでしょうか? たとえ、その船に誰か(医師)が乗っていても、それは空舟と考えてみてはどうでしょうか? そうすれば、あなた自身の怒りの心が自然と収まってきませんか? それとも、船がぶつかってきたのは、その船に乗っていた人(医師)のせいとだけ考えて、あなたの人生をこれから先、ずっと憎しみと戦いのために費やしますか? それって、人生もったいなくないですか?


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コメント 6

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一般人

どなたからもまだコメントがないようですでの、僭越ですが。

ひょっとしたら厚生省案は改善することはできるかもしれません。あるいは、診療報酬も同様です。

でも救急の現場の問題の改善には、私たち非医療者は「協力」(というか、わがごとなので「協力」じゃないんですけれど)をしても、難しさを感じております。共有地の悲劇のように、どこにも悪意がなくても現在の状況になっているのですから。


by 一般人 (2008-05-12 13:25) 

ハッスル

たびたびこういう機会に遭遇します。
文句の一つも言いたくなります。
救急隊到着時に心停止確認(様子がおかしい程度の触れ込みで)もありますし、救急車内でも急変したりしますし、人ってそういうもんだとも思いますが、私たちもかくいう人ですので、瞬時の感情も自然に出ます(表に出すかは別ですが)。
不信の連鎖は各論(現場の医療従事者-患者・家族)だけで解決できるものではないと思います。

先生の働きかけで、多くの医療従事者、医療を受ける方、そして行政が、今一度考えていただくことを切に願います。
by ハッスル (2008-05-13 09:13) 

doctor-d

救急医療に対する現場への理解、知識の啓蒙、そして患者心理への訴えかけといった努力こそが、現在の医療を良くするに必要な事じゃないかと思います。そうした思いを当ブログでも記事にしていますが、本来ならば厚労省、あるいは文科省が率先して行うべき事じゃないでしょうかね。

それを怠って、医療での不幸な出来事→原因解明(実際は責任追及)にのみ着目しているこの第3次試案とは、まさに現場を知らない役人が作り上げた、木を見て森を見ず、に過ぎないものだと思います。
by doctor-d (2008-05-13 11:29) 

なんちゃって救急医

> 一般人様

どこも悪意がなくても・・・ 確かにそうかもしれませんね。

>ハッスル先生

各論(現場の医療従事者-患者・家族)だけで解決できるものではない

私もまったくそう思います。

>doctor-d先生

木を見て森を見ず

そうですね。だから、私は、多くの人に森を見てほしいと思い、先のエントリーで五輪図を描いてみたのです。




by なんちゃって救急医 (2008-05-13 15:43) 

肉球

待つということ。
後どれくらい待つ、とか、今死にそうな人がいます、とか、自分のおかれている位置が分かると、かなり待てます。
by 肉球 (2008-05-15 15:28) 

なんちゃって救急医

>肉球様

そうですね。状況を伝えること大切ですよね。今、自分の現場ではどうしたら効率よくそれが行えるかを時々考えています。
by なんちゃって救急医 (2008-05-15 20:36) 

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