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診療関連死の理念に異を唱える [雑感]

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平成19 年10 月、診療行為に関連した死亡の死因究明等の在り方に関する試案― 第二次試案 ―が厚生労働省から発表されました。それをうけて、自民党でも意見をまとめ、今年のうちに、医療安全調査委員会を新設するという議員立法を通すつもりのようです。(詳細はこちら http://doctor2007.com/iken1.html

自民党案は、厚労省のこの第二次試案がその母体となっております。第二次試案と自民党案は、ほぼ同じようなものです。そこで、本エントリーでは、この厚労省の第二次試案の冒頭の理念の部分に対して、私見を述べてみたいと思います。

要は、厚労省がいう理念には、現場の医師の一人として、到底賛成できるものではないということです。

この第二次試案反対の私の考えに、ご賛同いただける方は、是非、こちらの方へ、http://doctor2007.com/ko1.htmlへ署名をお願いします。

冒頭にある6つの理念(以下、引用青字で示した部分)に対して、私は以下のように異を唱えます。

(1)医療とは、患者・家族と医療従事者が協力して行う病との闘いである。したがって、医療が安全・安心で良質なものであるとともに納得のいくものであることは、医療に関わる全ての人の共通の願いである。

最近のエントリーで、私が主張しているのは、病気・死は、各個人が受け容れるものであるということです。医療者は、その受容のプロセスを援助する一支援者に過ぎず、それ以上でもそれ以下でもないというのが、私のスタンスです。上記理念には、「闘い」とあります。この時点で、厚生労働省のお役人たちの頭の中には、『病気=悪 ∴闘うもの』というイメージしか描けていないのだろうなあと私は思います。

安全と安心が並列的に記載されています。 大きな矛盾です。安全は、人の心の外にあるものです。一方、安心は、人の心の中にあるものです。人の心は、千差万別です。悟りを開くような達観した心の持ち主から、「モンスター○○」などと称され常識を逸脱した物の考え方をする心の持ち主まで、世の中には確実に分布しているわけです。当然、その人たちの間では、感じ方が全く異なるであろうし、たとえ同じ人でも、置かれている状況次第で、安心できたり不安になったり、感じ方は様々でしょう。従って、「医療が安心できるものかどうか」というものは、その人自身の感じ方の問題であり、社会目標にはなりえないと私は考えます。安全・安心を理念の中にさりげなく併記することは、読み手を変に勘違いさせる不適切な表現だと私は思います。社会としては、「医療安全」だけを目指すのが筋と考えます。理念の中に、「安心」は不要というのが私の主張です。

(2)医療従事者には、その願いに応えるよう、最大限の努力を講ずることが求められる。一方で、診療行為には、一定の危険性が伴うものであり、場合によっては、死亡等の不幸な帰結につながる場合があり得る。

これも『ちょっと待てっ!』と言いたい。大前提が抜けてますよ! もしかして、意図的に抜かしているのでしょうか?ならば、世の人々を欺こうとする意味で、国は相当悪質だといわざるを得ません。 診療行為はもちろんですが、その前に、
傷病(疾病・外傷)は、どんなに軽症と思えていても、医療が介入する前に、すでに一定の危険が伴った状態であり、その傷病のためだけに死亡という不幸な転帰がありえる

ということを、医療者はもちろんのこと、医療を受ける方々が、これを当然のものとして、理解してもらわねばなりません。国は、医療におけるこの大事な前提を全く国民に啓蒙することなく、現場の医師に押し付けようとしていませんか?この大事な大前提は、理念の中に明文化し、広く国民に伝える責任を国は有していると私は主張します。

(3)不幸にも診療行為に関連した予期しない死亡(以下「診療関連死」という。)が発生した場合に、遺族の願いは、反省・謝罪、責任の追及、再発防止であると言われる。これらの全ての基礎になるものが、原因究明であり、遺族にはまず真相を明らかにしてほしいとの願いがある。しかし、死因の調査や臨床経過の評価・分析等については、これまで行政における対応が必ずしも十分ではなく、結果として民事手続や刑事手続にその解決が期待されている現状にあり、死因の調査等について、これを専門的に行う機関を設け、分析・評価を行う体制を整える必要がある。

診療関連死という定義があいまいであり、問題であるというのは、すでに多くの方が指摘されている通りで、私もそれに異論はありません。ここでは、次の二箇所を指摘しておきたいと思います。

>遺族にはまず真相を明らかにしてほしいとの願いがある

遺族のいう「真相」とは、何でしょうか?これは、遺族の悲嘆のお気持ちの一表現形にすぎないのではないでしょうか?つまり、『私達の心の痛みを癒してくれ!≒真相を知りたい!』 ということではないでしょうか。言い換えると、遺族の真相究明という発言の裏にある「心の痛み」に注目し、社会システムとして対応を考えることが、真の意味での遺族の願いではないでしょうか?だから、心理的ケアに重点を置いた「喪のプロセス」を充実させるシステムに時間と費用と人間を投入するほうが、「真相究明を!」という遺族のお気持ちを和らげることになるでしょう。私は、そう考えます。

>責任の追及

あの~、責任の追及って何でしょうか? 上記に掲げた大前提にたてば、疾病は、生体に生じた自然現象であり、誰の責任でもなく、その人自身のいわば運命ですし、外傷は、その外的エネルギーを生じせしめたものに責任があるのではないでしょうか?ここをあえて明示せず、家族の気持ちのやり場を、医療者に向かうように巧みに仕向けていませんか?国は、やり方があまりに汚いと思います。

そもそも、「死亡という悪しき結果が、診療行為と関係がない」ということを証明するのは、「・・・でない」ということを証明するいわゆる悪魔の証明と同列の論証ですから、ほぼ不可能です。すると、こういう調査機関が、出す結果は、次のような文句になることが、もう調べる前から予想できませんか?

「・・・・という診療行為が、死亡に影響したという可能性は否定は出来ない」

で、その報告を聞いた遺族はどのように感じるでしょうか?
「その行為が、患者を死亡させたんですね。医療者が憎い、謝罪しろ、賠償しろ」
になりませんか?

厚労省の提示するこの第二次試案が、そのまま、世に入ったら、今以上に厳しい訴訟社会の中に、医療は置かれることになるでしょう。 

4)また、遺族にとって、同様の事態の再発防止は重要な願いの一つであり、再発防止を図り、我が国の医療全体の質・安全の向上につなげていく仕組みを構築していく必要がある。

システムエラーに基づく医療過誤を再発防止の観点から、考察していくことには、私も同意します。ですが、この理念を書いた人たちの頭の中は、遺族だけしか見えていないように思います。 事故が起きた場合には、遺族だけでなく、医療者だって心が痛むのですよ。そのことが、その人たちにはわかってないようです。

(5)さらに、このような新しい仕組みにより、医療の透明性を確保し、国民からの医療に対する信頼を取り戻すとともに、医療従事者が萎縮することなく医療を行える環境を整えていかなければならない。

この文面から、国は、次のことを前提としてはっきりと認めていることがわかります。
A)国民は、今の医療を信用していない
B)今の医療環境は、医療従事者が萎縮してまう環境である

さて、国が認めるこの2点は、私も概ね認めます。では、この2点の解決法は、何でしょうか?
この第二次試案でいうところの死因究明でしょうか? それが主でしょうか? 私は違うと思います。

A)のようになってしまったのは、だれの責任でしょうか? 私はマスメディアの責任だと強く思います。だから、A)に対しては、マスメディアの統制が重要だと思います。 国が本当に医療の信頼回復を望むなら、マスメディアを何とかしてほしい。私そう思います。医療報道統制法でもできればいいなあと夢想しています。ほんと、個人夢想のレベルですが・・・。

B)に対しては、なんと言っても訴訟問題です。 ところが、今回の試案では、訴訟問題に対して、何の具体的対策も講じられていない。むしろ、上に書きましたように、調査報告書が、さらに訴訟問題を悪化させることになることは、私は間違いないであろうと推察します。

(6)これらを踏まえ、診療関連死の原因究明や不幸な事例の再発防止、ひいては我が国の医療の質・安全の向上に資する観点から、平成19年3月、厚生労働省では、「診療行為に関連した死亡の死因究明等のあり方に関する課題と検討の方向性」を作成し、パブリックコメントを募集した。また、4月からは有識者による「診療行為に関連した死- 2 -亡に係る死因究明等の在り方に関する検討会」を開催し、8月まで様々な御議論・御指摘をいただいたところである

たった、9ヶ月ですよ。国民の知らないところで、現場の医師の声が届かないところで、勝手に決めてほしくない。こういうことに国は、もっとメディアを利用してほしい。国民の声を聞くためには、国民に情報を届けないといけないのではないでしょうか? メディアは、殺人事件とかは、大々的に報道するくせに、こういうことは、報道したがりません。それは、メディアの商業論理を考えれば、わからんでもないでけど、国は、彼らと上手く交渉し、国民に伝えさせるべきではないですか? 私は、今の試案が、そのまま、制度化されるのは、時期早々と考えます。

一勤務医の心の叫びが、議員の方々の良心に、少しでも届くことを望んでいます。


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山口(産婦人科)

署名してきました。道標主人様のお導きにより、国会議員の皆様へのメル凸もやってみました。
年末年始の休暇中、どこへも行かず、何にもしなかったけど、これだけはやり遂げました。ちょっとは議員さんたちの心に響いてくれることを祈ります。
by 山口(産婦人科) (2008-01-03 19:52) 

moto

署名してきました。たくさん集まって、影響力を行使できる団体に育っていくといいですね。
by moto (2008-01-03 20:12) 

春野ことり

あけましておめでとうございます。
私も署名してきました。本年もよろしくお願い致します。
by 春野ことり (2008-01-03 23:14) 

Med_Law

憲法 第38条
①何人も、自己に不利益な供述を強要されない。

事案の証拠=刑事裁判資料となる中で、自白を強要することは憲法に反する

北風と太陽の寓話と同じ
北風をどれだけ吹かせても、コートを固く閉じることはあっても開くことはなwい。更に開けようとすれば憲法違反

『予期しない死亡』の主語は何か?
これが遺族とすれば、トンデモない話。
死は何時でも突然であるし、愛情が深いほど予期したくないものだろう
主語が医師としたら?
これもおかしい。医師は何時でも予期しないことも含めて対処を考えているものだから。(対処できるかどうかは別物)
恐らく主語は患者家族であろう。
遺族=被害者というような連想をさせるのは、起案者の悪意すら感じられる。

専門的に司法解剖をする医師すら悲惨なくらい足りないのに何を言っているのかといいたい
一部地域ででも司法解剖行政を実際的に実践できてから、あさって提案して来いといいたい
by Med_Law (2008-01-04 13:50) 

こたつらま

あけましておめでとうございます。
私も今署名してきました。
ただ、記載必須の情報が多すぎて最初尻込みしてしまいました。敷居が高いように感じたのは私だけでしょうか。もちろん、そんなことをいっていられる状況lでないことはわかっていますが・・・。
by こたつらま (2008-01-04 13:58) 

元なんちゃって救急医

皆様、ご協力ありがとうございます。なんとしても、役人の暴走だけは止めたいものです。
by 元なんちゃって救急医 (2008-01-05 21:34) 

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